プロが教えるわが家の防犯対策術!

最近は、モンスターペアレンツなど、不条理な言動に出る者が増えてきたようですが、その原因はどんな点にあると思われますか?

わたしは、
・都市部の核家族化で、あまり「世間体」を気にしなくなった(村八分の心配ない)
・偏った権利意識・個人主義の植え付け
・高学歴社会(結果として相対的に教師が教養人でなくなった。それによる教師への敬意の希薄化)
こんなところに原因があるのかなぁと漠然と感じました。

A 回答 (8件)

んー?個人的には



子供の時に教育と、先生を馬鹿にしていた生徒がそのまま大人になっちゃった。

ってのが一番大きいと思っているのですが・・・・コレだけじゃなく
ゆとり教育の問題や、大学生の学力低下とか、給食費未納とか根っこは同じコレだと思っています。
特に発展途上国や、中国の貧民層の子供たちの教育に対する姿勢の違いを見れば差は歴然だと思っています。
たとえば、学校がいきなり閉鎖され、教育の場が失われる・・・日本じゃ廃校はありえても、
教育が失われるなんて基本ありえませんが、TVや取材を見る限りそんな事態に子供たち自身が
何とかしようとしているように見えるんですよね。それが出来ないのはお金が無いから親に働けと言われるとか
そんな感じですよね。日本で同じ事が起きればどうなるんだ?と思います。多分騒ぐのは親や自治体だけで
肝心の子供自身はそんなに大事にはしないような気がします。「ラッキー☆」くらいかも知れません。

ゆとり教育を詰め込みに戻そうが、大学までを義務教育にしようが、根本の
「子供が学業を馬鹿にしている」って部分がなんともならんことには個人的には何やっても無駄だと思っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

三つ子の魂百まで、ということですか。
受験教育重視で、理性を知らないバカを粗製乱造してきた学校側にも問題はあるのでしょうね。昨年の、世界史未履修問題もそうですが、受験が全てという指導では、少年が学校に悪印象を抱いたまま大人になるというのもある意味では無理かならぬことなのかもしれません。

物質的に満たされすぎて、教育で夢をつむげない国・時代に生まれた不幸というのはあるのかもしれませんけど、嫌な世の中になったものです。

お礼日時:2007/11/13 19:04

余りにも物質文明になりすぎたからだと思う。

高学歴ですか?
日本人って?大学の6割は三流私立大学ですよ。こういうとこ
ろって教養とかないもの。経済学部のくせに、経済原論も
やってなくて、話聞いてのけぞりましたよ。日本だけです、
外国語が喋れない国民って。(特に英語)
個人主義って本当のそれは、その人が独立してないと成り立ち
ませんし。
核家族化云々は、そうなんでしょうか?昭和30年以降、町中
ではそういう言葉が出始めたんでしょうが、戦前の農村問題とか
見てれば、ああいう社会はもうよした方がいいでしょう。地主
制度があり、その土地にボスみたいなのがいて。封建社会ですよ。
男女差別は言うまでもないし、【父兄】の時代、年下の者や女
は凄い差別されてました。戸主である父又は祖父が家の食事で
一番いいものを食べて、次が長男(全てを継ぐ人)。女子供は
戸主や長男の残り物ですよ。女は台所で残り物を食え、という
時代も。女親は一切の権利なし。相続も親権も。

誤った権利意識というのはあると思う。自由の履き違えとかです
ね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>日本人って?大学の6割は三流私立大学ですよ。
それを言い出したら、日本の大学なんて全部お寒い状況でしょうね。旧帝大の理系は幾分まともかもしれませんが。
ほとんど勉強しなくてもよほどのバカでなければ卒業できますからね。アメリカのディプロマミルを全く笑えないです。
国も、あからさまに「高等教育は大学では無理だから大学院で」と考えているっぽいですね。

国民皆が外国語を話せる必要は全く感じませんが、8年間も英語やって話せないというのもひどい話です。

おっしゃるように、どんなことにも光と影がありますよね。
つい最近も、どこぞの村で村八分騒ぎで裁判になってましたね。確かに、戦前の農村が昭和といっても実態は江戸時代の生活の延長上にあったというのはよく言われますよね。核家族にも影の部分は多いですが、わたしも核家族そのものを否定してはいません。たとえ副作用が大きかったとしても、作用そのものを否定するものではありません。

お礼日時:2007/11/19 18:34

NO.4さんのご意見に一票(笑)。


「いたれり尽くせり」「何でもかんでも」が当たり前
こんな感じの流れが最近では顕著ですからね。

私もサービス業してますが
「こんなお酒、流通センターで買ったら○○円なのに」とか
平気で店員に言うお客様、けっこういます。
原価っていう概念がないんだろうかと、呆れてしまいます。
(そんな人は外で飲まない方が良いと思うのですが)

学校も同様で、
子供の教育(主に道徳・情緒面、躾の面)すべてを
教師に任せたり、責任をおっかぶせるのが当然、というような
考えの方が増えたんじゃないかなと思います。
核家族が多いわりに、余裕がないんですよね。
精神的に・・・?何なんでしょうね、アレは・・・・。
もしかしたら、核家族だから余裕がないんですかね。
たしなめてくれる人が居ない、と他の回答にもありましたが
それも大きいかも知れないですね。

教えてもらえなきゃ、分からない事もあるって事なんでしょうね。
分からないから、自分が正しいと思い込んでしまう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

自分の意見・思考を疑うことを知らない人っていますよね。
サービス業をされていると、理不尽な客も多いのでしょうね。

給食費を払わない親が増えてるというのを初めに聞いた時は驚きました。そういうのが実際にも珍しくないのだとしたら、この国終わってます・・・

お礼日時:2007/11/19 18:47

質問者さんが仰るような部分はあると思います。


ただ、一方で教師の側があまりに旧態依然とした意識であることが、「これは不条理な言動だ」と言う風に受け取る数を増やしたのではないかと思います。

良くも悪くも以前は、教師に不満を言うことは出来ない、言うなんてとんでもない、と言う社会でした。
結果、教師の側に対して、正当な要求、抗議などをすることも出来ない状況があります。結果、教師が王様のように振舞え、何でも出来る、と言う状況があったのも確かです。
それが、近年、崩れ、おかしな指導などに対して抗議することが出来るようになりました。ところが、教師の側が「自分は何をしても構わないのだ」と言う意識のままでいるため、正当な要求、抗議であっても「理不尽」と感じてしまう、と言うものがあるのではないかと思います。

この「親からの利己的な要求が増えた」と言うような調査の多くは、教師が「増えたと感じている」というものであって、客観的なものではないことを忘れてはならないと思います。
第三者から見れば正当な要求であっても、教師が「理不尽」と感じれば、「理不尽な要求が増えた」とカウントされてしまうわけです。

他の方が仰っているような理由は勿論、十分に考えられます。しかし、その一方で、調査の性質上、教師の意識の問題である、という可能性も考えるべきだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

おっしゃるようにいろいろな見方があると思います。
教員の側の問題もあるのでしょうね。

お礼日時:2007/11/18 07:12

モンスターペアレンツに関してだけ考えても見ると、他の方が回答している事にあわせて、私独自の視点から一つの要素として考えてみると、教師に権力がなくなってしまったのが大きいのではないかと思います。



権力という物は常に暴力の後ろ盾があってこそ成立する物だと私は考えています。暴力と権力は表裏一体という事です。
国家で言えばそれは警察機構であったり刑罰であったりします。

ところが体罰の禁止によって教師はいっさいの暴力による指導が出来なくなりました。これにより教師の権力は有名無実化しモンスターペアレンツのような人間が現れるようになったのです。

もちろん、これには今までの教師の体罰がむき出しの暴力であり、国家のようにシステム化されていなかったという行政側の認識不足と怠慢もあり、数々の問題教師がいた結果でもあるのですが。

この問題を解決するのは教育におけるシステム化された暴力という物が必要だと考えています。
あくまでも今までのような教師の感情的なむき出しの暴力を肯定しているわけでは無いので誤解なさらないで下さい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

体罰というのはあるでしょうね。
加えて昔の社会では、大学や師範学校出の教師は地域の知識層・教養人でしたから、子どもに学問をつけてくれる人として、親は教師に経緯を払ってたと思います。
子どもが教師に逆らおうものなら、親が子どもを殴りつけるような時代・・・

体罰は一般論としては犯罪(傷害・暴行)でしょうけど、場合によっては正当業務行為として不起訴で良いと個人的には思います。

お礼日時:2007/11/17 16:03

代々、接客サービス業をしています。


不条理な言動というのは昔からありますね。
親も「客はわがままだから」って言います。
仕事の労を知っている人はあまり文句は言いませんが
知らない人の言動にはひどいものがありますし、
またそれを当然だと思ってますね。
「素人はこわい」
取引のことや専門的なことを知らない故に
無茶を言ってしまう部分があるんです。
これは誰しもあるもので
私も違うところでは
無茶を言ってるかもしれません。
これは昔からあることですが
その仰るとおり「世間体」というものがあったり、
たしなめてくれる人が近くにいたんですよね。
製造の労や流通の労を知っていればまだ文句もつけにくいのですが
そういう部分はどんどん見えなくなってきていますから。
また売買にも顔がなくなり、匿名性も高くなってきていますから。
核家族化というか
やはり都会の希薄な社会関係というものは大きいですね。
都心で仕事していたときのほうがクレームが多かったです。
人口が多いですから良い人も多いけれど、悪い人も多いという意味で。
村社会なら問題な店も問題な人もすぐに噂になりますから。
この辺りは良し悪しですが。

◆第三次産業の増加(サービス化)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC% …
農業や高度成長期の製造業の時代から、いまや経済大国で
産業も第三次産業にシフトしていますから。
小売や情報・サービス業ですね。物や情報を分配することで富を得るんです。日本の7割程度が第三次産業になってきています。
そこで「買い手市場(買い手が有利な市場)」と「売り手市場(売り手が有利な市場)」という言葉はご存知だと思いますが
クレーム処理関連の本を見ていても
消費者との力関係や
消費者の思考の移り変わりというものが着目されるようになってきています。

最近では「モンスターペアレンツ」と取り立たされることになりましたが、(なかにはあれはメディアの中での話だと思ってる人もいますが)いわゆる「クレーマー」と言うものですから、サービス業ではもともと珍しくないです。戦後、アメリカ型資本主義にシフトしましたから、それに伴ってアメリカ型クレーム社会・訴訟社会へシフトしているのでしょうか。

(1)顔(対面の売買)や縁を大事にしてくれる時代と違って
70年代だか80年代だかに売り手市場から買い手市場に逆転してしまったんです。物を作れば売れる時代ではクレームは少なかったのですが、社会が第三次産業(サービス業)が増えて買い手のほうが強くなった。
街に1軒しかない販売店だったら、無茶言ったら買えなくなりますが、
街に10軒も販売店があったら気に入らなければ行かなければいいし、街に20件あったら一番条件のいいところで購入とかね。何か問題を起こしても他所で変えますし実際転々としても構わない。売り手が強く言えた時期から売り手が何言われても弱い時期に入ったんです。

バブル期(80年代後半)を過ごした方は
特にサービスもインフレで供給過剰になりサービスの価値が低下しました。消費者もサービスを受けることに慣れすぎて、完全に「お客様は神様です」という思考が定着してしまいました。この年代も今は親になっていますから。

95年には法整備され製造者の責任が規定され、損害賠償請求しやすくなりの消費者意識も変わってきたんですね。

最近はさらに人口減で市場が狭くなり、パイの取り合い(シェア争いなど過当競争)。情報・サービスが過剰になってきています。情報化社会故、情報の比較がしやすくなりました。
「携帯無料」「基本料金半額」「~~割」「モデム無料」「配達料金無料」「○○をサービス」「○○半額」
占有率争いの為に、(サービスの対価は発生して当然なのに)サービスの価値が無料が増えてきています。
現代人は売り手がどんどんサービスすることに慣れてしまってますから
買い手の知恵として何かを言えば通る部分もあるんです。
顧客獲得に関してもCS(顧客満足度)という観点が定着し、デメリットとしてディマンディング(要求過剰)となるお客様が増えたこと。
「お客様のニーズに応じて対応する(=無茶を聞く)」のがサービス業の美徳だと勘違いしている部分もあるんですよ。要求が満たされないとすぐに応対や接客態度が悪いとなりますね。

◆消費者の意識の流れとして
情報化社会で消費者にいらない知恵がついたし
過当競争で消費者への利便性が追求されたところに
問題があるのでしょうか?

TVで理不尽な親が報道されてるのを見ると
「あ~~あるある」と思ってしまいます。
消費者の思考の変化
これが教師にも向くんですよね。

教師もクレーム関連の本、例えば
こういう本を買わないといけなくなるのかな?と思ったり
「クレームを断る技術」
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83 …
少し前に出た「となりのクレーマー」も興味深かったですね。

◆加えて学校の先生も立場弱くなったことも大きいのではないでしょうか?少子化のせいもありますしね。
近くの数ある保育園でも(力関係が)親が強いところと、園のほうが強いところとあると聞いていますが。結局は力関係の問題かな?
比較的規則や校則の厳しい私立よりも
公立のほうがひどいと聞いていますが。
地域の公立小学校は教師が生徒に敬語で、生徒は教師を呼び捨てだそうです。子供の不始末で問題起きても親を呼び出すどころか、反対にすべて教師の管理責任に棚上げされるとか。 地域によるのかな?

ご参考までに。

モンスターペアレント - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3% …
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この回答へのお礼

長文の回答ありがとうございます。

やはり都会の方が人が多い分クレームも多かったですか。
店より客の方が立場が上だという認識の人が少なくないのでしょうね。「買ってくれてありがとう」は当然で、「売ってくれてありがとう」というのはあまり言われませんよね。バブル期に大きな原因があったのですね。
第三次産業が増えすぎたというのもあるのですね。

消費者の思考の変化ですか。難しい問題ですね。
わたしも最近、教育や情報が皆国民化することの、社会へのマイナスの作用の大きさについて考えています。
子どもが、大人に見えないところ(学校裏サイトやメール)で、同級生や教師の悪口を書き込むことが多いようですが、大人のほうも、2ちゃんねるとかで勤め先のことを悪く書いたりしてる訳ですから、子どもだけを咎められないのでしょうね・・・

生徒が教師を呼び捨てとは世も末ですね。
そろそろ学校も弁護士を置いたりと、危機管理の必要な時代になったんでしょうね。ため息が出ます・・・

お礼日時:2007/11/16 14:24

質問者様の挙げられた理由は間違いなく存在すると思います。


この他に思い付く事象として、昭和50年代に突如として急増した「校内暴力」があります。

この時期に中高生だった世代の子供たちが今中高生となっている事と無関係とは思えません。
それ以前の世代は、教師に反発こそすれ、暴力を振るうような者は極めて稀でした。

想像するに、この世代のさらに一世代上の(つまり、今の子供達のおじいちゃん世代)は第2次大戦で軍隊や戦場を経験していない昭和2ケタ生まれの人が大半となり、戦争に行った人達との人生観とか規範意識に微妙な差異があった事も影響しているように思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

校内暴力ですか。
おっしゃるように戦争に行った人達との人生観・規範意識の差異というのはあるのでしょうね。

昨今は、理性という言葉を知らない、本能のままに動物的な人が増えた気がします。
拉致・監禁といった、かつては耳慣れなかった極めて動物的な犯罪がとみに増えてきたのもその証左なのかもしれません。

お礼日時:2007/11/13 18:52

アメリカ的自由主義のせいでしょう。


自由なんてありえないのが社会です。帝国主義に対抗するために自由と名の下に戦ってきただけなのに、誰もが自由を主張する・・・。
みんながやりたいことしまくったら社会が崩壊します。
このままではアメリカみたいに弁護士とカウンセラーの数が増えていくでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

人類の歴史は自由権獲得の歴史(私的所有制社会の確立・身分からの解放・職業選択の自由・平等権・参政権など)だと思うので、歴史的経緯からすればアメリカ的な自由主義社会が全て悪いとは思いませんが、自由といっても「公共の福祉に反しない限り」、「他を害しない限り」という制約があるというのを忘れがちな人が多いのかもしれませんね。
「おかげさま」という言葉がぞんざいに扱われすぎていると思います。

弁護士とカウンセラーも、健全な受診は結構なこと(精神科・心療内科にかかるのが一般的になったのは良いことだと思います)ですが、アメリカのように過剰なものになるとその弊害も大きいでしょうね。

お礼日時:2007/11/13 13:08

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