プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

昨晩から、というかかなり前から考え続けていることがあるのですが、結論が出ず、どうにも悶々としています。
それは、「時間が単なる便宜的な概念であることを示すには、『物体が移動する』ということを時間という概念抜きで説明すれば早いのではないか」ということです。
何かもう一人で悶々していてもどうにもならない気がしてきたので、
皆さんのお力添えを賜りたく、こちらに参ったというわけであります。

【『物体が移動する』ということを、たとえば「空間・物体・エネルギーという三種類の要素のみを用いて」合理的に説明することはできないのでしょうか。】
というのが僕の質問です。

もし宜しければお付き合い下さい。

(「物体の移動」は、「現象の変質」とか「具体性の変化」とかでもいいです。
言いたいことを的確に言い表せない自分の語彙力の乏しさが恨めしい^^;)

A 回答 (11件中1~10件)

ANo.6です。



回答のお礼ありがとうございます。

>この部分で回答者さんは
「時間が物体の変化に基づいてしか定義できないものである」と主張しておられますが、
この主張は、
物体の変化を基礎づけるという意味での何か・・・「時間」とでも呼ぶべき公理があることを暗に了承した上で、
(「これがなければ物が動かない」「これがあるから物が動く」という何らかの前提があることを暗に了承した上で、)
その時間公理が観測しえないものであることも暗に了承した上で

に関して、
何かを考える場合に最少の定義を用いないといけないとすると
質量とか、距離とか、時間を定義する前に、人間が考えていると
いうファクタを入れなければなりません。
世界でなにが起こってようが我々が感じていること、
していると思っていることが人間が感じていること
ひいては人間においての事実ということになります。

この話の仮定は「愛」も「UFO」も「物理学」も「時間」も
とりあえず同じくらい人間には確信が持てるのだが同じくらい
現実にどうだかわかないというふうに謙虚な姿勢でアプローチ
しようというものです。

とすると観測する自己というものが存在したら、
この時点で始めて自系と他系が生じることになります。
つまり人間の自己認識の中でのみ自他の別が生じて
いるわけです。

すると世界がどうなってようとその自己の見るという
行為が原因で人間の自己の中に出現してくるものが
他という概念で物質とか質量とか呼ばれているものになります。

つまり物質とか質量が何故出来たかというと「見た」からという
ことになります。
では何故「見たか」というと関心があったということになります。
何故関心があったのでしょう。
それは自己の存在に影響を与えるという世界の変動には
興味があったからです。

まわりくどくなってしまいましたが、つまり自己の存在に
影響を及ぼす事象についての視点で世界を見てしまうという
行為が人間の自己の中に物質が存在している理由と言う事になります。
逆に言うと物質は現実世界に存在してるかどうか人間はわからない
のだが世界の現象の一部を自分の視点で何かしら把握している行為
が人間における物質の認識であるということになります。

これは物理学であろうが数学であろうが小学生であろうが
我々が物質を述べるときの定義ということになります。

見てしまったことで物質を作ってしまった自我が次にやることは
自己への影響度成分を自己の中にある物質という概念に書き添える
ことです。

その成分が時間なのか変化なのかということになります。

私としてはこの場合変化をとります。

「自分の中だけの妄想としての物質という概念だが
自分に影響があるという視点においては何かしらの
関係を世界と持っているらしい感覚はある。
私は影響に関心を持って見るという行為を犯して
物質を作ってしまった。これに影響を与えるのは
変位に関係があると思う。」

先にあげた謙虚なアプローチでこの選択に
関する自己が冷静な自己分析をすれば上記の
ようなことになると思われます。

物質の最少定義にくっつく最初のパラメータを
変位としましたがこれは時間ごとの変位という
ことではなく、自己が変位した過去の経験を
一回分のなにかとして記憶しておき、以降
物質の変位が起こるたびに、この前のあれが
何回分という感じで現そうという行為が人間の
自己の中での時間の扱いということになるわけです。

私が思える最少の定義から時間を説明してみました。
視点がずれてきているかもしれませんね。
お詫びします。
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NO.9です


45度というところ90度に変えてください
間違えました
NO.9でした。
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no.3です


補足ありがとうございます。
>回答者さんは、物体を基準にするとなればいろんな基準ができてしまうと仰いますが、
それは別に悪いことではないですし、誰もが納得することではないでしょうか。
そしてそのうえで、誰しもが基準を統一する必要性についても認識している。
だからこそ、「セシウム133原子の基底状態にある二つの超微細準位間の遷移に対応する放射の(約)100億周期」
という事実を1秒と捉え、公式的基準とし、
世界中すべての時計の秒針を上記周期とリンクさせているのではないでしょうか。

とのことでしたがこの場合ですと止まっている物まで時間が発生する
ことになります
そうすると時間というのは円形座標にせざるおえません
15分の変化で止まっているものは中心、数メートル変化
するものは中心よりやや離れている点へ
数キロメートル変化するものに至っては中心を遥かに超えた所に点を
置いて、もし15分経過したら各点を中心を軸に45度傾けるという
ことによって統一します。
そう考えると時間というのと変化量が別の存在になってしまいます
しかし時間というのはあくまで変化があって存在するものです
ですから変化量というのはなにかしら時間と比例していなければいけない
と思いNO.3のような理論を建てました
NO.3で言いたかったことは時間は一定ではないということです
どうしても時間を一定にしようとすると円形座標になってしま
うのでいっそのこと
時間を係数にしてしまえというのが僕の発想です(NO.3の中
心位の所の「時間は係数になってしまったのです」とかいて
しまいましたが「時間は変数になってしまったのです」の間
違いでした)正規座標になおすと変数になってしまう時間を
係数にすれば解決できるのです
つまりNO.3で言いたかったことは変化する距離を時間とする
ことによって時間が正規座標になるということが言いたかっ
たのです(わかりますかね?わからなかったらまた補足して
下さい)仮に1メートル変化した距離を1秒としましょう
そうすると変化しない距離1メートルの所に変化する距離1
メートルと重ね合わせることができますよね?
もし秒速10cmの物体の場合1メートルに達しない限り1という
変化量を得る事が出来ないのです。
しかしだったら円形座標でもいいのではないか?と思われるかも
しれませんが円形座標だと止まっているものも換算されてしまう
のです
例えば分子の変化を止めるクスリが開発されたとしましょう
そのクスリをAさんが飲んだとしましょう
もし時間が止まっているものまで換算されてしまうと全く変化
しないAさんまでも時間が経過したことなりクスリの効き目が
切れた時点で100年経っていたとしたらその人は同じ年月
を重ねたことになってしまいます
そうするとその人は戸籍上百○○歳ということになってしま
います
しかし僕の考えたやつですとその人は変化をしていないので
すからクスリの効き目が切れても時間が経過していないので
Aさんがクスリを飲んで分子が止まった時から年齢は変わらない
ということになって問題ないと思います。
つまり距離の座標で0の地点から1メートルの地点を仮に1秒と
すると100メートルは100秒と書く事ができ今までわからな
かった物理的謎の一部が解決するのです。

>5メートルを5秒とする・・・6メートルを6秒とする・・・
と仰いますが、たとえば僕が5メートル走ったとき、
これを5秒としてよいのでしょうか。そうではないですよね?

変化する距離では5メートルは5秒6メートルは6秒でいいと思います

>そうだとすれば、回答者さんは、
「1秒間に1m変化するものが」5メートル変化したとき
というような条件付け・・・上段カギカッコで括った部分のような条件付けを暗になしているのではないでしょうか。

いやいや違うんですよ
僕が言いたいのは
1メートル変化するものを1秒としたのです
ですから1メートル変化しない限り永久にそれは
1秒とは成らない訳です。(わかっていただけたで
しょうか?わからなければ随時答えていきます。)

この回答への補足

再回答ありがとうございます。脳味噌が抜群に刺激されております。

>>・・・・・「セシウム133原子の基底状態にある二つの超微細準位間の遷移に対応する放射の(約)100億周期」
という事実を1秒と捉え、公式的基準とする・・・・・・
>とのことでしたがこの場合ですと止まっている物まで時間が発生することになります

とされ、その他の点においても回答者さんは、「私たちが時間と変化を分離させてしまっていることに誤りがあり、
物体の変化こそ時間とすべき指針である」といった趣旨のことを仰っているように思われます。
(僕の意見とはほんの僅かに違いますが、)その通りだと思います。

その点には何の疑問もないのです。
僕が前回のお礼中で申し上げたかったことは、詰まる所、
「回答者さんの掲げられる理論と、私たちが普段用いている理論との原理的な違いが上手く把握できなかった、
ひょっとすると同じなのではないか?」ということなのです。
(かなり失礼な主張ですが、頭の悪い僕にはそのように思えましたので、その理由を以下で述べていきます。
ただ、もしかしたら正規座標と円形座標について僕が根本的な誤解をしているから沸き起こる疑問かもしれず、
その場合、僕の主張と主張理由は全く見当はずれなものとなっていると思います。
その場合、申し訳ありませんが知的弱者の戯言だと思ってご容赦下さい^^;)

そもそも、私たちのいうところの「秒」とは、
セシウム・・・の100億周期という変化(光が30万キロメートル変化したことや、何かが5m変化したことでも良いですが)を
「1変化」として捉えたものです。
その「1変化」を、私たちは時計の秒針がひとメモリ動くという変化とシンクロさせて捉えています。
つまり、私たちは秒針を基準に据えることで、意識の面ではともかく、
実質的には、「この宇宙で動いている物事」と「n変化(すなわち、セシウム・・・の100億周期という変化の比例値)」とを対比させている
ということになるのではないか、と考えたのです。

(たとえば、時計をみながら何らかの行為をすることによって、
 たとえ意識的な面で、完全停止している物体や動いている物体に時間の流れを見出していたとしても、
 実質的な面では、「n変化」と自らの行為や地球全体の動きを、空間的に対比させているのではないでしょうか。)

だとすれば、結局、私たち自身も、「変化を時間としている」ということになるのではないかと思い到ったのです。
ただ単に私たちは、回答者さんのいう正規座標を、便宜上一つに統一して使用している(1秒を定義付ける際に用いている)だけであって、
正規座標を用いていないとはいえないのではないか、
と思ったというわけです。


円形座標を用いたときの不具合について、
100年間停止していた停止前20歳の人物が「戸籍上」120となることはおかしいとのご指摘がありました。
確かにそう思います。

僕としては、
西暦等を用いたような時間表記方法は、
空間上での物体変化の因果関係を把握するための便宜的・仮想的な表記方法
(・・・すなわち、物体変化の因果関係や相関関係を理解するために、
 あるいはそれらの理解を促進・補助するために、
 空間上有りもしない別次元の流れのような(そして不可逆的な)変化をわざと仮想線分上に発生させたうえで、
 その仮想線分上に、実際上の物体変化・出来事を、あたかも物体のようにポンポンと置いていくように表記していく方法)
であると思っています。
純粋に編年体的(四次元的な時間の流れに注目する)であると言い換えてもいいかもしれません。
そのような記述方式で、物体の変化を適切に言い表せられるとは思い難いです。

これとは反対に、純粋に紀伝体的(空間的な物体変化に注目する)な記述方法をとれば、
回答者さんの立場に近くなるのではないかと思うのですがいかがでしょうか。
(意味不明ですかね^^;w)

とはいえ、物事の因果関係や相関関係を把握するためには、
停止していた人物が戸籍上120歳となることも悪いことではないと思いますよ


>変化する距離では5メートルは5秒6メートルは6秒でいいと思います
>いやいや違うんですよ・・・

申し訳ありません^^;難しいこと考えると脳が破裂してしまうようで。
妙にこんがらがっていました。


あと、僕には数学的、物理学的な素養がないので、
回答者さんの仰りたいことが上手く伝わらずに馬の耳に念仏状態になっているかもしれません。
ですが、今までわからなかった物理的謎の一部が解決したというのは非常に素敵なことであると思います。
理論を煮詰めて、学会の爺さんどもを驚かしてやるのがいいと思いますよ^^

補足日時:2007/11/03 22:42
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 ANo.5です。

あれから寝るまで考えていました。

 具体的に存在しない時間の概念抜きで説明するには、具体的に存在する太陽の角度そのものを、時間の代わりに使用してみたらどうでしょう?

 朝6時を0度と定め、12時を90度、18時を180度、0時を270度とするのです。
 12時1分は、90.25度、12時4分は91度です。
 1時間は15度なので、4分が1度です。

 移動の公式は、構造的には時間の概念のそれと変わりませんが、距離とスピードの単位を変えなければなりません。

 1動き×1度=1距離
 を成立させる為、仮に1距離を1kmと定めると、
 1動き(時速15km)×1度(1/15時間。4分)=1距離(1km)
 というような例が出来ます。

 まぁ、表現の仕方の違いなだけかと思われます。
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この回答へのお礼

なるほど、角度ですか!
やはり物体の移動や変化を利用するわけですね。

>まぁ、表現の仕方の違いなだけかと思われます。

いえいえ参考になりましたよ^^
ご回答、ありがとうございます!

お礼日時:2007/11/03 22:07

人間が今だけしか認識できないところに時間に対する狭窄があります。


『物体が移動する』を連続して認識するのではなく、一括して包括的に認識すると物体が移動しつつ存在したことも静止して存在したこともその系の全体のエネルギー・質量からみれば大きな違いではありません(速度にも依りますが・・)。これは現象をいかに説明するかではなくて、いかに掌握するかではないでしょうか。

素粒子の崩壊および相対論から一瞬と永遠には本質的な違いはないのですね。全宇宙が人間の認識可能な「今」と共に旅をしていると思いこんでいるのは人間だと言うことかと思われます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

現象すべてを一括的に掌握したうえで、
系全体のエネルギー・質量からみれば
物の停止・移動に大きな違いはないこととなる・・・

なるほど、うーん。非常に奥深い。
回答者さんの行間を推測するスキルがお恥ずかしながら今の僕には無く・・・
成長したらもう一度読んでみようと思います。

お礼日時:2007/11/03 15:43

ANo.3さんの回答に



おっしゃるとおり時間は物体の変化でしか
定義できませんよね。

で、物体の変化に興味のあるものは
それと相互作用する可能性のあるもだけ

つまり別の物体Bからみた物体Aの変化運動量が
とりあえずそこで観測された事象としたら、なるほど
5メートルですね。

この5メートルを原始時間として
あとの現象をこの5メートルの
比で表したのが時間ということに
なりますね。

この考え方でいくと相対論がわかりやすく
なるような気がします。

私は系ごと独自のクロックで刻む時間が
あっていいような気がするんですが。
その系が最初に見た運動量を1秒として
あとはそれを基準に記述されちゃう感じですね。

時間とはある系から見た運動量を過去に記憶していた基本運動量
で割った比ってことになるのかな。

人間のやっていることはこれですもんね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!色々と何かがつかめてきました。

何かじっと拝見しておりますと、少しばかり気になった点が。

>時間は物体の変化でしか
 定義できませんよね

この部分で回答者さんは
「時間が物体の変化に基づいてしか定義できないものである」と主張しておられますが、
この主張は、
物体の変化を基礎づけるという意味での何か・・・「時間」とでも呼ぶべき公理があることを暗に了承した上で、
(「これがなければ物が動かない」「これがあるから物が動く」という何らかの前提があることを暗に了承した上で、)
その時間公理が観測しえないものであることも暗に了承した上で
なされたものなのでしょうか。
それとも、時間とでもよぶべき公理を否定した結果としてなされたものなのでしょうか。

>この5メートルを原始時間として
 あとの現象をこの5メートルの
 比で表したのが時間

たとえば、5m変化した物体Aあるとします。これを1単位とします。
「この間に」1m変化した物体Bがあるとします。
Aの変化で10単位かかる間隔を、Bの変化ならば50単位かかるだろうということがわかります。さらに、この1単位を応用すれば、その対比から様々な時間を導き出すことができます。

この変化対比作業において、本当に時間の観測をしていないといえるのでしょうか。

上記対比作業は、5m変化したものと1m変化したものとが、
「同一の時間変化を体験した」ということを前提にしてなされている気がするのです。
この作業内では、やはりABの両者が変化した時間を計っているのではないでしょうか。

お礼日時:2007/11/03 15:30

>時間が単なる便宜的な概念である…



 私はある方向から、時間が人の感覚の中にしか存在しない、便宜的な概念であると考えております。ただ、(時間×速さ=距離)に代わるような説明を見出せた訳ではありません。
 とはいえ、その立場は良いセンスだと思われ、その理由をご紹介したくなりました。

 全ては時間が無限である事に端を発しています。事象の原因は無限にあるので、過去は無限です。未来を想定するにしても、無を想定できない以上は、何かがあるとしか言いようがありませんので、無限です。

 すると過去も未来も無限という事になります。過去も未来も無限であるならば、時間など最初から無かったのと同じ事になります。

 強いて申し上げるならば(おかしな言い方ですが)、あらゆる全ての事象は、永遠にタイムストップした状態で動いているという事になるのです。

 では時間というものを我々は、どう考えればよいのでしょうか?
 時間とは、動きや過程を分かり易い様に均等に区切ったものです。太陽の動きは常に均一であるから、太陽が15℃動いたことを1時間と呼ぶ事によって、いつも均一のある基準を得ているに過ぎません。分や秒などは、15℃をさらに細かく分割しただけです。
 そこに時間の存在の具体的な何か“時空”は見出せません。過程がただ、あるだけです。

 最初に時間という、人間が勝手に作ったイメージ上の何かがあって、それに従って太陽が動いているのではありません。太陽が勝手に動いているのを、人間が勝手に区切って時間というイメージを作り上げたのです。
 
 であるから、時間は人間のイメージ上には存在しても、現実には具体的に存在する何かではない、と思われます。我々の感覚の中の、連続感とでも言える、感でしょう。

 ですから、あなたのお立場はいいな、と思いました。
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この回答へのお礼

そうなんですよ!
僕もまさにそう考えていたんです。ずっと。風呂場で。

でも、時間がないのだとすればやっぱり不都合なことがおきる気もするのです。

たとえば、光は、一秒間に30万キロしか進めないという制約を課せられていますよね。
その制約は何に基づくものなのだろう、って思いつめていきますと
私たちが時間と呼んでいる原理のうちのある要素を取り出した、
「時間と呼ぶべき何か」が原理としてこの宇宙を支配しているのではないか
という気もしてくるのです。

とまぁ気になるところはあるにせよ、共感してもらえて、共感できてすごく嬉しいです。
「永遠にタイムストップした状態で動いている」ってのも何か格好良くていいと思いました。

ご回答ありがとうございました^^

お礼日時:2007/11/03 03:18

ほとんどの方は、物理的な時間と聞くとアインシュタインの時空の時間を考えるようですが、物理学でも時間はそんなに簡単なものではありません。



アインシュタインはこの世界を決定論的なものと捉えようとしました。そこで、彼は時間軸も空間軸も互換な、静的で幾何学的な記述を試みたのです。その捉え方は、運動方程式が原理的に積分出来るような、力学の世界では例外中の例外に属するめちゃくちゃに単純な物理系では可能なことが証明されました。

ところが、今から百年程前にポアンカレという偉大なフランスの数学者が、それまで誰も解けなかった天体力学の3体問題が実は原理的に積分出来ないことを発見しました。そのことから、近年多くの科学者達に注目されている力学系での「カオス」の理論が生まれたのです。今では、我々の世界で起こる圧倒的に多数の現象が、実はこの3体問題と同じように原理的に積分出来ないことが確認されています。そこで、このような系のことを「非可積分系」とよんでいます。

アインシュタインの時空の幾何学では、時間に過去から未来に流れれる特別な向きがありませんので、このような捉え方では、我々は何故歳を取って行くのか、何故若返られないのか説明が出来ません。現象論では、そのように時間に向きがあるという我々の経験を「熱力学の第二法則」あるいは「エントロピー増大の法則」という形で表現しています。

この現象論的法則を物理学の基本法則に結びつけることは、大変難しい問題です。最近では、大変多くの粒子からなっている系がポアンカレの意味で非積分系であることが、この時間の向きの現れる原因であることが分かって来ています。ここでいう時間の流れとは、アインシュタインのいう静的で幾何学的な時間はありません。「物語」の中に流れている口頭による動的で叙述的な時間のことを言っております。そして、このような叙述的な時間の存在する世界は、アインシュタインの考えたような決定論的な世界ではなく、原理的に確率論的な世界であることも分かって来ております。

近代物理学の目覚ましい成果の一つである「散逸構造理論」によると、この時間に向きがあることによって、我々を含めた生命の出現が、物理法則に矛盾することなく自発的に現れて来ることが可能になっていることも分かって来ております。

時間の概念はアインシュタインの考えた概念より遥かに複雑な概念ですので、我々の存在をも許す「時間」についても考察する必要があります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。非常に参考になりました!

僕もこの世界の出来事を決定論的にとらえていました。
(人間がその決定を具体的に認識することは不可能であるとは思っていましたが)
僕は物理学者・数学者でないので詳しいことは全く勉強しておらず、
この世界に非常に厳密な意味でのランダムな性質があるとは思えなかったのです。
ディスティニーがあると思っていました。(今でもあったらいいなとは思っていますがw)
カオス・・・散在構造・・・エントロピー増大・・・イイですね。
ちょっと大人になった気分です^^

あまり関係のないことなのですが・・・いいでしょうか?
時間は、われわれが存在することを許容している、というよりも
われわれが存在し「運動すること」を許容しているように思えるのです。
喩えるなら、
われわれの「人生を許す」といいますか、宇宙の「営みを許す」といいますか
物理じゃなくて「動理」といいますか
わけわからなくなってきましたが、
そのように考えることはできないのでしょうか。

お礼日時:2007/11/03 03:01

実は科学で言う時間というのは間違っているんですよ


ですからアインシュタインの相対性理論からニュートン力学まで
物理学がこんがらがっているんですよ、ですから論文を書きました
ですがこの論文どうやって使っていいのかわからないんですよ
別にお金になるわけでもないし少々数式が変わるだけなんですよ
かといって学会に発表しても物理学者が喜ぶだけでしょう。
なんというか自己満足のためだけに作ったという感じでした。
ということで別に教えてもよいので教えます。参考になさってください。

時間について。
------------------------
まず時間は物体の変化で起こります
そこにある種一定の座標を作ります。
例えば秒速1メートル進む物体があるとしましょう
それが100メートル進んだとしましょう
そうすると普通100秒と思うでしょうが
これが間違えです答えは100メートル変化したという事実
以外存在しないのです
ではこれを基準に他の物体を考えて見ます
今度はさっきの100メートル変化する物体の100メートル変化する
間に10メートル変化する物体があったとしましょう
今までの物理学ではこれを同じ秒数にしていたわけです
秒速1メートルですから100秒たったということになるでしょう。
しかしこれが間違えでもしこれが本当であったら
10メートル変化する物体は秒速10cmになってしまいます
ではこれがもし10メートルを基準とすると今度は100メートル変化する
物体が秒速10メートルになってしまいます
これがおかしくて他の物体があったらその物体を基準にすると色んな
時間ができてしまうことになります。
これでは座標とは言えないことになります。
そこで考え出されたのが円形がたの時計です
針がちくたくなるあるれです
あれですと針を永久に伸ばせば1秒で1メートル変化する動きを得ることが出来
同時に2メートル3メートルと針を伸ばしていけばどんな変化でも
対応できるようになるのです、そこでじゃあこれでいいじゃないか
と考えたのか今親しまれている時計になったのです。
しかしこれは空間座標に適応できず物体の変化とバラバラな考え方に
なってしまったのです、ですから時間が係数になってしまったのです
ですがこれは無性に変です、もし時間を空間座標にあてはめようとし
うると円形座標になってしまうからです。
本来なら物体の変化というのは距離がでるのですから正規座標に
ならなければけないはずです、ではどうやったら正規座標に
出来るのかといいますと、変化の距離=時間 にすればいいのです
わかりますか?(わからなければ補足書いてください。)
つまり5メートルを5秒6メートルを6秒とすればいいのです
ですから5秒変化した物体を2倍したい場合には5×2=10で
よいのです。
速さの公式はこう変わります
--------
速さ=v時間=t距離=sとすると
s=v・t
ただしvが変数(変形可能)s、tが係数(固定)
-------
自分で言うのもなんですがコッチの方が良い感じす
なぜなら時間と空間がマッチするからです
実例で言うと
・10メートル変化する物体(=t)を4倍(v)したら距離(s)は
何メートルになるでしょう
なんて問題がでたら即座に400メートルとこたえられるでしょ?
しかも速度が変数というのは違和感ないでしょ?
いままで変化する距離が距離と同じ扱いをされていたから時間というの
がわからなかったんですが変化する距離と距離を別扱いすることによって
時間というのがわかりやすくなるとおもうのですがどうでしょうか?
--------------------
これを元に全ての物理の公式を書き換えました
相対論の矛盾もなんなく解けましたw。ですが
これを学会に出してもノーベル賞も賞賛もされ
ないでしょうw性格の悪い物理学者の餌食になる
だけでしょう。なので学会にはだしません。
自分で満足して「解けるかな?」とばかりに
物理学者の行方を見るだけです・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変、参考になりました^^
ですが、少し気になったところがあります。

回答者さんは、物体を基準にするとなればいろんな基準ができてしまうと仰いますが、
それは別に悪いことではないですし、誰もが納得することではないでしょうか。
そしてそのうえで、誰しもが基準を統一する必要性についても認識している。
だからこそ、「セシウム133原子の基底状態にある二つの超微細準位間の遷移に対応する放射の(約)100億周期」
という事実を1秒と捉え、公式的基準とし、
世界中すべての時計の秒針を上記周期とリンクさせているのではないでしょうか。

5メートルを5秒とする・・・6メートルを6秒とする・・・
と仰いますが、たとえば僕が5メートル走ったとき、
これを5秒としてよいのでしょうか。そうではないですよね?
そうだとすれば、回答者さんは、
「1秒間に1m変化するものが」5メートル変化したとき
というような条件付け・・・上段カギカッコで括った部分のような条件付けを暗になしているのではないでしょうか。
これは回答者さん自身が時間の存在を肯定していることにはならないでしょうか。

お礼日時:2007/11/03 02:27

時間というのはこの世界のための神の発明品ですからこの世界から時間を抜くと回転の止まった映写機の画像のようになってしまいますね。

静止画というのですね。でも夢の世界では時間が存在してないですね。なぜかすべては存在し動いているにもかかわらず時間が存在していないように思えます。移動も自由自在ですし地球の裏も表も意識だけ即座にいけますね。このような世界は、アインシュタインの閉じた世界の理論では説明つきませんね。何をいいたいかといえば、質問者さんのご指摘のように「空間・物質・エネルギー」という三種類の要素のうち「空間・エネルギー」という二種類のみの世界は存在するということなのですね。時間がないので速度という概念は無限大にまで近づきますね。光の速度はこの物質世界の速度としては適当ですがこれでは預言が存在し得ないですから一部の正解でしかないですね。確かに時間のない世界は存在しますからがんばってください。参考になるかどうか、おそらく波長が時間の役割を果たしているのでしょう、原因結果の順序は保存で、波長がエネルギーであり空間のような、そして波長が合えば空間のどこにでも同時に存在できるような理論なのかな?
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この回答へのお礼

なるほど、非常に奥深い感性ですね!
構成ルールがこの宇宙とは異なる別の宇宙については僕も想像したことがありますが、
波長や保存をファクターにするまでには至りませんでした。
参考になりました^^

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/11/02 22:10

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