プロが教えるわが家の防犯対策術!

こんばんは。

先日、こちらのサイトを拝見していたところ、次の一文を見つけました。

「聖書のイエスの逸話がこの例として有名です。
イエスが弟子を連れた教えを説いていたときに多くの町の人々に尊敬されましたが、
地元のナザレに戻ったときだけは、小さい頃のイエスを知られていたために
何を偉そうに言ってるんだと人々から反感をかい拒絶されたということです」

これは下記URLのNO,1の方の回答です。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1698886.html


そのときの状況を、もう少し詳しく知りたいのですが、
そのような酷い扱いを受けたイエスは、どのように感じて、
どのように考えて、どのように行動したのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (10件)

イエスはそこを去って、郷里に行かれた。

弟子たちもついて行った。安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行なわれるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」
こうして彼らはイエスにつまずいた。イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」
それで、そこでは何一つ力あるわざを行なうことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。イエスは彼らの不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々を教えて回られた。(マルコ6:1-6:6)

同様の記述がマタイ13:54-58にもあります。


素のままのイエスではなく、ナザレ人ヨセフとマリアの息子であり大工であるという属性の上でのイエスとして彼を見ていたのでしょう。素のままの自分としてはどうも受け入れられないらしい、と判断して、故郷を離れたのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

頂いたご回答に含まれる、(マルコ6:1-6:6 等)いくつかのキーワードから、
さらに深く調べることもできました。

お礼日時:2007/12/16 18:48

 ANo.9のお礼の件━


 イエスがありのままかどうかのお話ですか、逆なんですね。
 私は、ANo.5では、あなたや私達が聖なるお話を素直に受け入れる心の体制のことを問題にされたのかと存じました。
 イエスはありのままも何も、根源となっていたのですから、仮にナザレとかの方々が受け入れられなかったのであれば、ナザレの方がもっと心の体制を何もないようにすることでしょう。、目の前の八雲を、除去することではないですか?
 でも聖書の従来の理解は一方的で誤解があるとの、ANo.8のお話ですから、よくご回答を精読されてください。無駄にしないで下さい。
 今次のごとき、ご質問はある筈のないお話です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。


>私は、ANo.5では、あなたや私達が聖なるお話を素直に受け入れる心の体制のことを問題にされたのかと存じました。

私はkrya1998様のご回答に同意しただけです。

>奇蹟であれ、癒しであれ、実は受け入れる気持ちをもってくれないと行えないということは、多くの場合にあります。(回答NO,5より)

そのようなことに対して

>ありのままの自分を受け入れてもらえないことには、
>成立しないことも多いのでしょうね。(回答NO,5に対するお礼より)

と同意申し上げました。
そうしましたところ、krya1998様が、

>ANo.5より ≪ありのままの自分を受け入れてもらえないことには、成立しないことも多いのでしょうね。≫
>いえ、本当にありのままになってくださっていれば、それはもういろんなことをお互いに出せますね。受け入れてもらえますね。
>不自然は、取り繕い出なく、そして気持ちをここに。
>そして敵対しないで。普通に。それが一番ですよ。(回答NO,9より)

と、おっしゃったので、

>もし、イエスが郷里の人たちに受け入れられなかったのだとしたら、
>それは、イエスが『ありのまま』ではなかった、と言うことでしょうか。(回答NO,9に対するお礼より)

と、申し上げたまでです。


>でも聖書の従来の理解は一方的で誤解があるとの、ANo.8のお話ですから、よくご回答を精読されてください。無駄にしないで下さい。

すべてのご回答と、それに含まれたキーワードから得た新たな知見、それら全てを考察の材料にさせて頂きます。

お礼日時:2007/12/19 15:57

ANo.5より ≪ありのままの自分を受け入れてもらえないことには、成立しないことも多いのでしょうね。


 いえ、本当にありのままになってくださっていれば、それはもういろんなことをお互いに出せますね。受け入れてもらえますね。
 不自然は、取り繕い出なく、そして気持ちをここに。
 そして敵対しないで。普通に。それが一番ですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

もし、イエスが郷里の人たちに受け入れられなかったのだとしたら、
それは、イエスが『ありのまま』ではなかった、と言うことでしょうか。

お礼日時:2007/12/18 17:37

聖書は人を3種類に分類します。

異邦人、イスラエル人、教会です。旧約時代は異邦人とイスラエル人しかありません。イスラエル人には律法が与えられ、神様を信じながら律法を守れば、救われました。異邦人が救われる為には、ユダヤ教に改宗して律法を守るか、そうでは無いと自分の良心が律法になりました。例えば、律法を知らない異邦人が物を盗むのは悪いと判断したならば、その良心的な判断が彼には律法になったわけです「ローマ2:14」。新約では、異邦人でもイスラエル人でも、イエスキリストが自分の罪の身代わりとなって十字架に掛けられ、死んでから、三日後に復活されたことを信じる人は救われた人であり、救われた人々の集まりが教会です。  いつも、神様はイスラエル人をしるしによって導きました「出エジプト4:8、8:23、10:2、コリント前1:22」。ですから、イスラエル人がイエスキリストに、何よりも先ず、神様としてのしるしを求めるのは、同然な行為であり、非難されるものではありません。実際に、イエスは数多くのしるしを見せた後、自分の故郷であるナザレに入り、故郷の人々に聖書を教えます。イエスが無学文盲者であることを、よく知っている人々は、イエスの知識にびっくりします「マタイ13:53~58」。人々は、イエスが偉そうに言っていると思ったのでは無く、イエスの知識にびっくりしたのです。彼らは、無学文盲者であるイエスの底知れない知恵と権能が、いったい何処から来たかと不思議に思ったのです。他所で知られた預言者でも、自分の生まれ故郷では尊敬されにくいでしょう。マタイ13章ではイエスを神様として信じなかった故郷の人々も、後でイエスを神様として信じるようになります。イエスが行うしるしを見たからです「ヨハネ4:44」。私達は、多くの人々が聖書の一節を読んでから、自分なりの意思で解釈するのをよく見ます。それは、神様の教えに反する呪われるべき行為です「ガラテヤ:6~9」。全ての聖書は聖書が解釈してくれます「イザヤ34:16」。 ちなみに、マタイ書は聖書の中で一番 難しいです。旧約が終り、新約に渡って行く過渡期にあるからです。マタイの福音は新約の福音と異なる王国福音です4:23、9:23、24:14」。王国福音はイスラエル人のみの福音であり「マタイ10:6」、十字架以後の恩恵福音とは異なります。全ての人は霊が死んだまま生まれます。救われたと言う意味は、死んだ霊が蘇ったという意味を持ちます。聖書は霊の字です「テモテ後3:15」。ですから、霊の字である聖書を理解すり為には、先ず、救われなければなりません。救われて無い人々が、一番 難しいマタイ書をよく語ったりしながらも、一番 易いヨハネ啓示録には触れる事さえ出来ないのも、そのためです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。


ナザレの人々は、イエスの力を受け入れなかったのではなく、素直に驚いたのですね。
そして、(通常であれば他所で認められている人間であっても、故郷では尊敬され難い。しかしイエスの場合は)
後に、神として信じられるまでに至ったのですね。

広く教えて頂いて、勉強になりました。

お礼日時:2007/12/18 17:31

さびしく感じたでしょうね。



ただ 生前は――つまりは 十字架上の死といわゆる復活のあとの時間とは別に 生前では―― ユダの裏切りに限られず ペテロを初めとする弟子たち一同も みな 捕らえられたイエスを裏切っているのですし けっきょく〔生前では〕誰もイエスを理解し得なかったとも言えます。故郷の人びとに限らずということです。

でも寂しかったでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

弟子には裏切られ、郷里では反感を買い、、、 
想像しただけでも寂しくなりますね。

お礼日時:2007/12/17 21:28

>小さい頃のイエスを知られていたために


何を偉そうに言ってるんだと人々から反感をかい拒絶されたということです」


私の印象とは違います。

芥川龍之介に藪の中って作品がありますが、証言者によって「事実」と語られたものが違うように、福音書もそれぞれで若干違っている。

そしてその一つを聞いた人も、受け止め方が違ってしまう。


私のその部分の印象は、ナザレがイエスの生れた町で、そこにいってイザヤ書の一節を使い説教をした後、「お前達はここで俺に奇跡を起こし、病人を瞬時に直してくれと言うだろう。しかし預言者は故郷では歓迎されなかった。私もそうなるつもりだ」 みたいな感じのことを告げた。

イエスがどうしてそのようなことを言ったのかというと、預言者は過去に自分の故郷では歓迎されなかったなので、自分もその預言者と同じ運命の通りになると決めていて、その通りにしようとしたのだと思えるんですね。


福音書の作家は、イエスの言動を旧約聖書から持ってきています。
主人公の名前が違うだけで、内容は旧約聖書で既に語られたことばかりなんですね。
何も新しいものはない。


作者の物語を創作するにあたっての資料はは旧約聖書なわけです。

どうしてこういうことが起こったのかというと、ユダヤ教では自分の思想を語るとき、自分の名前じゃなく、過去に偉大だとされた人の名前を使って思想を物語とて書いていた。
だから、ダビデやソロモンやその他偉大だとされた人たちの似たような話が何度も繰り返されているわけです。

では、どれが実際ダビデがやったことなのか、思想家がダビデのやったことに色をつけて自分の思想を書いたのか、誰も知らない。

いくつも武勇伝が存在しているが、実際にあったことはどれなのか、誰も知らない。

しかし、神が登場する民話は燃やしてはならないとされたので、全部ノコっており、歴史書なのか思想家が名前を拝借して作った話なのか、わからなくなってしまったんですね。


旧約聖書にはナザレという町は登場しない。

『クムランから追放された隠者の集団の一つが、ある場所に定住し大工(石工だと思います)の仕事を始めた。 その組織は石工組合で大工(najjar)と呼ばれるようになり、彼らが住む地域をナザレと呼ぶようになった。』

という情報を聞くと、クムランから追放された人たちが北に移動し、住居を構えたってわけですね。
そしてそこがやがて、ナザレと呼ばれるようになった。

ということは、イエスもヨセフもマリアもイエスが会堂で説教をし、それを聞いた人たちも、クムランから追放された人々だったってことになります。

じゃあ イエスはやっぱり実在の人物だったのか?
そうとも言えない。


「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」というのはイエスの教えではなく、もともとはクムランの教え。

それをイエスに語らせたとうことは、作家が元クムランの幹部だった可能性がある。
つまりイエス物語を元々書いた作家はナザレの人。
しかも、ラビ文学も知っていることから、ただの人じゃなくクムランで相当な地位にいた祭司だったと思えます。
だからその手の知識を保有できて、作品に表せたと思えます。


>イエスはナザレで、どのように感じて、どのように考えて、どのように行動したのでしょうか?

イエス作家はナザレでどのように感じ、どのように考え、それをイエスという名前を主人公にどのように作品に自分の思想を表したか?

ううーーん 原本が見つかっていないので、なんともいえません。

誰なんでしょうね。
イエス物語の作家。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。


拒絶されたのではなく、拒絶した、といった感じなのですね。

色々な解釈があるのですね。

色々と教えて頂けて勉強になります。

お礼日時:2007/12/17 21:28

 聞く耳があって、話す気持ちと神からの力が与えられてくるのはと善です。

馬耳東風という馬であれ、無学であれ、気持ち開かない人に、聞く耳のない人に話せない。
 古希、50年もの親友も若い頃の見方のまま、そして固定化した自己のパターンを押し付けるが如く対するだけでは、口を開くのは飲食に箸を動かすだけになりました。
 物言えば唇寒し秋の風・・
 そして又、かの士大夫の故事で旧友が、前の見方で話が合わない経験を語っていますが。
 ご紹介の尊敬できない心理という中で、心理学者が分析しているのを私は、拝読する前に、さびしい思いもちながら経験してきました。

 奇蹟であれ、癒しであれ、実は受け入れる気持ちをもってくれないと行えないということは、多くの場合にあります。
 電車にのって、どうでもこうでも、駅に着く。ぞろぞろ降りる。
 というのとは違います。心のない人にはどんな聖者も、神さえも空気と食べ物、水を与えるだけです。それしか出来ません。鰯の頭の話とは違いますし、見せる宗教云々とは違います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。


ありのままの自分を受け入れてもらえないことには、
成立しないことも多いのでしょうね。

お礼日時:2007/12/17 21:28

まあイエスは大工の子供として生まれ。

あの大工の子供が~
まあ学歴がなくても誰でも出来る仕事だったらしいね。

普通、神様なら威厳がありみんなに自分の力を見せつけ「俺は神様だ」見てみろと、死んだ子供を生き返らせ、歩けない人を連れてきてみんなの前でやりますよね。
しかし彼は信じている人だけにしかやっていない。見せる宗教ではなく信じてる人にしか見せないという感じになりますね
進んで自ら信じたいと言う人に神様は多くの愛を与える
または人生に疲れたりもうどうにもならない人だけに神様の愛情を注ぎ
一度好奇心で見たいという人には見せなかったという事になるね
まあ旧約聖書にも書いているんだと思うんだが・・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

信じる人だけの神様なのですね。

お礼日時:2007/12/17 21:27

参考までに


両親や兄弟は確かにナザレにいましたが、イエスはナザレで育った子供ではありません。イエスが伝道のはじめにナザレに戻ったのは「ナザレのイエス」の預言を成就させるためだけの意味です。突如として大工のヨセフの長男が戻ってきてシナゴーグで一声をあげたのですから驚き、怪しんだのは仕方が無いことでしょう。空海のように地元で育ち、幼いころから周りのものが神童と認めていたわけではないということですね。またヨセフもユダヤ教のラビでもなかったわけですからね。
イエスが伝道を始めるまでのことは後の弟子は知らないことですから記録もありませんが、イエスはエッセネ派の長老についていろいろな国、(エジプトやインド)に旅行し、またいろいろな宗教の勉強をしていたといわれています。
ということで、ナザレでの説法に対する反応はイエス自身もそのようなものだろうと思ったでしょうね。つまり気にとめることでもないということですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そのような状況になることは予想できていた為、あまり気にすることも無かったのですね。

お礼日時:2007/12/16 18:48

 イエスのことではありませんが、諱の丘を使っているので、没後について、多分作った話でしょうが、


 ≪孔子とは誰のことかと思ったら、何だおらが隣の丘(孔子の諱)のことか≫とういうはなしもあります。
 聖者は一見平凡で、偉ぶらないものだという意味と、仰せの認識や受け入れができない身近の人の事なのでしょう。
 ソクラテスの奥さんも時々そんな例にだされるし、
 友人同士では、士大夫三日あわざれば。というのもあります。
 この故事の義もいくつかありますが、その一つはいつも同じ見方でいるものではないよ、自己を持している者は、三日会わなければ進歩や変革がなされているよ。という意味でもありましょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

このような状況は、イエスに限った話ではないのですね。
勉強になりました。

お礼日時:2007/12/16 18:48

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