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いつもお世話になっております。

これまでの人生で感動した出来事が、ございましたら、
皆様どうぞ、御紹介よろしくお願いいたします。

A 回答 (8件)

15年飼っていた犬が痴呆になりました。



犬も、呆けるんですね。目も見えない、耳も聞こえない、
体の感覚もなく(雨が降っても雨を感じない)、まっすぐに歩けない。
しっぽも振りません。感情がなく、顔つきも変わってしまいました。
もちろんうんちも寝たままするので、綺麗に拭いてあげたりしていました。

ある、梅雨の中日の天気のいい日でした。
私は、外にいる犬は何をしているかな、と思って
ベランダへ出ました。

犬は、ぼーっとしていましたが、
私を見た(感じた?)途端に、しっぽを2、3回振りました。

私はびっくりして、母親に「今しっぽ振ったよ!」と報告しました。
母はすぐ見にきたけど、それから犬がしっぽを振る事はもうなく、
母は、「本当~?」と信じてはくれませんでした。

でも、私は本当に、弱弱しくだけどしっぽを振ってくれたのを見ました。
あの時は、感動しました。

まぁそれだけ私が犬好きなので、こころに残った思い出なのですがね^^;
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この回答へのお礼

深夜にもかかわらず、ご返答くださいまして、誠にありがとうございます。
感想も記したかったのですが、どの様に文章として表現したら良いのか結局まとまりませんでしたので、お礼のみで、お許しくださいませ。

お礼日時:2002/09/16 22:36

成田闘争で.木の上に登って建設反対と叫んでいる住民の登っている木をチェンソーで切り倒し.地上に落ちてきたところを警棒で殴りつけて.意識もうろうにし


「救助した」報道。
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この回答へのお礼

早朝にもかかわらず、ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2002/09/16 22:36

私は#4の方の話に感動しました。

。。(^-^;)
いやいや、プロを感じさせてくれるものは感動します。
しかし私は別の話を。。

私が大学で東京に出てきて独り暮らしをしていた時の話です。
仕送りがなかった為に自分でバイトをして慎ましく生活していたのですが、彼女が出来て時間やお金にルーズになり、家賃を滞納してしまい、その事が親に知れて親が上京して来て強制送還させられました。私も一応考えを改め再び上京したのですが、それからしばらくしてやはり彼女の絡みでお金にルーズになり、家賃を滞納、親に滞納分のお金を送ってもらったにも関わらずそれを使い込み、尚且つ学生ローンでお金を借りた上に返済をしませんでした。
親から連絡があり再び強制送還。。後始末を全部親にしてもらいました。

私は実家に戻りしばらくアルバイトをしていました。母も姉も兄も、しばらく私を目の届くところに置いておいて、その生活態度を見て考えよう。そう話してたそうです。ごくごく当然の考えだと思います。

1ケ月半ほど実家で生活をしていたのですが、やはり私も目標があって大学に身を置いたのですから、それを目指したくて仕方なくなり、父にその気持ちを話し、これからはお金も何もかもキチンとすると約束し、復学することをお願いしました。
父は一言二言何かを言ったあと、それを許可してくれました。
そして、その日の夜遅くに母が起きてきて私にこう話してくれました。

「お父さんからは言うなって言われてたんだけど・・・本当はね、お母さんも兄ちゃんも、姉ちゃんも、あんたをこのまま実家に置いてどこか適当な所へ就職させた方がいいんじゃないかって話してたのよ。目の届くところに置いておかないと何をするかわからない。。ってね。で、お父さんにその話をしたら私はお父さんに凄く怒られたんだよ。『お前は自分の息子も信用できないのか!』ってね。。」

私はもう、何かで頭を殴られたようなショックを受けました。
俺は今まで何をやっていたんだろう?と。。
そして父の、、親の愛情というものに感謝しました。涙が止まりませんでした。
これだけ信用してくれている親を心配させてはいけない。私は本気でそう思い、本当にそれからは時間とお金にルーズになることなく、そして親に心配をかけることなく頑張るようになりました。
でも、それもこれもすべて両親のおかげだと思ってます。感謝してます。
私は不器用な父の本当の愛情を感じ、そして父の偉大さを痛感しました。
私の尊敬する人は今でも父です。
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この回答へのお礼

深夜にもかかわらず、ご返答くださいまして、誠にありがとうございます。
感想も記したかったのですが、どの様に文章として表現したら良いのか結局まとまりませんでしたので、お礼のみで、お許しくださいませ。

お礼日時:2002/09/16 22:35

こんにちは。



あれは私が小学校4年くらいだったかな・・・家の大掃除の手伝いをしていて、縁側の戸のガラス吹きをしていた時です。反対側のガラスを拭こうとして、戸を動かそうとしたのですが、たてつけが悪かったのかなかなか動きません。そして力いっぱい戸を引っ張ったら、レールから外れて庭の方へ倒れていきました・・・ガッシャーン!!

ガラスがこなごなに砕け散り戸は無残な姿に・・・音を聞きつけて母がやってきました。私はカミナリが落ちるのを覚悟して、恐る恐る母を見上げました。その時母が言いました。『おまえは家の仕事を手伝っていて、失敗したんだから悪びれる必要なんてないよ。仕事をしていて失敗することなんて誰でもあるんだから。これがふざけてやったんなら怒ったけどね。』

母の心の大きさに感動した一瞬でした。映像や小説のなかで感動することは多いですが、現実の世界で感動する事は少ないですよね。貴重な体験をしたと思ってます。
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この回答へのお礼

ご返答くださいまして、誠にありがとうございます。
感想も記したかったのですが、どの様に文章として表現したら良いのか結局まとまりませんでしたので、お礼のみで、お許しくださいませ。

お礼日時:2002/09/16 22:34

ホントに最近の話なんですが、母が乳がんの告知を受けて入院しました。


入院3日目には、手術が控えていました。

手術の前日の夕方、母と家族の私たちは先生に呼ばれて話を聞きました。
術前の検査で、糖尿病であることが判明しさらに肥満の為
肺活量が低いこと、血中酸素濃度が低いことがわかり
手術にはそれなりの危険が伴うという事を聞かされました。

病室に戻った母は泣き始めました、明日で死んでしまうかもしれないと。
怖くて仕方なかったのでしょう。
家族である私たちは、先生にも説明義務があるからこそ説明したのだとわかっていましたが
正直、なぜ母の目の前でそんな話をするのか?
家族だけに話せばいいのに、と憤りを感じました。
でも、我々には何もしてあげられない。
やはり、先生にお任せするしかないのです。
泣く母を前に、無力感を感じながらとにかく母の手を握り
「大丈夫だから。心配ないから」と言うことしかできませんでした。
決して、不安にはさせないように涙をこらえながら。

その日の夜、自宅で寝ていた私は夜中に目が覚めました。
考えるのは母のこと・・・。
(怖くて、不安で仕方ないだろう。ちゃんと眠れているのかな?)
母の気持ちを考えると、たまらなくなって外が明るくなるまで泣いていました。

手術当日の朝。
母は入院した日から日記をつけていました。
その母が、手術を控えた病室で
「今朝は、日記のかわりに『遺書』を書いておいたから。
 もし何かあったら、読んでね。」と言いました。
なぜか晴れやかな顔でした。薬をもらって、昨晩はよく眠れたそうです。

そして手術。
予定の時間より少し遅れましたが、無事手術は成功。
術後の先生の説明では、あれだけ入院前から手術前日まで
怖い話ばっかりした先生が、初めていい話ばっかりをしてくださいました。
手術に駆けつけてくれていた、親戚の人たちにもその話を報告し、みな一安心。

術後に母が麻酔で眠る病室で、「よかった!」と言う安堵感とともに
先生のことを考えていました。
なぜ、前日に患者をあんなにも不安にさせることを言ったのか。
多分、先生は手術を成功させる確信があったんではないでだろうか。
この患者は、手術では死なせないと。
だからこそ、術後のことを考え、自身の不注意で肥満になり
糖尿病まで患ってしまった母の今後を考えて
あえてきついときに、ムチを振るったのではないのか。
糖尿病は一生付き合っていく病気で、家族の協力と本人の根気が必要で
何よりも「ちょっとぐらい・・・」と言う甘えた考えが最大の敵です。
母は前日の先生の話を聞いた後は、自分の生活態度を本当に後悔してましたから。

本当の先生の真意はわかりませんが、目の前で呼吸をしている母がいるのは
先生のおかげであることは確かです。
医者という職業を本当に尊敬しました。
と、同時に何もしてやれなかった自分の無力さも改めて痛感しました。

私は、母が寝ているのをいいことに日記を引き出しから取り出しました。
はじめて見る母の入院日記。3日分だけですが。
手術までは、まさに自分を襲う不安との戦い、
そして、家族のことをとても心配してました。
自分がいなくて、家の事がきちんとできるのかなぁ、と。
日記の内容は、どんどんと気持ちが落ち込んでいく様を描いていました。
不安を文字にすることで、かえって不安を膨らませていたんでしょう。

そして、前日の先生の説明の後に書かれていたこと。
文面には「ショック」「不安」「怖い」「心配」などの文字がおどっていました。
でもそのページの最後にはこう書かれていました。
「・・・でも、息子が手を握ってくれた。
 すごくうれしかった。ガンバル!」
それは、不安で埋め尽くされた日記にはじめて、唯一現れた
母の病気と戦う決意でした。

突然、涙があふれました。
今まで、「自分は何もしてやれていない」とずっと無力感に
覆われていた私の気持ちは、一気に晴れました。
病気を治すのは、患者を救うのは医学という科学力だけではなく
そばにいる人の「愛情」が必要不可欠なんだと気づきました。

手術の日は奇しくも、対米同時テロのちょうど1年後。
朝から晩まで各種メディアが取り上げていました。
あのテロで、何千人という方が亡くなりましたが、
私にとっては、目の前のただひとつの命の大切さを痛感した一日でした。

日記の次のページには、当日の朝に書かれた「遺書」が記されていました。
その内容は、私たちへのエールでした。
「私の分も、がんばって生きてください。」
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この回答へのお礼

ご返答くださいまして、誠にありがとうございます。
感想も記したかったのですが、どの様に文章として表現したら良いのか結局まとまりませんでしたので、お礼のみで、お許しくださいませ。

お礼日時:2002/09/16 22:34

一年位前の話です。


80歳を越えた痴呆症の祖母が
家で飼っている犬が逃亡したとの事で
探しに行きました。
犬はすぐ見つかったのですが、祖母が行方不明に
なってしまい、警察を呼んで親戚一同で探して
回ったのですが見つかりません。
ビラも近所に配ったりもしたのですが
真冬でしたし行方不明になってから5日も経って
諦めかけていた所、何故か近くの
八百屋さんの前で見つかりました。
戻ってから祖母に何が有ったか覚えているか
聞いた所、「とても寒かったけれど夢の中で
おじいちゃんががんばれって言ったから頑張った」
との事でした。
なんと夢の中で5年前に亡くなった祖父が
励ましてくれたと言うのです。
それを聞いて何故かすごく感動しました。
きっと祖母はもう行方不明になった事など
忘れてしまったと思いますが、この話は
私はずっと忘れないと思います。
長文で済みませんでした。
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この回答へのお礼

ご返答くださいまして、誠にありがとうございます。
感想も記したかったのですが、どの様に文章として表現したら良いのか結局まとまりませんでしたので、お礼のみで、お許しくださいませ。

お礼日時:2002/09/16 22:33

某TD●で働いております アトラクション担当だったころ 突然機械故障で乗り物がダウンしてしまったんです


途中で外に出てもらわなくてはならずその場所には私一人だったし かなりみなさんにきつく罵倒されあやまっていた時に修学旅行の男子生徒さんが

「そのお姉さんは悪くないよ なおるまで待ってます」って言ってくれました

思い出しても涙 涙です
今ごろ良い青年に成長してるんだろうな~って思っています
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この回答へのお礼

 コレはツライでしょうね ・ ・ 私も仕事で、コレに似た様なツライ体験をした事が有ります。「 責任者呼んで来い!」 という言葉も、かなり突き刺さりますが、その場に会社の関係者が自分1人だけだった場合、どうしても攻撃対象になってしまいますね ・ ・ あっ、自分も思い出してしまった・・(^^;)
 私は旅先で旅館・ホテルの対応のマズさに文句を言いたくなる事がしばしば有るのですが、その都度 「 もし自分が、その店の人の立場だったら ・ ・」 という事を考えて、出来る限りキレない様にしています(^^;)      心あたたまる御話、誠にありがとうございます。

お礼日時:2002/09/13 17:59

yumesawaさん、またまたみんなが集うような質問しましたね!



では、先陣をきって、まずはささやかな感動話を・・・
(最初からでかいのはまずいですし、そこまで大きな感動話はないです)

能代市内の某デパート(経営難で今年6月いっぱいで閉店)で、
コピーをとりました。(10円のやつ)
で、用をすませ、帰ろうとして、地下駐車場へ階段をおりようとした
そのとき・・・「すいません!」
30代男性と思われるかたによびとめられました。
「これ、わすれてましたよ!」
そうです。コピー台に原本をおいたままにしてたのです。

しかも、これは今住んでる貸家の契約書でしたのです。
紛失してたら大変なことになってました。

ほんとうにありがたかったです。わたしのために
とおくからおっかけてくれたその男性に感謝です!!
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この回答へのお礼

 あります!私も ・ ・。「 財布、落ちましたよ 」 と言われた事も有りますし、だいぶ前ですが、電話ボックスに色々な会員証が入ったカード入れ( テレカを取り出す為に取り出した )を置き忘れたのに気づき、慌てて戻ったものの、既に現場には無かったのですが、数日後、警察から 「 届け出があった 」 と連絡が有り、中身も無事だった ・ ・ という事も有りましたね。     早速の御返答、誠にありがとうございます。

お礼日時:2002/09/13 17:31

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