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ドイツ・オーストリア・ロシア(特にドイツ)はなぜ王朝がさかんだったのか

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  • 質問者:garcon2000
  • 投稿日時:2007/12/04 08:37
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先進国は、何らかの民主化が早々起こってもいいはずだと思いますのに、なぜドイツは大戦まで革命がなかったのでしょうか?なにかフランスとかに比べて「いい王朝」だったのでしょうか。

この質問への回答は締め切られました。
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  • 回答者:PENPENMAKKY
  • 回答日時:2007/12/05 10:04

ドイツ帝国という国は1870年から1918年の48年しか存在しないのですが

それまでは小さな諸侯が無数にあった地域です。日本の幕藩体制の大名が独自に外交もやってるような状態と思ってください。

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この回答への補足

後日みなさまにお礼文を書きます。

この回答へのお礼

分裂国家だったということは知っていますが、なんとも後進しているなぁと不思議ですね。

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  • 回答者:kaiserster
  • 回答日時:2007/12/05 08:13

ご質問の対象が18世紀~大戦期までとした上で、答えさせていただくと
小国を除くと、先進地域が英・仏、後進地域が東欧(独・墺・露)と南欧(伊)、イベリア半島になります。そして、工業化により独・露は19世紀後半に先進国入りします。(読むのが面倒なら結論だけ読んでもらってもOKです)

すでに回答されている方と別な解釈を用いれば、先進国への入り方が英・仏が下からであったのに対し、独・露などは上からであったからともいえます。#1さんが指摘されていますが、東欧は農奴制すなわち封建的ともいえる状況でした。これは社会の中間層の不在を示しています。中間層=商人層が17世紀以来重商主義に基づいて活動した結果、巨万の富を蓄えることに成功しました。富を蓄えればそれだけ税金も取られます。そこで彼ら商人層は参政権を要求しだしました。英国は要求を呑み参政権の拡大につながります。一方、フランスは拒否し革命につながります。(本当ははもっと複雑ですが、割愛させていただきます)

一方、独・墺・露は地理的な制約上、海外貿易活動に制限がありました。これが中間層の成長を阻害する原因でもありました(また、商業を行うにも既に英国の食料(原料)供給地として出来上がっていました9。 これが社会の二極化を招きました。特権層が権力を握り軍を支配し国民はその支配の下に抑圧される。工業化の進める時に、中間層の富がない分上からの国家政策としての工業化をせざる終えない。それでも、工業化が上手くいき国民も恩恵に与れるときはまだ良いものの、歯車が狂うと革命要求が出てきます。これが第一次世界大戦時です。

イタリアはそもそもイタリア王国成立まで、統一国家ができたことはなかったし、スペインはフランスの傀儡政権が長く続いていました。

結論としては、民主化の際に大きな役割を果たす中間層(商人層)の有無が英・仏とその他との違いではないかと思われます。

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この回答へのお礼

歴史上の、先進後進というものは、時が経つにつれ、容易に変化してしまうものです。ドイツの20世紀なんて科学の巨大国家になったし。斜陽は英仏なんて日本人に思われましたし。

英仏の民衆層の勃興過程、よくわかりました。妥協しないフランスには革命なんですね。おもしろい。
海外貿易によるところの、中間層の発展具合という考察、じつに納得できますね。上からの変革というものは、時間のかかるもの難しいものだということもわかります。上を認めるか否か、微妙でしょうし。

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  • 回答者:buchi-dog
  • 回答日時:2007/12/04 23:03

現代の世界でも、「君主制の民主主義国家」は多数存在します。
イギリス、オランダ、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、スペイン…わが日本も、天皇という君主を頂く「立憲君主国」です。

19世紀初頭のドイツ帝国やオーストリア=ハンガリー帝国は、当時のイギリスやフランスと比べて特に「非民主的」な国ではなかったと思いますが。

なお、ロシア帝国はイギリスやフランスと比べれば後進的で非民主的な国でしたが、これは君主制か否かとはほとんど何の関係もありません。単に「国として発展が遅れていた」だけです。

現在、日本と海を挟んで反対側にある「朝鮮民主主義人民共和国」が、世界史上空前の圧制が敷かれており、自力ではほとんど何も生産できない貧困独裁国家であることを想起して下さい。

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この回答へのお礼

ロシアは案外巻き返したようですね。石炭鉄鋼生産は列強に並びましたし。君主制が必ずしも非民主主義とは限らない、しかし、民意の遅れはあるだろうということです。

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  • 回答者:tanuki4u
  • 回答日時:2007/12/04 15:18

フランスが異常だった。
というのが煎じ詰めると回答になるかと思います。

オランダなどはナポレオン帝国崩壊後、共和国から王国になっています。
ベルギーは1830年の独立戦争後、ドイツから王様を招聘しています。
※ 国王レオポルドは1830年にギリシャから王様にならない?と呼ばれたときは断ったのですが、ベルギーからのお呼びにはOK出したそうです。

このように少なくとも19世紀段階では「王様を持つのが普通」でした。

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この回答へのお礼

フランスは異常かもしれません。日本はいまだにいますし。ベルギーならいいがという話、なんともえげつないですね。

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No.1ベストアンサー10pt

  • 回答者:caesar-x2
  • 回答日時:2007/12/04 09:04

ドイツにおいても、ウィーン体制の頃に、何度か立憲制を求める革命騒ぎはありましたし、
さらに前の宗教戦争のころに起こった、ドイツ農民戦争は、
抜本的な社会変革を求めた革命であったと認識されています。
しかし基本的にはイタリアと同じで、ドイツは統一されていなかったというのが
第一の理由です。統一と国民国家の成立が非常に遅かったんで、
イギリスやフランスのごとき民主主義の進展が阻まれたというだけに過ぎません。
いい王朝だったというのは全く逆で、ドイツが細分化され、分裂し、
旧態依然としたローカルで中世じみた支配体制だったということ。
要するに後進的だったのです。
特に東に向かうほどドイツでは後進性が酷く、農奴制に近い社会が残っていました。
君主や領主の絶対的な権力が強く、軍隊も人民を抑圧する道具として機能していました。
人民の意見は武力で容易に弾圧できたわけで、いい王朝どころか
ドイツ地方の各政府は強圧的な政府ばかりだったといえます。
特に代表的なプロシアは、厳しい厳罰主義が軍隊と人民を支配していて、
18世紀の前半から軍国主義をとっていたので、民主化の芽はすべてももぎ取られていたというわけです。
大戦後にドイツで革命騒ぎが頻発するのは、実際、ドイツ政府の権力が弱体化したからに過ぎず、
民主勢力に対する圧力が弱まったので噴出すようにそういった運動が動き出したということです。
ま、現実的にはどれも成功しませんでしたが。

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この回答へのお礼

ドイツというところは、技術はいいが政治がだめという図式があったようです。よくわかりました。

  
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