織田信長が現実主義であることを物語るエピソードをお教えください。
織田信長はよく現実主義者だとよく言われますよね。
しかしそれを物語る具体的なエピソードは一般的には知られてはないような気も致します。
戦国時代は、多くの者が現実的だったでしょうし・・・。
勉強不足でお恥ずかしいのですが、「織田信長が現実主義であることを物語るエピソード」
について調べたのですが、よく分からなかったのでお教えください。
回答(5件)
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有名な話としては坪内石斎という料理人とのエピソードがあります。
信長が三好氏の料理人をしていた男を呼び出し、料理を作らせたものの最初は「まずい料理を作る料理人は存在意義がない」と処刑を命じました。
そこでその料理人は「もう一度作らせて下さい」と頼んだところ、二度目の料理に信長は喜び、彼を賄頭として召し出します。
これを不審に思った人が坪内に聞いたところ「最初は腕によりをかけた京料理。二度目は味を濃くした田舎仕立てにしたもの」と答えました。
要するに信長を「京料理の風情の分からない田舎者」とあてこすったのです。
しかしその話を聞いた信長は「自分の料理人が自分の好みに合わせて味を変えるのは当たり前だ」とそれを全く意に介することは無かったと言います。
つまり信長にとって料理人は「自分にとってうまい料理を作る人間」でありさえすれば、少々自分をあてこすろうがそんなことはどうでも良かったということです。
No.4ベストアンサー20pt
黒人のヤスケに関するエピソードをご覧になれば、信長の現実主義者ぶりがわかると思います。
http://www.sabii.com/blog/archives/2005/03/118.php
http://blog.livedoor.jp/nobunaga_1534/archives/5 …
No.3ベストアンサー10pt
根拠地の移動。
美濃攻略に際し新しい根拠を美濃方面へ建設させております。
そこで始めから都市整備などの国整備の実験と経験値を稼いでおります。
それに軍事行動で困るのは補給路と行軍の長さ。
これを解決するには根拠地を移動すれば短くなり効率が良い。
不可能を可能にした根拠地の建設と移動をやってのけたことでしょうかね。
これがやがて国人や土豪を切り離し、能力主義と行動力の持ち主の登用にもつながって行ったのではないでしょうか。
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