プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

テロが相次いでいるパレスチナ地方なのですが
シオニズムから知りたいのですが疑問点等を列挙していくので
修正点があればおしえてください

・元々、パレスチナ地方はイギリスが統治していた、そしてアラブ人?イスラエル人?が住んでいた。
・イギリスは二枚舌を使い、アラブ人?イスラエル人とユダヤ人に分割
してパレスチナ地方を渡した
・シオニズム運動により各所に点在していたユダヤ人がパレスチナ地方にやってきてイスラエルを建国した。
・ユダヤ人のイスラエルはアメリカから武器の援助を貰っているので戦争をして回りの国に迷惑をかけ領土を増やした。
・和平が進み、戦争で取った国を返した。

ここまではなんとなくわかるのですが、これからテロ集団アルカイダが現れてきてパレスチナ暫定自治区~というくだりが始まると思うのですが

・元々、イギリスの統治化だったパレスチナ地方には何人が住んでいたのか?
・テロをおこなっているのは何人なのか?
・パレスチナ人=アラブ人 なのか?

すいませんが、すごくわかりにくいので大まかな流れでいいので教えてください。

A 回答 (5件)

19世紀になって、世界中に散らばるユダヤ人の中に、シオニズム運動が起こります。


そのため、古代ヘブライ王国のあった、現在のイスラエルの地にユダヤ人に大量に帰還するようになります。
そこには、アラブ人が住んでおり、当初ユダヤ人は、アラブ人に使われる形で入植しました。
しかし、ユダヤ人が増えてくると、アラブ人とユダヤ人の間にトラブルが出てくるようになります。
そのころ、現在のイスラエルの地は、トルコの領土でした。
トルコ人は、アラブ人とは全く異なる民族です。
第一次世界大戦が始まると、イギリスは、トルコ領のかく乱のために、イスラエル地区のアラブ人に、トルコからの独立を約束させる一方、戦費調達のために、ユダヤ資本にユダヤ人国家の建国を約束します。
第一次大戦後は、どちらの約束も守られず、イギリスとフランスでトルコの領土を分割してしまいます。
第二次大戦中ナチスなどに弾圧されたユダヤ人が、イスラエルの地により集まるようになると、アラブ人とユダヤ人とのあつれきは、より深刻になり、国連では、イスラエルの地を2分割して、ユダヤ人国家とアラブ人国家を作ることを提案します。
その提案は、アラブ人側に拒否されます。
理由は、単純に2分割したため、人口で圧倒的多数派のアラブ側に不利な分割案だったためです。
そのため、中東戦争が始まり、アメリカなどの支援を受けたユダヤ人側が勝利し、イスラエルが建国されます。
その時、国を追われた人達が、パレスチナ人と呼ばれることになります。
パレスチナ人と言うのは、古代ユダヤ人がエジプトから現在のイスラエルの地に移動してくる以前にイスラエルの地に住んでいた民族で、ユダヤ人と激しい闘争をした人達の名前パリエシテ人から取られた名前です。
イスラエル建国の時、ヨルダン川西岸地区は、ヨルダン領に、ガザ地区は、エジプト領になり、イスラエル、ヨルダン、エジプト3カ国に分割された地域のアラブ人が、パレスチナ人となりました。

その後、第二次中東戦争で、イスラエルは、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区を占領します。
そらに第三次中東戦争で、エジプトのシナイ半島、シリアのゴラン高原を占領しますが、シナイ半島は、エジプトとイスラエルの和解により、返還しています。
(それが、エジプトでのムバラク政権崩壊の理由のひとつにもなっています)

その後イスラエルは、ヨルダン川西岸地区と、ガザ地区に、パレスチナ人自治区の設立を約束しますが、イスラエル人が既に入植している地域は、自治区の対象とはならず、さらにイスラエル人入植地を結ぶ道路や回廊も対象外としたため、パレスチナ人地区は、分断され、隣の村にも行けず、孤立する地域が多数生まれてしまいました。
さらにイスラエルは、そういった村々に、物資の流通を制限したため、パレスチナ人の反感が高まり、反イスラエル感情が高まります。
それに対してイスラエルは、空爆や物資の流通を停止させるなどしたため、パレスチナ人ばかりでなく、パレスチナ人と同一民族のアラブ人も、パレスチナ人に同調するようになります。
アメリカが全面支援するイスラエルに、武力でかなわないため、イスラエルに対するテロ行為が続発し、それに対するイスラエルの空爆、それに対するテロでの応酬としだいにエスカレートしてゆきます。

アルカイダは、本来パレスチナ問題とは関係がありません。
しかし、アルカイダは、そういったアラブ地区の反イスラエル感情、イスラエルを支援する反米感情を利用して、勢力を伸ばすことになります。

イスラエル建国以来、イスラエルとの戦いは、PLOパレスチナ解放機構がになってきましたが、中東和平によるパレスチナ自治区設立により、イスラエルとPLOの間で和平となり、PLOは、パレスチナ自治政府となりましたが、イスラエルとの妥協を拒否するグループが、それまで民生担当だったハマスをたより、ハマスが反イスラエルの象徴となります。
ハマスは、元々エジプトのムスリム同朋団を元に生まれた組織で、イスラエルとの対立の中で、被災した人達の支援をする組織でした。
被災した人達は、反イスラエル感情が高いため、しだいにハマス自信が反イスラエル闘争に加わるようになります。
そのため、対イスラエルのテロは、ハマスが中心となっています。

そのほかにも、反イスラエルの組織としては、レバノンのヒズボラがあります。
ヒズボラは、レバノンに本拠地をおくイランが支援する組織で、攻撃の主たる対象は、レバノン国内の親イスラエルのキリスト教マロン派になります。
そのため、ヒズボラが、積極的にイスラエルを攻撃することはまれですが、イスラエルがレバノンに侵攻してきた時、反撃の中心となります。
ヒズボラとハマスは、敵対関係にあり、イスラエルとハマスが戦っているときは、ヒズボラはイスラエルを攻撃しませんし、ヒズボラとイスラエルが戦っている時もハマスは動きません。

なお、イスラム教徒でも、ドズール派は、イスラエルと友好関係にあり、イスラエル軍としてハマスやヒズボラと戦っています。
また、キリスト教徒でも、ヤコブ派は、シリアと親しい関係にあり、イスラエルと敵対しています。

それらは、いずれも過去の歴史の関係上そうなっています。
    • good
    • 0

イスラエルは、そもそも古代イスラエル王国の成立からして業が深いものです。

#3さんも書いている通りですが、旧約聖書によれば、モーセに率いられてエジプトからユダヤ人が出てきたところがイスラエルの始まりです。ユダヤ人は「神様」のお導きのままパレスチナにやってきましたが、当然そこには先にパレスチナ人が住んでいたわけです。神様はユダヤ人に「この土地をお前たちに与える」といいましたが、先住民がいるので「神様、先に住んでる人がいるのですが・・・」と聞いたところ神様はなんと「殺しちゃってオッケー。だって、お前たちに与えることを約束したから」と豪快なことをおっしゃられました。

これが、ユダヤ(イスラエル)人が「パレスチナは自分たちの土地」と主張する根拠です。#3さんも書いているように、ユダヤ人というのは血族民族というより「ユダヤ教」という信仰を根幹にした宗教民族なんです。もちろん、ユダヤ人としての血筋はあるんですけどね。西洋人は見た目で分かるみたいですよ。ちょうど、日本人が同じアジア人である朝鮮人や中国人と日本人を見分けるような感じだそうです。
旧約聖書を経典としない私たち日本人からすると「なにをバカな」と思うのですが、ユダヤ教はもちろん、キリスト教もイスラム教も旧約聖書を経典としているので、「それは、神様がおっしゃったことに間違いはない」ということになります(もちろん、イスラム教徒としては大いに異論があるでしょうが)。
イエスが殺されてからほどなくしてユダヤ人の反乱がローマ軍によって鎮圧されてからユダヤ人はパレスチナを追われて「ディアスポラ」となり、ユダヤ人は寄るべき母国を失います。赤の他人からするとユダヤ人の行為はパレスチナへの侵略に他なりませんが、ユダヤ人からすると「ご先祖様の土地を取り返しているだけ」に過ぎません。別にヨソの土地でもいいじゃねえかとは決してなりません。なぜなら、ユダヤ人をユダヤ人たらしめているのはそのマニアックなまでの「鋼鉄の信仰」にあるからです(ユダヤ人が異教徒から嫌われる原因のひとつです)。イスラエルを諦めたら信仰そのものが成り立ちません。

エルサレムに「嘆きの壁」というのがあるのをご存知だと思います。古代イスラエル王国にあった神殿の一部です。ここには世界中から黒づくめのユダヤ教徒がお参りにやってくるのはご存知でしょう。
彼らが神様にお願いしているのは「あのイスラエルの栄光を再び我らに」ですが、その栄光の時代というのは3000年くらい前の話なのです。イエスの時代にはもう半植民地にされていてユダヤ人の不満はたまっていたのですから(それもイエスが処刑された原因です)、少なくとも2000年間ずーっと「あの栄光再び」と世代を超えて維持し続けているのです。ここ半世紀の戦争とテロなどは彼らからすれば文字通り「昨日今日の話」です。

蛇足ですが、アルカイダはそもそもアメリカ人の手によって作られた反共産主義義勇軍です。それが湾岸戦争をきっかけにアメリカと袂を分かちテロ集団となったのです。アルカイダは反イスラエル主義を主張のひとつとして掲げていますが、これは韓国の国会議員がとりあえず反日を主張するくらい「あのへんの人ならみんなやってる」ことです。
    • good
    • 0

パレスチナ問題は、もっと長い目で見る必要があります。



元々、その地にいつからユダヤ人が住んでいたのかは伝説の域を出ていません。
ユダヤ人≒イスラエル部族の歴史は主に『旧約聖書』に書かれています。
この「文章群」がくせ者で、何処まで真実を語っているのかは未知数です。
そこの前半部分は、ほぼ「神話」なのである程度「無視」出来なくもないのですが、ユダヤ人の初の統一国家である、「イスラエル王国」辺りからは、一概に「伝説」として切り捨てられない部分があります。
一応、教科書的な回答を以下にしておきます。

アブラハムの子孫であるイスラエル民族と、モーセに率いられてエジプトを脱出した奴隷達が、幾つもの部族に別れて「カナンの地=今のイスラエル・パレスチナ地方」に住んでいた。
そして、B.C11世紀頃にイスラエル民族初の統一国家である「イスラエル王国」が生まれます。
そして、アラブ人と衝突しながらもそこそこ王国を維持していきます。
しかし、3代目の王ソロモンが亡くなると王国は分裂してしまいます。(B.C933)
北イスラエル王国はアッシリア(B.C.722)に、南のユダ王国はバビロニアに亡ぼされます(B.C.586)。(南のユダ王国が滅びるまでの間に起こるのが「バビロン捕囚」)

その後ユダヤ人としての国家は持つこともなく、また民族も徐々にディアスポラ(離散集住)していくことになります。
(ちょっと長くなるのでこの辺は割愛して、、、)
時代は下り古代ローマ時代。
彼らは、ローマの支配を受け入れず、故にローマ人は危険視しながらもエルサレムの地を中心としたシリア属州の一部をユダヤ人の王ヘロデとユダヤ人議会に一定の自治権は認めます。(と言っても、通常のローマ人の属州統治のやり方ですが。)
しかし、ユダヤ人側が反乱を起こしたため、徹底的に鎮圧されてしまいます。(ユダヤ戦役A.C66)
そして、イエルサレムからは追放されることになりました。
また、ユダヤ人が忌み嫌っていたペリシテ人の名前をとり、この地方をパレスチナと名づけたました。
といっても、全てのユダヤ人が追い出されたわけでもなく、少数は住んでいたようです。
ただ、おおっぴらに信仰をする事は出来ず地下に隠れ教会を造ってひっそりと暮らしてました。

・・・で、この前後に登場するのがイエス・キリストとその教団。
彼らは元々ユダヤ教の中の反体制派みたいな感じでした。
しかし、ギリシア人を中心とした異教徒にも布教する方針に変更した為、少しずつローマ世界に浸透していきました。

その後(約7世紀以後)、エルサレムはイスラム教化したアラブ人に支配されることになりました。
また、キリスト教側の十字軍によるエルサレム王国などもありますが、ユダヤ人が政権を握ることはありませんでした。
(因みに、時代による差はありますが、イスラム教による支配の方がユダヤ人は過ごしやすかったそうです。というのもイスラム教は、信仰の自由は認めていて、多少の不自由を我慢すれば、おおっぴらに信仰してても大丈夫でした。逆にキリスト教徒のエルサレム王国時代は、かなり迫害されたようです。)

さて、第一次世界大戦期まで一気に時代は下ります。
イスラム教国家であるオスマン・トルコは弱体化し、英国を中心に西洋列強が世界を植民地化していく時代です。
この時、エルサレムをキリスト教徒側に取り戻す好機と捉えられました。
そこで、英国は二枚舌外交を開始します。
この二枚舌外交は、
1枚目・アラブ人への約束:フセイン・マクマホン書簡(英国のオスマン トルコとの戦いへの協力の見返りに、東アラブ地方(イラク、シリア、ヨルダン、レバノン、パレスチナ)およびアラビア半島にアラブ王国建設を支持する事を約束
2枚目・ユダヤ人への約束:バルフォア宣言(第一次大戦におけるイギリス内外のユダヤ人の協力を得るために「英国政府がパレスチナでのユダヤ人の民族郷土を建設を支持し、努力する」事を確約した書簡を出した。 )

もちろん、2枚とも約束が守られることはありませんでした。
第一次大戦後に、パレスチナは英国の殖民地(委任統治)となりました。
2枚目の約束によって、第一次世界大戦~第二次世界大戦終了後にまでかけて、ユダヤ人の移民が大量に流れ込むことになります。
これによって、現地のアラブ人とユダヤ人との間でのイザコザが耐えなくなりました。
第二次世界大戦後には、英国は手に負えなくなり、解決を国連に投げ出しました。
1947年に国連総会はパレスチナをアラブ、ユダヤの2ヶ国に分割し、エルサレムおよび周辺地域を国際管理下におくというパレスチナ分割案を採択しました。
これに対してアラブ諸国は猛反発をします。
そして、アラブ・イスラエルによる中東戦争に突入します。
1950年代末、パレスチナ解放を目指す「ファタハ(PLO)」が結成されます。
その後、何回かの和平の試みがなされますが、双方の思惑とともに欧米・アラブ諸国の思惑も絡み、未だ解決を見ません。
(もちろん、背景にアラブの石油の利権を巡っての争いがあります)

>・テロをおこなっているのは何人なのか?

テロの定義によりますが、個人的には双方とも、テロを行っているとおもいます。
ただ、最新の兵器を米国から貰ってるイスラエルは空爆を中心に、戦車で侵攻したり。
それに対してファタハは、自爆テロとか火炎瓶とか小銃とかによるゲリラ戦法で対抗、という違いがあります。

>・パレスチナ人=アラブ人 なのか?

う~ん、これこそ難しい問いです。
そもそもユダヤ人なんて民族は居ないという暴論まで生まれる位ですから。
一応、イスラエルの法律では「ユダヤ教徒=ユダヤ人」だそうです。
ただし、母親がユダヤ人ならユダヤ人だが、母親が非ユダヤ人なら子がユダヤ教徒でもユダヤ人ではない、、、だとか、結構ややこしいみたいです。

・・・と、長文になってしまったこと、ご容赦下さい。
簡単に述べても、これだけの歴史があります。
そこに加えて、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の共通の聖地であるエルサレムがあります。
そして、石油が豊富に眠る地方が続いている地でもあります。
それだけに、根が深く複雑な問題であるといえます。

http://rerundata.hypermart.net/ura/hexagon/texts …

参考URL:http://www.ijournal.org/IsraelTimes/index.html
    • good
    • 0

すみません、間違いがありました。



イスラエルの建国と第一次中東戦争の開戦は同じ日です。

イスラエルがパレスティナ自治政府に預けたのはガザ地区とヨルダン川西岸地区で、ゴラン高原をシリアへ返してはいません。
    • good
    • 0

・元々、パレスチナ地方はイギリスが統治していた、そしてアラブ人?イスラエル人?が住んでいた。


第一次大戦まで、パレスティナ地方はオスマン帝国の統治下にありました。一次大戦が始まると、オスマン帝国とイギリスは敵になったので、イギリスはパレスティナのアラブ人に反乱を起こさせようと企み、戦争終了後の独立を約束しました(フサイン=マクマホン協定)。

・イギリスは二枚舌を使い、アラブ人?イスラエル人とユダヤ人に分割
してパレスチナ地方を渡した
ところがイギリスは戦費調達のため、英国のユダヤ人ロスチャイルド(超大金持ち)へ、「パレスティナにおけるユダヤ人の民族的郷土の設置」を約束します(バルフォア宣言)。
さらに戦争が終わると、イギリスはフランスとサイクス=ピコ協定を結び、パレスティナをイギリス領にします。アラブ人との約束もユダヤ人との約束も無視されたわけですが、ユダヤ人のパレスティナへの入植は黙認しました。これ以後、パレスティナのユダヤ人が増えていきます。

・シオニズム運動により各所に点在していたユダヤ人がパレスチナ地方にやってきてイスラエルを建国した。
第二次大戦後、ユダヤ人はイスラエル建国にアメリカの協力を取り付けますが、イギリスは優柔不断な態度に終始し、問題解決を国際連合へ丸投げしたあげく、ユダヤ人とパレスティナ人のテロ合戦の標的が英軍にも向けられると、パレスティナから撤退します。
英軍が撤退した結果、第一次中東戦争が始まりました。ユダヤ人臨時政府の成立は開戦後です。

・ユダヤ人のイスラエルはアメリカから武器の援助を貰っているので戦争をして回りの国に迷惑をかけ領土を増やした。
戦争で占領した土地以外、イスラエルの国土はありません。よくわからない文章です。

・和平が進み、戦争で取った国を返した。
返したのはゴラン高原とガザ地区だけです。

・元々、イギリスの統治化だったパレスチナ地方には何人が住んでいたのか?
アラブ人がほとんどでした。
ユダヤ人は(だいたいの数字)
1882年:2万4千人
1919年:5万6千人
1933年:23万人(この年、ドイツでヒトラー政権成立)
1936年:40万人(このころアラブ系は120万人)

・テロをおこなっているのは何人なのか?
イスラエル建国直前には、ユダヤ人テロ組織とアラブ人テロ組織の両方がありました。建国後も、勝手に他国へ進入したり攻撃したりするイスラエルのやり方を、テロと非難する見方も存在します。

・パレスチナ人=アラブ人 なのか?
パレスティナ人=パレスティナに住むアラブ系住民
パレスティナ人とアラブ人とは、イコールではありません。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!