プロが教えるわが家の防犯対策術!

義理の父が亡くなるまで、仏壇のない家でした。
結婚式は教会、お正月は神社に初詣、お寺に行くのはお彼岸だけ、という家でした。

しかし、義理の父が亡くなってから、仏事に明け暮れるようになりました。
お墓を新しく購入しましたので、今までは何の縁もゆかりもないお寺ですし、宗派です。
大事な人を亡くした義理の母の心のうちを考えれば、当然のこととも思えますが、毎日お線香をあげる生活に、違和感を感じます。

正直な話、私は仏壇が苦手です。
菊の花も苦手です。
仏様にお供え物を上げるときの、あの小さい食器も苦手です。
お線香の匂いも、苦手です。
お寺も、苦手です。
お経を上げてもらうと、ありがたい気もしますが、基本的には苦手です。
当の義理の母も、仏壇の前に座っていると気がめいる、と言って、リビングに義理の父の写真を飾って、そちらにもお茶をあげています。

大切な人の死を受け入れ、乗り越えていく為には、宗教や、色々な行事が必要なのはわかるのですが、今まで宗教と無縁だったせいか、どうしても違和感を感じずにはいられません。

リビングや、食卓に、亡くなった大事な人の写真を飾り、好きなお花を飾り、好きだった食べ物をあげるのでは、やはり亡くなった人は浮かばれないのでしょうか?
宗教的な意味合いではなく、節目節目で、親しい人やゆかりのある方で、故人を偲ぶお食事会を開いたりするのではダメなのでしょうか?

義理の仲だからそんな事が言えるのだ、と言われそうで、身近な人には私の本心は言えません。

私のようなにわか仏教徒の方、また、小さい頃から仏事に慣れ親しんでいる方、仏教以外の宗教を信仰していらっしゃる方、いろいろな方からご意見うかがいたいと思っています。
よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

根っからの仏教徒だからクリスマスができるし教会で式あげれるし神社にも行けるんですよ



それぞれの宗教にどっぷりはまってたら、それらは出来ません、許されないからです、それぐらい日本の仏教は寛容なんです(^_^)v

故人を弔うのはあくまでも、生きてる人の自己満足なんです。
ま、新しい趣味が始まったと思ってください

浮かぶ浮かばれないは基本的にどの宗教でも浮かばれないと言われますからみんなお参りに行くんです。

匂いの少ない線香とかもありますから、おかーさまこんなんありましたので、お備えしたいのですがいいですか?と積極的に変えちゃいましょう。

ご飯は丼でも構いません(^_^)v

うちのじーさんは物が無い時に死んだので、それを弔う為に大飯を供えています(^_^;
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この回答へのお礼

早速のアドバイス、ありがとうございます。

>それぐらい日本の仏教は寛容なんです(^_^)v
そうですね、まったく同感です。
>新しい趣味が始まったと思ってください
なるほど、難しく考えなくても良いのですね。
>うちのじーさんは物が無い時に死んだので、それを弔う為に大飯を供えています(^_^;
きっと、おじい様は喜んでいらっしゃると思います。

ご意見、大変参考になりました。
どうも、ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/15 21:53

ある仏教系の幼稚園などは、クリスマスの行事は一切行われません。

イスラム教の友人は、レストランのコース料理で出てきても、絶対ブタを食べません。宗教の縛りとは、そういうものです。

で、日本人の多くは無宗教というか多宗教ですが、仏壇はあるという家が多いと思います。死というものにかんしては、圧倒的に仏教徒が多いものです。

で、特段それに傾倒してないなら、好きな方法で供養してもかまわないと思います。個人がそれを望んでたとか、そういった事情があるのであれば、気が済むようにすれば良いだけで。
まあ、特殊な場合や、新興宗教系(創価含む)でなければ、何はしてはいけないとか、何をしなければならないなどという押し付けをしてくる仏教系の方もいないはずですけどね。
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この回答へのお礼

アドバイス、ありがとうございます。

>何はしてはいけないとか、何をしなければならないなどという押し付けをしてくる仏教系の方もいないはずですけどね。
そうです。その通りです。
でも、義理の母がそれでは気がすまないのでしょう。
義理の父を弔う為に、最良の方法を、母なりに実践しているのだと思います。
>死というものにかんしては、圧倒的に仏教徒が多いものです
亡くなった方を弔う為の手段になっていることが、私の違和感の原因だと思います。
しかし、日本の慣習として受け入れることが、摩擦を生まない唯一の方法かもしれませんね。

ご意見、大変参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/15 23:00

>宗教的な意味合いではなく、節目節目で、親しい人やゆかりのある方で、故人を偲ぶお食事会を開いたりするのではダメなのでしょうか?



ネット上で多くのお坊さんが言われているのですが、大切なのは故人を偲ぶ心、供養する心であって、必ずしも宗派の流儀にこだわる必要はないという見解だそうです。

節目節目に手を合わせ、今在る幸せに感謝を忘れない事が重要なのでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答、ありがとうございます。

>大切なのは故人を偲ぶ心、供養する心であって、必ずしも宗派の流儀にこだわる必要はないという見解だそうです。
そうですね。それで良いのですね。
ともかく、義理の母の思うようにさせてあげようと思います。

ご意見、大変参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/15 22:51

<<リビングや、食卓に、亡くなった大事な人の写真を飾り、好きなお花を飾り、好きだった食べ物をあげるのでは、やはり亡くなった人は浮かばれないのでしょうか?


宗教的な意味合いではなく、節目節目で、親しい人やゆかりのある方で、故人を偲ぶお食事会を開いたりするのではダメなのでしょうか?>>

いいと思いますよ。大乗仏教はいろいろルールがあるみたいですが、もともとの仏教は生きるための・人格向上のための説明書のようなものですから。あまりこだわらくてもいい気もします。

それより、仏教の生き方である八正道を歩むことで立派な人格を目指すほうがよっぽど供養になると思います。自分の積んだ徳を回向するという習慣もありますから一家で取り入れてみてはいかがでしょう。

いやな気持ちで手を合わせられても、亡くなった方も迷惑でしょうから、明るく楽しく暖かい気持ちでいられる方法を考えるのも有意義なことだと思いますよ。

慈悲の瞑想なんていうのもオススメです。

参考URL:http://www.j-theravada.net/3-jihi.html
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この回答へのお礼

早速のご回答、ありがとうございます。

>もともとの仏教は生きるための・人格向上のための説明書のようなものですから
私は、高校の倫理の授業でかじっただけですが、より良く生きるために宗教があると理解しています。
それが、人を弔う為の手段として、仏教として接していることに、一番違和感を感じているのだと思います。
>仏教の生き方である八正道を歩むことで立派な人格を目指すほうがよっぽど供養になると思います。
仰るとおりだと思います。
ご紹介してくださったサイトも、ゆっくり読んでみたいと思います。

ご意見、大変参考になりました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/11/15 22:47

わかります。


私もずーっと宗教なんて意識せずに生きてきて、親の死で初めて色々な儀式を経験しました。親戚の中には、祖父の死で急に信心深い行動を取るようになった人もいますし、身近な人の死を通じて宗教心が芽生えたり、そういうことはあるかなと思ったのですが

・・・

全く芽生えませんでしたね(^^;
お墓にいっても親の存在を感じたことはありません。
仏壇に手を合わせても、特別なものは感じません。
仏壇とは別に遺影だけが額に飾ってあるのですが、そちらの方がまだ親の存在を感じられて好きですね。
ただ、形式的とはいえ仏教の家で育ったからか、「手を合わせる」動作自体は自然と受け入れています。

これはもう人それぞれではないでしょうか。
No.2の方がいわゆる「世間の常識」的な意見かと思いますが、私自身は特に不要と思います。
「思い出してくれる」ツールとしてお墓や仏壇を使ってくれる分には何ら嫌悪感はありませんが、質問者様はどちらかというとお墓や仏壇が苦手なわけですから、それも(嫌とまで言わないにしても)あまり・・・という感じなのかもしれませんね。ただ、拝んでくれる方のお気持ちをありがたく頂くだけ、と考えてしまうのでしょうね。
それはそれでかまわないと思いますよ。

とはいえ、あまりそういうことを前面に出すと摩擦の元ですので、一応儀式には参加して素直に手を合わせてます。
もし苦手なのであれば、別の宗教を調べてみてもいいかもしれませんね。
「クリスチャンです」と言われれば、無理に焼香させられることもないでしょう。私の場合、十字架にも特別な思いは持てませんでしたが(^^;
あ、あとカルト宗教には注意が必要ですけどね。
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この回答へのお礼

早速のアドバイスありがとうございます。

>仏壇とは別に遺影だけが額に飾ってあるのですが、そちらの方がまだ親の存在を感じられて好きですね。
私もそうなのです。
>とはいえ、あまりそういうことを前面に出すと摩擦の元ですので、一応儀式には参加して素直に手を合わせてます。
そうなのです。摩擦の元なので、私も素直に仏事に参加し、手を合わせています。
苦手だなんて、言える雰囲気ではありませんから・・・
同じように感じていらっしゃる方がいらして、安心しました。

ご意見、大変参考になりました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/11/15 22:39

私は仏教のある宗派のいわば熱心な信者です。


私が教わったのは、むかし釈迦は法事などをせよとはいわなっかた、
ということです。
今の仏教の宗教行事は(葬儀を含め)
お寺さんの集金の為のものだと思います。
本来故人をしのぶ人が、成仏を祈ってお題目を上げる
こと(私は仏教徒なので・・)が大事だと思います。
気持ちが大事だと思います。
お母さんのお気持ちが納得されるのであれば
リビングの写真に向かってもいいのではないでしょうか。
本来仏教とは哲学で、日々の生活の為なのですが、
なんとなく霊的なものとあいまって、
ある種不気味なもののようになってしまったのが残念です。
法事についてはお母さんにお気持ちもあるので、
話合われて、納得されるやり方であれば
いいんじゃないかと思いますよ。
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この回答へのお礼

早速のアドバイス、ありがとうございます。

>本来仏教とは哲学で、日々の生活の為なのですが、
なんとなく霊的なものとあいまって、
ある種不気味なもののようになってしまったのが残念です。
私は、高校の倫理の時間でかじっただけですが、仏教もそのほかの宗教も、より良く生きていく為の物なのに、人が亡くなったとき初めて身近になると言うのは、残念なことだと思います。
私が一番違和感を覚えるのは、生きる為の哲学であるべきなのに、亡くなった人を弔う為の仏教になってしまっているからだと思うのです。
>法事についてはお母さんにお気持ちもあるので、
話合われて、納得されるやり方であれば
いいんじゃないかと思いますよ。
実は近々3回忌を、お世話になった方々や親戚をよんで行うことになっています。
来てくださる方々が、義理の父を偲んでくだされば良いと思っています。

ご意見、大変参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/15 22:19

父は無宗教だったのが突然母がガンだとわかると助けて欲しいばかりに私達が信仰している(神道)のところに入ってきました、母も。

母は途中から神道から仏教にかわり(本当は神道1本でして欲しかったのです。助けて欲しい時は神道でもう危ないなーと思ったらまた仏教で。。。なんて。。。そして母の葬儀を仏教でやりました。
亡くなった一年は父は仏壇にも手をそえてきましたが、今は仏壇の前に写真が飾ってあるだけ。一応墓もつくりましたが老いぼれてしまったので作っただけです。
私は神道なので私の部屋に写真だけが飾ってあり、実家に行っても仏壇の前には行くが、開かずです。私は小さい時から仏壇が嫌いなんです。でもお寺の仏像は違和感ないんですけど、仏壇を見ていると自分もあの世に吸い込まれそうで怖いのです。(仏壇の前で寝ることができないのです、いくつになっても)線香は好きなのに。
 
要はどんな形であれいいとおもうのです。自分達の心にあるわけですから。だから親戚呼ぶのも1周忌だけにしようと考えています。3回忌、7回忌呼ぶのは大変ですもの。お互いお金を出してお返ししてなんて煩わしいだけですね。親戚でも義理が殆どです。ましてや代が変わっているとね。
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この回答へのお礼

早速のアドバイス、ありがとうございます。

ご家族内で、宗教が異なっていらっしゃるのですね。
お父様も、お母様も、わらをも掴む思いでいらしたのですね。
お辛かったと思います。
>お寺の仏像は違和感ないんですけど、仏壇を見ていると自分もあの世に吸い込まれそうで怖いのです。
私もそうなのです。
>要はどんな形であれいいとおもうのです。自分達の心にあるわけですから。
そうですね。私もそう思っているのです。同じように考えている方がいらっしゃって、安心しました。

ご意見、参考にさせていただきます。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/11/15 21:36

もし亡くなったのが義理の父ではなくあなた自身だったら、ここに長々と書いた『苦手な事』をして欲しく無いですか?



墓もいらないですか?

この回答への補足

私は、もし出来るのなら、(テレビで見たのですが)ダイヤモンドに加工してもらって、子供に(当人が望んでくれれば)持っていてもらいたいです。
または、庭木の根元に埋めてもらうか、植木鉢に混ぜてもらって、何かの種でもまいてもらいたいです。
世話してくれる人がいるうちは、水を時々撒いてもらえればいいです。
世話してくれる人がいなくなれば、そのままで十分です。
お墓は要らないです。

私のことを覚えていていてくれる人がいるうちは、アルバムなどを見たとき、「あの時は楽しかったね。」と、思い出してくれればうれしいです。

補足日時:2007/11/15 18:41
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この回答へのお礼

ご意見、ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/15 23:01

特定の宗教を信仰する人間であれば、その宗派が正しいとしていること以外では駄目だという回答になると思います。


宗教に興味のない人なら、それで十分だと言うでしょう。
無神論者なら、そんなことをしても、魂なんて存在しないんだから無駄だ、葬儀と同じで気が済むようにやるのが生きている人間のためだと言うかと思います。
そういうものです。
ちなみに、死んだ人はもう極楽にいるんだから、こっちから祈る必要はないですよ、というパターンもあります。
その人の考え方によって、たくさんのパターンがありますし、お好みのものを選んだらいいのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

早速のアドバイス、ありがとうございます。

>生きている人間のためだと言うかと思います。
そうですね、生きている人間がそうしたいのならしょうがないですね。
>お好みのものを選んだらいいのではないでしょうか?
家族単位で選ぶ物だと思うので、私個人では選べないのです。

ご意見、参考にさせていただきます。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/11/15 21:28

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