前田慶寧は改名しなかった。
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毛利敬親は改名したのに前田慶寧は改名しなかったのはなぜだとおもいますか?
回答(1件)
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No.1ベストアンサー20pt
答は「前田慶寧は将軍家から受けた偏諱を剥奪されず、改名の必要がなかったから」です。
毛利慶親は、毛利家の世子として時の将軍徳川家慶に拝謁した際に、価格により家慶の偏諱を受けて諱を慶親としました。これは、国持大名の世子の多くに共通することです。前田慶寧も同じです。
さて、毛利慶親は、禁門の変という、1864年の段階では「前代未聞の不祥事」を起こし、「従四位下 大膳大夫」官位を剥奪される処分を受けました。同時に家慶から拝領した偏諱も剥奪されました。この「官位剥奪」という処分は、江戸時代を通じて、関ヶ原の合戦の後、大阪の陣の際くらいにしか行われていない「極めて厳しい処分」です。
「従四位下毛利大膳大夫 大江慶親」が、無位無官の地下人に身を落とし、「毛利敬親」と名を改めざるを得なかったのは、上記の「極めて厳しい処分」によるものです。なお、毛利慶親の世子として将軍への拝謁を済ませ、将軍徳川家定から偏諱を拝領していた毛利定広も、父の慶親と同時に偏諱を剥奪されて毛利広封と改名を余儀なくされています。
一方、前田慶寧は、禁門の変では特に幕府から譴責を受けておりません。よって将軍から受けた偏諱を剥奪される理由などありません。
この回答への補足
ドミノ倒しのように次々と諸大名が改名しそうな印象を与えますけど、必ずしもそうではありませんものね。
この回答へのお礼
論理的な説明をありがとうございました。
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