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悪徳新興宗教に強い嫌悪感を抱いています。
同時に歴史の古いいわゆる世界三大宗教にも懐疑的な立場をとっています。
私自身は無神論者です。創唱宗教に懐疑的でして自然宗教に傾倒しています。教団が信者に金品を要求する行為を犯罪だと考えています。
けれど世界三大宗教を称揚、若しくは貶める意図からではなく、純粋に知的好奇心で質問します。
イエス、ムハンマド、ゴータマはその布教にあたって信者に金品を求める行為があったのか、なかったのか、史料として残されていますか?

誠に勝手ながら、ご回答にあたっては史料の出典をかならず明示していただけますようお願い申し上げます。

A 回答 (4件)

古い宗教の場合、創始者が行ったこととその後に組織化されて継承者達が行ったことがイコールではありません。


創始者が生きているうちは教団が無いか、あっても小規模であって、後年に組織が大きくなったり、遠方に伝わるうちに、いろいろ変わってきています。
日本の仏教は初期仏教からは離れている部分があるようですし・・・。

ゴータマさんは托鉢してたんではなかったでしょうか。
出家者は食べ物などを他人からいただいて生活していたようです。
生きるに最低限のものなので、金品の要求という感じではないと思いますが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%98%E9%89%A2
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B9%A5%B8%A5%E3 …

イエスは、聴衆が集まったときに魚やパンを集めてきて配った(ちぎって配ったら増えた)とありますので、そういう調達はしていたのでしょう、本人が出向くのでなくて弟子がですが。
新約聖書にもあるし、各種物語本や解説本でも有名な話です。
あとは食事に招かれたり・・・・。
でもこれも、金品という感じではなかったでしょう。
イエスが生きている間はまだ、キリスト教というものがなかったですし。

ムハンマドについては上記2名以上に知らないので分かりません。
現代では喜捨の習慣(?)がありますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%AB% …


そりゃあカトリックは一時期、ひどいもんでしたよね。教皇に子供がいたり(チェーザレ&ルクレツィア・ボルジアさん)、免罪符を売ったり。
だから宗教改革があったんでしょう。

カトリックは存じませんが、ゴスペル見学でプロテスタントの教会のミサに行ったことがあります。観光で。
箱が回ってきて1ドルぐらい入れるんですね。
そういう寄付ならあります。

現代では、寺を建て直したいとか活動を維持するための「寄付」はあるかもしれませんし、お札を販売するとかはありますが(初詣に行けば神社やお寺で売ってます)、「聖水を大金出して買ったら幸せになれる」みたいなお金集めは、マトモなところではやってないでしょう。

知識や勉強として読む場合は純粋に宗教としてだけでなく、“当時の”社会背景を考慮したほうが良いようです。
ムハンマドの場合、女性の地位とか未亡人の暮らしとか、以前より改善したのだという説がありますし。
私も信者でも研究者でもないので、わかりませんけど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9% …

出典、というか読んだことのある本。
テーラワーダ仏教の老子スマナサーラ師の対談集。
『希望のしくみ』宝島新書、『仏弟子の世間話』サンガ新書、など。

『ブッダのことば―スッタニパータ』
『ブッダの真理のことば・感興のことば(ダンマパダ)』
いずれも岩波新書、中村元・著。
あんまりよく読んでいませんけど食事を配る場所とか出てきたような。

ムハンマドはクルアーン(コーラン)でいいんでしょうか??
「コーラン」日本語訳が井筒俊彦・訳で岩波文庫で出ています。読んだことないんですけど有名。

キリスト教は新訳聖書。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
出家者はなぜ托鉢をするのでしょうか?
中世の修道士たちは農地を耕し自給自足の厳しい生活を送っていた事例がありますね。

自分は働かず、信者からの援助で生活し、ひたすら経文を唱えた先に、果たして真理を得ることができるのでしょうか? 人を、世界を救済できるとでもいうのでしょうか?

リンクありがとうございます。興味深く拝読しました。
感じたことは、やはり3人は神格化されすぎてしまっている、ということです。私は歴史的事実をあくまで探究したいのですけれど、宗教は絶対にそれを妨げようとしますね。

某学者がいったように、やはり宗教は狂気なのかもしれません。

お礼日時:2007/12/09 03:46

はたして、イエス、ブッダ共に「新しい宗教を始めた」という意識があったのかどうか疑問です。


ムハンマドにおいては、明確に「新しい宗教」を認識していますが、イエス、ブッダとも既存の宗教であるユダヤ教、バラモン教の改革者としての立場でいたにすぎないと思えます。
また、イエスにしましてもブッダにしましても、自分自身での布教というものをしたとは思っていなかったでしょう。
当然自分自身が生きてゆくためには、何らかの収入が必要になります。
そのために行われたのが「托鉢」です。

現在でも托鉢は、仏教、キリスト教共に重要な修行とされています。
この托鉢を、「教団が信者に金品を要求する行為」とするのかどうかは、議論の余地があるでしょう。

教団の組織が大きくなりますと、当然托鉢では足りなくなります。
そのため、信者に税(またはそれに近い物)をかける事になります。
それは、有る程度の規模になった教団においては、必然的に必要むになる行為であり、例外はありえません。

質問者の言われます「自然宗教」がどんなものであるかは分かりませんが、それも規模が大きくなりますと、金品の要求があります。
金品の要求が無いものは、まだ宗教として確立していない状態であるともいえます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>教団の組織が大きくなりますと、当然托鉢では足りなくなります。
>そのため、信者に税(またはそれに近い物)をかける事になります。
>それは、有る程度の規模になった教団においては、必然的に必要むになる行為であり、例外はありえません。

回答者様のおっしゃることは一面の真理を表していると思います。
しかしそこに悪徳宗教のつけ込む余地があるのですね。

教団の規模に比していったい“信者がいくら払えば教団が適正な活動を送れるのか”

これを厳格に行っている宗教法人がいったいどれくらいあるのでしょうか? はなはだ疑問ですね。

お礼日時:2007/12/09 03:07

> イエス、ムハンマド、ゴータマはその布教にあたって信者に金品を求める行為があったのか、なかったのか、史料として残されていますか?



聖書によれば、イエスに関しては強要はなかったでしょうが、彼の弟子や先人たち(ユダヤ教の司祭等)は強要していたようです。
先人たちについては什一の税や初穂を収めるなどを規定しています(有名なのは申命記)し、後のキリスト教団はこれを復活させています。

ゴータマに関しても、現在の上座部仏教が金銭に対して日本でいうところの「けがれ」であるという態度をとっていることからも、強要はなかったものと思われます。少なくとも、金品を要求したということを匂わせる記述は、ジャイナ教側からのものにせよ、ヒンドゥー教側のものにせよ、みたことがありません。

ムハンマドについては、少々やっかいです。というのも、彼らの文化として、財産を殖やす方法の中に「略奪」が含まれているからです。コーランの中にもこれは書いてあります。また、ムハンマド自身、王位についているわけですが、徴税もまた宗教によって、蓄財の方法として肯定されています。因みに戦利品も正当な権利であり、この辺りの事情が聖戦を推進する原動力の一つとなります。
とはいえ、現代の悪徳宗教的に金品を強要するようなことはなかったようです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。いわゆる“砂漠の一神教”は、地政学的に鑑みて不毛な土地である以上財物を欲求する必要に迫られていたのかもしれませんね。
対して仏教は比較すれば肥沃な土地に誕生した、という認識を持っています。このため宗教指導者が金品を要求しないという、ある種“余裕”とも呼べる状況が生じたのでしょうか。
なにぶん勉強不足ですのでこれからも調べていきたいと思います。

お礼日時:2007/12/07 00:05

テニスの女王シュテフィ・グラフが高額の教会税に反発してカトリック信者をやめたのは有名です。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。教会税などというものがあったとは……。いやはや驚きです。

お礼日時:2007/12/06 23:50

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