プロが教えるわが家の防犯対策術!

大学を出て、夢にまで見た会社に入社。1000分の1の競争率を勝ち抜き、憧れだった職業に就きました。のどから手が出るほど欲しかった肩書きが自分についた瞬間でした。
その頃から、「もっと上を目指さなければ」という考えから、現実にそぐわない無理な考え方や行動を通し続けました。例えば、会社中の人に好かれなければいい仕事がもらえない、と思い いつも無理に明るく誰とでもワントーン高いテンションで接し、いっぱいっぱいでした。
結果、うつ病になりました。あっけなく退職。大好きだった仕事と、自慢だった肩書きは遠のきました。
それから2年。いまだうつ病と戦っています。
いまだにその職へのこだわりが捨てきれずに悩んでいます。
今から復職するには倍率的にも年齢的にも無理です。普通の仕事なら「病気になったくらいで復職無理は無いだろう」と思うかもしれませんが、私の仕事は特殊で、その業界独特の採用条件があるのです。だから
もう望んでも戻れない道なのです。

でも、その仕事が心底好きでしがみついているわけではなく、「その仕事をしていると(その肩書きを言うと)みんなからすごいっていわれるから」しがみついているのです。
反面、わかっています。「すごい」というのはお世辞もあるし、100人が100人すごいと思うわけも無い。そして「私」という人間を評価して「すごい」と言っているわけでなく「単に、あまり就けない仕事に就いているからすごいと言っている」だけ。
それでも「私の職は○○です」と言って「すごい」という賞賛を得たい気持ちから逃れられません。
人から賞賛されることに、人からの評価に、価値を置いている以上、
うつが治らないと思っています。早くこんな考えから脱したい。

闘病2年目の私は、今年も何も無くすごしました。毎年恒例、家族が年に1度集まる年越し。2年前までは「私はこんな仕事をまかされた!」「こんなことをした」と披露して、ご機嫌でした。(家族からですら賞賛を得たいのです。重症です)
でも、何も無いここ2年、私は年越しも何も言うこともなく、家族も私には何も聞いてこず。賞賛を得たい私はそれが嫌・・・
こんなことをこぼしている以上はダメだってことはわかるのですが、どうしても披露したい・・・・
同じような性格の方、いらっしゃいますか?
どうやったらこの性格、考え方を変えられるのでしょう。
他人の目や他人の評価に一喜一憂して生きていくのはうんざりです。
そう思う反面、他人の評価をできるだけさらいたい自分がいます。

ちなみに職はアナウンサーです。すごいと思わない方からの意見、お待ちしています。

A 回答 (11件中1~10件)

分かる気がします。

私も称賛が欲しくて欲しくてたまらない人でした。賞賛のために生きていました。

でもやっぱり行き詰るんですよねえ。その生き方だと。どうしても挫折するようにできている。

そこが変わるチャンスですよ。もちろんすぐに称賛されたい気持ちを捨てられるわけではない。私も何度も行ったり来たりです。どうしても気がつくと称賛されようと脳味噌が動いてしまっている。

でもすこーしづつ、自分の価値観で生きられるようになってきました。すこーしづつです。まだ私もあぶないですが。

自分に何度も言い聞かせる。自分の価値観が大事だと。そして他人の価値観で生きて虚しい思いをたくさんすることです。虚しいからやめようと、思うことです。失敗をたくさんして、自分が楽に生きられる道を探していくんです。
お互いにがんばりましょう。
栄光を捨てられるように!捨てて本物の自分になれるように。
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No.6のbluepsycheです。



ちょっと気が付いたことがあります。

他人の評価を気にすること自体は悪いことではないと思います。
先にも言ったように、適度に気にするのは普通です。それに
気が付きました。
ですから、他人の評価を気にする自分をダメと思っていると
苦しいままかもしれません。

成績優秀、スポーツ万能、飛びぬけた美貌、これらは誇りに思って
当然のことです。思わないのもすごいですが、ちょっと普通では
ないと思います。誇りに思っても全然、全く罪では
ありません。自信に変えてよいことだと思います。もう一度
いいます。これらを自信に変えたほうがいいと思います。
ただ、執着せずに、傲慢にならなければ、よいのだと
思います。誇りに思わないほうが不自然です。痛みを知った
これからは以前とは違った性質の自信を持てると思います。
これも再度言います。ただ、執着せず、傲慢にならなければ、
問題ないと思います。

才色兼備だし、今はもう或る程度十分苦しんで、過去の「過ち」があった
としても、或る程度は十分その「過ち」を償ったと思います。
その苦しみで人の痛みも分かるようになったでしょうし、立派な肩書き
も消えて、傲慢にならずにすみましたし、これからも傲慢に
なりにくくなってらっしゃると思います。
つまり、いいことが多いと思います。

他人の評価を気にするのも一つの個性です。全くなくするのは
不可能だし、無理すれば、大切な自分を損なうことになります。

そういう自分も含めて、自分を愛すればいいのではないでしょうか。
もう傲慢になったりはしないはずです。自分を愛せる付帯要素が
一杯あるじゃないですか。それを利用すればよいのです。

長所を一杯お持ちなのですから、もう苦しみも知ったし、いいところ
をすべて自信に変えて、自分を責めずにやって行ってもいい
時期なのかもしれません。

今の苦しみと痛みを忘れないで下さい。おシアワセに。
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私もcat333さんほどではありませんが、他人の評価を気にする性格です。



大学は3流ですが、転職で運良く世界に名だたる大企業に就職が出来ました。その企業の社員であるという誇りがあったように思います。頑張ったのですが、いろいろあって鬱病になり休職を経験しました。その時は誇りであった会社を辞めようと、転職活動をしたりしていました。 なんて経験がありましたが、今では生活の為に、その大企業で頑張れる範囲で努力して勤めております。会社に対する誇りはありません。

理由は、会社外での交流を深め(私の場合は趣味ですが)知人・友人が出来たことにあると思っています。いろんな職業の友人が出来、社会的地位だけで見ると大したことがないように思う人が、実は壮絶な人生経験を積んでいる等、いろいろ”会社外”のことが見えてきたからだと思います。職業の肩書も立派かもしれませんが、それだけでは吹けば飛んでしまう価値のように思いました。それ以降、昔のように”肩書き”には拘らなくなりました。

辞めてから2年ですよね、長いようですがトンネルから抜けた時は、そんなことに拘っていたっけ?と思える日がくると思います。
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まさか、コメントがあるとは思ってませんでしたが拝見して、ご病気とは思えないほど的確なフォローで、いろいろ勉強になりました。

アナタの豊かな感性が蘇って早く、次のステップに行けるといいとおもいました。

社会学者の鶴見和子さんは脳出血で倒れ、麻痺になられたときに、かって親しんでいた短歌が生命の泉のように溢れ出てきて、1つの扉が閉ざされると別の才能の扉が開くことを実感したという主旨のことを言っておられましたが……スペインのことわざ、Cuando una puerta se cierra,ciento se abren.〔ひとつの扉が閉まると、100の扉が開く〕や、Helen Kellerさんの、When one door of happiness closes, another opens; but often we look so long at the closed door that we do not see the one which has been opened for us. 同様に、鶴見さんのコトバは私の宝物になっています。

<あせらず・あわてず・あきらめず・あてにせず・あなどらず>「うつ」に打ち克ってください。次のステップとして、何かしら独自のテーマが見つかるといいですね。
「うつ」になって初めてわかったことが有れば(私への反論がヒントになりそうですが)、それを中心テーマとして、出版はともかく、とりあえず纏めてみられてはいかがでしょうか。あるいは半生記などもいいでしょう。

※間違っていました。お侘びして訂正します:
<自己陶酔の機会が得られなくなり彼は淋しそうに去って行きました>
<1,000分の1って何だろうと思いましたが>

★苦しんだ人は美しい。再起して才能を再び開花させてください。祈ってます。
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ご質問、拝見しました。

所謂<五月病>と似たような感じで、真にしたいことが明確になっていないまま、目標をクリアしたことに陶酔してしまったことが現在のご病気の遠因なのでしょうね。気分障害には自らの<気づき>が大切なのですが、一部、アナタは気づき始めていますので、もう少しで脱出できるでしょう。ただ、治り難い反面、再発し易いので急がないことです。こちらは、それでいいとしまして、

Inferiority Complex の裏返しの Superiority Complex は……哀しいNarcissism の光景(と回答者は思うの)ですが、それがアナタの好みのようですね。
アナタの場合、幼少時から自己陶酔を最高の友人として生きて来られたのでしょうけれど……ナルシシスムの人は通常の日常生活の中では付き合い難い人種であり、何年か前に、そういう人が顕現し、どのように対応しようかと友人たちと考え、ナルシシスムに酔う機会をつくらない戦略で対処しました。自己陶酔の機会が得られなり彼は淋しそうに去って行きました。
女子アナは3,000分の1と聞いていたので、1,000の1って何だろうと思いましたが、質問の最終行に開示があり「あぁこの人は開示する人なんだ」と感じましたが、この開示の仕方も自己陶酔なんですね。ということで、アナタのナルシシスムが治るのかどうかはわかりませんし……どうすればいいのかも不明ですが、アナタには、耐え難いほどお辛いことでしょうが、できるだけ周囲の人を賞賛することを習慣化するようにしてみてください。

★ドクターはNPDについては何も言ってませんか。

※旅ができるようになったら、世界の難民キャンプを巡ってヴォランティアをしながら、アナタなりのルポに纏めて、以前の会社に送ってみてはどうでしょう。あるいは別の会社に。
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この回答へのお礼

>真にしたいことが明確になっていないまま、目標をクリアしたことに>
陶酔してしまったことが現在のご病気の遠因なのでしょうね。
その仕事は本当にしたかった仕事でした。文章では私の性格の一因をしって欲しいため、「肩書き」の方だけしか書いていませんが、原稿読みは大好き、報道は興味があるし、みんなと番組を作っていくのもたのしい、スタジオにいればわくわくするし、本当に好きな仕事だったと思います。ただ「目標をクリアしたことに陶酔」というのは非常に当たっています。これが私の悪いところだと思います。
>幼少時から自己陶酔を最高の友人として生きて来られたのでしょうけれど
幼少の頃からではありませんでした。確かに人より何をやっても秀でていました。陸上大会ではすべて1位、学年では成績10番以内(クラスではもちろん1位)、水泳では関東大会で3位、大学の成績はオールAなど何かにつけて自慢要因はあったのですが、その当時はそんなことまったく気にも留めず、それがなに?位のものでした。激しい自己顕著欲が出てきたのは大学後半。モデルにスカウトされた頃からでした。「自分はモデル、人とは違う」と思うようになり、さらにどんなミスコンに出てもグランプリを取れてしまうようになってから変わってきました。そしてアナウンサーになってその思いに拍車がかかりました。

>ナルシシスムの人は通常の日常生活の中では付き合い難い人種であり
そうなんです・・・私も「自慢ばかりする人間より、人にかわいがられる人間がいい」と思えるような思考回路に変わりたい!!!

>女子アナは3,000分の1と聞いていたので、質問の最終行に開示があり「あぁこの人は開示する人なんだ」と感じましたが、この開示の仕方も自己陶酔なんですね

3000分の1はフジです。フジのほかにもNHKや日テレなどテレビ局はたくさんありますから・・・・

質問の最終行に書いたのは、書くか書かないか散々迷ったからです。
はじめから開示するつもりなら、はじめの文章もあんな書き方にはなっていません(「肩書き○○」など)。ただどうせ質問する以上は、すべてわかってもらった方が回答者の方も答えやすいだろうということ。
またマスコミ系の人の行動パターンやものの考え方を知っている人がいるかもしれない、という思いで書いただけです。この期に及んで
自慢しようと思って書いたわけではないです。

お礼日時:2008/01/05 16:37

僕はアナウンサーという職はすごいと思いますので、回答の資格は


ないかもしれません。だとしたら、無視して下さい。

cat333さんは自分に自信がないのかもしれません。自分に
自信がないから、他人からの評価を強く求めるという面が
あるような気がします。あと、自己顕示欲が強いのかも
しれません。これは誰でもそうだと思いますが。

失礼な質問かもしれませんが、もし容姿が悪くても、社会的地位が
なくても、何もかもを失ったとしても、自分を愛してくれる人が
いるという実感のようなものはありますでしょうか。
(たとえば、今の状況のように)何もなくても自分は自分でいいんだ
みたいな実感がないのではないでしょうか。失礼なことを言って
いましたら、すみません。

そういう自己評価を持てば、他人の評価を過度に求める
ことはなくなると思います。ただ、或る程度求めるのは、
達意の仙人クラスの人間でない限り、自然なことだと思いますが。

これは自信のない私見ですが、もしかしたら、cat333さんは
今の自分の状況に感謝する日が来るかもしれません。今、
cat333さんには(地位、名誉など)頼るものがないかと思う
のですが、そういう状況に入ったからこそ、自分の問題点を
自覚できたわけですし、徐々にですが、自己顕示欲も削れて謙虚に
なって行っていらっしゃるのではないかと予想します。そして、
何もない自分を愛する機会を与えられています。

他人に無償で自己の中心を愛されると、裸の自分に自信が持てる
ようになります。
そういう人がいない場合、裸の自分で強制的にいさせ
られるという状況にじっくり耐えながら、自分を
愛する訓練をゆっくりするというのが、裸の自分を好きになり、
他人の評価を或る程度気にしなくなる一つの方法だと思います。
その意味ではcat333さんの今の状況はよい状況とも言えます。

アナウンサーはすごい職だと思うので、過度にその職を過小評価
する必要はないと思います。適度に評価して、自分を褒めてあげる
ことも大切です。あと、的確に自分の状況を客観視しているのも
よい面かと思います。あと、真面目に苦しんでいる女性は綺麗です。
苦労を乗り越えれば、それが自分の魅力になっていると思います。
他人の気持ちも分かるようになりますし。今の時期が宝になる
日が来ると、僕は思います。華やかな肩書きがなくても、
謙虚に自分を持って生きている女性の方が、魅力的だと
僕は思います。この僕の意見は余計かも知れませんが。

裸の自分を好きになればよいのではないか。これがcat333さんが
今の自分を変える方法だと、僕は思います。
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この回答へのお礼

もし容姿が悪くても、社会的地位が
なくても、何もかもを失ったとしても、自分を愛してくれる人が
いるという実感のようなものはありますでしょうか。
(たとえば、今の状況のように)何もなくても自分は自分でいいんだ
みたいな実感がないのではないでしょうか。

私の彼は、私がアナウンサーだから私を好きなわけではないし、私がミスコンのグランプリをたくさん持っているからそばにいるわけでもない。頭がいいなんて思ってもない(彼の方がずっといいから)でしょう。だから社会的地位を失っても一緒にいてくれると思います。ただ、、、容姿が悪かったら・・・というのは疑問です。人間誰しも、「これくらいならまったく気にならない」という許容範囲があるので、そこから外れている私だったら振り向いてもらえないかも。

そしてもうひとつ。。。何が無くても自分は自分でいいんだ。。。という思い。それは私にはまったくありません。だから他人の評価に依存して、必要以上に自分を誇示しているんだと思います。
大切な言葉ですね「何が無くても自分は自分でいいんだ」。いったいどうやったら思えるようになるのでしょうか。

お礼日時:2008/01/05 18:04

#4です。



貴方様にできる、人に役立つ、これからのお仕事。

現在の体験と、コネクションを生かして、うつ病の方が立ち直るための、番組製作を提案をされてはいかがでしょうか。

とてもやりがいがあり、大勢の人を救い、夢と希望を与える可能性があります。
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私には、なぜアナウンサーがすごいのか、さっぱりわかりません。



今はタレント的人気職ですが、中年オバサンの私が子供のころは、もっと、NHK的(今のNHKではなく、昔の)、「声を出す職人」というイメージでした。

人は、注目されるとエネルギーを得ることができます。
役者と乞食は三日やったらやめられないという位です。
他の方法でも、エネルギーをもつことはできます。
人から感謝されるとか、人にものを教えるとか。

で、もし、どうしても続けたければ、フリーのアナウンサーの道はないのでしょうか。

貴方様が、その仕事に就くとき、どんなアナウンサーを目標にされましたか? 私は古いので、ニッポン放送の今仁哲郎さん、村上正行さんとか、大林晃さんとかが、尊敬できる方だとおもっています。そんな方、ご存知ありませんか? 
その方たちは、ただ発声することや、タレント的なものではなく、「言葉の奥にあるものを、伝えるんだ!!」という職人根性がありました。

昔の声の職人さんたちは、人から注目されることよりも、もっと違う職業意識でした。台風になると、元気よく、危ないところから中継したり、人々にたのしみを送りたい、とか。大林晃さんなど、「私は、暗さでは、負けない。葬式の中継やらせたら、ニッポン一だ!! 」
と、不思議な自信をもってました。

アナウンサーが楽しい職業であるとは想いますが、ただ、与えられた原稿を読んでいるだけの人を、すごいとはおもいません。
人にすごいと言われて喜んでるような人に、感動が伝えられますか!?
うつうつとしたアナウンサーが、人の心に幸せを伝えることができるのでしょうか!?
続けたければ、フリーにでも何でもなって、他の人にマネのできない、道を究める決意をもってほしいです。
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ども。

一応文系の大学を出たにも関わらず
機械系の職人さんをやってます。
だから、1000倍の難関を突破したのはすごいと思うけど、
別にアナウンサーはすごいともなんとも思わないし、
結局それで無理をして病気になったわけだから、気の毒とは思う反面、
未だにそこから抜け出せないのは、愚かしい半分、気の毒半分ですね。

なんでも適性というのはあるので、
2年で向いていないということがわかっただけで
よしとできればいいんでしょうけどね。

自分は何をしたいのか。
たんに目立ちたい、称賛されたいという理由だけで
暴走族や殺人に走る愚か者もいますが、
今のところは、何をやってもダメなような気がしますので、
まずは病気をきっちりと治してから仕切りなおしというところでしょう。

なに、実力はあるのだから、その気にさえなれば
どの道を選んでもそれなりにはモノにはなりますよ。
(評価や称賛はないでしょうけど)
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私はバブルがはじけた次の年に、世界の大抵の国でも名前が通る企業に就職しました。

あの達成感たるや、自分は選ばれた優秀な人間と思い込むに十分でした。

紆余曲折あり、今でも向精神薬のお世話になっています。

昔は本当に周りの自分に対する評価を気にしていましたね。周りに評価されてこそ自分の存在価値がある、というほどに。

でも、あるとき気がつきました。他人の価値観で人生を歩むのは果てしなく愚かなんですよ。自分にとってどうか、なんです。
他人が賞賛しても、その人たちと一生を過ごすわけではないんです。
何年後かに振り返ったとき、自分で「自分はちゃんと生きていた」と思えなければ、自分がむなしくなります。そのときに賞賛してくれた人たちはきっと、「ああ、そんな人、いたねぇ」くらいにしか思っていません。

自分の誕生から(覚えていませんが)、最期まで全てを見届けるのは、他でもない自分自身です。

あなたはしっかり自己分析をされていますね。
私なんて、上述のように思い始めたのはごく最近のことです。
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