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質問の一つ目はタイトルの通りです。欲の少ない生き方、徳を積む生き方というのはどんな楽しさがあるんですか?

また、私は銀魂という漫画が大好きですが、上記のような生き方をするためには漫画などは一切読まないというような姿勢は必要ですか?

A 回答 (16件中1~10件)

ANo6です。

お礼ありがとうございます。
互いの昇華の為若干の補足をします。

>恐怖によって努力するのがあまり良くないのは解りますが、理想によることもあまり良くないのでしょうか?
>人は考える力が大きいからその分つらいことも多いんだと思います。

そうですね、人生意図通りにならないことがあって、それだから我慢や従うことを迫られます。しかしそれだから価値観を変える必要が見出せ、卑屈になり続けることを回避も出来ます。

例えばカッコ良く生きたい。今よりもっと剛健な体と心の持ち主になりたい。立派な家に住みたい。名声が欲しい。という理想を良くないとは思いません。そして持ったとします。
理想とは権利を主張してそれが保証されるものでなければ意味がないのです。

人間に出来ることは紙の上での形式上の保証を成立したのごとく関係性を信じるだけで、自分の理想が変化しない可能性は確立以上にはなれないのです。つまり理想(欲望)が変わらない権利は誰も保証してはくれない。自分だけが信じているだけです。

信じていないよりは信じている方が安心して理想に近づけるけれど、作り事の理想を持つことによって払う作り事の義務や責任も負います。そういう意味で理想や所有を多くすることは苦労して隷属関係に参加しようとしているに過ぎない。それが嫌なら他人が苦労して手に入れた理想を眺めて満足するという方法もある。むしろそうである方が楽で自由が多い。
欲を減らすと乞食根性も減り楽だということでした。

レオナルド・ダビンチは「私は貧しくない。貧乏人は人のものでも何でも欲しがる」といっていたようにです。

理想とする自分(自己満足でもいい)があるなら既にもう欲しがったりしない。むしろ譲ること、与えることの喜びというのは他者がいてこそ可能ですし、それを貰えることに感謝するのと思います。
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この回答へのお礼

遅れてごめんなさい。
やはり自分の言葉での置き換えができないんですが、なんとなくはわかりました。車のローンみたいなものですかね。ちょっと違うか。
欲の理解が少し深まりました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/03 17:57

欲望を持ってもほとんどはかないません。



欲望が強ければ強いほど現状に不満足だということでしょう。
しかもほとんど自分の思うようにいかないからなお苦しいでしょう。
まれにかなったとして、差し引きしたらだいぶ苦しむことに。

欲が少なければ少ないほど現状に満足ということでしょう。
世界が思うようにいかないのは当然と理解していれば落ち着いていられるでしょう。

徳を積む生き方についてですが、私の徳の概念は八正道です。
自分の心も軽くなり周りの人もそれを受け親切にしてくれる。
支援者を増やし、苦しみを減らす道です。

漫画のことですが、それを読んで多くの苦しみがうまれるなら離れるべきでしょうけど、徐々にでいいのではないでしょうか。

まづは常に「笑顔」でいれるように生活することを心がけるから初めては?

人を自分の心を見るための鏡だと思う事もいいと思います。

何かの参考になれば幸いです。

参考URL:http://www.j-theravada.net/
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この回答へのお礼

遅れてごめんなさい。
仏教の人ですか。私も今大学で仏教の講義をとっています。
八正道の考え方、参考にさせてもらいます。

お礼日時:2008/05/03 18:07

下で回答したものですが、しつっこくてすみません~。


楽しいや楽ばかりが人間にいいはずはありません!!
ある程度ストレスがあればこそ進もうとしたり乗り越えたり出来ますよね。
私も達観に至るものでなく、ただの変人なだけと自覚します。
達観者ばかり増えると文明や産業は滅び、原始時代まで衰退しかねます(笑)

B-powさんが漫画が好きなのは努力ではなく楽しいからで、楽しむ行為というのは遊びでもあり学習であり仕事であり、神の行為?というかどうかわかりませんが、想像力を制限していない状態で、疲れることを忘れて予想外の奇蹟を起こせたりも。頑張って楽しむべき!ですね。
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この回答へのお礼

遅れてごめんなさい。忘れてしまってるかもしれませんが・・

楽しいですマンガは。ただ最近わかったんですが、マンガは読むだけで終わると、批判する能力ばかりが育つようです。長い時間読むと余計に。気をつけようと思いました。

お礼日時:2008/05/03 18:01

人間は眼、耳、鼻、舌(口)、身体(接触)による五感からの情報を意識としてまとめ、意識は自己を楽しませる対象を常に希求しており、特に新しい情報を求め続けています。

人間の欲とはこの意識の欲求が制御できない状態であることを示した言葉であると考えます。

一方、こうした欲求は生き物が生存していく上で必要不可欠であり、どなたかが言われた人間は知ることを欲すという哲学の成り立ちでもあると考えます。

問題は五感から流入する情報そのものではなく際限なく求め続けることによって、求めても得られない苦しみが生じたり、それぞれの人間の傾向性により情報を解釈し苦しみが生じます。苦しみと色付けられた情報は思考の反芻により過去のことも本人にとっては現在の苦しみです。

たとえば、いじめや虐待などが数十年を経過しても本人の思考にとっては現在のことであり思考を空転させ苦しめ続けるのです。このように深刻な事例でなくても、否定的な解釈をされた情報が本人を苦しめ続けることは充分に考えられます。

欲が少ない生き方とは直接的にはこの否定的で破壊的な傾向性の否定ではなく、意識的にまったく別の肯定的な情報を心に送り込み思考の空転する隙を与えないことだと考えます。人間は常に本人が考えているような人になるという言葉もあります。何事も苦と感じなければ楽しみが生じます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。書き留めておきます。

お礼日時:2007/11/07 14:09

欲には楽しみが少なく、苦しみが多いばかりです。



お釈迦様は、この世の一切は苦しみであると説かれました。
凡夫は顛倒した見解を持っているために
苦しみを避けたいと思いながら苦しみを求めます。

この世の一切の事物は、縁起によって生起します。
条件の整った時のみ生じ、必ず滅する性質のものです。
作られたものは必ず最後には壊れます。

つまり、得たときに喜び、失ったときに悲しむのは、
短絡的で一面的な見方で、必ず幻滅に至ります。
この二つは一つのものです。
にもかかわらず、このような見方に執着し妄想して増益します。

欲の対象に楽があるにしても執着なく行うのが正しい。

欲を楽とみれば執着があります。
執着があれば、
いかに得ようかと悩み、得れば損なわないように悩み、失えば悲しむ、
ということを避けられません。

生存は苦を本質とし、楽しみは分別に過ぎません。
例えば、ナイフで手を切られると誰でも苦しみますが、
楽しみは分別によるので、人によって楽しいことは様々です。
五感に楽を感じるような刺激があっても、苦しみはそれらを圧倒します。
例えば、子を亡くした母は笑うことがあっても悲しみに支配されているように。


以下に、ナーガルジュナの「王への手紙」から引用します。
この世の楽しみとは、体の楽しみか心の楽しみの二種類です。
体の楽しみとは、苦がないことに過ぎません。
例えば、湿疹は掻けば楽になりますが、湿疹がなければそれ以上に楽であります。
心の楽しみとは、心で構想分別されたものに過ぎません。
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この回答へのお礼

すみません。理解しきれなかったので、これもまた心においておきます。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/07 13:56

欲の多い苦しみから逃れると楽になるということでしょう。



漫画を娯楽として現実と切り離して楽しむのであれば結構なことです。

しかしながら、漫画に出てくる諸々の事象、お金、愛、力、夢、正義、平和、絶対的で普遍的な何か自分の理想を求めることは、際限がないので意識が絶望へと向かう可能性もあります。読む人の意識の持ち方によるでしょうね。
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この回答へのお礼

漫画を現実に持ち込むなということでしょうか。気をつけます。

お礼日時:2007/11/07 13:53

>欲の少ない生き方はどんな風に楽しいんですか?



まず、この前提を考え直さないといけません。
欲が少ない生き方は本当に楽しいのか。
例えば、あれも欲しいこれも欲しいあれもしたいこれもしたいと思っている方が、目的を達成することを考えると、欲がある方がよっぽど楽しいのではないでしょうか。

欲が少ない生き方は楽しくないかもしれない。
また、仮に楽しいとしても、こうした欲を持つ楽しさとは違った次元の楽しさになると思います。

好きな漫画はあってもいい。
でも、別に読まなくとも生きられる。
実際に読まないで生きた人など歴史上に大勢いる。
そう考えてみると、生きるために必要なものなんて少ないのです。
携帯電話もテレビも、なくても生活できる。
人生に必須なものではないということを少なくとも頭でわかった上で、好きな漫画に接すればそれでいいと思います。

別に必要というわけではない、と思うことによって、人は身軽になれます。自由で、楽だと言えます。
こういう質的な側面を「楽しさ」というのなら、そういうことになると思います。

質問の趣旨が仏教的観点なのか孔子的観点なのか、それとも別の観点なのかにもよるとは思いますが、とりあえずこれだけ答えておきます。
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この回答へのお礼

欲という言葉の意味がいろいろあって混乱してきました。よく考えて見ることにします。

これから大学に行き、一人暮らしをすることになるので、そういう必要ないものは無いような生活もやってみようと思ってます。

ちなみに仏教も孔子の考えもちらっと見たぐらいの者でした。(すいません・・・)

お礼日時:2007/11/07 13:51

「欲の少ない」ではなくて、「悪い欲」や「低俗な欲」が弱く、「善い欲」や「聖なる欲」が強く、徳を積む生き方、ではないでしょうか?



そのような生活をしていると、人格や霊格が高くなります。

そのような生活をしていると、様々な人々や霊が助けてくれるようになり、人生が楽に生きられます。

どのような漫画を読んでどのような漫画を読まないかは、自分を善く教育するために、読むべきか読まざるべきかを、自分の責任で自分で判断する必要があります。

漫画といっても、色々な漫画があります。ためになるものもあります。その漫画がためになるか、ためにならないかを判断するためには、ちょっとは見て確認する必要があることもあります。表紙を見ただけで分かる場合もあります。それを見て自分がどう思ったか自分の感情を観察してください。その感情がネガティブなもの(暗い、卑しい、破壊的、など)であれば、読まないほうがよいでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

読んでネガティブになるようなものでは無いので、読むことにしました。

お礼日時:2007/11/07 13:46

銀魂という漫画は読んだことがないのですが


私は「欲の少ない生き方」がもたらしてくれるものは
「楽しさ」とは少し違うように思います。
「欲の少ない生き方」はまた「徳を積む生き方」とも
少し違うように思います。

欲を捨てることを目指す宗教といえば、まず仏教ですが
仏教は、心を悩ませ苦しませるものが「欲(煩悩)」だと考え
欲を捨てることが出来れば心の安らぎが訪れると考えます。

人は無欲になるほど、無我の境地に近づくと思います。
無我夢中の「無我」です。

私は、人が一番幸せなのは「無我夢中」の状態にあるときだと思います。
無我夢中で漫画を読んでいるときなど、私は本当に幸せだと思います。

無我夢中というのは、言い換えれば「自然体」ということかなぁと思います。
> 漫画などは一切読まないというような姿勢
無理にそのようにされるのは自然体から離れていくように感じます。
もう漫画は不要だな、という時がきたらやめればイイと思います。

人は無欲になるほど~と書きましたが
全く欲がなくなることはないと思うんです。
そこまでいってしまうと「生存本能」まで否定してしまうように思います。
大事なのは「自然体の獲得」だと思うのです。
徳を積む生き方、となると自然体ではないと思います。
無我無欲になれれば徳は自然と積まれるものであり
徳を積むこと自体を目的にすると「偽善」になると思います。

とある茶道の師匠がこんなことを仰っていました。
「茶道の振る舞いの規則は、各個人が生活の行きがかり上、身につけてしまった
醜い姿勢を白紙の状態に戻すためにある。白紙に戻ったら、規則など忘れてもよい。」
無我を説くのはこれに近いことだと思います。
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この回答へのお礼

銀魂はおもしろいです。つい馬鹿笑いしてしまいます。

ありがとうございました。心にとどめて置きます。

お礼日時:2007/11/07 13:42

欲の少ない生き方というのは、ほとんどないのではないでしょうか。

皆、欲を持って生きています。それは聖者でも同じだと思います。しかし、普通の凡夫が持つ欲というのは物質的なもので、聖者が持つ欲というのは精神的なものであろうと思います。欲が向かう方向というかベクトルが違うのです。世界を平和にしようとする欲望。人々を幸福にしようとする欲望。そいう欲望は普通は欲とは言いませんが欲望です。
はっきり言って徳を積む生き方というのは楽しくないです。それが楽しいと思えるようになったらその人は聖者の仲間入りをしたということでしょう。修行ですから楽しくないです。自分の欲望を完全に抑えるという極端な生き方ではなく、1日のうちで瞑想する時間を作ってその時だけ世間の欲から離れた時間を過ごすという生活にすれば良いでしょう。無理やり欲を抑えるのではなく、知らぬ間に欲が消えていたというようにもっていけば無理がなくて良いのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

精神的な欲というのは志と言い換えてもいいですね。そしたら違いがよく分かります。

楽しくはないんですか。でも何かいいことがあるからするわけですよね。

それくらいでいいんでしょうか。やってみます。

お礼日時:2007/09/28 03:05

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