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愛国心、軍国主義の再来や特別警察の復活や思想統制も国益という偉大な目的があれば許されますか?
仮にそういう主張があればあなたは支持しますか?
日本の国益とは誰の利益になるのでしょうか?

A 回答 (8件)

「国益」とはすなわち「国」の利益ですが、例えば「公共」や「国民」という用語でなく「国」という語そのものが使われている以上、通常「国益」を考える時には他の「国」のことが当然念頭に置かれるわけであり、その点で対外的な意味を主軸に考えることは差し支えの無いものと考えます。

従って主権国家の安全保障上の存続を追求するということを基軸に、他国・並びに他の国際的社団に対して政治・経済・文化・宗教等様々な争点領域に対して主導的な影響力を発揮出来るようになることが国益であり、その為の一連の努力(ハード面においてもソフト面においても)が国益の為の手段であると暫定的に考える事が可能です。

しかしながら主権国家体制が全世界に広がった今日の国際政治状況においては、抜け入れが自由他の社団とは異なり、人は何れかの国家に所属することが原則となります。勿論「移民」や「移住」といった形で所属する国を選択する権利はある程度保障されていますが、政治難民等は別として一般人が国籍を「捨てる」という自由が原則認められていないことには留意する必要があります。グローバル化や国際化が叫ばれる中においても、生まれた時点で「日本人」、「韓国人」、「アメリカ人」といった所属が半ば強制される以上、国家という「社団」は何れかに所属しなければいけないという点において非常に特異な物であると言えるでしょう。

こういったことも踏まえた場合、国益を一元的に定義しその内容に優先順位をつけることは極めて難しく、その国のおかれている国際構造、国内を支配する価値観・政体、そして政策決定者集団が如何なる性格を持っているかによって大きく左右されると思います。例えば、質問者様が仰っているような内容は特に太平洋戦争前の日本の状況であるものと推察しますが、当時の日本にとっての国益は取りも直さずハード面としての物理的軍事力を増大し、これを手段として自らの勢力圏・支配地域を拡大し、地域覇権を強固にすることが第一であったと考えられます。所謂軍国主義というのはその目的の政治的価値観であり(因みに軍国主義というのは当初としては国家社会主義の為のある種の政策的手段だったわけですが…)、特高・憲兵にによる思想統制もその最たる国益に反する行動を抑圧する為のものでした。
ですが、現在の世界情勢に焦点を当てれば、経済的相互依存の深化、ネットワーク・情報網の拡大、そして米ソ冷戦終結による2極化構造の崩壊といったような国際システム上の変化、また我が国内における自由主義・民主主義思想の「定着」、そして代表制民主主義的制度によって選出された政策決定者集団の存在等、各階層に渡って大きな変化が生じており、この中において国益を太平洋戦争前と同様にとらえることは極めて困難であると考えます。少なくとも、戦後日本における国益は、軍事力の大幅な再増強からではなく、開かれた貿易システムの中で経済成長を追求することから得られる、というコンセンサスが働いてきたと見て差し支えはないでしょう。即ち、各時代の国際システム、国内の政治・社会的状況、そして政策決定者(とその延長としての世論・政治集団構成員としての国民一人一人)の状況によって、国益は流動的に変化していくのです。

最後に思想・言論統制との関連で付け加えたいのですが、具体的な国益やその優先順序がこのように流動的である以上、その変化をとらえ柔軟性をもって対応する為にも、言論・思想の自由が広く認められていることが必要であると思います。真のコンセンサスも自由で本質的な討論によって生まれるのであり、それを国が制度的に保障することは、長期的な目で見て逆に国益に繋がります。また、世論を形成する我々自身としても、一見特異な主張に対して冷笑や一元的批判を浴びせるのではなく、彼らの意を十分に汲み取る努力が必要でしょう。国家による制度的統制の代わりに世論による精神的圧力が目に見えない形も含めてかかり得る可能性にも十分留意する必要があるといえます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/09/19 13:19

現アメリカのような


ユダヤ政商の利益がその国の国益となり、
その時は、一時だけ、国民は豊かになったと感じても、
それは、資本主義度が進められた経過で有り、
必ず、
効率化と競争原理により
淘汰があり、
流通系統が単純化され(少なくなり)、
それを握る巨大資本家が、
資本主義度が低い国へ
生産、材料輸入を完全に切り分けるので、
その国内の生産技術も材料調達能力も疲弊し、
結果、売り手市場の価格形態、品質、保証となるのではないでしょうか??

となると・・・

その国の産業は、
金融投資が主となり、
そこで、
投資の失敗という足の引っかけをされて、
破産していく国民が増えるでしょう・・
資本主義とは、資本を多くもつ者が、
絶対的に強いという経済哲学ですから・・

他方、ユダヤ政商は、かつて、ソ連のレーニン、トロツキー、ケレンスキーにも
同時に支援して、
たとえば・・国民が上記資本主義のからくりに気づきいたとき、
共産主義志位氏らが国民を指導するようにいつも担保している・・

そこでは、ソ連での社会を国民のための社会とは決して言えないことを
立証していると思います・・

要は・・・
二元論のマジックに騙されるな!?ってことがあるように思う・・・

家康がとった政治方針は、
自分では相当な海外情報ネットを張り巡らせ、
当時にして、
欧州の帝国皇帝らと
ユダヤ政商との関係を推理していた様な気がしますし、
(朝鮮と国交を結ぶ時に
朝鮮が秀吉が10万人近い人と宝、技術者、学者をサラっていったにもかかわらず、
国交の条件は、
「その時に墳墓を荒らした犯人の引き渡し」
だけが条件だったこと・・
で、彼らが住んでるところに、
注意をおき、
キリシタンを禁じていること・・・

内政的には、
戦後GHQ(ユダヤ政商の指示で)が作り上げた歴史シナリオでは、
皇室、朝廷政治を支える公家たちは、
ヘナヘナ遊びと雅におぼれて、
政治社会には愚か者集団だった・・・
という視点で語られますし、
映画もつくられますが、、

子供のころその末裔だった人や神主さんなんだって、と
母から聞いた
先生であったり、郷土史家であったりした方たち、
ご近所の小父さんたちから受けた印象は、
言葉少なで、仏教系のように説明・解説がないのですが、
ただ、、
「好い場所」をよくご存じで、
その「好さ」を今から振り返ると・・
通常の感性では、通り過ぎて気付かないのですが、
生物として居心地の良い、石段の木陰であったり、
そういうところで静かにしていると、、
近くでキジが雛と遊んでいたり、、、
生物としての人間の自分の存在を知ったように思えます・・

日陰だとお弁当を広げてると・・
「そこはがけ崩れの危険があるよ」とか、、
開発で人間が自然の調和を損ねて、
がけ崩れをおこし、
それを防ぐために、躍起になって
また、自然破壊を進めている・・・?!?

江戸時代、身ぐるみ山賊はいたでしょうが、
クマやサルとともに、
人間も山里に銃もなしに住んでいて、
襲われず、
彼らを避ける術を心得て、
春、冬眠から覚めてすぐの寝ぼけてる時に、
打ち取り、
滋養にして、毛衣を使う・・
普段は、川魚をとり、
山の山菜、畑、小さな田圃で米?粟、稗を作る・・

そういう生活を楽しめる自然気候環境で有った日本・・
落葉樹、なら林の豊かさが水を貯め、生態系の豊かさを作る・・

こういう生活に美や価値をもつのが、
ワビ寂びの元だとすると・・
政治の中枢にある人が、
その根源的な思いが、
日本というのを自然も含めた環境丸ごとの民どころか
クマ、川魚、川、滝、岩にいたるまで
愛されていたのを、
蘭学で西欧美術が入る前の、作品、、土牛以前くらい・・の絵にも
その精神があふれてるように思える・・

反して、、西洋の文化が乱入されてきた時の、
第一線ということで薩長出身の政治家らに送られた
襖絵や屏風絵は、
写実的ではあるが、
生々しく、
その愛すべき対象としての関係ではない
生物的な存在感が強く描かれてるように思う・・

屏風や襖絵などは、
目的がそのものを知ることにあるものではないことを考えると、
やはり、愛すべき対象として、いつも心に掛けていることが
大切で、西欧美術に、そういう目的の美術が、
単に工芸品でしかあり得ないということを・・
悲しく思う・・
お金を出す人たちが、
そういう精神、哲学しかなかったと言うこと??

ただ・・お金を貰わなくとも
自身の絵を描くことが出来たコローは別に思えますが・・・・

そうなると・・・・
文明的な機械や便利さは資本主義によりもたらされる時は、
最も、急激変革あってのことだから、
そのもとで、実は、失われたもの・・
それが、日本の文化にある
自然環境丸ごとの人と生物との分け隔てが少ない価値観で、

まず、人間が上。他生物が下と二元され、
その下が淘汰され、

次は人間の中に上下をつけ、
どんどん淘汰していく哲学が、

地球共存の研究の基礎を築いてることの誤り・・・

最初から、方向性が間違ってる、視点、発想が間違ってるのではないか・・?!?

明治生まれ、明治育ちの人に思いをはせると、、
勿論!、薩長志士ユダヤ政商の先鋭部隊として革命に価値を信じた人もいますが・・・

でも・・・あの、言葉にはよらない、
静かにそよ風に吹かれてるとき、
隣にいてもお茶やお菓子のやり取りを許さない清浄さ、
でも、温かな自然環境に同化した神社、境内・・
滋味豊かな命のお水が頂け・・それは、
人だけでなく、そこからあふれる水路の水を鳥も飲める・・

この朝廷公家と直情的でない深い視野を持つ平和的な家康の政治力が
一緒になって、
日本のこの文化を庶民生活に根づかせたような気がする・・?!?

このかつての生き証人?から受ける日本の歴史の印象と、
戦後、映画、教科書,NHK大河等でうける印象との乖離を
どうやって埋めれるのか・・?!?

私は、S50年代最後に、一般向けに書かれた、
矢島きん次さんの警告(日本人が思いこんでる価値観、二元論では善悪、右左、上下、実は正反対であり得ること、、
二元論の危うさ、誤魔化すのに便利な哲学であること・・
それと面白おかしく語った小室直樹氏の中に、
真実の一辺がが光ってるように思える・・
両氏とも、中曽根政権になって、
すっかり、口封じされ、
恐らく、、公明党ユダヤ政商の仕方では、、
大変によく気のつく秘書か助手が付けられ、
整理?管理されてしまっていることに想像します・・

つまり・・・
渡辺氏勢力(山口組?)、
公明党(ユダヤ政商、ブッシュロックフェラーの独系ウォーバーグ系にせよ、
香港上海銀行麻薬マフィア系ユダヤ政商:印で成功をおさめたサッスーンと英ジャーディン・マセソン系←幕末薩長とグラバーと明治政府の関係を調べる!!是非!)

表看板として、
かつて父の代から
彼らが自由気ままな政権を作り上げる前処理役として、
「顔」「表看板」になって、

次くる一見、国民派に見える軟弱、難破政権の時に、
閣僚、次官らが好き勝手して、
私利私欲を貪り、
その為の司法、憲法整備をする為の人事を動かす・
  ↓
中曽根政権になったときには、
否応なく、ユダヤ政商も傘下に下らざるを得ない状況にしてから、
プラザ合意、
上記いった日本国民国益の研究者、発言を封じ、
絶対主義的になし崩しされていく・・

民主党、鳩山氏が渡部耕造(渡辺氏?公明党?)、山岡賢次(S60年代は、藤野賢二)氏の怪しさ・・・
香港上海銀行(公明党)との関連が直感的だがあるように思えてならない・・・?!?
(1) 山岡荘八という戦争作家だった人物の
  日本の歴史感にウソを感じる・・
  これは、今回、ネットで調べると、
  昔から、言われていたことだそうです・・
  ただ、、私にはそのウソには、政治的な意図が込められたウソに思える
(2) また、戦後、ユダヤ政商人脈に持ち上げられた彼を義父とされてることの、
  胡散臭さ・・・
  詳細、プロフィールが取りにくい
(3) H1年、1989年、麻原が「阿含宗」を批判文を出してるそうだが・・
   自分の体験として、オウムと接触した経験はないが、
   したいとも思わないし、できれば!したくない!!けれど・・・
   「阿含宗」は、梅田駅前で大きな看板を見たり、
   また、、はからずも・・・
   ご家族の方とお会いしたことはあって、
   何か・・ヘン!!?って強く感じたので、
   すぐ、お暇をしたことがある・・・
   仏教と言うけれど、
   子供の頃から見慣れてる仏教とは違い、
   何か…昔、、父や叔父らが台湾に旅行へ行ったときにお土産に持ち帰った、
   日本だったら美術品や工芸品として高価だろう仏教的な臭いのする飾りものだったり、、
   何か、、、偽物臭い(その書画が本物であっても、哲学?精神に「煩悩」を強く感じる)
   「煩悩」を感じる・・・神道に感じる清浄さが嫌う暗やみや憎悪、人間ならではの煩悩を感じた・・
   
   これも【星】(ユダヤのマークでもありますよね)火祭りするそうですが、
    ゾロアスター教のカルト系ではないのでしょうか・・?!?
   つまり、、この年に、
   日本社会の経済、社会、さまざまな法体系を
   (ユダヤ政商の都合のいいように変えるために??)
   平成元年、まず、司法、憲法体系を変えるために!?!
   元最高裁長官・矢口洪一氏は、
   この年、山口繁氏に
   学歴を詐称させ、傀儡長官に仕立て
   裁判員制度など憲法違反の司法改革を計画、
   実行のための裏面工作をおこなった最初の年・・・であるとすると・・

  この年までに出されてる出版物には、まだ今に比べ、根本的には
  自由な発言、意志が良識の上で許されてると
  ある程度は言いえるとすると・・・・
  この年に出版されてる、文芸春秋の作家の顔に
  司馬も黒岩も井上も阿刀田も遠藤も開高も川端も源氏も今も早乙女も柴田も陳も・・・
  いるのに、
  NHKの大河になりながら、
  載っていない・・
  江藤淳が載っていないのは、83年に「ユダの季節」を書いてから、
   保守派・山崎正和、中嶋嶺雄、粕谷一希らから直接批判を受け、
   たが、彼らは勿論、バックにユダヤ政商人脈があったから?!?
  同年、元産経の古森義久氏、毎日新聞東京本社政治部編集委員となり、
  執筆がアメリカから日本政治時事をするようになり、
  産経のカラーがガラッと変化している
  単調で、政権に迎合的で、
  資料は本当の雇い主、米ユダヤ政商から出ているような感じ・・?!?
  今、はやりの「チカン」スキャンダル作戦は・・
  何と!江藤氏にもしていたようだ・・
  山崎卓氏へのスキャンダルは、
  彼らのやらせの一環として、再度見直そうと思う・・
  「盗聴法」の強行採決が行われた年・・・・
  中国(HSBCも?)のキーパーソン・張欽楠氏、来日し、
 米ユダヤ政商を連携して、「設計者資格の国際化」を訴え、
  日本の建築法を強引に変えていくきっかけを作ってる・・
この後は日本の巨大資本によらず、
組合として日本で最初にできた乳業会社「雪印」をスキャンダルでつぶし、
今、コンビニに流通している牛乳メーカーにとられてしまった・・

つまり、、、
山岡荘八は何か裏がある・・・ユダヤ政商の中でも、
やくざやマフィアに近い人脈があるのではないのかなぁ・・・??

調べても、彼のプロフィールはほとんど出てこない・・・
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この回答へのお礼

長文お疲れ様です

お礼日時:2007/09/19 13:19

高校生の戯言なので、話半分に聞いてください。


今のところはまだいいですけど、今以上に技術が発展してくると、思想統制を一度でも始めてしまうとひどいことになりますよ。1度でも高度に発達した監視社会が成立してしまえば、その中では革命を起こすことすら困難になってしまいます。つまり、監視社会が恒久なものとなり、変化のない社会が成立しうるのです。要するに小説1984年の世界ですね。
1984年的論理でいくと、中にいる人間は「幸せ」なのですが、我々の目から見ると幸せには遠く及んでいない…。
高度な監視社会は案外、その世界で普通にに生きている人にとっては、居心地の良いものなのかもしれません。しかしながら、その世界の中で矛盾に気づいてしまった者や、我々の目から見ればこの上なく不幸な世界。それが、監視社会の本質でしょう。はたして、それは国益といえるのでしょうか???監視社会を止めるためというのが、日本やドイツで全体主義が蔓延していたWW2を踏まえての、現代における民主主義の1つの大きな意義だと思うのですが、いかがでしょう?
外交関係とかは無視で言っているので、そこは突っ込まないで下さい。監視社会云々のことなら、ジョージ・オーウェルの1984年を読むことをお勧めします。
ついでに言っておくと、監視社会の成立後は、確実にトップが甘い汁を吸う社会構造になると思います。それは非合理的制度の存在を容易に許すので、結果的には国益どころか、特権階級以外の誰の利益にもならないでしょうね。要するに、政治のトップを監視する機関がなくなり、非合理的な事柄に対して修正が利かなくなるということです。つまり、言いたいことは、監視社会化は、戦時や緊急時などには短期的には効果があがったとしてもその効果は持続しない上に、監視社会からの脱却は非常に困難ということです。
ということで、私は支持しません。そもそも、国益が偉大な存在って、どういうこと?近代国家のそもそもの存在意義は個々の基本的人権を守ることにあるのでは?それが破られるのなら、これ以上本末転倒な話はないと思いますが…。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/09/19 13:19

 これは政治哲学の問題ですね。

つまり個人に対する社会権力の限界を何処で線引きするべきかと言う問題だと思います。

 この問題は「個人の領域」と「社会の領域」を区別する必要があるのです。他人の利害に関係する部分が「社会の領域」になります。

 私は、国家が制限するのは、あくまでも「社会の領域」に限るべきで、「個人の領域」に関係する部分に国家が干渉するべきではないと考えています。また、制限するにしても議論が必要で世論で非難する方法が妥当な場合もあるし、法律で罰則を設けるのが妥当な場合もあります。

 よって私から言えば「愛国心」、「思想」は個人の領域に属するものであり、国家が干渉するべきものではないと思います。これが19世紀以来のJ.S.ミルに代表される自由主義の考え方です。

 この説明に納得がいかない場合は、J.S.ミルの「自由論」を読む事をお勧めします。

以上。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/09/19 13:19

 愛国心を許さない人はいないと思うが。


 国益とは国民の財産と生命を守り、豊かで安全な社会になること。
 「軍国主義の再来や特別警察の復活や思想統制」が国益になる社会とは、世界中が戦乱と混乱の中にいて、そうでもしなければ、正常な生活を善良な市民が営むことができなくなるような状態。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/09/19 13:19

北朝鮮が『東京を火の海にしてやる』と公言し


朝鮮人が 日本人を誘拐/虐殺し続けてきた【過去】が公になった以上、
それに備えるのは 誰も反対しないでしょう。


人命の為に 国民の権利を制限するのは 別段問題では無く
国益=日本人の命 とするのなら、『他人の命より 自分の権利の方が重要だ』と主張するのは(反日左翼以外)存在しないでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/09/19 13:20

まず最初に考えたいのは


「国」とは何ですか?
あなたにとって「国」とはどのようなモノであるか?
こういう自問自答を繰り返して行けば
ある程度は「自分の考え」が見えてくるかも知れませんね?

私は、自分の考えをあなたに押し付ける気がありませんので
ここで述べることはしません。
人それぞれに解釈や考え方があるような、ご「質問」だと感じます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/09/19 13:20

愛国心とは米国との独立心であり、引いては反米思想だと思います、すくなくとも諸外国と境を設けますよね。

完全なアメリカ協調路線なら日本州ということですよね。私は日本思想なるものはない交ぜになっても何かしら残るものなので、国民や世界に貢献できる方向にバランスをとっていく考え、極端にはしらない考えが、必要だと思います。

特高警察、軍国主義、の賛成は否か、もっともこれらとは別の不条理が特高や軍国主義で自分たちが守られるのであれば国民も私もこれらの組織と概念を取り入れるでしょう。

日本の国益→特定の国民の利益に多く関与する。
たぶんわたしじゃないw
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/09/19 13:20

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