生類憐みの令当時の動物性蛋白摂取は?
過去に同質問があったら申し訳有りません。
生類憐みの令については中学生程度の知識しかなく、今回改めてwikipediaの該当部分を読んだだけなのですが、ひとつ疑問があります。
当時の人間は動物性の食料の摂取をどのようにまかなっていたのでしょう。
日本では古来あまり肉食が盛んでないとはいいながら、魚はもちろん、鯨や鳥類、さらには山鯨、桜肉、ウサギを一羽二羽と呼ぶなど色々な方便で動物性蛋白を摂取していたと聞いたことがあります。
ところで生類憐みの令の厳格な当時は、一般にどうやって動物性食料を摂取していたのでしょうか。
実際にはザル法的に扱われていたのでしょうか。
回答(6件)
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手元に成分表があるので玄米の成分の一部です。
VA(レチノール/カロチン/A効力)
VA=0
VC=0
これでは恐らく死んでしまいます。
大体は合っていますが、
最終的に民間療法の「麦飯」に着目したのです。
これが麦と兵隊の理由ですね。
玄米もそうですが卵や牛乳もそうです。
しかし、血管閉鎖症の問題や、100gで59カロリーと言う数値は
あまり現実的ではありません。
失礼ですが、
どうも奇麗事や派手な所に目が行くようですね。
根拠の提示もありません。
折角書いても間違っていると、「これは学問ではない」と言われます。
学問とは、
同じ食生活に近い「大陸系中国人や朝鮮人」との体格差の比較。
同じ島国であるイングランドとの体格差の比較。
などから得られる「結論」です。
この結果から導き出された回答は、
日本人の「食生活だけ」が原因である。
島国の土壌だけが原因である。
こう言う「主観と偏見に満ちたような結論」が出ても良い事になります。
他は主観と偏見に満ちたような結論です。
もったいないので遊びはやめて勉強はちゃんとやりましょう。
この回答への補足
>失礼ですが、どうも奇麗事や派手な所に目が行くようですね。
根拠の提示もありません。
>他は主観と偏見に満ちたような結論です。
もったいないので遊びはやめて勉強はちゃんとやりましょう
すいません。
この回答は他回答への批判ですか?
私は栄養学の専門家ではないのですが、完全栄養食品というのがあります。簡単に言うと、「それを食ってりゃ栄養素が全部取れる」というものです。実は玄米が完全栄養食品なのです。だから、極端な話、玄米と味噌汁を食べていれば人間天寿を全うできるのです(味噌汁に塩分が含まれています)。味噌汁は大豆からできていて、最近大豆食品がブームですがこれで植物性のたんぱく質が取れます。
昭和時代以前の日本人は極端な話、米と味噌汁とあと野菜しか食べていなかったんです。それでも生きることはできました。
しかし、これだとカルシウムとたんぱく質が充分ではないので、戦後まで日本人はかなり背が低かったのです。戦後、牛乳と肉食が広まって日本人は歴史的に見ると爆発的ともいうペースで背が高くなったのです。
なお、江戸時代は江戸などの大都市を中心に、また明治時代になってからは全国的に白米食が広がりました。玄米の栄養素は米ぬかに含まれていたので、文明開化によりかえって日本人の栄養事情は悪くなり、脚気が国民病ともいうべきほど広がりました(江戸時代は「江戸患い」なんて呼んでいたりしました)。脚気の原因はビタミンB2の不足によるものですが、明治時代は原因が分かりませんでした。だから、長いこと脚気は日本の風土病だと思われていました。日露戦争のとき、海軍は脚気の原因が米食にあるのではないかと疑いました。だから、脚気がない西洋で食されているパンを水兵に食べさせようとしたのですが、なんと当時の日本人は「パンを食べるくらいなら死ぬ」と頑なにパンを食べることを拒否した人が少なくなかったので、苦心して作ったメニューがあの「カレーライス」なのです。
一方、陸軍は軍医総監にして文豪であった森鴎外が脚気を細菌によるものだと主張していたので的を射た対策が取れず多くの将兵が脚気に倒れました(一方、ロシア兵はビタミンCの不足による壊血病に悩まされていました。ロシア兵にはうなるほどの大豆があったのですが、その大豆に水をやり日陰に置いておくともやしとなりビタミンCができることは知られていなかったのです。歴史の皮肉ですね)。
この回答へのお礼
興味深いお話しをお教えいただきました。
白米による「江戸患い」の話しは聞いたことがあります。
ただ私が不思議に思うのは、完全食というものがあるとは言え、その栄養面はさておき、本能的な部分で人間が動物性食品を食べずにいるのだろうかという疑問です。
ありがとうございました
No.4ベストアンサー10pt
庶民は闘魂たくましく、隠れてこれを食していました。
庶民に食べ物を選ぶ余裕などまるでありませんでした。^^;
本来、生類憐みの令は、吼えた犬を切り殺すなどの行為を罰するのが大きな目的です。
良く見ましょう。
空腹で食って罰せられたのはまずいません。
一に多いのが侍(猟師ではない)
次が捨て馬。(捨て犬??)^^;
これも侍の馬子かもしれません。
一説では、中盤までは庶民は無関係であったと言う説もあります。
日本は島国ですのでカルシウムが不足します。
アメリカの野菜は豊富なカルシウムを含みます。
この事から、
骨の成長に必要なカルシウムと血肉の育成に必要不可欠な動物性ゼラチン質はどうやって摂取していたのか?
隠れて摂取していたとしか説明が付きません。
また、米、味噌汁、沢庵は良く出てきます。
これでは貧血、壊血病、脚気に必ずなります。
精進料理を加えても、貧血と循環器系統の疾患はまず避けがたいです。
予断ですが、昭和後期まで鼻水が止まらない栄養疾患の子供が多く、
家庭では食べさせているのでこの子は病気だ。
こう言う誤認した方が多かったのです。
ある種のビタミンや、あまりに偏った食事での栄養の偏りです。
日本は、栄養学はあまりに遅れていたのです。
この回答へのお礼
私の推測を補強してくださるお話で参考になりました。
もしよろしければ具体的文献名などもお教えいただければ幸いです
ありがとうございました
食文化の分野ですね。
薬食いとかいうことばがあり、無足、二足はご存じの通り。
四足は狸、赤犬、熊、猪その他。
両国あたりの橋にはそんな老舗もありました。今も在るので。
薬食いたって、所詮はいいわけですがね。さくらは馬肉だしね。
敬虔な宗教者はもちろん無足藻どんな足ものも食べませんでした。
食べないでも生きられるし、病気にならない。健康で丈夫。
口にすると吐き気になります。普段食べてないと。
この回答へのお礼
私も現実には多くの庶民階級が薬食いとかの形で、恒常的に動物性蛋白を採っていたのではと推測してしまうのです。
人間は基本的に雑食とは言え、その「雑」の中には動物が含まれると思うのです。
ありがとうございました
動物性タンパク質は魚を中心に摂取していたようですが、地域によってはイナゴや蜂の子などの昆虫も利用したようです。
またタンパク質は動物性だけにこだわらず、大豆など植物性のものも摂取していました。
この回答へのお礼
回答ありがとうございます
たしかに地方によってはイナゴや蜂の子は重要な蛋白源だったらしいですね。
それにしてもそれらの類も禁止されていなかったのでしょうか?
明治の時代でさえも日本人は蛋白質のほとんどを米から摂取していました。となると江戸時代ではそれは多くの貧しい庶民には禁止されようがされまいが生活には関係のないことで、(動物性のおかずを買える)豊かな上流階級向けの法令ではなかったのではないでしょうか。
むかしの日本人の食事は「ごはん+塩分のきつい副食物(漬物など)+味噌汁(+ちょっとしたおかず)」
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1495330.html
日本はその昔文明のある国にしては世界有数の短命国だったということを考えても、粗食は短命食
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1227092.html
江戸時代、江戸では脚気が流行します。その原因は飯(めし)として白米を食べていたからです。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1995879.html
麦飯(7:3)とコーコ(漬け物),あとはせいぜい味噌汁か野菜煮付けが夕食に付く.魚は田植え期や収穫期だけ。 これでも中農以上で,7:3麦飯は近隣の村より贅沢と言われていたそうだ.
http://mltr.free100.tv/faq08n.html#was-rich
この回答へのお礼
たくさんの為になる情報をいただきありがとうございます。
それにしても庶民の間で動物性食品(魚を含む)の摂取が全然無かったとは思えないのですが。
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