昭和の日本
3丁目の夕日は見てないのですが、当時の昭和30年頃には東京では確か自動車やテレビも普及していたように理解しています。 ところが、私の会社の上司(50代前半)は物心付いたときに家のなかにあった電気製品といえば、裸電球と大きな蓄音機付きのラジオだけだったとよく言っています。 その後家電と呼べる物が家に来たのは、皇太子(今の天皇)の結婚式にあわせて買った白黒テレビだったそうです。 この上司は地方出身者ですが、実家は中流以上だったといっていますが、当時から東京と地方の格差があったと言うことでしょうか? 当時をご存知の方教えてください。
質問者様の上司の方と同年代です。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」は見ましたが、東京タワーの完成が昭和33年なので、あの映画の時代は昭和30年ごろではなくて33年ごろですね。実はこの時代全国のテレビの普及率は年間2倍以上のペースで伸びていますので、3年の違いは大きいです。(30年度:0.9%、31年度:2.3%、32年度:5.1%、33年度:11%、34年度:23.1% 放送五十年史資料編より)このころテレビが爆発的に普及した理由の一つはご質問にもあるとおり、34年の「皇太子ご成婚」でしょう。どこの家でもテレビは相当無理をしてでも購入したいものの一つでした。
東京と地方の格差を「経済的格差」と考えれば、それはもちろんありました。ただしテレビの普及については、経済的な理由以外に、その地方でテレビ放送が始まっていたかどうかが重要です。東京では昭和28年にNHKと日本テレビがテレビ放送を開始しましたが、地方の県庁所在地でNHKや民放の最初の局がテレビ放送を始めたのは昭和30年代前半のまさにこの頃でした。
なお「大きな蓄音機付きのラジオ」はこの時代では高級品です。ラジオだけの機能のものが多く、五球スーパー(真空管を5本使ったスーパーヘテロダイン方式のラジオ)ならよいほうでした。我が家にあったのは旧型の再生検波式の真空管ラジオで、操作を誤ると「ピューッ」と発振してしまうものでした。ちなみに九州の県庁所在地の我が家では昭和36年に14インチの白黒テレビを月賦で買いました。
>当時から東京と地方の格差があったと言うことでしょうか
当時、格差という言葉は無なかったと仮定してみます。
「TVはラジオで放送が開始されました」を聞きました。S28年
真空管ラジヲで基礎英語聞いてていました。マイクで歌いました。
ここまで田舎です。
東京タワーは半分出来てるのを見ながら通勤してました。
「カラーTVは会社の実験室で見ました」「東京オリンピック」
「FM放送はモノラールでしたので、ステレオに変えました」
「全国にTVサテライト放送局を設置」(数社で分担)
「衛星放送が始まり、始めの映像はJFケネディ暗殺でした」
ちなみに冷蔵庫は氷を入れ、洗濯機は丸型のGE製です。
部分的で回答になっていませんね。失礼しました。
昭和30年は急激に発展したと記憶しています。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1314074.html
でも触れましたが、私が4才の時、東京オリンピックがあり都区内中心部でも未舗装区間が残されていました。
トラックの全てが4輪ではなく、オート3輪も決して珍しくなかった時期です。
又、テレビも(白黒の)真空管式のコンソール型が主流で、学校給食では低学年の時は脱脂粉乳、高学年で瓶牛乳への切替わった記憶がありますし、(NO6さんが挙げられた)カローラの前車種のパブリカが登場したのは1961年との事です。
http://www.d3.dion.ne.jp/~t_uchita/h4/s35/s35_si …
http://kuki-railway.at.webry.info/200605/article …
http://www.kyusyokutoban.com/kyusyoku/
http://gazoo.com/meishakan/meisha/tokushu07/koud …
カラーテレビが実際に普及したのは昭和40年代なかばでした。
私の実家でもやはり大阪万博の頃で、昭和47年の札幌オリンピックの頃には大半の家にあったのを憶えています。
しかしサラリーマンの手取りの半年分近い価格だったと思います。
自家用車も一般家庭に普及し始めたのはやはり大衆車「カローラ」や日産の「サニー」が発売された昭和40年代以降のことです。
それでも、サラリーマンの年収2年分に匹敵していましたから、小学生の親くらいの世代では車を持っている人は、あまりいませんでした。
電話でさえ昭和40年代にはまだない家が多く、緊急連絡先は近所の電話のある家だったりしました。今では到底考えられない事です。
電子レンジも持っていたのは課長級以上か商店主か農家くらいでした。
東京・大阪間は新幹線がありましたが、北海道や九州への旅行は夜行列車が主流の時代です。
地方ではテレビもNHK総合・教育と民放1局の3つのチャンネルしかない県も多くありました。
当然大都市と地方の格差はあり、県民所得の低い県ではカラーテレビも自家用車もかなり普及が遅かったように記憶しています。
そんな事を思い出してると、不況とはいえ物の値段は安くなったものだと思います。
昭和33年生まれです。
もの心ついたときには、テレビは、ありました。
炊飯器、アイロン、洗濯機(ローラーで、絞るもの)、冷蔵庫は、ありました。
周囲では、案外、電話がありませんでした。
お風呂は、まきでしたね。
父が英語が出来たので、米軍基地で、帰国する人の中古を譲り受けていた電化製品もけっこう、ありました。
パブリカも中古でしたが、じゃあ、うちって、けっこう、恵まれていたんですね。
テレビは36年に家にありました。
新しい物好きの父だったため早かったように思います
自動車はカローラが大衆車として発売されたのが昭和41年で
45万円だったそうで、その当時の大卒初任給が3万円ぐらいだったそうで、今の初任給は20万とするとかなり高価だったので、普及するとは言えなかったとおもいますよ、会社のトラックや金持ちの高級車は走っていたようにおもいますが庶民が自家用車を持つのはこのカローラが発売以後だと思います
テレビが一般家庭に普及したのは皇太子美智子妃の結婚式が契機と
なりました。ですからその上司さんのお宅は典型的な例です。
ちなみに我が家にテレビがやってきたのは昭和37年。
東京オリンピックの時はカラーテレビの普及をメーカーは期待したとの
ことですが、我が家のテレビに色が付いたのは万博(大阪)の時でした。
テレビ放送が開始されたのは昭和28年ですから、昭和30年では
まだまだ希少なものだったと思いますよ。
テレビが普及したのは昭和30年代半ばだと思います。
私も田舎育ちですが、田舎でも昭和40年頃にはかなりの家庭に
設置されていたと記憶しています。
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