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●↑この言葉は わたしが好きな童話の一節です。
 哲学を彷彿とさせる この言葉のオアシスとは 一体なんでしょう?
 みなさんのお考え・雑感等 教えてください。

A 回答 (17件中1~10件)

 


   言えることが一つある。
   砂漠の砂は、生きている。
   夜露がおりる。
   それがオアシス。
   オアシスとは、生の証なのです。
   生とは、一つのことで、成り立たたない。
   砂漠は、陸には珍しく、風でできています。
   海も、風でできています。
   海に浮かぶ島は、砂漠のオアシスです。
   島は、いきていることの証です。
 
   砂漠を行く人は
   砂漠の夜露であり
   オアシスであり
   地平線の
   輝く理由の君であり
   私なのです 
   

それが、生の証。
 
  
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ちょっと関係ない話なんですが回答に


>夢は不思議です。昨日のわたしの夢には
 不審船の船首にSMAPの仲居が立っていました。
とありました。
これは全然根拠のない夢とはいえない気がします。
あまり知られていないことですが中居君は、在日朝鮮人なのです。
従って、不審船=朝鮮=朝鮮人=朝鮮人の顔のイメージ
のようにイメージがつながったのではないでしょうか。
芸能界では結構在日の方が多いので、そういうマスメディア状況と潜在意識にあるものが結びついたのではないでしょうか。
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命の安らぎに通ずる想像の膨らみでは?



サン・テグジュペリはんは
砂漠に不時着し
生死の間を彷徨って
命の尊さを
実感したのでしょうね
それを一般化し
言葉にすると
こうなるのでしょう
きっと
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この回答へのお礼

●「命の尊さ」このこころふるえる程の大切なことを
 どのように表現できるか?McQさんが感じられたように解釈して
 サン・テグジュペリのこの言葉を捉え直してみると
 また 新たに見えてくるものがあります。
 どんなに絶望の状況にあろうとも
 その中に美しさを感じること。
 それは いのちの営みに繋がる希望を内包しているからだという
 摂理を信じるこころを失わないこと。

 ふと感じました・・・。
 愛とは わたしたちの生命の(地球上の全てのいのち)
 喜びのことなのではないでしょうか?
 光とは希望 それは わたしたちの生命の進化できる能力
 思考力のことではないでしょうか?(地球上の全てのいのちが持っている力)

 ご回答ありがとうございました。
 

お礼日時:2002/09/20 18:30

私が逆質問をした訳は、オアシス=異性だというH_hokoさんの考えがH_hokoさんにとってのオアシスに限定しているのか、人間全てについてそうだと決めつけているのかを確認したかったからなのです。

補足を読ませて頂いて、分かりました。私もそう思えるような異性や感性を得れるようになれれば人としてもう少し成長できるのかもしれません。意識の片隅に入れておきます。
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この回答へのお礼

●戦争は平和を否定します。また平和は戦争を否定します。
 凸は凹を求め 凹は凸を求めます。
 この単純な知恵を世界の多くの人達が意識を変えて
 見つめるならば この世は一瞬にして変わるのです。
 一人の深い不幸は多くの人々の深い理解と愛を受けることで
 その人は愛の理解者となり次の祝福者となります。
 この宇宙と地球には 愛と光が満ち満ちています。
 すべての人も命もありとあらゆるものが愛と光で
 満たされています。例外はただの一つもありません。
 凸は凹を求め 凹は凸を求めます。
 わたしたちは無限のいのちの愛の一つなのです。
 戦争は平和を否定します。また平和は戦争を否定します。
 力強く寛容に さわやかにいのちを楽しみましょう。
 地球上のあらゆるいのちに 喜びのあふれる日々が
 訪れることを 祈っております。

お礼日時:2002/09/19 14:21

荘子に「胡蝶の夢」というのがおます


蝶の夢はキレイでおます

砂漠はオアシスの夢を見る
そやからキレイでおます

ワイは蛾の夢を見る
そやからキレイやおまへん
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この回答へのお礼

●イギリスの詩人シェリーの作品に
 「星をめざした蛾の願い」があります。
 蛾のこころは 夢多く美しいのかもしれません。

 夢は不思議です。昨日のわたしの夢には
 不審船の船首にSMAPの仲居が立っていました。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/18 14:55

>人生の経験上言えることは オアシスは異性であると確言いたします。


なるほど、確かにそういう考えもありですね。
ところで、1つ逆質問があります。H_hokoさんはオアシスは異性でしかありえない、言い換えれば異性以外にはオアシスと言えるものは人生に存在しないというお考えですか?
よろしくお願いします。
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この回答へのお礼

●人生においてオアシスと言える事柄は様々に
 また ひとそれぞれに提示できるものだろうと
 素直に普通に考察すれば そのような結論になるのでは
 ないでしょうか?good_speedさんが 逆質問なさったのは
 尋常ではない わたしの異性の考察を感じられたからなのでしょう。
 人生においてオアシスたり得るものを まず列挙してみましょう。
 仕事・趣味・奉仕・研究・勉学・自然・人工物・精神世界
 このように列挙できるあらゆることには 愛や安らぎ
 癒しや生きがいとなり得る要素があります。
 ここで感じることは 異性から受ける感覚は
 わたしの命・存在の最も深く確かな部分に直接触れてくる
 という事実なのです。人生を織り成す様々な事柄は
 異性との交わりを通して さらにその感触を確かなのもに
 変えているような気がいたします。言い換えれば
 どれほどの偉業も 異性との交わりを通してその意味を
 確保しているのではないか?というような感覚です。
 存在と認識という捉え方をするならば
 存在は科学的分析の上にあるけれども わたし達生身の人間の
 認識は必ず異性との交わりを通して成されるということです。
 むずかしいかもしれませんが 異性を神とした場合
 神は形而上の存在で異性は形而下の存在です。
 自分も形而下にあるわけですから 実在のものどうしの
 関係のほうがより意味として完結しているはずなのです。
 いろいろ申しましたが 結論としてわたしの感覚を
 表現しお伝えできる的確な手段は ありません。
 どうぞgood_speedさんのおこころのどこかにしまわれて
 ご自身の実戦のなかで お気付きなさることをお奨めいたします。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/18 00:47

一見何もないと思われる所に対して、そこに美を感じ取るには何が必要でしょうか。

2つの条件が必要になると思います。1つはその対象に起因することとして、即ちその場所に確かにある、その場所の性質に相対する要素があるということ。もう1つは我々受けて側の問題で、その場所にその要素が確かにあると信じることができる感性とも言えるハートを持っているか否か。この2つが揃った時に我々の前にそのオアシスは悠然とその姿を現すのです。砂漠だけでもなく、我々だけでもなく、両者の心が通じた時に初めて具現化してくるのだと思うのです。我々は世間や社会に対して現状とは大きく差がある、いろんな理想や要望を持っています。まして、直接的に己の人生に係わること対しては、凄まじいまでの激しい理想(=仮のオアシス)を持っていますが、理想を持つだけでそれに見合う努力や活動をしない人たちにはそれらはいつまで経っても遥か遠くに見える蜃気楼でしかないのです。理想の現実化を信じて、邁進する人たちに対してだけ、確かに存在するその理想までの道筋に光が差して可視することができ、また近道も見えたりして現実化が加速するのだと思います。このような意味で考えると、オアシスとは“夢”“成果”“果実”といったものになるのではないでしょうか。最後に、人生が砂漠に喩えることができるとは今まで考えたこともなかったのは私だけでしょうか。
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この回答へのお礼

●砂漠とオアシスと言う対極にあるようなものが
 現実にも「砂漠の中のオアシス」として存在しているということ。
 同様に人生においても オアシスの如き異性は
 現実に存在しているわけで その意味において
 わたし達は 自分にもその異性が確かにあると信じる
 ことができる感性とも言えるハートを持っているか
 ということになるのではないでしょうか?
 good_speedさんは さまざまに人生の理想をオアシスに
 あてはめてらっしゃるのでしょうけれども
 わたしは 人生の経験上言えることは オアシスは
 異性であると確言いたします。
 自分の本当に望む異性像が 存在することを信じて
 日々さまざまに異性に接していると 不思議なことに
 現れてくるのです。砂漠のような人生が美しいのは
 そのような 理想の異性が現実に存在していること
 が大きいように感じます。そして good_speedさんが
 おっしゃるように 信じるハートと現実の異性が
 揃った時にわたし達の前にそのオアシスは悠然とその姿を現すのです。
 
 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/17 09:23

砂漠は,オアシスを照らす光。

月影となって人の心に映る。
月影(月の光)が,至らぬところは無いけれど心にだけ月は宿る。
オアシスは,お月様かにゃ。お月様は照らされて始めて見えるものにゃ。
今じゃ,アポロ計画も無いにゃ。
でも,私の心の中には,お月様があるから良いにゃ~。
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この回答へのお礼

●28日周期の女の肉体は お月様と深い仲なの・・・。
 光琳の月をご存知ですか?
 女陰の形そのもの・・・半月がすこし膨らんだカタチ。
 月は不思議 見かけは太陽と同じくらいの大きさ。
 光のスピードで約一秒の距離で地球とバランスしている。
 月のなにかが きっと砂漠とオアシスにも関係しているはず・・・。
 光を介してつながるさまざまな具象たち。
 この世ははてしなくワンダーランドにゃ!

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/13 01:33

砂漠はそれ自体で美しいと思います。



この前テレビで砂漠は死の象徴といっていました。それならオアシスは生の象徴?

死が美しいのはどこかに生を隠しているから?

そんな事あるのか?
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この回答へのお礼

●sanpogoさんの お考えはごもっともです。
 砂漠はそれ自体で美しい・・・。
 でも 実は子供にとっての夢は 大人にとっても夢なんです。
 子供から学ばなければならないのは大人の方なんです。
 まぶたを閉じて 静かに幼き日の夢と理想を思い起こしてみるべきです。
 砂漠が美しいという理由として 砂漠がオアシスを
 隠しているから・・・という理由以上に子供のこころを
 豊かにし 平安にし 夢で満たしてくれる回答が他に
 あるでしょうか? なかなか無いものです。
 だから このセンテンスはすばらしいのです。
 sanpogoさんが この言葉以上に砂漠の美しさを夢の世界に
 連れていける言葉を見つけることができたのなら 是非教えてください。
 「砂漠はそれ自体で美しい。」←これはまちがっていません。
 ただ だれもがそのように表現できてしまうから つまんないだけです。
 文学はその先を見ているし このセンテンスは更に普遍の哲学を
 含蓄しているようにも感じます。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/06 01:23

「大和は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 大和し うるはし」(倭建命)



「オアシスは 砂漠のまほろば たたなづく 黄砂 オアシス隠れる 砂漠 うるはし」(詠み人知らず)
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この回答へのお礼

●めしべは おしべのまほろば たたなづく 柔膚 泉隠れる めしべし うるはし (chihoko)

 nyozegamonさんの 情報網羅力はすごい!
 まほろばと隠れるが入っている和歌に着眼するなんて
 素敵すぎ・・・。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/05 08:01

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