プロが教えるわが家の防犯対策術!

こんばんわ、僕の家族は創価学会員です。家で会合をやる事もあり
集まる方は老若男女問わず本当に良い人達ばかりです。

ですがネット世界では主に批判され、周りの人間も
創価と聞くと良い顔をする人間・嫌な顔をする人間に別れます。

創価の人間に批判について聞くと正確な論拠を持って説得力の
ある否定をしてくれます。批判する人間に創価の何が嫌なのか
聞くと主に宗教というイメージから来る理解できない物に対する気持ち悪さ、強引な勧誘、公明党や創価の幹部による汚職に対する物が
多い気がします。

ちなみに汚職や勧誘についてはキッパリと納得の
行く説明をしてもらいましたのでここでは文字数の都合上割愛します。
(処分を下して放逐した人もいれば 、例えば疑惑というレベルの
P献金問題などでは無い物が無いと証明するのは難しいが、もしあるならば私の首をかける。と代表者が宣言した物もあるそうです)

博識で見聞豊かな方、創価や池田大作が
(1)批判される理由
(2)賛美される理由
(3)それらを踏まえて自分はどう思うか
を述べて頂きたいです。よろしくお願いします。

ちなみに僕は創価の活動や宗教性に対して深い理解はありませんが
創価に居る人達の姿や人間性が素晴らしい方が多いので
最後は「人で」信じてみたいと思っています。

A 回答 (8件)

創価学会の組織は、体質的に「超閉鎖的」「超保守的」「超排他的」なところがあります。


それは、学会が迫害されてきたという今までの歴史からトラウマになった結果だと思いますが、外部から見れば奇異に映るのは当然です。
それと、学会は社会の様々に影響を与えています。
聖教新聞の印刷は大手・地方新聞社の関連印刷会社を使っていますし、大手銀行には莫大な預金があります。某銀行の頭取は年始の挨拶に際し、財務省を後回しに、まず創価学会本部に行くことは有名な話です。
それと全国の学会平和会館の建設、墓地建設には大手ゼネコンを使っていますから、ゼネコンにしてみれば大得意客となります。
言うなれば「銀行」「マスコミ」「建設」「政治(公明党)」のキャスティングボードを握っているから不気味に思われる思います。しかも周りが批判ができないくらいの影響力を学会が持っているということ。
権力をもつものは個人であれ団体であれ、非難されるのは今も昔も同じことです。
さて池田氏ですが、学会・学会員の行動の源泉は池田氏に「いかに良く思われるか」にかかっています。また日蓮の教義が他宗教を排他する姿勢から、
組織として成績を上げることが「先生を会館にお招きすることに繋がる」「先生の言葉を頂戴する事に繋がる」、ひいては「学会の発展に繋がる」「広宣流布に繋がる」ため、強引な新聞啓蒙や折伏となるのです。
公明党の応援も源泉はこれに繋がっています。
これが一般人にとっては強引に映り、また恐く映るため、批判されるのだと思います。
池田氏の賛美ですが、これだけ賛美されているというならばとっくにノーベル賞をもらってもおかしくないと思いますが、いまだに貰っていません。
彼自身がマスコミにほとんど出ていないことも不気味さに繋がっています。
マスコミに出ない理由は、すでに言った通りですが、「池田氏が無用な攻撃に晒される姿を学会員に見せてはいけない」ことによる組織的な自己防衛です。
以前、「となりの創価学会」という本が宝島社から出版されたことがあります。広報としてはあれこれ難癖をつけて取材に応じない姿勢を見せましたが、秋谷会長(当時)のインタビューが載る事を知ったやいなや手のひらを返したような応対をしたそうです。
完全な縦割り組織、硬直化した組織の典型ですが、今の学会病を象徴する出来事です。
質問者さまは学会員ということですが、この質問に対する全回答を座談会で発表したら如何ですか?
幹部やご家族の抵抗があったら、それが学会の現実と思って下さい。

この回答への補足

一般人にとって社会への影響・体制・組織・活動・教義等が理解し難く奇異に映るからこその広宣流布では無いでしょうか?

池田大作の賛美については世界の有識者また
カストロや周恩来の支持、世界の数々の大学で名誉教授の賞を
受けていたりもします。それらの意図をくみ取れる程
僕には教養も学も無いのですが簡単に否定出来る物では
無い気がするのです。

僕は正しい見識がある訳では無いので否定も肯定も出来ない
悔しい立場ですので意見を伺いました。
忌憚ない意見ありがとうございます。

補足日時:2008/01/22 02:21
    • good
    • 2

 宗教という個人の心の問題に対しては、コメントする意味はないと考える半面、政治的な活動と結びつくことには問題ありと個人的に思っています。

=(1)と(3)が同じになりますね。

 民主主義の基本原則は、政策や選出される候補の資質を出来る限り知り、可否を自分で判断するところにあります。

 ですから、「池田先生のおっしゃることに間違いはない。」との信念で政治活動すること自体が、民主主義の原則に従っていないということです。

 宗教=『信じる』所から始まりますが、民主主義=『信じない』所から始まっています。

 日本国憲法や公職選挙法、行政不服審査法など、全て「間違いを正す」・「やめさせる」規定が細かく定めてあって、人間のやることは必ず間違いがあることを前提に、システムが作られています。
 政治を「信じる」所から始めると、そもそも選挙は不要です。

この回答への補足

なるほど…大変説得力のある回答ありがとうございます。
特に反駁する事も出来ません(´・ω・`)
その民主主義によって定められた日本国憲法では
国が宗教を押し付ける事は禁止しているが
宗教団体を基盤に持つ政党を作る事自体は禁止していませんからね。
めっちゃ政治と結び付いてますよね。公明党がいい例です。
矛盾がある様な無い様な…(`ヘ´)どうなんかなぁ…
よく解らないなぁ…説得力のある回答ありがとうございました!!

補足日時:2008/01/22 21:46
    • good
    • 0

私としましては、「創価学会 = 池田氏」となってしまう事に一番の嫌悪感を感じてしまいます。


現在の宗教指導者で、宗教名を聞いて指導者の名前がまず出てくるところは、創価学会以外には、新興宗教以外ありません。
また教祖を称えるのも、不祥事をおこしやすい新興宗教の特徴です。
そのため、一般の学会員でない人は、創価学会に恐怖感を抱いてしまいます。
そのため、創価学会を宗教集団としてではなく、池田氏崇拝集団であると見えてしまいます。
創価学会が、そのような状況を打破するためには、公の場での池田氏礼讃行為をやめる事が必要だと思います。

この回答への補足

公の場の定義がよく解りませんが、その場での礼賛行為を
やめた所で恐怖感が無くなるかは甚だ疑問に思います。
ですがそういった誤解や恐怖感を取り除く様な行動も
必要だと思います。広宣流布すらも嫌悪感を抱かせるよう
ですからね(´;ω;`)

補足日時:2008/01/22 21:23
    • good
    • 0

学会員です。



(2)【純粋に「信じて」、日蓮さんの教義を「学び」、他人のために「行動できる」人がいるから。】です。

「心こそ大切」の教えを守って、他人に迷惑をかけることなく、「信・行・学」を実践していると、現代社会で失われつつある「優しさ・思いやり」が身につくからです。

(1)ただし・・・・

今は、一般の方以上に「楽して、幸せになろう」と考えて「魔」に負けている方が多いようです。

学会が、「株式会社」みたいになっているからです。

★「新聞勧誘・折伏(会員勧誘)」の成果が「競争」になっている。
名目上は「ノルマではない」が、実質「ノルマ化」している。
池田名誉会長からの「表彰状」や「記念品」が、最大の原因。
「教祖」からもらえる物は、嬉しい。という「人間の欲を刺激するからである。」
だから、一般の方に対して、「理不尽な勧誘」が行われる。
「これこそ、魔に負けた姿であり、嫌われる原因のひとつである。」

★「お金を、たくさん寄付すれば、より幸せになれる」という「間違った知識が、末端会員にしみついている。」
「財務が、一番功徳がある。」という、「変な教え」が広まってしまったため、自身の生活を省みない輩が増えた。これも原因。

「以上、2点に関しては、【表彰状・記念品・お布施】の類は、すべて「恵まれない人たちへの募金にしてほしい」と思います。
私たちは「生きているだけで幸せ」という「境涯になる」のですから。
もう「会館」など不要。ひとつでも多く、「福祉施設」や「森」にしてほしいです。

★「魔と戦う」と称して、「悪口を平気で言い」「自分が絶対正しいと思い込み、聞く耳持たず」「なにかにつけて、信心が足りない」と言う、「へんくつ・洗脳人間」になっている人が多いからです。

「共産党」「坊主」「週刊誌」と聞いただけで、「関係者の全ての人を、毛嫌いする。」し、「脱会者・反逆者」に対しては「これが折伏だ!」と称して「まともな人間とは思えないような、汚い言葉を浴びせかける。」
これでは、嫌われてもしかたがない。

「彼らは、自身の心の魔に負けたかわいそうな人たち」のはず。
違うやり方はないのだろうか?
池田名誉会長にも抗議したことがある。
「宗教指導者が、他人の悪口を言っていいのですか?」と。

★「記憶力のみを評価する」試験のあり方にも疑問あり。

一般世間と同じことをやっている。
こんな試験では、「心の無い、ロボット人間しか作れない。」
すべて、池田名誉会長の「面接」にするべき。

「人材育成」がうまくいってませんね。一般世間以上に。
「責任職」なんていっていないで、「適材適所」にしないと「組織力が弱くなりますよ。」

◎人を信じるだけでなく、この教えを信じて、行動し、勉強して、「洗脳される」くらいにならないと、だめですね。
「信じる者は、救われる」のが宗教の極意ですから。

この回答への補足

学会員の方からの批判される理由を聞けるとは
思いませんでした。ありがとうございます。

確かに折伏は「自分が正しい、相手の間違いを
是正する」という意味合いを含みますし念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊などの有名な言葉もあり攻撃する事との境界が
そういう方の中で曖昧になっているのかもしれません…

ですが純粋に「信じて」、日蓮さんの教義を「学び」、他人のために「行動できる」人に僕が魅かれたのも事実です。特に彼らは「行動する」という事に重きを置きますね…
信じて、行動し、勉強して、「洗脳される」くらいにならないと駄目ですかね(笑)

僕は外に居る人間なので坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという様にならない様にしたいと思います。
丁寧な回答ありがとうございました!!

補足日時:2008/01/22 21:14
    • good
    • 2

#2です。


補足頂きありがとうございます。
>一般人にとって社会への影響・体制・組織・活動・教義等が理解し難く奇>異に映るからこその広宣流布
ということですが、それであれば、「広宣流布のためであれば、一般の人が学会の、社会への影響・体制・組織・活動・教義等について、理解し難く奇異に映ってもよい」という理解になります。
それであれば永遠に一般人と学会は融合することは決してないと思います。
広宣流布を目指す限りは、それが奇異に映ってもいいとおっしゃっているのですから。
>僕には教養も学も無いのですが簡単に否定出来る物では無い気がするので>す
については、確かに沢山の賞を取っています。
しかし、大手新聞社初め主なマスコミ各社が、その度に触れていないのは何故か?という理由も良く考えてみてください。
そこに本質が見えてきます。

この回答への補足

>>しかし、大手新聞社初め主なマスコミ各社が、
その度に触れていないのは何故か?
タブー視する理由は宗教に対する
扱いの難しさからではないでしょうか。
マスコミが善しとして扱う事になると信教の自由や政教分離の原則に
抵触するという批判が起こるからだと思います。
また広宣流布に関しても難しい…誤解が解けるまで何度でも対話をする
というのが多くの学会員の信念ですからね…その姿が奇異に
映るんだもんなぁ…二度も回答頂きありがとうございます!!

補足日時:2008/01/22 20:46
    • good
    • 0

#1です。



>池田大作の賛美については世界の有識者また
カストロや周恩来の支持、世界の数々の大学で名誉教授の賞を
受けていたりもします。

世界中の有識者には、コーディネーターにお金を払えば、誰でも会うことができるし、政治的な意図で賞をうけることもできます。
オウムの麻原でさえ、あのダライ・ラマと親密そうに写真をとっていますが、ダライ・ラマは、まったく親しくなくても、握手して写真位とりますので、このような人間だということは、認識していなかったとのこと。
法の華三法行の福永法源は、世界中の著名人との面会を依頼したコーディネーターから、コーディネート料を支払っていないということで、訴えられています。

このように、著名人とあったとか、賞とかは、その内容や経緯が問題であり、そのことだけでは評価の基準となりません。

学会員の中だけで認められる情報、聖教新聞だけが伝えることで情報捜査されており、善良な人々が独裁者によって利用されているように見えます。
そのため、フランスでは、カルト教団に指定されています。
http://nvc.halsnet.com/jhattori/rakusen/AntiSouk …

この回答への補足

>>著名人とあったとか、賞とかはその内容や経緯が問題であり、そのことだけでは評価の基準となりません。
なるほどねぇ…なるほど~勉強になりますね…
フランスのカルト認定に関しては元々政教分離の原則が厳しい国
なので一概に=邪教とは認識しがたいですが…うーん。
僕も創価についてもっと勉強して自分なり考えを持てる様に頑張ります!!二回も答えて頂きありがとうございました。

補足日時:2008/01/22 20:23
    • good
    • 0

こんにちは。


あなたは学会員を『すばらしい人』と評しましたが、それは本当だと思います。しかし、それが宗教自体や指導者の素晴らしさであるとは限りません。

地元で、明らかに異様で評判の悪い宗教が流行った時でさえ、その信者たちは普段から優しい人が多かったのです。

というか、自分が不道徳者だと思う人は宗教に嵌ることは少ないのではないでしょうか。
宗教を信じる人は、その教えで『善い』とされていることを熱心に実践するからです。

なぜ池田氏が批判されるかというと、共産主義独裁体制の指導者並みの個人崇拝を推進し、それを全国に波及せしめようとするからです。
それは、外部の人から見れば恐怖です。
また、池田氏や学会を批判した者を新聞、雑誌、書籍を通じ徹底的に弾圧し、その中には事実無根の中傷さえあります。

学会員は今や非常に多く、外で気軽に批判・評価することもできません。嫌がらせにあう、という認識が広まっているからです。
だから、余計に批判が溜まり、ネット上で爆発すると思います。

この回答への補足

>>しかし、それが宗教自体や指導者の
素晴らしさであるとは限りません。
確かにそうかもしれません…(´・ω・`)
個人崇拝ですか…難しいですね。彼らは池田大作を敬えというのが先に
あるので無く彼が平和や教育の為に尽力して来たその「意志」に賛同したからこそ敬う様になったのだと思いますよ。
嫌がらせにあうという認識が広まっているとはしりませんでした。
そんな事があるならばそれは断固放逐されるべきでしょう。

補足日時:2008/01/22 20:02
    • good
    • 0

批判される理由



・何年も全く連絡をとっていなかった人が、突然訪ねてきて、選挙の依頼をしてくる。
学会の指示で、田舎の同級生が、東京にいる人の名簿を頼りに訪問しているというのは、不気味です。
自分で考えていない、洗脳されている人たちに見えます。
現世ご利益のために魂を売ったのかという感じです。

・池田大作氏については、セクハラ疑惑、国籍詐称疑惑(日本人ではない?)、学会員以外は誰もほめていないのに、学会内のみで誉めたたえられている様子は、まるで北朝鮮の金正日のようにみえて、不気味。


でも、貴方様は、素晴らしいと思っているということで、おそらくすでに洗脳されつつある状態?次第に、この質問も「意見の表明」になってきて、終わりでしょうか。

この回答への補足

>>この質問も「意見の表明」になってきて、終わりでしょうか。
やりますね!反論しにくくなりました(笑)
忌憚ない意見ありがとうございます。

補足日時:2008/01/22 01:46
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!