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幕末の攘夷思想はどこからきたのでしょうか?

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  • 質問者:yoshinobu_09
  • 投稿日時:2007/11/22 12:36
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16世紀の南蛮貿易が盛んに行われていた時代には過激な攘夷思想はなかったと思われます。
しかし、幕末に黒船がやってくると日本中が攘夷に湧きかえります。
当時江戸にいた青年坂本竜馬も父へ「黒船に斬りかかって、追い払えないのは残念だ」というような趣旨の手紙を出しています。
思想的にまだ無垢であった青年竜馬はどうしてそのように思ったのでしょうか?
日本は神州で、異国人は野蛮だという一種の神道思想が一般に信じられていたのでしょうか?
あるいは仏教でしょうか。
それとも、黒船が武装していたから脅しととらえ、反発しただけなのでしょうか?
黒船が武装せず、友好的にやってきただけなら、攘夷思想は起こらなかったのでしょうか。

よろしくお願いします。

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このQ&Aは役に立ちましたか?(役に立った:2件)
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  • 回答者:gichou
  • 回答日時:2007/11/27 21:13

随分と乱雑な言い方ですが、用は

自分の家は、あまり、近所付き合いはない。だから、家族全員が近所について、詳しいわけではない。
ある日、見ず知らずの人間(黒船)がこういう、「俺たちと交流しろ!さもなくば、ぶっとばす!」と
家長である父(幕府)は、やむなく、これを受け入れます。しかし、血気盛んな兄弟たち(過激派)は口をそろえてこういいます「なんであんなヤツラの言うことを聞くんだ!俺たちが倒してやる!幕府はなんで弱腰なんだ!」
(これが多数派・ランクの低い武士たちの意見)

いや・・・待て。いくら、相手が無礼とはいえ、あいつら、拳銃をもってるっぽいぞ?他の攘夷派はそれを知って言っているのか?(言ってない。)ならば、殴りかかったって無駄だし、逆にぼこぼこにされて奴隷扱い(植民地に)されるぞ?だから、今回はだまって彼らと交流(開国)しよう。そして、もういまの父親(幕府)の考え方じゃ、いずれ、奴隷扱い(植民地に)されるだろう・・・・
今の内に父親を倒さなければ!
(これが幕末の志士・政治的に地位の高い武士の意見)

坂本竜馬は、若い頃は前者でした。しかし、勝海舟に出会って、世界情勢について、教え込まれたりして、後者の意見を持つようになりました。

ぶっちゃけ、幕末の志士たちは、下級武士の「幕府を倒せ!」の世論を利用して、倒幕した、というのが正しいようです。現に、維新後、開国してゆく姿に、失望していく武士もいました。そういった不満が明治十年の西南戦争につながったようです。

ちなみに、上のお芝居では母親が朝廷、とことにしてます。紆余曲折ありますが、母親の許可を取って、父親(幕府)を倒すってことになりますねw

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No.4ベストアンサー10pt

  • 回答者:busido2006
  • 回答日時:2007/11/25 17:14

黒船来航と攘夷思想の誕生とは基本的に隔てて考えた方がよいでしょう。
他の方のご意見にもあるように、攘夷思想の元となった思想は水戸藩から始まった「水戸学」です。この学問は、水戸黄門こと水戸光國の発案で、日本史を観念的に見直して編纂するという水戸藩を挙げての一大プロジェクトでした。当然、ここには当時のエリート階層の主学派であった、朱子学や国学が大きく影響しています。
水戸学は他藩にも反響を与え、ここから生まれた「尊王攘夷」という思想は、幕末を呼び起こす政治スローガンとなりました。(近年に例えるなら、安保闘争時代に学生たちが叫んでいた「社会主義的イデオロギー」に似ているかもしれません)
この政治スローガンは当時の武士や一定の教養のある庶民でも普通に持っている思想でした。興味深いのは、倒幕派の薩長土も佐幕派の会津藩や新選組も尊皇攘夷を叫んでいました。
身分が低かったり、教養のない武士でも「攘夷、攘夷」と叫んでいれば、何となく回りからエリートチックに見られる、といったような誤解もあり、自称、勤皇の志士が横行した時代でもありました。

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No.3ベストアンサー20pt

  • 回答者:komes
  • 回答日時:2007/11/22 18:24

江戸時代の平和な社会になれていた事、当時些かでも学問をかじった人達は中華思想、朱子学、神道の影響で日本を「神の国」と信じていました。
さらに表向き鎖国政策で海外の事情に疎く、多少とも海外の事情のわかる人は少数派でした。
また当時の孝明帝は新規な事を決定的に嫌っていました。

これらの事情から攘夷は単独ではなく尊皇思想とセットになつていたのです。  天皇の意志が攘夷であり、尊皇をこころざせば攘夷は当たり前という思想が生まれていたのです。

しかしそのような思いこみは外国の武力の威力をみては簡単に消し飛んでしまい、攘夷派は熱心な開国派に変身したのです。

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  • 回答者:oresama72
  • 回答日時:2007/11/22 13:55

あの時代はちょうど日本文化や思想は素晴らしいとする国学やNo1の方が言われる朱子学を重んじ天皇によって統治された日本こそが正統な国家だとする水戸学等が流行していたみたいです。ですので竜馬に限らずあの時代の特に下級武士の間には日本は神州であるという考えはかなり広まっていたのではないかとおもいます。
攘夷思想というのはそういった考えを利用した革命指導者のすり替えではないかと思います(日本は神州→異国は野蛮で追い出せ→追い出せない幕府を倒せ)。仮に外国が友好的であれば攘夷思想もあれほどのエネルギーは持ちえず結果明治維新もおこらず、徳川幕府が開国の道を進んだ可能性もあるのではないかと考えます。

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  • 回答者:phantom1
  • 回答日時:2007/11/22 13:19

攘夷思想の大本は、中国南宋時代に成立した朱子学です。
朱子学は主従関係を重視する社会思想を含む為、江戸時代初期に林羅山によって武家政治の理念として取り入れられたのですが、皮肉なことに幕府の権威が低下するにつれ、天皇を担ぐ理論体系として認識されるに至るのです。朱子学には、中華思想のアイデンティティを護る意味合いもあり、華夷の別(文明人と野蛮人の区別)が強調されていましたので、異人は国土を汚す怪しからん蛮族として見られたのでしょう。

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