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こないだ家に古い巻物を見つけました。
これはいわゆる家系図らしく、そこには歴代15人ぐらいの簡単な経歴が書いてあり、巻頭には読みにくい文字で「三代目(?)は戦国時代、甲斐武田家の家臣で400石の知行を貰っていた。武田が潰えた後に徳川に仕官しようとするが断られ、親戚のツテで紀州の細川家(?)の居候になり、しばらくして病死した。」という趣旨の記述がありました。
これって本物でしょうか?何となくうそ臭いんですが。
こういうものは、どこに行けば真贋判定してもらえますか?

明治時代に家系図の偽造がはやったそうですが、これもその類のようなもので、先祖が適当に作ったものと思っています。
なお、江戸時代の先祖は槍の師範をやっていたそうです。
これは、槍の使い方について書かれた巻物みたいなやつ(文字は何を書いているかわからないが絵でわかる)と古い槍が残っているので多分本当だと思います。

A 回答 (5件)

 系図は大事に保管してください! (火事になっても家族より先に系図を救出してください(笑))


 と、申しますのは、多分その系図は本物だろうと思います。しかし、書かれていることが、全部が全部真実ではない可能性がありますが。
 世の中に100%本物の系図なんてありません。徳川家だって、源氏の系図に無理やりくっつけているらしいという話を聞いています。畏れ多いですが、天皇家だって・・・。
 私が、その系図が本物だと思いますのは、少なくてもその系図の一番最後の人や、その人のお父さん、お祖父さんあたりは、いくらなんでも本物でしょう。
 問題はそこから先がどの程度たしかであるかということです。
 系図が江戸時代に作られたものであるとすると、江戸期のハッキリとしているところと、古代の源平藤橘・・・などの氏族の系図を巧妙につなぎ合わせて、立派な系図を作る『系図屋』の手によるものかも知れません。こんなやりかた↓
http://www.myj7000.jp-biz.net/q&a/q&a2.htm#016
 しかし、それでも大事なものです。ご先祖は昔からの言い伝えをもとに「武田氏400石」、「紀州細川家の居候」と書いておられるようです。これも大事なデータです。
 たしかに、武田家400石というのは史実にはあいませんが、何十貫か何百貫か貰っていたのを、江戸時代の相場に合わせてわかりやすく、400石といった可能性があります。ですから一概にダメだと決め付けないようにしたいものです。
 現在の普通のお宅で、こういう系図を持っているお家は少ないです(タマに自慢げに出してくる家もありますが)。
 さて、どこまでたしかであるか調べるのは、面白いけれども大変な作業です。
 調べ方は下のようなところかと思います。
 1.お寺の記録、墓
 2.郷土史(○○県史、○○郡史、○○町史など)
 3.郷土史研究家
 4.教育委員会、学芸員
 その土地の図書館で「○○町史」などを読んで見るところから始めたらいかがでしょう。そして教育委員会などで郷土史研究家を紹介してもらって、いろいろ教えてもらうのが良いと思います。
 調べる場所がアチコチと飛んでいたり、遠方であったりすると大変ですが。
 ライフワークにするくらいの気持ちで、ご自分でじっくりおやりになったら、最後はここのカテゴリーで専門家を自称する回答者よりも、ずっと立派な専門家におなりになるだろうと思います。
 最後に、どんな人にも系図の本物を貸さないように(預けないように)してください。公的な機関でもダメです。大学なども。なくなってしまった例が数多くあります。コピーで代用する方が間違いないと思います。

この回答への補足

ありがとうございます。しかし、今改めて見直したら色々勘違いしていました。
まず、武田に仕えていたときは自分の元々の領土を持っていたと書いてあります。先祖のうち一名が「元亀三年遠州二俣に於いて戦死」しているそうです。
また、細川家は記憶違いでした。紀州の安藤直次という人に徳川家への仲介を頼んだが、結局そのまま安藤家の客となりそのとき仮に400石を貰い、「大阪の役で功をなして元和五年○○(和歌山の地名、一応伏せます)に移す。」と書いてあります。確かに私の家は現在ここに土地を所有しています。そこは何も無い所ですが。
調べてみると確かに100%嘘という訳ではないような気もしてきました。

新たにお聞きしたいのは、元亀三年に武田はどこ戦っていたのかということです。よろしければご回答お願いいたします。

補足日時:2008/01/19 09:42
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No.3,4です。


「南紀徳川史」という大著があります。
http://www.amazon.co.jp/%E5%8D%97%E7%B4%80%E5%BE …
ひょっとしたら、この中に質問者さんの家系が出ている可能性があります。
この本は和歌山の図書館ならあると思いますが、よその地方でも大きい図書館や大学図書館にはあるんじゃないでしょうか。
インターネットで検索するか、電話で聞いてみたらいかがでしょう。
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この回答へのお礼

とても丁寧なご指南ありがとうございます!
万が一、身元がばれてもそこまで問題はないと思うので書きますが、まさに祖父母が住んでいたのが「田辺」という土地です。このあたりでは昔は良く知られた家だったといつも祖母が自慢していたんですが、あまり本気にしていませんでした。が、もしかしたら本当かもしれません。
今から教えていただいた文献を調べてみます。本当にありがとうございます。

お礼日時:2008/01/19 12:13

>新たにお聞きしたいのは、元亀三年に武田はどこ戦っていたのかということです。


・・・有名な「三方ヶ原の合戦」に関係していると思います。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%96%B9% …
 「三方ヶ原の合戦」OR「三方ヶ原の戦い」の記事は、このほかにも沢山ありますので、これらをキーワードにしてグーグルで検索してみるとかなりのことがわかります。

>紀州の安藤直次・・・これは超大物です。紀州家付家老の安藤帯刀のことでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4% …
おもしろいですねえ。安藤の家来になったのでしょうか?
田辺与力は関係ありませんか?客分というとチョクの家来ではないようなのであるいは与力かと・・・。
http://www.papy.co.jp/act/books/1-11769/
私はこの本を読んでいませんが、田辺与力だとすると、この本は参考になると思います。
いろいろ想像が膨らんできて面白くなってきました。 
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この回答へのお礼

調べたらありました。南紀徳川史に私と同じ姓が武術指南役(?)として載ってました!書いてあることが一致するので、おそらく当たりだと思います。一応簡単に結論書きます。興味なかったら無視してください。

残念ながらといいますか、田辺与力とは何の関係もありませんでした。
安藤直次は一時期、遠州掛川の城主だったようです。そのときに徳川に仕官しようとして、加ヶ爪民部という人(これが誰かわからない)を通じて安藤直次に依頼して、しばらく安藤家に居候していたようです。その後、安藤直次が紀州に転封されるときに、正式に安藤家の家臣となり一緒に紀州に赴いた。というのが結論です。本当にありがとうございます。

お礼日時:2008/01/19 18:43

武田家はすくなくとも 石高制ではないと思いますよ。

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地元の郷土博物館などに持って行ってみてはいかがでしょう?


大体、どこの地方自治体も郷土博物館とかを作ってるはずですので、必要なら専門家とか紹介してもらえるかもしれませんよ。
あとは、教育委員会とか図書館でしょうか?
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