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現在大学院生のものです。
ちょっと気になったので質問させていただきます。
私たちの教授の世代はおよそ30~40歳上と言う事になりますが、
実際、30~40年前の大学の入試難易度はどれくらい
だったのでしょう。

例えば国立大学でも、やはり京都大学と滋賀大学を
比べてみても京都大学は難しかったのでしょうか。

また、入試はどういう形式だったのでしょう。
理系だと理科英語数学はしっかりあったのでしょうか。
センター試験はなかったんですよね。

回答宜しくお願い致します。

A 回答 (4件)

1978年(一期校・二期校の最後)と1979年(共通一次第一回)の受験生が答えます。



1:基本的な難易度は変わらない
今も難しい大学は、その頃も難しかった

2:医学部が若干アップ
地方国立大学の医学部は、東大の理一よりちょっと難易度で易しかった。現在は地方国立大学の医学部のほうがちょっと難易度で難しいようですね。

3:二期校の雄が受難?
滋賀大学は、私が東日本の人間にはよくわかりませんが、東京近辺ですと、二期校で難関大学だったところが、かなり難易度を下げています。
かつて、東京医科歯科大学の医学部は 慶応医学部 東大理三と同程度の難易度でした。問題との相性とか体調で、慶応医学部合格 東京医科歯科大学 不合格なんてのはざらでした。理三を落ちて医科歯科大学合格で、「東大の時は、風邪でもひいていたのかな」と噂される程度です。
また横浜国立大学の経済なども、東大の文系を落ちたので、横国にいますというような学生が多かったです。その意味で偏差値は高かった。

こんなところでしょうか。

私のころ偏差値がグングン上がったのが上智ですね。
予備校でも、30年前の前後で、私立文系の難関コースが「早慶コース」とか言っていたのですが、「早慶上智コース」とかに名前が変わりました。
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当時でも当然東大京大は難関ですよ。

旧帝大クラスも今より難しかった印象があります。駅弁と揶揄される地方国立も今より評価も高く、難しかったです。
逆に私立大学は今ほどの評価ではありません。
理由はいろいろ考えられますが、お金のことが大きいと思われます。
当時は国立と私立の授業料の差が大げさに言えば一桁違ってます。
子供の数も違いますし、地方の一般家庭から都会の私立大学に進学さることは大変なことでした。
医学部あたりも6年も行く(その後も無給のインターン)ということで親に反対されてしょうがなく工学部に行ったなんて話があったくらいです。当時は高度成長期でしたから工学部→一流メーカーが花形でした。
東大紛争も発端はインターン制度からです。インターン制度が廃止になってから医学部志願が徐々に増えています。
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京大の問題ならちょうど30年前から全部の問題をやった事があります。


理系でしたので国数理英をやってみました。
国語と英語はあまり今と難易度は変わりませんでしたが、理科や特に数学は10年前辺りがピークでした。
2~30年前はセンターレベルの問題が出てきていましたし、その後だんだん難易度が上がりました。
10年前に教科書の改編があったため、そこをピークとして、
現在まで中の上か上の下レベルで固定されている感じがします。
ただ、30年前は理系でも社会もあったという話ですし、
今はセンター英語でヒアリングもあるし、単純な比較はできなさそうです。
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私が受験した頃は、一期校/二期校に試験日が分かれており、一期校は旧帝大系の東大、京大など難易度の高い大学が多く、二期校は俗に「駅弁大学」と揶揄される、新設大学が多く、難易度もそれほどでも無かったです。


試験科目は、一期校は文系7科目、二期校は文系5科目で、試験の負担も違っていました。
東大など一部の大学は足きりという制度があり、受験資格を得るための試験があって、これに合格しないと受験すらできませんでした。
滋賀大学は二期校で、関西の一期校の受験生の滑り止めで、私の友人も何人か進学しています。

私の後輩の時代に、共通1次試験が導入され、これを受けてから大学を選択する制度となり、現在のセンター試験に引き継がれた記憶です。

この端境期に山形大学のある学部(鉱山学部?)が三期校(認可の関係で二期校の後に実施)になり、うちの後輩たちも最後の賭け(翌年の共通一次は自信が無いので)と、山形へ受験に行ったものもいましたが・・・・。
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