明治維新で廃業
明治時代に、四民平等で職業としての侍は廃業となりましたが、政府の役人になったのは薩長はともかく他は中下級の吏僚・俊英が多かったんじゃないかと思います。
諸藩の上流武士はどういった職業をなりわいとしたのでしょうか。
上流でも役人になる者が多いのでしょうか。
回答(3件)
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1876年に、金禄公債という一時金が支払われますが、それで生活できる人はまれで、多くの人が、それを元手に商売を始めますが、大半は失敗に終ります。
「士族商法」という流行語も生み出されたそうなので、根っからの商売人のようにはいかなかったんでしょうね。
だからこそ、「佐賀の乱」「神風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」というようなのが立て続けに起こったのでは?
(もちろん、乱の原因はそれだけではなく、もっと複雑ですが・・・)
乱に参加する・・・という事は、新政府軍の軍人ではなかったわけですから、それだけ多くの人が食いっぱぐれていたのではないでしょうか?
この回答へのお礼
回答ありがとうございます。
やはり大半は失敗に終わったんですね。
上流武士だと、傘張り内職という訳にもいかないでしょうし・・・
地方だと、城下町の武家屋敷に、今も子孫が住んでいるケースもわりとあるようですから、中には家屋敷を維持できた上流武士も結構あったんでしょうか。
No.2ベストアンサー20pt
全般的なことは余り詳しくないのですが
明治以降に活躍して名を残すのは中下級の士分の武士です。主に官吏もしくは軍人です。薩長出身だとかなり優遇されたようです。また維新史などに名を残している薩摩出身の多くは下級武士の出身です。
上流武士は主に二つに分かれ、主に爵位を得るような方(元藩主やそれに近い身分)は貴族院などで議員をしたり、地元に土地を持っていたりするので不動産関係で生業をたてていたのだと思います。実際、私の地元・鹿児島の有名なお殿様の家系は、今も地元の名士で商売をされています。
爵位を持てなかった方で上流に位置するような方は没落傾向にあるようです。2~3知ってる例では、呉服問屋のような商売を始め失敗するような例です。結局、この方たちは手に職を持たず尚且つプライドも高いので、見栄えのする職を選んだので失敗していくのだと思います。逆に事業に成功されるパターンもあるようですので、こちらも一概には言えないようです。
屯田兵になるパターンや、不平士族となって反乱を企てるパターンなど士分全般に色んなパターンが存在するので、一概に分類はできなような気もします。
この回答へのお礼
回答ありがとうございます。
叙爵された殿様や家老は安泰だったんでしょうね。
やはり華族になれなかった上流武士は没落士族が多かったんでしょうか。
No.1ベストアンサー10pt
没落士族なんて言葉もあるくらいですけど、
全般的なことは知りませんが、うちのご近所の話を。
うちは大和郡山市といって、今では金魚甲子園で有名な
金魚生産量日本で一位二位を争う金魚の町です。
廃藩置県の時に、武士たちが食うに困らないように、
城の外堀などを埋めて、金魚池にして分け与えたそうですよ。
ここは柳沢吉保で有名な柳沢氏が入場した際に、
金魚を持ち込んで、育成を奨励した頃から盛んだったらしいですが。
ま、それはここだけの話として、諸般の上流武士はどうなったのでしょうね。
同じように土地を与えられて豪農にでもなったんでしょうかね。
もしかしたら地元の名士ということで、町長や村長さんや地域のお役人なんかになったのかな。
この回答へのお礼
回答ありがとうございます。
大和郡山の柳沢家では金魚を育てたんですね。
似たような話は、庭に夏みかんの木を植えたり、士族の妻女向けの工場を作ったりというのもあるようです。
殿様が作った会社で働いたりとかしてたんでしょうか。
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