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現在、欲望や苦について調べているのですが、
少しわからないことがあるので質問させていただきます。

『テーラーガータ』において「欲望を求める人は苦しみを求めている」、と書かれているのですが、
確かにそのとおりであると思うのですが、人間生きている限り、食欲など生きる為に必要な欲望があると思うのです。
釈尊は苦から解脱した、とありますが、解脱した後も生きていたということは、生きていくために必要な欲を満たしていたということになりますよね?
衆生に教えを説くのは皆を助けたい、という欲からきているとも考えました。

四諦の苦集滅道の滅にはよく「煩悩を消滅させて苦を消滅させる」
という説明を見るのですが「煩悩=欲望」であるとしたら、それはおかしな話だな、と思います。
それは欲望を消滅させたら生きることはできない、という考えからです。
煩悩≠欲望であるのであれば、なんとなく説明はつくと思うのですが、
もしそうであれば、煩悩と欲望の違いというのがよくわかりません。

煩悩と欲望の違いがあればお教えください。

また、欲望とはどのようなものなのでしょうか?
欲望をどのようにすれば苦から解脱できるのでしょうか?


ご助言いただければ幸いです。

A 回答 (4件)

煩悩は感情のことでしょう。



食欲は身体の作用として起こる面と感情の面があると思います。

痛みがあるとき身体の作用として起こる面と感情の面があると思います。

多分初期的な何かをしようといった心の作用ともごちゃ混ぜになってそうですね。

感情として何かの現象をつかみ引き入れる働きが「欲」という煩悩の働きなので…仏陀が食事をしたことは

喩えるなら、車運転していてガソリンなくなったから入れよう。
といった感じではないでしょうか。

煩悩を僕なりに喩えるなら。「欲」は現象をつかみ自分のもとに引き入れらるものだと思っている概念と、「怒り」は逆に振り払える、消せると思っている概念とが頭の中で現実との差にとけんかして起こるもの。といった理解です。

これがなくても問題なく生きて生けるし、人助けも出来るでしょ?
むしろ無いほうがいいw論理的に考えられるからね。

お役に立てれば幸いです。

興味があれば「心の中はどうなってるの?」を読んでみてください。
もっと詳しく載ってると思います。
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 自分は、本能と煩悩に分かれると思っております。


 生きていく上で必要な物が本能で、度を超した物が煩悩だと思っております。
 例えば、生きる為には食わねばならず、食わねば生きていけません。
生きる為に食うのは本能、しかしそれを超えて「あれも食べたい、これも食べたい、もっと美味い物を食べたい、もっともっと食べたい。」となったら、これはもう本能で無く煩悩だと思います。

 又、苦に付いてですが、欲があってもそれが満たされていれば満足ですよね?つまり苦は無いと云う事になるかと思います。ですが、全ての欲を満たす事など、まず無理だと思います。満たせる欲には限度があると思います。(その時々で限度は上下するとは思いますが)
 仮に今満たせる欲の上限以内に自分の欲を抑える事が出来たとしたらどうなるでしょう?
 今、「自分の欲は全て満たされている」事になります。つまり、全てにおいて満足で苦は無いと云う事になりはしませんか?
 即ち、苦から開放される為には欲望を開放すべし(欲望を満たして欲望を開放すると云う意味では無く、心を欲望から開放すると云う意味です)と云う事では無いかと思います。

 以上が自分の思う所ではありますが、もし分かり難かったりxpadxさんの論点からずれていたりしたら、御免なさいです。
 
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仏教について ほとんど何も知りませんし、おっしゃっている事の意味もほとんど理解していないのですが


生きて行く上で(生物として)必要な欲求は無条件で必要ですよね。
(寝る食う排泄等々)
それの事を仏教で何と言うかは別として人間には生きて行く上で(生物として)必要のない欲求というものもありますよね?

例えば“見栄”とかが分かりやすいかと思いますが、見栄を張る事は生きて行く上で特に必要ないですよね。
でも そこに執着していると ゆくゆくは苦しくなると思うんですね。

他にも「意地を張る」とか「自分の事しか考えない」とか色々あるかと思うのですが、そういった欲求は思う存分控えるべきですよね。

ただ「食う」という事も度を越えると良くない欲求の仲間入りをしてしまうので何事も節度というかバランスのようなものが必要なのでしょうが

ようは そういった事を 分けて考えようという事で良いのではないせしょうか。
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欲をなくすのではなく、欲に執着する心をなくすのです。


悟った人でも、美味しいものを食べられれば
それは喜びです。食欲はあっても執着心がなければ
美味しいものが食べられなくても苦しみとはならないのです。

欲望に振り回されるのではなく、距離を置き
コントロールできるようになれば、欲望が
あっても問題ありません。
あくまで主人公は自分なのです。
欲望の家来になってはいけません。
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