No.7ベストアンサー
- 回答日時:
1:東アジア海洋世界の伸張・縮小
16世紀が東アジア海洋世界の伸張の時代で、17世紀が東アジア海洋世界の縮小の時代でした。言い方をかえると、陸上の政権が確固たるものになったのが17世紀。陸地を中心とする権力が弱まると、東アジアの海洋世界が活発化するのが、この世界の基本構造です。
ペリーが来なくても、西南諸藩の財政改革のために、幕府権力がゆるめば、島津家に続いて、密貿易という「東アジア海洋世界」の再活発化が生まれたいたと推測されます。
2:イスラム世界の東進
1380年にフィリピン南部にイスラムが到達。
1571年にスペインがマニラを建設。
後背地としての欧州本土が無くなった段階で、イスラムが東進、北進するでしょう。
3:幕藩体制の破綻
天保の改革が失敗したのは、江戸・大坂近郊の幕府直轄領化の失敗に寄ります。つまり徳川家の生き残りのため徳川家自体が封建制度を否定しようとしたが、できなく、ペリーが来るまで グダグダだったということ。
以上の三点から考えると、
東南アジアを本拠にしたイスラム政権と、中国本土の政権との抗争の中で、ふと気づくと 日本は 東アジアの交易世界に再デビューという予想です。
回答ありがとうございます。
そうなると世界がイスラムで統一されてた可能性が高いのかもしれないですね。
そのとき、日本の武士はどう対処したのか、考えると面白いですね。
No.6
- 回答日時:
鎖国が意味を失ったのは、林子平の指摘したように、純軍事的な意味において海が「城」ではなく「道」になったからです。
城を道にしたのは蒸気機関ですが、これを発明したのはニューコメン。西洋人ですね。シナで紙や火薬が発明されたり、中東で火薬を使った石砲が発明されたりはしましたが、内燃機関の発明は見られません。
もっとも、いずれ地球上の誰かが発明したであろうとは思われますから、西洋人が死滅しなくても城は道になったでしょう。そのとき、鎖国は意味を失い、江戸幕府はまったく同じプロセスで崩壊したと考えられます。そして、日本はまったく同じプロセスで、科学技術を学びに国外へ出て、明治維新を経た富国強兵を達成したでしょう。
というのは、江戸時代は、技術革新が法的に禁じられていた、ほぼ完全な循環社会でしたから、外乱さえ無ければ同じ状態でいくらでも持続し続けることが可能でしたから。
なお、民主主義も、資本主義も、キリスト教がベースとして開発される概念です。ですから、西洋人が滅んでも、キリスト教徒が生き残れば、いずれ発明されていました。
回答ありがとうございます。
西洋がなくても(2007年までの)150年の内に、西洋にならぶ発明が他でなされたということですね。
確か近代はキリスト教と三圃制にはじまったかと思いますが、似たような条件があれば他の国でもいずれは発明されていたのでしょうね。
No.5
- 回答日時:
世界は力と勢力がバランスをとりながら移動してきています。
現在西洋(白人)文化が主流勢力のように見えますが、太古は中国の元が世界的に注目(テレビがないので伝聞で)されてヨーロッパから人がアジアまで来ていた時期もあったり、また白人社会が混沌としている中で、イスラム圏がトルコからアフリカ南部や地中海を経由してスペインあたりまで、影響を及ぼしていた時期も有ります。
たとえば、現在のコーヒーを炒って抽出して飲む文化は、イスラム地域から西洋に伝わったといわれます。
下記でみると、1100~1200年代がその時期です。トルコからイスラム国家がアフリカ北部でつながり、スペインを侵食しているのがわかると思います。
http://www.euratlas.com/time2.htm
なので、西洋人が死滅していても、他部民族や文化圏がアジアに来ていたと思います。もしかしたら西洋に侵されなかった清朝の中国が日本に来ていた、かも?
回答ありがとうございます。
アルハンブラ宮殿・グラナダ陥落とか世界史で習いましたねー
遠い日の記憶ですが、わたしの頃は未履修はなかったので、カタカナの人名を覚えるのに苦労した記憶が蘇りました。
どうしても、ギリシア・ローマ・アングロサクロンと白人の活躍が華々しいので注目してしまいますが、確かにモンゴルや中国、ムスリム、トルコの存在も大きいですよね。
西洋なかりせば眠れる獅子が日本に来てたかもしれないですね。
No.4
- 回答日時:
「鎖国中」だともう遅いですよね。
安土桃山時代に既に欧州は海外への進出を始めていますからね。
豊田有恒の『モンゴルの残光』という小説をご存じですか?
蒙古が日本を含む世界征服に成功した後の未来の世界が舞台です。
回答ありがとうございます。
>蒙古が日本を含む世界征服に成功した後の未来の世界が舞台です。
面白そうな小説ですね。
西洋があろうとなかろうと、遅かれ早かれ外国に巻き込まれるということですね。
No.3
- 回答日時:
つまり西洋人がいくなったら、ってことですよね?
19世紀の世界史からヨーロッパ人がいなくなったら次に強い勢力はオスマン・トルコか大清帝国でしょうね。西洋人がいなくなったらその空いた土地にトルコが進出するでしょうからオスマントルコはものすごい強大な帝国になりそうです。そうなったらトルコと清が戦争するんでしょうねえ、たぶん。日本にはヨーロッパ人が来なかったら清が攻めてきそうですね。清も元と同じ異民族ですからなんとなくありえそうです。その時日本はどうするんでしょうか?ヨーロッパの模倣なくして清とその子分の朝鮮には勝てるはずはないですよね。もしかしたら神風がふくかもしれませんが。まあ、たぶん江戸時代の官僚たちは漢籍にあかるいひとが多かったので清に朝貢することに抵抗がうすいと思うんで、属国になってそんなに大きな戦争にはならないと思うんですが。そのあとは清の官僚機構は当時は西洋が入ってこなくても腐ってましたから内乱がおこると思うんです。で、また新しい漢民族の帝国ができる、と。一方トルコのほうも分裂を繰り返すと思うんですよ。だからまあ、何百年かは封建時代が続くんじゃないかな~と思いますね。
ながながと失礼しました。なんか歴史のifを考えるのっておもしろいですねえ。
回答ありがとうございます。
ifを考えると面白いですね。
何百年かは封建時代が続きますかー。
わたしやANo.3さんもちょんまげ結ってたかもしれないですね。
トルコVS清・・・第0次世界大戦ですね。ものすごい武力衝突になりそうです。
No.2
- 回答日時:
西洋人が死滅していたら、
日本が西洋に乗り込んで領土獲得に乗り出していたのではないでしょうか。
そこで、中国と領土争いになっていたかもしれません。
また、死滅しなくても、ペリーが日本にこなかった場合、
江戸幕府は所詮力を失い、再び戦国時代になっていた可能性があります。この中から抜け出した薩摩か長州が幕府を開いたのではないでしょうか。
民主主義も資本主義も大きく遠のきました。
回答ありがとうございます。
逆に日本が西洋に乗り込みますか。
薩摩は密貿易で、長州も幕末には大金持ちだったらしいので、そういう目もありそうですね。
2007年でも戦国時代だったら嫌ですね。
No.1
- 回答日時:
おそかれ早かれ世界史の流れ上、帝国主義に飲み込まれて外国人は現れたでしょう。
もしペリーがやってこなかったのなら、別の人物がやってきていたでしょう。下手をすれば清と同じような状況下におかれ、へたすれば植民地政策の一環に組み込まれていったかもしれません。地球上に日本しかないのなら話は別ですが、世界の中の日本である以上、鎖国をしていようがいまいが世界の流れには抗えない部分があるとおもいます。それに制度とか文化っていうのはどこの国でもそうですが、その国独自で開発されるなんてことはまずありえないですよね。少なからず他国や他民族の影響を受けるわけですから。。。だから、日本人が発明したとかしないとか、そういうことはあまり意味をなさない気もします。
回答ありがとうございます。
2007年になるまでに、西洋以外の帝国主義がやって来たということですね。
トルコあたりが有力候補でしょうか。
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