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passionを辞書で調べると、『激情』『受動』『キリストの受難』という意味が見つかります。これらの意味はつながっているそうなんですが、どうように理解したらいいですか?

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回答 (4件)

>passionを辞書で調べると、『激情』『受動』『キリストの受難』という意味が見つかります。
とのことですが、この中で「受動」という意味で使われることは現在ではほとんどありません。リーダーズを見ると確かにそんな訳語も載っていますが、他の辞書を参照すると、載っていないものが大半です。英和辞書としてもっとも権威がある研究社大英和で引くと、「廃」という印がついて「受動」という訳語が載っていました。その意味では現代ではほぼ死語ということで別に問題にする必要はないのではと思います。
 passionの直接の語源はラテン語のpassio(語幹はpassion-)ですが、いわゆる古典ラテン語ではほとんど使われず、これが出てきたのはキリスト教ラテン語になってからのことです。意味についてはLewis & Shortが参考になります。
http://www.perseus.tufts.edu/cgi-bin/ptext?doc=P …
ここのTransfの箇所を読んでください。要するにこの語はギリシア語pathos(パトス)の影響を受けて使われるようになった語です。ギリシア語パトスは「外部からなんらかの影響を受けること」が原義で、それによる「激情」という意味にもなり、またギリシア語で書かれた新約聖書の影響で「キリストによる受難」の意味を強烈に持つようになりました。なんか不思議ですね、もともと異教のローマ帝国ではほとんど使われなかった言葉なのに、キリスト教世界になって急に流行りだした言葉のひとつです。

#1さんに補足:
英語のpassionは、ラテン語の「苦痛」を意味するpassus(パッスス)が語源です。
このpassusも元はギリシャ語のパテイン(本当はギリシャ語で書きたいのですが文字化けする可能性があるのでカタカナで記述します)だと言われています。

パテインは「苦しむ」という意味のパスケインという動詞の変化形です。(この部分が受難の意味で英語に取り入れられました)
苦痛を好んで求める人はいません。なので苦痛=外部から押し付けられる→受動、といった流れで意味が付加されたと思われます。

パスケインの語幹部のパス(path、thの部分はギリシャ語ではテータ)が感情を表現する英語に使われています。
テータはシータとも発音できるので、path(sympathy)になったりpass(compassion)になったりします。例として
sympathy(接頭語のsymは「~と共に」の意味)共感
compassion(接頭語のcomは「同じ」の意味)同情
antipathy(接頭語のantiは「反対」の意味)反感
などがあります。
また、そのままの形で「pathos(パトス)」=強い感情とか苦悩の意味で使われますが、こちらが激情(強い感情)の意味として英語に根付きました。

と言う訳で、元々は苦難や苦痛の意味から解釈が広がって、passionが英語に取り入れられた時には3種類以上の意味が付与されたのです。
(古代バビロニアは関係ありません)

参考になれば幸いです。

P.S.この手のご質問は哲学でなく言語学のカテゴリーの方が「適切な」回答を得られると思いますよ。

ユダヤ教では贖罪の仕方については聖書に記載されている通りで、それは人間が決めたことじゃなく、神が人間に対しての贖罪のルールを決めたことで、それで無罪放免になるって、神が決定したことになっています。

シュメール・バビロニアでは、救世主・よき羊飼いのタンムズが共同体の罪を背負って贖罪をする という儀式がありました。

それで羊が贖罪のために使われていたわけです。

バビロンの大淫婦はローマのことを指すとも言われますが、ちょっとややこしいですね。
何故ローマといわないでキッティームをバビロニアとしたのか。

ヒエロスガモス(女神との聖婚)が関係していると思えます。
バビロニアで実際にあったのかどうかわかりませんし、たとえ話を直に捕らえてしまったからかもしれませんが、、、、
バビロニアでは選ばれた王は女神と結婚をし、民や大地に豊穣をもたらすとされていたんですね。
ところが、大地が痩せたりすると、聖王の精力が衰えたとされ、大地に還元して再臨させるって概念があった。

ところが後に聖王は、身代わりの人をたてて、代わりに贖罪をしてもらい、当の聖王は生きて地位を保ち続けるという風に変化していった。

身代わりの人は、紫の衣を着せられ(高位という証、オウム真理教も身分によって一番上の人は紫の衣着てたでしょ?)、女神の体現者とされた神官たち(これがバビロニアの大淫婦)とセックスをして、その後紫の衣を剥ぎ取られ、鞭を打たれ、天と地に間に吊るされ、槍で刺されるって儀式があったようなんです。
(実際にやっていたのかどうかは知りませんが)

このバビロニアの儀式が身代わりの子羊イエスだと思えるんです。
バビロニアの大淫婦アシュラとの聖婚により血を抜かれその血が大地に流れ、女神と結合して(女神の還元され)、再度この世に戻ってくるという儀式。
(ヨナ物語も同じ内容なのでが 、この時代になると、かなりヘレニズムやら他の文化の影響を受け、ユダヤ教とは別の異文化との混血に思想がユダヤ社会に成立していったようです。
聖書の詩篇とかも影響を受けていると思えます。)


つまりキリスト教が大淫婦を嫌うアシュラとの結婚を、イエスの贖罪の儀式は模倣したわけです。
アシュラの元に行って(冥界)再度この世に戻ってくるって考えられたわけです。


この喜ばしいことが、なんで悲しいとなり、「イエスはあなたがた罪人のために身代わりとなって殺されなければならなかったんですよ! この罪人たちよ! 反省する気があるのなら、さっさと自分に鞭打ってそれを示しなさい」となったのか。
(カトリック教会ではちょっとしたことですら罪だと信者に感じさせ、罪だと思ったら自分に鞭を打ち込むように教育している。
日本の信者はそれはないだろうと思っていたら、家に鞭があり、時々自分に鞭を打ち込んでいると言われて、唖然としてしまったことがあります。)


キリスト教は形ができあがるとともに、誰が一番悪いのかという犯人探しをするようになったんですね。
神の子は誰のせいで死ななければならなかったのか と犯人を庶民にさせるやり方は、隣国が日本が何がなんでも悪いとすることで、国民が政府の悪業に注目せず日本憎しで政府に賛同してくれるように操作しているのと一緒。
カトリック教会も統一と庶民から支持されるため、犯人を特定した。
誰かというとイヴ。

そしてイエスが身代わりに贖罪をしたことで、男からは原罪は消えたが、イヴの子孫である女はまだ罪深いとしたんです。
原始キリスト教の時は女性聖職者がいたんですが、初期になると修道院など作りだし女人禁制にして、結婚していた聖職者から妻と子を奪う法律まで作ってしまった。

新約聖書を作った人たちはいかに女性は罪深いかを、面々と書いていて、信者に教えこんでいた。女は悪魔だと。
(キリスト教は侵略過程で、その土地にあった女神信仰を捨てさせるため、女神を悪魔だとか魔女だと人々に洗脳していく戦略をとった。これで信者をどんどん獲得していったわけです。)


そういう極端な思想にキリスト教は走ってしまい、罪についてこだわり続け、喜ばしい結婚という一面を削除して、「神の子は人類が罪深かったために死ななければならなかった。まだ罪の意識が無いのか。思い当たることが一つや二つはあるだろう。そう思ったら自分に鞭を打ってイエスが受けた痛みを理解しなさい。」って教えたんです。

そういうわけで、カトリック信者の家には鞭があり、暇があれば「あれも罪 これも罪だ」と思ったとき、自分に鞭を打つことになったわけです。


では信者は苦痛なのかというと、喜んでやっているようです。
ダ・ビンチ・コードに出てくるオプス・デイ。
カトリック教会からすばらしい宗派と認定された宗派ですが、ダ・ビンチ・コードの犯人はオプス・デイの熱狂的な信者として描かれており、すぐ自分を痛めつけて快楽を味わっていましたよね。

罪が許されると考え、自虐をしていた。
イエスが受けた痛みを分かち合いたくて自虐をしていた。

つまり自虐するとイエスの痛みを体感できるということなわけで、つまりイエスに近づけるということで、痛みが増すほどに快楽なわけです。
だから忍耐という意味を持っていたものが情熱と同義になったと思えるんです。


元々のバビロンの概念も聖婚は、死とエクスタシーの両方を持っていると思えるので、まあ 受難と情熱が同じ語彙なのもそうなのかなって思います。

人によってはこの語彙のなりたちは全く違うって人もいますが、語源というか言葉の変化もちゃんとした理由があって、根本の概念を継承していくわけですから、同じ語であってもおかしくない。

例えばMAって母って意味ですが、matherとかmatterとかmatrixとかってmaを継承しており、MAの意味をそのまま残していますから。

以下に参考になるサイトを挙げます。

しかし、私には良くわかりませんでした。
ラテン語の『苦痛』から来ている単語のようです。

この回答へのお礼

助かります!!!

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