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世界地図でヨーロッパを眺めていると、リトアニアとポーランドの間になんとロシアがありました・・・

ロシアは本土とは別に、他国を挟んで別の領土があるとは知りませんでした。

確認のため、他の世界地図を調べると、そのロシアの部分が空白になっていたりと曖昧な表示が多いのです。

そこで、ロシアは正式に本土とは別に、リトアニアとポーランドの間に国土を領有しているのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

カリーニングラードの事ですが、そもそもカリーニグラードは、東プロシアと呼ばれるドイツ領でした。


そこは、リトアニア領でした。
リトアニアは、ヨーロッパで最後までキリスト教を受け入れない国でした。
そのため、ドイツ騎士団が異教徒であるリトアニア人を追い払いドイツ人が入植した土地でした。
リトアニア人は、カトリックに改宗し、ポーランドと組んでドイツと敵対し続けます。

第二次大戦で、ドイツが破れると西プロシアはポーランド領になりますが、東プロシアは、ソ連が併合しカリーニングラード州となりました。
現在でもロシアのバルチック艦隊の母港となっています。
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軍事戦略的に意味があるので、ロシアが領有している。


というのが、ひと言で言うと、そこがロシア領である理由です。

近代、(だいたい、17世紀以降)バルト海沿岸地区は、北方のスウェーデン、東方からのロシア、西方からのドイツの覇権争いというのが基本構造です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA% …

その時、その時で一番強いところが港湾である、その地を支配するというのが基本になっており、現在は、ロシアがソ連に引き続いて支配しているというのが現状。
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カリーニングラードと呼ばれるロシアの飛び地です。

旅行で行ってきたことがあります。

かつてポーランド分割後、ポーランドという国は一時消滅しており、ドイツとロシアがあのあたりの地域を取り合っていたのです。プロイセンという国は、ドイツの国というイメージが強いかもしれませんが、地図でチェックすると、現在のポーランドに位置しています。

あの地域の首都は、かつてはドイツ語でケーニヒスベルクと呼ばれており、哲学者カントが住んでいたことでも有名な地域です。その他、リトアニア国境にはティルジットという町もあり、これも有名です(ナポレオンとロシア皇帝が面会した場所として知られています)

第二次大戦ではドイツとロシアの大激戦地となり、結局、ロシアが接収してドイツ軍は降伏しました。町はカリーニングラードに改名されました。古くからの建物はほとんどすべて立て壊され、社会主義の理想郷として、全くゼロからの都市計画を行いました。(その結果、貴重なお城が失われてしまいました)

愚かなことに、ロシアの都市計画は失敗し、わざわざ城を破壊して立てた議事堂は、工事の途中で地下トンネルが発見され、危険であるという理由で工事を中断し、自然に倒れるのを待っている状態で、廃墟と化しています。それが、町のど真ん中にあります。また、近代的な高速道路網をつくるつもりだったのが、途中で予算が切れて、高架道路の作りかけでどこにもつながっていないもの(つまり、途中で途切れているもの)が、そこらじゅうにあります。

観光地(?)としては、ドイツ軍が最後の抵抗をして降伏文書に署名した地下施設が、大学の隣にあります。大学に、カントの像が立ってます。それから、この地域はポーランドも含め、琥珀の生産地として有名です。カリーニングラードの琥珀博物館は、なかなかのものです。カリーニングラードに最初に突入したソ連の戦車も、アパートの間にドンとおいてあります。カントの墓と、古い教会の廃墟も見逃せません。カリーニングラードのロシア人は、カリーニングラード人としての誇りを持っており、結婚式を挙げるカップルはカントの墓に花をささげる習慣があります。

かつてこの地域に住んでいたドイツ人のお年寄りたちや、ソ連によって中央アジアに強制移住させられたドイツ人の子孫たちは、カリーニングラードに行けばかつてのケーニヒスベルクがあるのかと思って訪れてみることもあるのですが、はっきり言って、がっかりします。
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カリーニングラード州のことですかね。

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