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イエスがなにか変なことをしたがために処刑されたのでしょうか?

A 回答 (7件)

一応、主流となっている説です。



まず、イエスはユダヤ教徒であったことを理解してください。
また、ユダヤ人はローマの支配下にあった事も頭に入れておいてください。

当時のユダヤ教は主に2つの派に別れていました。
議会派(サドカイ派)と民衆派(ファリサイ派)です。
議会派の人々は、その権力の基盤がローマに服従することによっていたので、ローマ人の顔色ばかりうかがっていました。(この意味ではユダヤの王ヘロデも同じ)
そんな彼らを、批判していたのは民衆派ですが、彼らは彼らで「戒律主義」に走っていました。

そんな中に現れたのは、洗礼者ヨハネ(十二使徒のヨハネとは別人)とその教団でした。
彼らは、そんな議会派や民衆派の事を激しく批判していました。
そこに現れたのがイエスでした。
彼は、洗礼者ヨハネの主流2派の批判には納得していました。
しかし、完全には洗礼者ヨハネの言うことに納得は出来ませんでした。
そして、修行をするウチに「救世主(キリスト)」として目覚めていきました。(ただし、イエスは自分では「私は救世主だ」とは言ってません)
そして、ユダヤの各地を遊歴して弟子を得ていきました。

やがて、イエスの主導する勢力はだんだんと大きくなり、その影響力は洗礼者ヨハネをも超えていきました。
また、洗礼者ヨハネはヘロデ王も批判していたので彼に捕まり処刑されてしまいました。

ここに来て、主流2派にとってはイエス派の勢力を無視出来なくなってきました。
特に、議会派の人々はイエス派の人々が反乱を企てローマが怒るのを恐れました。
また、付き従っていた人々の中にもイエスが「救い=ローマからのユダヤの解放」をしてくれないので不満が募ってきました。
そこで、紆余曲折を経てイエスをとらえました。
しかし、イエスを裁判で罪にしても死刑にする権限はユダヤの議会にはありませんでした。
そこで、ピラトの元に行き
「イエスはユダヤの王を名乗り、ローマへの反乱を企てた。死刑にすべきだ」
と言いました。
ピラトはイエスの事を調べましたが、嫌疑不十分であるとして「ユダヤの事はユダヤで決めよ」と言い、ヘロデ王に任せました。(ヘロデ王は、イエスの故郷ガリラヤの支配者でした。)
ヘロデ王もイエスを取り調べましたが、やはり「罪」は無いと言い、ピラトに送り返しました。

ピラトは、「罪が無い」と言っているにもかかわらず、ユダヤの人々は「死刑にせよ」と要求します。
このままでは反乱になると恐れたピラトは、人々に取引をもちかけました。
当時とらえられていた「殺人犯」と「イエス」どちらかを「死刑」とし、どちらかを解放しようと。
「どちらを解放するか?」
とのピラトの問いに、人々は「イエスを十字架に」と叫びました。
この結果、「殺人犯」は解放され、イエスは十字架に架けられることになりました。

と、以上が大まかなイエス処刑の経緯です。
つまり、議会派の人々はローマを恐れる余り、民衆はイエスが「神の国」と言ってるわりには「ユダヤをローマから解放」してくれない事への不満のため、イエスは十字架に架けられることになったのです。
しかし、イエスは一言も「ユダヤをローマから解放する」とも「私は救世主です」とも言っていません。(救世主については、弟子には言わせてましたが、、、。)
そして、イエスのいう「神の国」はあの世の事だったのですが、民衆は理解しませんでした。
結論としては、議会派の人々による「冤罪(ローマに反乱を企て、ユダヤの王を僭称した罪)」に、民衆がイエスを「誤解」していたために議会派の人々の提案(扇動)にのった結果、イエスは十字架上で死んだのです。

余談2・イエスが言った一番良い言葉なのに、キリスト教ではあまり実戦されてない言葉に「皇帝のモノは皇帝に、神のモノは神に」があります。
このことからも、イエスはローマへの反乱の意志はなかったと推測できます。
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何も悪い事もしてません。

そして神ではないといえば逃れる事が出来ました。なぜでしょうか?
イエス自体は自分が神だと知っていたから、死んでもまた生きると
どうせ生き返るんだったら一人の罪びとを釈放したほうがいいよね。
他の人を十字架につけないで釈放するために自ら選んだということ

またこの十字架につけて死ぬと言う事は旧約聖書(イエスが生まれる前に十字架につけられる事を書いていた。)に書いている事が現実になったとも言われてます。

また別の面から(ややこしくなるが、イエスを殺そうとしていたためにわなにはめられた)と言ってもいいかな、そのわなに自ら飛び込んでいったと言う感じになります。
まあ一人のクリスチャンから見た回答です。
もっと深く書いてくれるでしょうが簡単に
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当時の刑法上は、ユダヤ教の(最高会議)サンヘドリンによって死刑判決を言い渡されたそうですが、十字架刑というのはユダヤの処刑法ではなくローマの方法だそうです。


単純に当時の法律からいってもイエスの処刑には疑問があるようで、このあたりいろいろ議論されているようです。
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メル・ギブソンが作った映画『パッション』を見てください。


一応、ヴァチカンの御墨付き映画です。
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物語上は、イエスは自分が贖罪者に任命されたと知り、神に「どうかこの任務から下ろさせてください」と懇願したんですね。



でも結局、「神が私に贖罪を命じるのなら、あなたの意思に従います」となり、贖罪を自らすすんで受け入れる決意をし、その意思表明をペトロにしたところ、「そんなことがあってはなりません」とペトロが驚き、それにイエスは怒りペトロに向かって「悪魔よ去れ。」と自分の任務を妨害したとしてペトロを批判しました。


では、どうしてイエスは贖罪者として任命されたのか。
作家がどういうことで主人公が贖罪をするという物語にしたのか、真相はわかりませんが、恐らくですが、作家はバビロニアの神話の影響を強く受けたのではないかと思います。


ヒツジ王タンムズがいて、その話の主人公をタンムズからイエスに変えたと思えます。

どうして、作家はイエスを主人公の名前に決めたのか。
恐らくですがイエス王からだと推測されます。

ヨシア記のヨシア (イエシュア)がイエスのヘブライ語かアラム語名。


で、タンムズと同じような神話がイザナミとイザナギ伝説。
どうしてイザナミは冥界に下りたのか諸説がありますが、これも作者に聞かないと作者の物語に込めた思想がわからない。

が、これを解脱だと解釈すれば、理解可能になる。


キリスト教はイエスを妬み危険視したサンヘドリンが、イエスは自分は神だと言い、それは神を愚弄する行為だとして怒り、処刑権が無かったので、ピラトを脅し、ピラトは民衆がイエスを処刑せよと詰め寄ったので、暴動を恐れ民衆の要求に応じて処刑したと教えています。

が、処刑権が無いのなら、処刑されそうになった女をイエスが助けたというストーリーを真実だと教えると矛盾することになる。

女は処刑してよかったが、男は処刑できなかった と苦しい説教をしなければならなくなる。
聖書を読んでいる信者なら、すぐその矛盾に気づき、説教者に聞くと思います。
もし 聖書を読んでいる信者がいれば、とっくにバチカンはつっこまれて、どういう解釈か説明していると思いますが、、、聞いたことないですね。
バチカンとしては信者が聖書を読まないことに胸をなでおろしているかも。



ピラトは裁判無しに処刑する人物としてその名をとどろかせており、疑いのある時点で即処刑していたので、彼が民衆の反乱を恐れイエスを処刑するなんてありえないですね。
サンヘドリンの恐喝に屈して、「この人に罪はない、罪の無い人を処刑した責任はユダヤ民族にふりかかる」なんて言うはずが無い。

これは後にキリスト教が信者にユダヤ教徒を迫害させるために工作して聖書に混入させたのだと推測されます。

すごい工作です。
そのせいでホロコーストという人類史上最悪の事態が起こった。

魔女狩りは聖書に生かしておくなと書いてあるからと起こったようですが、本当に聖書の内容を過信すると、とんでもないことになるんですね。



イエスの話はいくつもあり、例えばトマスの福音書、ユダの福音書にイエスの磔刑の意味は、キリスト教の加筆内容と違っています。

トマスの福音書やユダの福音書は、解脱として描かれている。
恐らく仏教の影響を受けた作家が、そういう描写にして解脱を描写したのだと思えます。


確かに贖罪という概念はユダヤ教にありましたが、律法に人が神に贖罪するやり方は書かれており、民族の贖罪もちゃんとやり方が書かれている。
そのやり方は神が人間に示したとなっているんですね。

人間を贖罪とせよなど神が言ったと書かれていない。
にもかかわらず、何故人間を贖罪にするという物語が書かれたのか。
ユダヤ教じゃない。
古代の異教の風習を取り入れている。

どこからかというと、原点じゃないですが、タンムズの神話を模倣して書いたと思えます。

では、福音書作家はどうしてタンムズを真似た物語を書いたのか。
バビロニア神話を真似て創世記を書いた。
バビロニアの歴史を自分達の歴史として書き換えましたが、今度はバビロニアの聖王の概念を模倣してキリスト教は物語を作ったと思えるんですね。

聖王の精力が衰えると、力の復活を臨み、聖王を殺していた。
聖王の血が大地に流され、聖王は冥界に下りていき、春になると豊穣をもたらすため復活するとした。

イエスがいたとされた時代は、大混乱の時代で、王はユダヤ人じゃないわ、ローマ帝国の属州になるはで、バビロン捕囚の後に民族の団結を図るためバビロン神話をユダヤ人の歴史と書き換えたように、再度バビロンの聖王の物語を、自分達の歴史として書き換えてしまう行為をやったディアスポラした異文化で生まれ育ったユダヤ人がいたからだと思うんですね。


つまり イエスはハリーポッターと同じ、架空の存在。


聖書という神話では、ユダヤ人がイエスを嫌ってピラトに殺させた となっており、歴史ではそのような人物はいなかったので、ユダヤ人に憎まれ処刑されたイエスという男はいなかったとなる。


神話ではいたとなり、歴史ではいないとなる。

ハリーポッターは小説上では存在します。
だからハリーポッターを読んだ子供が、ハリーポッターは実在の人物だと信じることもありえるってわけです。

ハリーポッターが処刑されたというストーリ展開になれば、架空の存在ハリーポッターがどうして処刑されることになったかが書かれることになる。
そういう展開にしたのは作者。
ハリーの創造主はイギリス人で私達と同じ人間。
その創造主は元ホームレスで現在大金持ちの小説家。


ただし、思想を架空の物語として書いて人の自分の思想を伝えるということは問題ない。
だが時には読者に中にピカチューは実在すると思って、窓から飛んでしまうこともあるということに注意して、現実は起こらないということをちゃんと読者にわかるような書き方にしなければならない。


ユダヤ人というかヘブライ人は自分の思想をかつての偉人とされた人を主人公にして、物語として書いていた。
物語にしたほうが、イメージが沸くからだと思います。

ダビデやソロモンなど、実在したのか?
不明です。
あれほど栄華を誇ったとされるソロモンすら、聖書以外では出てこないから。
その名をエジプトまでとどろかせていたのなら、そっちの歴史書なりなにかに名前やエピソード話が残っているはずだが、無いってことは、やはり哲学者の思想が物語として書かれたと思うんですね。

キリスト教側が加筆したと思われる箇所を削っていくと、哲学者の思想が見えてきて、神の国は来た という解脱のすすめ 手引書というものだというのなら、それはそれで理解できます。

ただし、あくまで精神的な解脱であって、水の上を歩けるようになるわけじゃない。
あくまで比喩。
水の上を歩くというのなら、創世記でもそういう描写があり、それを再度イエスの物語に挿入しているのなら、やはり解脱の思想だとしか思えない。


キリスト教の教会史の資料にイエスが70歳過ぎまで生存していたという記録があったそうです。
確かにヨシュアという人物がいたかもしれない。
ただし、また来るといって天国に上っていったはずの熱烈ユダヤ教徒のイエスが何故キリスト教の改宗したのか?
辻褄があうようにするには、70歳すぎまで生きていたイエスと、物語のイエスは別人物。

なんせ後世では処刑されて天国に召されたってことになっているので、地上に留まっていたとしたらまずいです。
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自らをユダヤ人の王であると名乗り、また「神の子」あるいはメシアであると自称した罪によります。



※イエスを妬んだユダヤ教の司祭達による冤罪だといわれる
(ウィキペディアより)

下記サイトに詳しくあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%91%E4%B8%96% …
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だいぶ前に伝記を読んだだけなので、簡単に答えてしまってキリスト様には大変申し訳ないのですが、つまりは「神の教え」を説くことで市民は彼を信じ、反キリスト派の皇帝は危機を感じキリストに「最後の審判」で死刑判決を下したということです。


余談ですが、最後の審判というのは「ターミネーター」のテーマということになっています。そういえばイエス・キリストとターミネーター2,3の主人公「ジョン・コナー」のイニシャルは同じですね。
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