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「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよく、満足した馬鹿であるより不満足なソクラテスであるほうがよい」とはどういう意味なのでしょうか?
哲学よく分らないので、噛み砕いて教えて頂けるとありがたいです。

A 回答 (5件)

「感受能力の低いものは、それを十分満足させる機会にもっとも恵まれているが、豊かな天分をもつ者は、いつも、自分の求めうる幸福が、この世では不完全なものでしかないと感じるであろうことはいうまでもない。

しかしこうゆう人も、不完全さが忍べるものであるかぎり、忍ぶことを習得できる。そして不完全だからといって、不完全さをまるで意識しない人間を羨んだりしないだろう。」
『功利主義論』(世界の名著38) J.S.ミル 伊原吉之助訳 中央公論社

豚は雨風がしのげ満腹であれば満足し幸せであると考えられます。しかし人間は、そのひとが愛、理想、正義、平等、自己の品格等々一定の状態にあるべきであるという思いが叶えられないという現実によって不満足であり、容易に幸せになることは出来ないのではないでしょうか。

人間においても、食事、セックス、睡眠で容易に満足できる人もあり、自分が何者であるのか判るまで満足できない人もあると思われます。

ミルは、不満足な状態が続いたとしても、後者の幸福追求のほうがすばらしいと考えそれを表明したものと思われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

生理的な欲求を満たすだけではなくて、もっと高い次元の理想を実現していけ、みたいな感じでしょうか。

お礼日時:2007/11/16 22:09

僕なりに解釈してみますね。



満足していると勘違いしているより、不満足である現実の状態に気づいて問題を明らかにすることにより、そこに改善という光が見える。

そのような意味にとりました。

参考URL:http://www.j-theravada.net/
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

現状に満足するな、ということでしょうか。

自分も何か高い志を持たないといけないですねぇ・・・。

お礼日時:2007/11/16 22:11

[満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよく、満足した馬鹿であるより不満足なソクラテスであるほうがよい]


まあイギリス人らしい表現ですね。
同じく考える生き物としては動物より人間がいいのはあたりまえであろう。人間としてはこの世がすべてだと考えて満足する者よりあの世も含めた世界で考えるソクラテスのようにありたいものだ。ということですね。ジョン・スチュアート・ミルのこの言葉を実践した日本人は内村鑑三先生でしょうね。聖書のイエスやエレミヤもそのようでしたね。むずかしいものですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

死後の世界のことも考える・・・なんかキリスト教みたいですね。

自分はこの世のことで精いっぱいです・・・。

お礼日時:2007/11/16 22:06

深い意味はわかりませんが、知的であることの良さを言っているものと推測します。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

他の回答者さんの回答を見ても、そのような意味のようですね。

知的であること・・・自分には無理かもです・・・。

お礼日時:2007/11/16 22:05

この言葉を言った人はなんらかの「満足」を感じることがフィクション(虚構)であり、その「満足」することを疑うことが人間の本質であるとでも言いたいのでしょう。



「自分が他の知者とは違い知らないことを知っている」無知の知に神によって気がつかされたソクラテス。多くの知識人に叩かれながらも、ソクラテスは自分の考える正しくない事に甘んじず、"不満足であったかどうか分かりませんが"、裁判で訴えられて逃げられるのにも関わらず、法律を守り自ら毒盃をあおって死刑を受け入れた。

自分が信じることならば、死をも厭わない姿勢が、豚ではなく人間的な品格であるということなのでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。なんとなく分かりました!

「自分が信じることならば、死をも厭わない姿勢」に尊敬の念を抱きました。

お礼日時:2007/11/16 22:02

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