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イギリス人は元来、自由に関して自負している人種なのに、
1737年の演劇検閲法については、難なく制定されています。
どうしてそんなに簡単に通ってしまったのでしょうか?

A 回答 (2件)

自由にしても限度があったからでしょう。



イギリス・ルネッサンス劇は決してイギリスの全ての人々に受け入れられている訳ではありませんでした。
王族や貴族は演劇を擁護していましたが、中産階級の新教徒の人々にとっては許し難い部分がありました。当時の劇のテーマの中には、新教徒を批判する風刺劇があったり、男が女役をするという新教徒的には冒涜的・背徳的と考えられている事があったりした為、風紀を乱すものと思われていたのです。
その為、1642年に新教徒革命が起こり、王権が廃止されると、全劇場が閉鎖されています。
その後、王政復古がなされますが、もはや実際の国政は議会が大きな影響力を持ち、国王の権限は縮小されていました。とりあえずは劇場も再開されますが、検閲を受け風紀を乱さないものだけを上演する事になったのです。

自由だからといって他宗派の人々を批判したり、信仰を冒涜するような事をしていれば、反動も出てきます。誰だって自分の信じるもの、大切にしているものを貶められるのは嫌でしょう。
それが、検閲法の制定に繋がったのだと思います。

この回答への補足

ありがとうございます。
王室とピューリタンと矯風会など様々な関係によるものが大きいでしょうね。また、演劇検閲法の制定の裏には実は・・演劇が行われなくなることで出版物が闇取り引きされ氾濫することをよみ、いずれは出版物自体を制限したかったという見方もあるようなんですが・・・

補足日時:2007/09/10 17:05
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NO.1です。


補足にあった出版物の制限についてですが・・・
そのように演劇などを利用しなくてもイギリスでは出版物の制限をしていたと思いましたが・・・反政府的・煽動的な出版物は政府が注意しなければならない危険物ですから、印刷業を含む書籍業界への出版と営業規制と検閲は行われていたと思います。

例えば1637年に発布された出版に関する33ヶ条にも及ぶ条例の一番始めの条例は「誹謗的、異端的、反政府的書籍の印刷、販売、輸入の禁止」でした。
その後の内戦で議会派が権力を握った時も「印刷委員会」を作り、出版の規制をしていました。
1660年6月にチャールズ2世により王政復古が為された時は、反王国的出版物の摘発が行われ、8月には議会で「出版統制法案」が審議され、1662年には「煽動的、反道徳的かつ無許可の書籍及び、小冊子の印刷における乱用を防止し、印刷業及び、印刷機械の規制をする為の法律」という「印刷法」が議会を通過、施行されています。

演劇を規制しそこから派生する事態を予測し、そしてさらには出版物をも制限するという回りくどい事をしなくても、昔から出版物は法を作って規制していた訳なので、私としてはあまり納得のいく話ではないのですが・・・まあ、ないとはいいませんが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます! 参考になりました。

お礼日時:2007/11/25 22:58

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