創る
消費者の立場と創る立場があると思うのですが、たとえばあるものを創るときにそれをいいものだと思うとかは消費者の立場だと思います。創るほうの立場は機能などいいものをつくりたいとおもっていると思います。多分機能などでいいものを創ってみてそれを消費者の立場でいいものか考えるのかなと思っています。これも仮説ですけど。これはいいとか買うのは普段どこにいっても買えますが創るのを自信もってしたいのですが、失敗してもともとという気持ちなんでしょうか。何か考えですすめるのでしょうか。それとも別なんでしょうか。別に高度なものでなくても創るというのを気持ち的に前向いてとおりくめばいいと思ってます。
回答(2件)
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No.2ベストアンサー20pt
本業はネットショップの運営ですが、親会社がメーカーなので開発にも関係しています。
>失敗してもともとという気持ちなんでしょうか。
実際に物づくりの現場におられたことはないのでしょうね。
そんな考えで物を作れるのは資金的に余裕があって情熱もなく片手間でやってる場合だけでしょう。
通常はどんなものでも成功するつもりで作るはずです。そうでなければ良いものも売れるものもできません。
商品開発は基礎研究とは違いますから、まず作ってみてから考えるということはほとんどないと思います。ニーズがあると思うから作るか、ニーズを産み出せると信じて作るかです。利用者の事を考えずに作りはじめるなどということはありません。誰にも利用されなくてもいいというような製品の開発は単なる自己満足になりかねませんし、よほどの大金持ちでもなければ不可能です。商売ではなく道楽と言うべきです。
この回答へのお礼
なるほど、ある程度の確実でないといけないのですね。ご回答ありがとうございます。
No.1ベストアンサー10pt
こんにちは。
人事などで実務を担当してきた者に過ぎません。またお客様などCSなども実務を行ってきましたが、今や「創造的な破壊」が必要な時代かと思います。
作る→造る→創るということは、個人的には、消費者、お客様や「利用」する側にとって満足のいくものを「創る」ということはもはや当然のことであり、例えば携帯電話が顕著な例なのですが、必ずしも多機能が不要な人もいるかと思います。使いもしない機能を満載することが全てとは限らないと思いますし、テレビ電話や、ワンセグなどが必ずお客様のほとんどが望んでいるのだろうかと思います。
創造的な破壊とは言え、不要なものを選択する自由が減りつつあるのではないかと最近の家電を見て思います。
商品だけではなくサービスにおいても同じことが言えるのではないでしょうか。ペットボトルなど便利な容器もリサイクルされているのはほんの3%前後で実はほとんどが普通のごみと分別されながらも一緒に焼却されている現実を考えれば、お茶碗をつかう日本人の文化と比較した場合、たとえ100円ショップで販売されているお茶碗にしても、ペットボトルと同じくらいの価格です。
日本人のものつくりは昔から安いものでも「大切に使ってくださいね」という良い意味での風習がありました。今でもあると思いますが、現実的には「消費」しないと生産ができない経済状況はあるとはいえ、抽象的な表現で申し訳ありませんが、創る側と使う側の心が伝わるようなものであり続けて欲しいと思います。
参考程度にでもなれば幸いです。
この回答へのお礼
たしかに使うと創るで心は通じなくなってます。使うのは大量ですし、意識しません。満足なものをつくってそれと逆に何も機能などがたくさんの状態でなくていいってことですね。ありがとうございます。
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