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会社のイラン人がトルコ人を見下す発言をやたらとします。
私は最近までドイツに半年滞在していたのですが、それを知ったイラン人は「(ドイツにはトルコ人が多いそうだな・・)トルコ人からどんな嫌な目にあったんだ?」などの質問をしてきます。
実際のところトルコ人は良い人たちが多く、楽しい思い出ばかりです。

ここでお聞きします。
イラン人とトルコ人は過去に何かあったのでしょうか?

A 回答 (7件)

現在、世界のアヘン生産の87%はアフガンで行われています。


そして、その最大消費国はヨーロッパやアメリカですが、密輸ルートと
して大きいのはアフガン-イラン-トルコ-欧州というルートです。
http://www.news.janjan.jp/world/0605/0605144390/ …

10年ほど前にトルコに旅行に行った際に、現地の女性に知人を通じて
私たちのガイドを頼みました。
彼女と一緒にイスタンブールのアヤソフィア寺院を訪れた際
笑いながら歩くイラン人の2人組を見た彼女が、
「イラン人は、早くこの国を出て行ってほしい」と小声ながらも
激しい口調で言った事を忘れることはできません。

昔から、トルコは中東(イラン・イラク等)と西欧を結ぶ架け橋でした
交易品で有名なのが香辛料ですが、当然麻薬もトルコを通じて運ばれ
ました。
現在、トルコはEU加盟を希望していますが、イギリスなどは反対して
います。
大きな理由は、宗教面と並んで犯罪や麻薬がEU内に持ち込まれる事も
含まれます。

欧州に追いつきたいという強い目標を持つトルコは、自国が麻薬の主要
ルートだとよく知っています。
しかし、欧州と中東の交易で栄えてきたトルコにとって、それを
排除するのはたやすい事ではありません。
それを排除するのは、日本からヤクザを無くすぐらい難しい事です。
麻薬ルート等の闇経済は、トルコ経済を支える要素でもあるのです。

先の女性は、風貌は白人系で(少数派の)キリスト教徒でした。
彼女にとって、トルコが欧州に近づくのは悲願でしょう。
それを阻害する麻薬、そしてそれをトルコに持ち込むイラン人。
そのイラン人を彼女が毛嫌いする本当の理由は、
オスマン・トルコとかサファビー朝とかいった大昔の歴史よりも、
現在のトルコ人の理想と現実との葛藤にあるのです。

イスラムの国で中東に位置しながらも「脱中東・親欧州」を
目指し西欧にすり寄る。そのくせ、麻薬ルートになっていることから
脱却できないトルコ人。
そして、諸悪の根源を自分たちに押し付ける身勝手な彼らに
イラン人がかなり侮蔑的な感情を持つのも理解できます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
現在も問題を抱えているのですね。

お礼日時:2007/11/21 15:24

トルコ人とイラン人の関係があまり良くないのは事実です。


この場合のトルコ人とは、現在のトルコ共和国人を指し、トルコ系民族を指すのではありません。
トルコ系民族のアゼルバイジャン人とイランとの関係は、特に問題はありません。
またイランと中央ウジア諸国のトルコ民族系国家(トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス)などとの関係も良好です。
これらの国々は、アゼルバイジャンがシーア派ですが、他の国々はスンニ派ですから、トルコとイランの関係を宗派の違いによるとも言えません。

イランとトルコが敵対するのは、オスマン=トルコとサファビー朝の対立が原因です。
オスマン=トルコとサファビー朝は、16世紀~18世紀に中東で覇権を争っていました。
サファビー朝は、トルコと敵対を強化するために、シーア派の12イマーム派を現在のレバノンから迎え入れ、国教とします。
これ以降、イランではシーア派国家となります。
つまり、イランとトルコの仲の悪さは、スンニ派とシーア派の敵対によるものではなく、仲が悪かったために、敵対心を強めるためにイラン(サファビー朝)がシーア派国家となったのです。

ただし、イランとトルコは、全面的に敵対しているわけではありません。
最近の事例では、クルド問題に関しては、共同歩調をとっています。
イランとトルコの関係は、18世紀のイギリスとフランスの関係、19世紀のフランスとドイツのような関係だと思ってください。
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この回答へのお礼

なるほどシーア派とスンニ派・・
複雑そうですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/21 15:25

 イラン高原を支配したトルコ系大帝国には、セルジュク=トルコやチムール帝国が上げられます。

この間、イラン人はトルコ人の支配下にあったわけですし、イラン人が建てた大帝国の下にトルコ人が支配されたことも何度かあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9% …
 テュルク族と言うのは、トルコ系のことです。

 オスマン=トルコが成立してからは、イラン(ペルシャ)とトルコは、中東の二大強国として、何度も戦火を交えています。(オスマン=トルコがイラン高原を支配することはなかったですが。No.3の方のオスマン=トルコと言う記述は、セルジュク=トルコと錯覚されたのではないかと思います。)
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 宗教的にもイランは厳格なシーア派、トルコはもっとも世俗的なスンニ派、イラン人からしたらムスリムの風上にも置けないやつとなるでしょう。

昔カソリックとプロテスタントが合い争った以上に、イスラム教徒同士というのは教義の違いによる仲が悪いのです。
 テレビで外国人受刑者を、イスラム教徒同士同じ牢に入れたら、協議の違いから喧嘩を始めたなんていう話しもあるようです。
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トルコはローマに匹敵する世界帝国のオスマントルコの中核をなした民族で征服民族です。

これに対してイランはペルシャ人で、古来大帝国を築いて繁栄した民族で非常に誇り高い人達です。それがオスマントルコに征服されて数百年、トルコに頭の上がらない時代が続きました。だからいい感情を持つわけがないのです。これは日本人と朝鮮人との関係に似ていますね。朝鮮の人達は自分達はいろいろな文化を日本に教えた筈なのに、その教えた相手に征服されたことが大変自尊心を傷つけているのです。同じですよね。
 でも朝鮮の人達は付き合って見るといい人ばかり、朝鮮の人達も個人の関係では日本人はいい人ばかりと思っている筈です。それが国と国の付き合いになると違って来るのです。
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んー・・・たぶん、トルコと、イランの関係というよりも、その人限定の問題のような気もします。


たとえば、昔トルコ系の人にいやなことをされたとか・・・
もしくは、思想信条の問題で、その人がアフマディネジャド大統領のように「イスラム原理主義」に近い考えを持っている場合、トルコの姿勢(1924年に現体制に以降して以来、常に西欧化を目指し、またNATOの一員でもあり、EU加盟がいまのところ政治目標。経済的にも政治的にも、隣のイランなどより、むしろ東欧、西欧に近しい)は軟弱、親キリスト教的と見えるのかもしれません(まあ、となるとなぜ日本にいるのか、という話になりますけど。宗教色が薄いので関係ないということもあるかもしれませんし・・)。

なお、トルコの人種というのは、もともと遊牧民族でして、No1の方が言っているとおり、別の地域(中央アジア、モンゴル高原)から、西アジアのほうへ移ってきた民族ですね。今では、トルコ=トルコ共和国のある小アジアのみを指しますが、本来は中央アジア一帯に広く居座っている民族で、中国史にでてくる鉄勒といった民族も、トルコ系といわれます。こういった意味合いで使われる場合はテュルクと呼ばれることが多いですね。
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中東は


イラン人 トルコ人 アラブ人
この三者が主要民族で、ある意味三すくみ状態。

何があった?
何でもありましたよ。
日本人と韓国人に何かあったという量の 100倍はあります。

なんせ、元々 イラン系の民族がいた地域を トルコ系が東から西へ横断しています。
現在のモンゴルあたりにいたトルコ人が、じわじわじわじわと西に移動して、もっとも西に行ったグループが現在のトルコ共和国にいます。ちょっとだけ西に移動したグループが現在の中国西部 東トルキスタン地方におります。
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