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縄文時代から弥生時代にかわった経緯を教えて下さい。

A 回答 (5件)

縄文時代は狩猟などの生活が弥生時代になり、大陸から稲作が伝わってきました。

(これって違いでしょうか・・・すいません)
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参考:



 縄文時代の遺跡の土器などから、「稲のプラントオパール」が検出されており、『稲』そのものは、縄文時代中期末頃?から栽培されていたようです。

プラントオパール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9% …

 ただ、陸稲であったり、水稲であっても湿地に種を撒き、収穫するだけであった可能性が高いです。

 畦や水路のある水田の遺構は、今のところ弥生時代以降のものしか見つかっていません。

 縄文時代の日本列島の人口は、最大でも20万人程度と推定されていますが、「水田」を伴った弥生時代が到来した結果、日本列島の人口は一気に200万以上に増加し、弥生時代の終わり・古墳時代の初めごろには500万人程度になったようです。

(弥生時代でも、山中には縄文時代と同じ採集生活を続ける人々が居たでしょうが、日本の歴史としては、平地の湿地帯に生活基盤を置く大多数の人々が中心となり、展開していきます。)  
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従来の歴史観では、



稲作等の文化を持った人々の渡来、による変化では?

http://inoues.net/study/toraijin.html
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従来の歴史観では、「縄文時代は狩猟採取の原始社会」、「弥生時代は稲作開始と定住社会」というイメージが昭和にかけて形成されてきました。


そのイメージから「縄文時代と弥生時代は、稲作の開始で分けられる」となっていました。
ただ、「弥生時代」という名称がついたのは、それまで出土していた土器と違う土器が東京の弥生町という所から出土し、それに「弥生土器」の名称を付けたことから始まります。

しかし、考古学と科学技術の発達でどうもイメージ通りでは無い事が分かってきました。
というのは、縄文時代の土器とされるモノからも稲作の痕跡が見られたりすることから、イメージと現実のズレが出始めているからです。

今後は、時代区分の仕方を巡って色々と議論がなされていくと思います。
今後の研究に乞うご期待!としか、言えませんね。

取り合えず、論争の的「歴博のC14年代測定法による弥生時代の開始年代」
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/0725/

熊本県教育委員会「歴史Q&A 塗り替えられる日本の歴史」
http://www.higo.ed.jp/bedu/edukuma/no15/q-a.htm
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稲作が広まった農耕社会の成立を弥生時代の始まりとする意見が有力なのですが、縄文時代に稲作が行なわれていたことが確実だとわかったため、縄文と弥生の境界をいつに設定するか、諸説あります。


中には縄文と弥生を分離する意味があるのか? という意見もあるようです。「縄文時代から弥生時代にかわった経緯」への回答は、今後の研究次第で、大きく変化する可能性が高いと思います。
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