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ミッドウェイ海戦で は大和以下の戦艦3隻を主力とする本隊は機動部隊のはるか後方数百キロにおりましたが これは戦術的にはどのような意味があったのでしょうか?いざとなったときには(現実も)離れすぎていますし 殆ど意味の無い間隔を開けている様に思います。
戦力は集中して運用するのが基本ですし 航空機の防御にも貢献できたでしょうし ひょっとすると防御力のある戦艦で切込みが出来た可能性もあったかもしれません。
どうにもその位置取りの意味が理解できません、どなたか教えてください。

A 回答 (14件中1~10件)

こんな見方もあります。


『文藝春秋』11月号「帝国海軍 VS 米国海軍」というテーマで、6人が話し合っています。

秦氏(日本大学講師)が
「私がいつも疑問に思うのは、連合艦隊司令部を大和といった旗艦に置いていたことです。開戦当時は柱島海面に浮かんでいるし、後にはトラック島に出て行きますが、いかにも中途半端です。」
いろいろ発言が続いて
半藤氏(昭和史研究家・作家)が「トラック島に出て行くのは仕方ないんですよ。当時、石油はシンガポールから運んでいたのですが、柱島にいたのではシーレーンを脅かされて動きが取れなくなってしまう。」

戸高氏(海軍史研究家・大和ミュージアム館長)「山本自身、ニミッツはハワイにいるのに、なぜ俺はトラックにいなければならないのか、とこぼしています。」

秦氏「総力戦時代になって戦争の形態が変わり、連合艦隊司令長官は常に旗艦に乗るべし、という慣例が無意味になったのですから、さっさと場所変えすればよかったんですよ。」

半藤「でも、それが海軍の伝統なのですよ。」

秦氏「作戦遂行に支障が出ているのに、そういう儀礼的な意味しかない不文律をなぜ変えないのか、不思議だ」

以上は抜書きですが、研究者でも興味をもつ問題であることが分かります。。

ほんとうのことは、山本長官の魂に聞くしかありませんが、「シーレーンの問題」は重要だと思いますのでちょっと調べてみました。
戦史を読む限り、表面上は威勢のよい強硬論や都合のよい楽観論が多いですが、真実はどうでしょうか。
「南方へ進出して石油基地を占領した」といっても、占領しただけで燃料がそのまま出てくるわけではなく、石油は掘り出して精製してはじめて燃料になります。
人と技術が必要です。
ところが、昭和17年5月、太平丸(日本郵船)が蘭印に向かう途中、九州男女群島沖で米国潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没し、乗船の石油開発要員660名が死亡(乗組員を含めた死亡者は817名)しています。
その前には本土空襲も受けています。

海軍は、大量の燃料を必要とします。
ところが、占領した油田施設は、制圧時の実勢に合わせて、海軍15%、陸軍85%です。

真珠湾のときもそうでしたが、そんなに長距離を移動できるように軍艦を造っていないので、ずいぶんと無理をしてドラム缶を満載していました。途中で狙われると一発で炎上するおそれがありますね。
私は、ミッドウエイ作戦が敵地での戦闘であることを考えると、「司令長官は前線に出ない」「柱島はこの作戦の指令本部として安全圏ではない」からトラック島に出たと、半藤氏の発言を理解しています。
発言にはないですが、作戦中は無線封鎖ですから、陸地経由で軍令部と連絡が取れる最前線がトラック島ではなかったのでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます、詳しい説明恐れ入ります。
陸軍海軍の連携の悪さは今の時代から見ると信じられないですね、陸軍は戦争中盤まではあっち見て(中国)戦争しているし 2つの軍隊がバラバラに戦っているようなものです、いや いました。
シーレーンの問題もよく理解できます、まあ開戦まで時間が無かった事もあるでしょうが 手元の本には日本海軍には開戦まで船団護衛の戦略も船舶も全く無かったと書かれています、一方アメリカは日露戦争後に作成されたオレンジ計画では 日本には潜水艦と航空機による無制限船舶撃滅シーレーン封鎖による兵糧攻めが有効な計画として策定されていたそうです。ただ第一次大戦のUボートの無制限攻撃(非武装船舶を含む)で多大な民間人が犠牲になったことで ロンドン条約では制限される事になったそうですが パールハーバーの騙し討ちを口実に国際法を破る事を宣言したそうです。石油技術者が600人犠牲になったとは知りませんでした。しかし石油を、海軍15%、陸軍85%とは呆れます、これ分け前の事ですね。
日本の艦船の足の長さは短いらしいですね、小笠原近辺で迎え撃つ 漸減邀撃作戦専用マシンですのでしょうがないですね。
しかし戦略性 長期的な展望 柔軟な頭脳 は全く欠けていましたね。

お礼日時:2007/11/11 23:54

B-17の航続距離は爆装時で3200kmです。

確かミッドウェーハワイ間って2700kmでしたっけ?爆装できたとしても500kgがせいぜいだと思います。だからミッドウェーがとられたら米軍は空母つきの艦隊を組織して奪還作戦が必要になります。しかも全力で。ここで決戦を起こさせて勝つことにより、ハワイ攻撃(攻略ではありません)を可能にしようというのが、作戦の目的です。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
B-17の件 了解しました、爆弾搭載時には3200キロなんですね、ミッドウェイに航空攻撃を仕掛けるためには必ず空母が必要になるので そこで機動部隊決戦をする話 納得しました。

お礼日時:2007/11/14 21:57

シーレーンという観点からみるなら、当時の日本の能力ではミッドウェーの維持もハワイ占領も夢物語でしょう。


もし開戦直後にハワイを占領できるだけの兵力を運んだら、肝心の南方作戦に支障が出ますし、ハワイまで充分な補給を行なうとなれば、南方からの輸送ができません。
日本の陸軍部隊のほとんどは中国で戦っていたのです。陸軍にとっての主敵は中国でした。
なお、千島列島からすぐ近所のアッツ・キスカへの補給でさえ、輸送船の被害が甚大なため、潜水艦による輸送に切り替えられました。ミッドウェーやハワイへの補給は、日本の貧弱な海上護衛能力では不可能でしょう。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
冷静に考えれば確かにそうですね、攻略は出来ても維持しないと意味が無いですから どだい難しい話ですね。
ミッドウェイも地図でみたらハワイから2500キロ程でした B17の航続距離が5800キロだそうですので 連日空襲に見舞われたでしょう。

お礼日時:2007/11/13 00:21

ハワイ攻略は意味がありません。

それに不可能です。日本にハワイを維持するフナバラはありません。当時は揚陸艦もありません。大量の海兵だけでなく陸軍までいるハワイ相手に、ライフルと手榴弾、そしてせいぜい数日の航空支援だけでは制圧不可能です。空母は二日も全力戦闘すれば、燃料も弾薬もからになります。そして空母に補給するタンカーも数日分確保することがせいいっぱいです。ちなみにミッドウェークラスの艦隊(後方分含む)であれば、数回満タン補給をすると、本土の重油は払底します。それだけのタンカーもないでしょうが。

 それを考えるならミッドウェーを制圧して、潜水艦基地とすることでしょう。ハワイを海上封鎖できれば、アメリカは白人を本土に脱出させハワイを放棄するプランの実行を考えるやも知れません。ただ当時の日本に、ハワイを海上封鎖するほどの潜水艦戦力もないでしょうし、ミッドウェーを取られれば、まず取り返しにくるでしょうが。

 アメリカが日本の開戦を予期していたというのは、どこまで確信があったかは別としてある意味そうなのでしょう。ただし彼らが読んでいたのは、フィリピンや南方侵攻で、真珠湾に対する航空攻撃ではありません。まさか本題である石油資源確保のために侵攻する部隊や、最初の目標であろうシンガポール攻略部隊の直援を空にして、フィリピンに対しても互角程度の兵力で台湾渡洋攻撃を強行してまで、精鋭をかき集めてハワイに殺到するなど誰も本気で考えてはいなかったでしょう。特にフィリピン攻撃はもし奇襲に失敗していれば返り討ちにあっていたでしょうし、南方侵攻もけっこう綱渡りな作戦となってしまいました。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
冷静に考えれば ハワイ侵攻は難しいですね、例え攻略しても多くの民間人を含む社会基盤を維持する為の物資輸送も不可能ですし。
いずれにせよ どこを修正しても勝てる見込みは無かったのですが。

アメリカが開戦を予知していたのは事実ですよね、この事は世界でどの位認知されているかはわかりません。
ハワイ奇襲の予知ははもう闇の中ですが フィリピンは準備していたそうですね、台湾の航空部隊が霧の為に時間がずれて その為にクラーク基地の航空部隊は 来ないので着陸してしまった直後に攻撃が始まったそうですね。
もし迎え撃たれていたら攻撃は失敗し 航空機の損失も多かったでしょうし 健在の航空機でシンガポールやフィリピン攻略部隊も影響を受けたでしょうね。

お礼日時:2007/11/13 00:12

 目的は、ミッドウェー島への砲撃、そしてできれば敵太平洋艦隊との決戦でしょう。

何日滞在できるか微妙ですが、もしミッドウェーに居座られたら米軍は全力で攻撃をかけるかハワイ放棄しかありません。いつでもハワイを攻撃にこれる距離ですから。

 ちなみに空母と戦艦では足が違いすぎて一体運用はできません。そのためミッドウェーでの戦訓も含めて、南太平洋海戦あたりでは、戦艦が前衛を勤めています。できれば敵航空機の攻撃吸引もありますが、どうせ敵は無視して空母攻撃ですから、すきあれば敵艦隊に突撃しようという意図です。ちなみになぜかよくわかりませんが、実際にこの役目を実行したのは、前衛戦艦部隊の護衛についていた護衛空母準鷹とその護衛駆逐艦です。

 ちなみに戦艦を空母に改造するくらいなら、一から空母を作ったほうが早くて安上がりです。活躍の場のなくなった戦艦は、抑止力としておいておくのが最上だったのでしょう。航空機優勢といっても、当時は嵐や夜間に艦隊の侵攻を抑えられるのは船だけですから。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
皆さんのご回答で 空母と戦艦の艦隊編成は難しい事がわかりました。
ハワイの件ですが ハワイ占領と言うのは可能性はあったのでしょうかね?機会としては真珠湾攻撃から間もない時期 それから もしミッドウェイ作戦が成功していたら チャンスがあったかなとは思いますが、ただ陸上兵力もかなりいたかも知れませんので難しいかな?
戦艦を改装して空母にするのはそんなにコストがかかるのですか、艦隊決戦時代の遺産みたいな感じですね、そういえば真珠湾攻撃の時に在泊していた米戦艦は 同じ様な立場の戦艦ですね、米が真珠湾攻撃を予期していたという説には使い道の無いこれら戦艦を並べていたと言う話もありますね。

お礼日時:2007/11/11 23:03

ミッドウェー海戦において、本隊が機動部隊よりも後方に位置したのは、本隊の任務が上陸援護のための艦砲射撃にあったからです。


不用意に前に出て、まぐれ弾にでも当たったら損だということでしょう。
本隊の戦艦は、大和級ですら27ノットと低速です。
機動部隊と行動を共にしても、艦隊の隊列を乱すだけの存在となってしまいます。
それならば、後方にまとめて置こう、ということです。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
意味が良く判りました、しかし空母が主軸になった海の戦いでは 日本の誇る大和や長門も使い難かったでしょうね、ましてや伊勢や山城クラスは・・
比べてアメリカのサウスダコタクラスは対空兵装も充実していて高速ですし 実用的ですね。

お礼日時:2007/11/10 18:47

日本もアメリカも同じなんですが、艦隊決戦において制空権確保が最優先事項になります。


制空権を確保したほうが海戦を有利に運ぶことができます。
砲撃の航空観測ができますし、爆撃も行うことが可能になります。
制空権がないと観測も妨害されますし、爆撃を受ければかなり痛い損害を受けますし、当たらなくても回避運動を行わなければなりません。(例えばサマール島沖海戦では回避運動を行ったので米護衛空母に距離を縮められませんでしたね)
よく戦艦大和はいろいろといわれますが、その大和は自制空権内での行動を想定しています。

ですので、前衛に空母を出し後衛に戦艦を配置。
空母が敵空母を潰してから戦艦を出すというのが日米両軍の戦前からのスタイルなのです。
特にMI作戦は日本にとって決戦なわけで米空母潰してから前進、また自軍が制空権を確保したのちに復活して出撃しているかもしれない米戦艦部隊との交戦を想定していました。(事実、その当時かなりの数の米戦艦が戦力化されています)

しかし自軍が制空権を確保してから戦艦を出しても戦場に間に合わないことがのちにわかりました。
ですから南太平洋海戦の日本の第二艦隊、マリアナ沖のアメリカの第七艦隊のように戦艦を前面にだす戦術を取るようになったということです。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
なるほどそういう事なのですか、私は占領部隊を帯同している事を忘れていました。山本長官はじめの上層部はまさかこういう事態になろうとは夢にも思わなかったでしょうね、あわてて主力艦船による攻撃を企図しようとしましたよね。

お礼日時:2007/11/10 18:38

これは、意味のない出撃なんですよ。


戦艦が7隻も出撃して、相手なんて真珠湾に沈んでいるのですから。
空母相手に、鈍足の戦艦が追いつけるわけはないし、第一航空戦隊の実力から言って、普通に戦えば、勝てます。
上陸部隊の援護は近藤部隊の戦艦2重巡4で十分。
かといって、空母部隊と同行すると、戦艦の船足では遅いので、空母部隊は嫌うだろうし。
考えられるのは、開戦以来出撃のない船を出して、戦闘加増を狙ったのではないかと。空母部隊だけが連戦して、柱島の将兵たちは、俺たちも出たいと思っていたでしょうし、出れば戦闘加増があるわけで、将兵全般の士気向上のための出撃だとしか思えないですね。
空母部隊から見れば、こうるさい舅が後ろから来ると思っていたでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
なるほど そういうこともあったのですね、山城型や伊勢型は本当に活躍の場が無かったですね、いっそ 開戦初頭に空母へ改装したほうが良かったと思います。

お礼日時:2007/11/10 00:11

>戦力は集中して運用するのが基本



戦艦は25ノットです。
30ノットの機動部隊と一緒に行動すると足でまといになります。
哨戒中の潜水艦から航空母艦の発見の通報があれば急行出来ずに
討ちもらす、または先制攻撃を受ける恐れもあります。

>航空機の防御
艦載機数機の撃墜で戦艦1隻を失っては、「割りに合いません。」
これは、艦隊決戦や砲撃の仕事をさせるべきです。

対空能力の高い、高角速射砲に換装した軽巡洋艦や、量産可能な対空駆逐艦の仕事です。

巡洋戦艦は30ノットで機動部隊と一緒の行動が取れます。
その為に、過酷な戦況下に投入され、次々消耗して行きます。

旧式化し、鈍足、射程の劣る中型主砲の戦艦でも、
艦隊決戦ならば使い物になります。

しかし、ここでも戦闘参加に遅れます。
(後方に取り残され、ようやく発砲距離に到達。敵弾の被弾も多い)
こんなの待ってたら、高速の重巡洋艦の戦隊が壊滅してしまいます。

当時は、
第一戦隊(戦艦1~2隻)第十二戦隊(巡洋艦数隻)第一駆逐艦隊などで一個艦隊が形成されていました。

更に、第一、第二航空戦隊(航空母艦2)など、空母計4隻を追加したのが第二艦隊であったようです。

違う艦種は混ぜてはいけないなどの規則があり、
異様な分類方法とも考えています。(使えない戦隊)

鈍足な36センチ砲の旧式戦艦を待っていると、敵に針路を先にふさがれてしまいます。
40センチ砲戦艦ならある程度は運用可能です。
思うような速度での作戦遂行は難しくなるでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
確かに船足が違いますね、金剛型が活躍したのも速力の事があったからですよね。アメリカは空母を中心にした輪形陣を取っていましたが 速度の統一は図られていたのでしょうね。

お礼日時:2007/11/10 00:06

補足します。


山本五十六長官の考えは、ミッドウェー島を占領すれば、アメリカの主力艦隊に決戦を強要できるというもので、占領しても維持が不可能なミッドウェー自体に戦略的価値はありませんでした。
主力艦隊はアメリカとの決戦のためミッドウェーへ向かったもので、小島を制圧するには巨大すぎる前衛部隊も、占領後に決戦へ投入する目的だったでしょう。
奇襲を意図した点は、大規模な陽動(アリューシャン作戦)や厳重な無線封止にも現われています。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
なるほど 米機動部隊をおびき寄せるための占領だったわけですね。本で読みましたが真珠湾のときと違い 作戦の秘匿もルーズで 横須賀の飲み屋のオヤジも海軍の将兵に「今度はミッドウェイですね」なんて話していたと書いていました。機動部隊がいることが判明した時点で 山口多聞少将の進言どおり艦載機を緊急発進しておけば もう少し違った展開になったでしょうに。

お礼日時:2007/11/10 00:01

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