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 近鉄での話しなんですが、
私情で南大阪線のとある駅に行くことになりました。
鶴橋→JR→近鉄あべの橋→○○という行きかたで行きました。

しかし、××(最寄の駅)駅から鶴橋  あべの橋から○○ 駅までそれぞれ別料金なのはなぜですか?

おなじ近鉄なのに・・・


またなぜ、鶴橋や上本町を あべの橋まで線路を作らないんですか?

地図上で見たら、そんなに離れていないように思いますが・・

莫大な費用がかかるのは当然だとおもいますが・・かなり便利になるんではないんですか?

A 回答 (4件)

A鉄道→B鉄道→A鉄道という経路の場合、


通常はA鉄道は通算にはなりません。
定期券の場合とか、あるいは特に利用客が多いといった場合は、
A鉄道とB鉄道の協定によりA鉄道が通算できる場合もありますが、
手続きとかお金のやり取りがたいへんなので、普通の切符では
めったに見られません。

それから、南大阪線と大阪線や奈良線は、今でこそ同じ近鉄ですが、
もともとは別の会社が作りました。
上本町から難波までは今の近鉄になってからの建設ですけど。

大阪市内(に限らず日本中どこでもですが)に線路を引くのは
莫大なお金がかかります。
それに既にJRや地下鉄などの線路がたくさんありますから、
新たに線路を引いても儲かるかどうかわかりませんし、
儲からなければ今までより高い運賃を取らなければなりません。
それが本当に今の利用客にとって便利なことでしょうか?

私は関東在住ですが、近所に都心に直通する路線が2本あるにも
かかわらず、工事費が高かったので非常に高い運賃の路線なので、
時間も乗換の手間もかかる昔ながらのルートを使ってます。
つながったから便利、なんてそんな単純なものじゃないですよ、
実際のところは。
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追加発言です。


<またなぜ、鶴橋や上本町を あべの橋まで線路を作らないんですか?
先の方が述べていますが、追加します。
近鉄南大阪線は狭軌(JRと同じ)ですが、奈良線は標準軌(新幹線と同じ)で線路規格が違います。相互乗り入れするにはどちらかの線路工事と電車の改造が必要で、今時そんな莫大な投資はしないでしょう。また地下鉄では1m掘るのにに何億とかかるようですよ。
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この回答へのお礼

 線路企画が違うのも、別々の会社だったこともしりませんでした。

皆様 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/20 14:03

下の方とは少し違った見解を・・・。



同じ近鉄でなぜ?というご質問ですが、××→大和八木→橿原神宮前→○○と行けば、通算で運賃が計算されます(当たり前ですが)。
もっとも、この経路の方が高くつきますが^^

近鉄だけで行くこともできるという例です。

それから、近鉄は途中下車を認めていません。A→B→Cと行く場合にBで途中下車すればA→BとB→Cを合わせた運賃を払う必要があります。決してA→Cの運賃にはなりません。この場合は(鶴橋とあべの橋がつながっていたとしても)一旦改札の外を出ているので、別々の運賃がかかると考えられます。

もし、鶴橋とあべの橋を結んだとして、便利になるでしょうか?
何年もの工事の間、近鉄利用者も車利用者も影響を受けますし、何より大阪線・奈良線と南大阪線の相互を直通して定期的に利用する人がどれだけいるのでしょうか?

また、便利という点では近鉄はJスルーカードを導入しています。これにより鶴橋などの直通連絡改札での乗り換えが大変スムーズになっています。鉄道会社同士のメリットがあったから、それと利用者のためでもあることが容易に想像できます。
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> しかし、××(最寄の駅)駅から鶴橋  あべの橋から○○ 駅までそれぞれ別料金なのはなぜですか?


 直接の乗り換えではなく、他社を介しての乗り換えになるからですね。
 このようなケースで、他社線を介しても自社の運賃を通算するには、
”通過連絡運輸”と呼ばれる制度が導入されている必要があります。しかし
nobunojoさんが書いておられるように、清算事務などに手間がかかるとともに
精算手続きの関係上運賃がすぐに入ってこないなどの事から、関係する会社
(今回のケースでは近鉄とJR)が双方同意しないと制度が導入されません。
 ただ今回の環状線鶴橋-天王寺間の場合、”定期券に限り”通過連絡運輸が
導入されています。定期券の場合、普通乗車券以上に利用者が多く通過連絡運輸を
導入することにより鉄道会社側にもメリットがあると考えられたのではないか?と思われます。

> またなぜ、鶴橋や上本町を あべの橋まで線路を作らないんですか?
 これも、nobunojoさんが書かれていますが大きな理由が、当初南大阪線と
奈良・大阪線とは別会社であった事が理由です。
 別の理由として、地下鉄やバス(昔は市電も)が多くあり、多額の費用を
掛けて自社で路線を建設する必要が感じられなかったと思われます。また
大阪市は、市内の交通は市営で賄うという方針(「市営モンロー主義」と
記載されている書物があります)であったと言われ、私鉄が市中心部へ路線を
建設しようとしても、それを拒否(反対)したとも言われています。

 数年前、ある雑誌で数十年前の大阪市内の地図と私鉄ターミナルを合わせた
ものが掲載されていましたが、当時の大阪市街の外側に各私鉄のターミナルが
ありました。
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