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歴史の事実の比定を目指しているのではなく 歴史の真実を捉えられないかという目的のもとにあります。
いわば古事記のように そして古事記を基礎として読むと 物語としての歴史にとっては 継体ヲホド天皇に 関心の一つがあります。

河内ワケ政権にとっては その祖・応神ホムダワケからの悲願である全国制覇を実現するためには 三輪イリ政権を倒す(もしくは手なづける)必要がありました。

ホムダワケからおよそ百年 雄略オホハツセワカタケの頃にもなると 市辺のオシハを謀殺するといった攻勢に出て来ます。

けっきょく 雄略オホハツセや武烈ヲハツセらの世代のアマテラス一族には 跡を継ぐ子がないという状態になりました。(というよりも この状態も 雄略ワカタケが仕組んだのではないかと疑われますが 省略します)。

わづかに雄略ワカタケと后妃ワカクサカベノミコ(かのじょも その兄を殺されていますね)との間の――《子はなかりき》と書いてあるのですが―― 子を ひそかに 越前で育て 頃合いを見て 応神ホムダワケの五世の孫として 押し立てた。ワカタケは 押し立てるように大作戦を構想しておいた。

といったお話しです。
これについて 自由なお考えを 是非 おしえてくださいますか。

この虚構のみそは 継体ヲホド天皇(また 天皇ではなかったかも)以後は 市民社会が 二階建ての国家となると見るところにあります。天津神(アマテラス圏)と国津神(スサノヲ圏=市民社会)とです。

A 回答 (1件)

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この回答へのお礼

崇神ミマキイリヒコ市政から 歴史知性の市民社会が開けたという仮想を持っています。

このイリ政権に対抗して 河内ワケ政権(ないし オキナガ政権)が 並び立った。ついに 後者は 三輪イリ政権を 自らの力のもとに置いた。その変わり目が 雄略ワカタケと継体ヲホドの時だという空想です。

そういう歴史談議は ここでは なされないのかも知れませんね。
声をかけてくださってありがとうございました。

お礼日時:2007/11/08 22:27

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