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http://ja.wikipedia.org/wiki/新しい歴史教科書をつくる会
多くの歴史学者の支持を失った。とあります。
専門家と争って何か利益があるのでしょうか?
また、[新しい歴史教科書を支持する多くの歴史学者]と[支持しない多くの歴史学者]の数はどちらが大きいですか?

A 回答 (3件)

 科学においては100%の証明が必要で、その研究論文が多数の第三者によって検証された結果100%正しいが確認されることによって研究成果があったとされます。


 ところが文学と歴史学は100%の証明は絶対に出来ません。なぜなら科学ではないからです。例えば慶応4年正月4日、御所でどのような動きがあったのか?を説明するにおいて、事実面としては岩倉具視たちが薩長連合軍に錦旗を出したということがあります。が、0時から23時までの間、誰が?何処で?誰と?何をしたのか?(5W1H)を100%証明することは不可能なのです。文章に残っていないものや失われた文書などがあり、どうやっても100%の証明には至れません。99%まで至ることは出来ます。ですが、科学の検証では100%回答が求められます。もし「歴史は科学である」とするならば全ての研究は回答になっていないということになります。

 さて『専門家と争って何か利益があるのでしょうか?』とのことですが、争っている相手が本当の意味で専門家なのでしょうか?学会の理事などと争っているのでしょうか?私には違うように見えています。私から見れば何れの教科書も学者からは相手にされていない(かなり酷い教科書も存在しています。本編の1/3が中国と韓国の歴史で、日本が対外戦争すると侵略と記し、中国、北朝鮮、ソ連、イラクが軍事行動を起こすと進出と記す。伊藤博文はコラムのみの掲載で、安重根や金日成は太字で書く。日本国内の高校1.5%で採用されています)と思います。ただ、歴史学で芽の出なかった自称歴史学者が生活のために教科書を書いているというのはあり、彼らからは『新しい歴史教科書』は敵でしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「歴史は科学ではない」が正解で、中高生向けの書籍として当たり前の前提条件を再確認したということですね。
歴史の専門家のかたに回答いただけるとは感激でした。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2007/11/10 21:01

「新しい歴史教科書をつくる会」は


どうみても胡散臭い感じなんで、最初から歯牙にもかけてないため
どういう話の展開か、全く分かりませんが、
最初の一文の科学云々のことだけについていうと、
歴史学が科学ではないというのは事実です。
というのは、
”実験によって反証できなければない”という
科学の定義を履行不可能だからです。
これはよく考古学者がいうことなんですが、
考古学は検証可能なんで、科学、実学だけれども、
歴史学なんて科学ですらない、なんてことはよく言われますね。
ほとんど常套句といっていいほど。目あたらしくもありません。

もちろん科学でなくても学問ではあるわけで、
歴史学は大いに意義はあるわけです。
逆にいうと考古学は科学ではあるが、あまりに細かい事象の検証になるので、
一つ一つの事実はほとんど意義がないという、
皮肉な対極性をもっているといえますから笑えます。
(つまりは歴史学と考古学のいがみ合いというのはお約束ということ)

新しい歴史教科書をつくる会は、どうみても極右系の団体なんで、
多数派じゃないでしょう。そもそも多数派ならば”新しい”教科書を作ろうということにならんからね。
主流から外れてるから、文句言い出したわけでしょ。ただの圧力団体。
しかし全体的には、支持するもしないも、興味をしめさない学者が
多数派じゃないかと思います。まともな学者ってのは自分の研究分野に
没頭しているわけで、政治には色気をみせるのは、暇なあほ学者もどきの作家だけ。
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この回答へのお礼

ふむふむ。
まともな学者は政治活動にはかかわらないというわけですね。
参考意見ありがとうございます。

お礼日時:2007/11/10 21:02

科学とは客観性の学問です。


ゆえに、主観的な意見のみを主張したければ、科学を否定するしかない。
主張することに主観的な意味を見いだしているのかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2007/11/10 21:01

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