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選挙権を持っていない者です。あと4年ぐらいしたら晴れて選挙権が得られる事になります。

最近では7月に参議院の通常選挙が行われました。マスメディアでは安倍政権の審判や政治とカネについて、更には有名人の立候補について、連日選挙についての報道がなされていて、そんなによくそこまでネタにできるなぁと感心していました。
さぞかし注目は多いだろうと思っていて、いざ蓋を空けて見れば、「58」%という何とも低い投票率ではありませんか。憤慨しました。10人に4人は選挙つまり、自分の国に無関心という結果です。そんなに大人達は自分の国がどうなっても良いのかと呆れてしまいました。

※現在の高齢化率20%を引いても残りの65歳未満の国民の22%は選挙に行っていないという事になります。

しかも、地方選挙では投票率が軒並み50%を割っているという現実も目を疑ってします。
そこで最近こんな考えが芽生えました。

『国の選挙にも行かない人間は日本の国民である資格は無い』と。

理由は
(1)自分の身を預ける国の各院の議員選挙は国民としての義務。行かないのはもはや、自分の国を捨てたも同然。
(2)選挙は税金で行われているのも関らず、その納税者(大人になりますね)が放棄。つまり、金を捨ててまで選挙に行かないということ。
(3)投票権の無い人(在日外国人の方や昔の投票権の無かった方など)に対して失礼。

選挙にも行かない人間が堂々と「今の○○総理はなってない」とか、「国民の税金を無駄にするな!」と言うのを聞くと思わず本気でぶん殴ってやりたくなります。『選挙で決まった政治(政治は選挙で選ばれた議員で成立つ物ですから)に関して何も考えないくせに、いちいち口出しするな』と言いたいです。

今年も選挙に3年も行ってない人が立候補したのは、信じられないです。
そして、親にこの怒りをぶつけてみました。しかし、以外にも反応は微妙でした。まもなく選挙権を得る兄弟達にも聞いてみましたが反応はイマイチ……。

そこでですが、皆さんはこの考えにどう思われますか?
選挙に毎日行かれている方も、選挙の日は毎日家でごろごろしている方も是非、ご意見をお聞かせ下さい。
※ちなみにオーストラリアでは棄権者に罰金が課され、投票率が90%を超えています。

A 回答 (14件中1~10件)

質問者の真意は「国民の資格無し」にあるのではなく、「もっと政治に関心を持て。

投票しないなら文句言うな」ですよね。そう解釈して回答します。

私は投票しない=政治に関心無いと見るのは短絡的だと思います。
現に私は関心もあるし、世間並以上には知識もあるつもりです。そしてそれなりの愛国者でもありますが投票に行きません。

以下がその理由です。

(1)最大の理由は投票したい候補者が居ないからです。そのような場合でも出来るだけ自論に近い人を選ぶべきという批判もあります。

しかし例えばA候補の外交姿勢は賛成だが経済問題では賛成出来ない場合もあります。
このような場合にA候補に投票することは、自己の政治的信条とは異なる点についてまでそのA候補者に委ねることになってしまいます。

それでももし投票を強制されるとするなら、いわばこれは自己の政治的信条の一部の否定・放棄を強制されることに他なりません。

現行憲法が投票を権利とし義務とは定めなかった立法趣旨も、憲法が徹底した価値相対主義に立脚し、国民それぞれがもつ政治的信条の発現を合法的範囲において自由に(選挙という手段に限定せず)為すべきとのものによります。

(2)また選挙に行かないことがそのまま政治に対する批判をする資格を喪失するという理屈も理解できません。
私は日本国民として当然に批判する権利を享有してると考えます。

そもそも選択過程において参加をしないことが、即批判資格の喪失になるのでしょうか?

米大統領の選挙に投票してない米国民にしか、大統領の批判は出来ないのですか?
赤福餅の社長を選出する同社の取締役以外の人は、赤福の社長を批判出来ないのですか?

念のため言っておきますが、米大統領の選挙には選挙権が無いけど、日本の選挙権はあるでないかという批判はあたらないですよ。
「選挙権が無い場合には、選挙民以外にも批判できる」という理論は、それが即時に「選挙権があるのに投票しないのは批判する権利を喪失する」にはなりませんからね。
これは論理学の基礎です。

(3)選ぶ人が居なければ白票でも入れろという批判もあります。

しかし、国会で時にある法案に批判する野党が、投票を棄権するという形で意思表示をするのがあるのと同様に、白票と棄権とは似て非なるものです。
私は棄権と言う形で、自己の政治的信条を表明しているのです。

それ以外にもいくつか細かい理由もありますが、字数の関係上詳しくは述べません。

選挙に行かないのは国民の資格無し、という点については現行憲法の立場からも質問者の方も納得されているようですが、さらに一歩踏み込んで「投票も行かないのは文句言うな」という考え方も、一方的な決め付けであるということを少しでもご理解いただければ嬉しいです。

なお以下は余談ですが・・・
日本がスイスの地方自治のように直接民主制を取り入れなかったのは、別に人数が多いから全員が集まれないからではありませんよ。
日本だって数千人程度の小さな村もありますが、やはり代議制を採用してますよね。

日本に限らず諸外国の政治体系が一般的に直接民主制を取り入れていないのは、数の問題や物理的技術的理由だけではないのです。

間接民主制は「裸のままのむき出しの民意を直接には国政に及ぼさない」という大きな目的があるのです。

日本国憲法は国民の民意をそのまま代議員に直結するプープル主権的性格よりも、国民の選択により選出されながらも代議員の政治的判断に一定限度委ねるというナシオン主権的性格がより濃いのです。
(プープル主権・ナシオン主権についてご存知なければ調べてください)

また「日本は間接民主制」という表現も厳密に言うと、これも間違っています。
リコール制や地方特別法の住民投票(憲法95条)を採用しているように「日本国憲法は間接民主制を基本としつつも適宜直接民主制のち利点も採用している」というのがより正しい表現です。
※便宜上「民主制」と表現しましたが「民主政」と表記するほうが妥当な点もありましたことをお断りしておきます
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この回答へのお礼

丁寧な解説どうもありがとうございました。
その他の方々も、考えて回答して頂き(私にはそう見えました)、ありがとうございました。
せっかくの回答に良回答などのポイントをお与え出来ないのは、申し訳ありません。優劣をつけたくないという理由ですので、ご理解下さい。決して、自分の反対(むしろ説教された?)意見が出たからと言う理由では御座いませんので、誤解しないで下さい。

質問の仕方を間違ったかもしれません。確かに言い過ぎではありました……。もう少し、柔軟な発想であれば、私にとって更なる良回答が得られたのかもしれません。

お礼日時:2007/10/31 20:07

専門的な事は他の回答者さんにお任せするとして、


現実的な意見としては、

>親にこの怒りをぶつけてみました。しかし、以外にも反応は微妙でした。
>まもなく選挙権を得る兄弟達にも聞いてみましたが反応はイマイチ……。

イマイチというか正直「おまえに言われたくない」だと思いますよ
少なくとも親はね
選挙って仕事(家事)休んで行かなきゃならないワケで、
あなたのために頑張って仕事している部分もあるのに、そんな言い方しなくても.....
と思いました
ちなみに私は3年前から選挙行ってますけどね
働いているので、期日前投票も利用します
でも、言われなくても行くし、どうして行かないの?ならまだしも、
国民の資格なしとまで、
お気楽でヒマな中高生に言われたくはないって思いましたね
もちろん中高生が主張を持ってはいけないというワケではないです
でも、現実的には少なからずそう感じると思います
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選挙権のない内から国の事を考えている事にはとても関心しました。


でもちょっと考え方が極端のようですし、投票率と関心度は比例していないと思いますよ。
今までのマスメディアの報道を見ていて思ったのですが、いつも前向きなものは少なく、ここぞとばかりに批判や粗探しをして「なんて私利私欲の政治家が多いのだろう」と思う様な事や人間性を疑う様な事を全面に出されていては、逆に政治に対しての期待を削がれるばかりではないでしょうか。
私達には政治家の表向きの言葉は聞けても、本心は全くわかりませんからね・・
それに政治を良くわからないのに、とりあえず選挙権を行使するという事の方が、よっぽど国にとっては良くないと思います。

>今年も選挙に3年も行ってない人が立候補したのは、信じられないです。
それまで関心がなかったとしても、私利私欲のためでないのならば、政治に関心を持つ時期は自由ではないですか?
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私は、この国の行く末に関心を持ち続けてますが、↓の問題に気付いたので選挙に行く気になれない状態です。


http://kyasuhara.blog14.fc2.com/blog-date-200602 …
http://imi.sfc.keio.ac.jp/lecture/textanalyze200 …

今の政治システム以外で↑を変える方法があるのなら、積極的に参加してみようとも思うのですが・・・。
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たとえば投票率が60%だったら、40%の人は


日本国民である資格はないのでしょうか。
他の人も書いているように、乱暴な意見ですね。
投票しないというのも、ひとつの意思表明だと思います。
愛国心は、その国に生まれ育っていくうちに自然に
内面に生じるものであって、外部から「持つべきだ」と
強要されるべきものではありません。
同様に、政治に対する関心もその人の個人的問題で
他人から強制すべきではないでしょう。

教師は生徒に尊敬される存在であるべきであって、
生徒が教師を尊敬する義務があるのではありません。
国家や政治についても、愛されたり関心をもたれたりしないのは、
国家や政治そのもののほうに問題があるんです。
進んで参加する気が起きないような政治をしておきながら、
もっと関心を持て、投票しろと言うのはどうなんでしょうか。
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こんばんは。



確かにほかの方も言っているように選挙にも行かずに政治の愚痴をいったり
選挙権を放棄することはあまり言いこととは感じませんね。
(国民の資格がないかどうかは分りませんが(^^ゞ)

ですがオーストラリアでの棄権者には罰金というのはやりすぎだと思います。
なぜなら投票率90%のなかには罰金を払いたくないからという理由だけで選挙に行っている人もたくさんいることと思います。
その人の一票と心からこの人に政治をやってもらいたいと思っている人の一票が同じ価値になってしまうからです。

わけもわからず適当に票を入れるくらいなら、まだ選挙に行かず誰にも票を入れない方が僕は良いんじゃないかなと思います。
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>選挙にも行かない人間が堂々と「今の○○総理はなってない」とか、「国民の税金を無駄にするな!」と言うのを聞くと思わず本気でぶん殴ってやりたくなります。

『選挙で決まった政治(政治は選挙で選ばれた議員で成立つ物ですから)に関して何も考えないくせに、いちいち口出しするな』と言いたいです。


仰るとおり。私もそう思います。
自分の国の将来を左右する政治に全く無関心なのはどうかと思いますね。
全く無関心ならまだしも、文句だけ言って選挙に行かないのはおかしいです。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
そう言って頂けると、ほっとします。

でも、皆さんの貴重なご意見を聞くうちに結構多少ひねくれ(ひねくれ過ぎですね)た考えですし、この考えについてはちょっと見直そうと思います。
しかし、自分の国は自分で決める権利を有しているのだから、正しく使って頂きたいものです。

いっそのこと、選挙権を無くしてみれば、そのありがたみが分かるでしょうね。

お礼日時:2007/10/30 22:28

歴史的経緯が示すように、参政権は基本的には「権利」なんです。


その価値に気づかず行かない奴はほっときゃ良いとわたしは思います。国や地域の将来よりも家族とのレジャーの方が大事なんでしょう。


低投票率で組織票に強い候補が俄然有利になるには不快ですが、郵政選挙や先の参院選を見ても、大衆は政治家やマスコミの扇情に乗っかって、瑣末な争点に踊らされました。どちらにせよ民度の低いことですが、投票率が上がれば良いというものでもないと感じています。政治に興味ない連中が投票したところで、まともな結果が出るとも思えません。団体票や宗教票などの組織票を薄めることはできるかもしれませんが・・・

投票率が高ければ良いのなら、北朝鮮やかつてのイラクなんて超優等生ということになります。
行くも行かぬも自由、これがよろしいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

簡単に片付けてしまえば、
『もっと政治に興味を持て!』と言う話ですね。
結局、安倍政権もテキトーに流した一部の国民のせいです。もっと政治を見極めてくれないと困ります。
私の意見としては、日本という、自分の国に興味を示さないのであれば、もう、日本国民の名を語らないで下さい……という感じでしょうか。
でも、家族のレジャーが楽しく過ごせるのは、国のお陰とも言えます。
政治に無関心で、「国会議員以外は遊び禁止!!」見たいな法律が出たらそれはそれで大変な話です。

お礼日時:2007/10/30 21:49

選挙に行く、行かないは憲法で保障された個人の自由に属する問題です。


選挙に行くのは権利であって、義務では有りません。
納税、勤労、教育は義務でも投票に行くことは義務ではありません。
民主主義とはその「棄権する権利をも守る」ことです。
豪州の例が出されていますが、罰則を作らなければ選挙に行く人が少ない裏返しの証拠ではないですか?自分の意見の展開に都合のよい例だけを引き合いにだすのはいけません。罰則がなくても投票率の高い国の例も公平に
挙げてから理論展開をするのが正しいアンケート方法ではないでしょうか?
過去にイラクでは100%近い支持率で大統領が選ばれ、北の共和国でも同じようなことが起こります。それは投票に行かないと「非国民」といわれる強制力が働いた結果ではないでしょうか?投票率の数字がただ高ければいいというものでもなさそうです。罰則で投票率を上げても意味がありません。
平和に、民主的に投票率が上がらなければ意味がありません。
一般の選挙が始まってから、まだ百年くらい、戦後民主主義から60年程度です。まだまだ民主主義の結果が出るにまでには時間がかかるのではないでしょうか?まだ日本の民主主義は成熟していないのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ちなみに、スイスではみんな集まって、手を上げる事(多数決)で条例(だったかな?)を決めたりするそうです……

でもそんな方法は日本では不可能でしょう。集まるだけでも大変……
そう言うのは叩かれるのは決まってますからね。
間接選挙制という個人に委託するような選挙が今は一番合法である(とみなされている)ので、仕方ありません。

お礼日時:2007/10/30 21:59

こんにちは



過激ですねぇ。
当然ご存知とは思いますが「選挙権」「被選挙権」(参政権)は国民の権利であって義務ではありません。
(「被選挙権」が権利として満足に機能していないという問題はありますが)
「参政権を放棄した者が政治に文句をつけるな。」という意見には賛成できますが、「日本国民たる資格なし。」はちと行き過ぎかと思います。
それと選挙にかかる税金は選挙権を持つ大人が支出している、というのは間違い。
未成年者だってアルバイトしていれば所得税がかかりますし、消費税だって払っている。
目的税とされているガソリン税や車の重量税だって、収まる財布は一緒で帳面上帳尻を合わせているだけだから選挙費用の一部はあなたも支出しているという事になりますね。
(もっとも「納税」は国民の義務だから仕方ないですけど)

「選挙権を持たない人に対して失礼」
これはある意味うなずけます
苦労して国民の参政権を認めさせようとしていた政治活動家に対して失礼な話ではあります。
ただし現在では日本国民で法令の定める年齢に達している者であれば選挙権は持っているはずです。
確かに日本国籍を持たない在日外国人は選挙権がありません。
これは日本国の国民ではないのですから、選挙権を与えたら逆におかしなことになる
(日本に生活の主たる拠点を持っていても日本国籍の取得が困難だ、という問題はありますけど)

まあ、いろいろ書き連ねましたが私の結論としては…
「きちんと参政権を行使した上で、政治に意見せよ」
です。
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この回答へのお礼

確かに過激でしたね f ^^;
義務に関しては、国民としては選挙も義務として考えて欲しいという願いからです。結局は選挙が自分に与えてもらう政治になると言う訳ですから、他人事ではなく、もっと真剣に考えて欲しい所です。
ちなみに、未成年者(特に高校生以下)は確かに税金は払っていますが、それは元をたどれば親のお金ですから。私みたいな人間が納税の義務を果たしているぞ!なんて口を叩く事は出来ません。残りの2年は選挙に備えての準備期間として考えています。
在日の方は何世にもわたっていらっしゃる方もいますので、たとえ日本人でなくても、ある程度配慮してあげないと、という気持ちがあります。

貴重なご意見ありがとうございました。m(_ _)m

お礼日時:2007/10/30 21:42

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