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ヘーゲルの自己意識とはどういうことでしょうか。

「無限性を対象にする意識は自己意識である。」
この時点でまず分かりません。

「無限性が意識にとって現れた姿であったとしても意識の対象になるとき、意識は自己意識になっている。 」
無限性が意識の対象になると、意識は自己意識になる??
ここもわかりません。

「現象が引き上げられ現象が消え去り、内なるものが内なるものを見るという事態が現れている。」
現象(カント認識論で言う現象と捉えています)を克服すれば、真理が、無限が捉えられるという事でしょうか。

おそらく、ヘーゲル通の人からすれば、馬鹿らしい質問なのかもしれませんが、「自己意識」は分からないままにするには、あまりにヘーゲル哲学の根底に属しているよう気がするので、何とか消化したいです。
宜しくお願いします。

A 回答 (2件)

>おそらく、ヘーゲル通の人からすれば、馬鹿らしい質問なのかもしれませんが、



 いえ、そのようなことはありません。根本概念を問い直すことはとても重要なことだと思います。

 ドイツ観念論の表現を病的と言っていた人が居たと思います。これは正しく、現代人しかも日本人には解釈するのが非常に難しいです。なので他の文献を参考にしつつ、私なりの考えを噛み砕いて述べます。

 まずは「無限性」という考えです。
 ヘーゲルにおける無限性とは、1・2・3・・・と永遠に続くという、ものとは違います。Aというものが二分されBとCに分けられるとして、そのB、Cもお互いの相互関係無しに考えられないから、結局Aに戻り・・・というものです。(ヘーゲルの例ではありませんが、例えばAを雷、Bを雲の陰イオン、Cを地上の陽イオンと置き換えてみてください。)


「無限性を対象にする意識は自己意識である。」
 上掲で説明しました相関関係は、自分の悟性、すなわち自分自身の意識によって初めて認識されます。そして相関関係だけでなく、相関関係を念頭に置いたABCはもはや意識される前のただのABCではなく、自分の意識(=自己意識)です。なので、無限性を対象にする意識は自己意識になります。


「無限性が意識にとって現れた姿であったとしても意識の対象になるとき、意識は自己意識になっている。 」
 これも意識→自己意識の変化が理解できれば、分るのではないでしょうか。


「現象が引き上げられ現象が消え去り、内なるもの(1)が内なるもの(2)を見るという事態が現れている。」―()は回答者の挿入
 「現象」は普通、我々の外の物事ですよね。ところがこれが意識されることで、内なるもの(2)となり、それを自我=内なるもの(1)が見ることになります。

 (以上は『精神現象学』以外では、金子武蔵著『ヘーゲルの精神現象学』(ちくま学芸文庫)122~126頁を主に参考にしました。
 ただ上掲の説明が金子先生の考えを忠実に説明したものではありません。私なりのアレンジがあります。)
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この回答へのお礼

>>Aというものが二分されBとCに分けられるとして、そのB、Cもお互いの相互関係無しに考えられないから、結局Aに戻り・・・というものです。

それを捉える人間の意識に無限性があるということですね。

>>無限性を対象にする意識は自己意識になります。

分かりました。

>>「無限性が意識にとって現れた姿であったとしても意識の対象になるとき、意識は自己意識になっている。 」
>>これも意識→自己意識の変化が理解できれば、分るのではないでしょうか。

はい、意識できた時点で自己意識という事ですね。
なんとなくですが、分かりました。ありがとうございます。

お礼日時:2007/11/02 06:37

[ヘーゲルの自己意識がよく分かりません]


ヘーゲルは「神の如く」のお方ですから、「神の如く」の意識になれば理解できますね。
「無限性を対象にする意識は自己意識である。」
意識は空間的に無限性を有しておりこれが自己であるといえるものはないが、無限性を対象にする意識は自己意識と呼べるものである。
西洋的唯物論では理解不能で、仏教的如来蔵で説明しうる意識の境地ですね。
「現象が引き上げられ現象が消え去り、内なるものが内なるものを見るという事態が現れている。」
これも同じですね。真なる精神(絶対精神の一部=如来蔵=仏性)が精神をみるということでしょう。
ヘーゲルは哲学の最高峰であり仏教的にいえば高度な悟りですから確かに理解することは難しいのですね。ギリシャ哲学のソクラテス・プラトンのイデアと同じように世界を開放しているのですが閉じた現象社会にとらわれると理解は難しいということでしょうね。参考まで
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
意識は空間的には無限を有しており、その中で自己を見出す事はできない。
無限性を対象にする意識は自己意識ということですね。
それでは、意識を発する主体は無限性を有している、無限性を有す意識の主体であるが故に、ということでしょうか。

意識の中で、自己の他に、もう一つの自己、つまり他者を捉えた場合も、それは自己意識になるんでしょうか。
それとも、それは自己意識と仮定するものでしょうか。

現象世界を開く、ですか。
今の私には、まだどうすればいいか分からないのですね。。。

お礼日時:2007/11/01 22:39

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