プロが教えるわが家の防犯対策術!

 一般論です。つまり 一般論として提出することができるほどだという観察があります。
 すでに一度 問うたことがあります。
  Q:《絶対》の概念を日本人は理解していないのですか
   http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3061598.html

 たとえば 仏教では 人間を初めとして有情には 仏性があると言います。例外がなければ この事態は 絶対なのではないですか。
 八百万の神々は 絶対でしょうか。そうでないでしょうか。あるいは わざと あいまいにしておくのでしょうか。もしそうだとすれば それは なぜでしょう? 
 曖昧にするということは 絶対と相対との区別を知らないわけではない。知っていて 最後の結論を言わないという事態であるはづです。
 
 司馬遼太郎が 短い文章として 《絶対》の概念と日本人という主題で語っています。参考にどうぞ。
  http://www.asahi-net.or.jp/~pb5h-ootk/pages/S/si …
(第一段落の《(開高健への弔辞)》のみで いいと思います)。
 このように効用もあるはづですが もし理解したという姿勢を見せないのだとすれば それは なぜでしょう? おしえてください。

A 回答 (33件中1~10件)

「鬼頭秀一氏は、ちゃんと『自然保護を問いなおす』(ちくま新書1996)のP21でちゃんとこう指摘してくれている。

 「ただし、ツイアビの演説はサモア人の普通の話し方とは異なるし、サモアの演説の形式も踏んでいないことから、文化人類学者の間では疑問視されてきた。そして、最近これが偽者であることはほぼ明らかになっている」 」

「そう、鬼頭氏が指摘するように文化人類学者の間では、パパラギが偽者であることは常識だったのだ。パパラギ・ブームもあいまって日本のサイトには、こうした写真が掲載されているのだが、「ツイアビ」という人物も存在しない。ツイアビとはただ「酋長」を意味する言葉にすぎず、ツイアビの本名はアガエセ(Agaese)といった。そして、実際のアガエセは、反文明思想とはほど遠い人物で、当時サモアにいたドイツ軍の軍属でキリスト教徒ですらあった。加えて、アガエセは、ヨーロッパを一度も訪れたこともなければ、仲間のサモア島民にスピーチもしていないのだ。このことは、実証もされている。オーストラリアのシドニーのニューサウス・ウェールズ大学のグラント・マッコール(Grant McCall)教授が、サモア島民にパパラギの内容を講義してみたところ、サモアの人々は、その内容に首をかしげるばかりだったのである。」

「では、パパラギを書いたのは誰なのか。そもそもパパラギが誕生したサモアがどのような地なのかその背景から探ってみよう。」

「サモアは、ニュージーランドの北2,300km、ハワイの南3,700kmの南太平洋上に位置しする。東はクック諸島、南はトンガ、そして北にはトケラウ諸島が連なる。海峡を挟んで18km離れたサバイイ島とウポル島の2つ島を中心とした群島だが、全部合わせてもその広さ2,935平方キロで鳥取県ほどでしかない。人口も9割以上がポリネシア系のサモア人で、残りは、サモア人とヨーロッパ人の混血である。」

「農業と沿岸漁業中心で、タロイモなどが生産されているが、その80%以上が自給用である。宗教は、キリスト教がほぼ100%である。」

「さて、サモア諸島には、紀元前1000年から人々が定住し始めていた。だが、西洋史に登場するのは、1722年にオランダの探検家ヤーコプ・ロッヘフェーンが「発見」してからである。その後、1768年にフランスの探検家ルイ・アントワーヌ・ブーゲンビルが訪れ、「イール・デ・ナビガトゥール(船乗りの島々)」と名付けている。1828年には、メソジスト派宣教師上陸、その後、各派宣教師が上陸し布教活動が活発化していく。そして、1850年以後は、商売を目的とした移住も増えた。」

「1839年には米国のウィルケスがサモアの部族と通商協定を結び、1878年には米国は海軍の石炭供給所確保のため、東サモアのパゴパゴを併合した。イギリスもサモアに通商の拠点を置き、捕鯨船の補給港として栄えた。」

「ここで、ドイツが登場する。植民地政策で他の列強に大きく後れをとったドイツは、その隙間を埋めるかのように、アフリカや南洋諸島に進出し、植民地を建設していく。1857年、ハンブルクのゴーデフフロイ商会が南洋事業の拠点をサモアに置き、南洋各地の商人と取引を始めたことから、イギリスや米国と権益が衝突する。」

「1888年にサモアの2部族間で起こった争いに米、英、ドイツが介入したことから、混乱が広まる。事態収拾のため、翌年ベルリンでドイツ・アメリカ・イギリスが協議し、サモアでの3国の権益に制限が設けられ、形だけは住民自治が認められた。だが、部族たちは押しつけられた自治を認めず、パパラギの謀略も手伝って、再び1899年に内乱が発生。この混乱に乗じた米国は、イギリスと同盟を結び、ドイツが本拠地としていたウポル島のアピア(Apia)を攻撃した。」

「事態収拾のための協議が再び1899年12月にワシントンで行われ、ドイツは西サモアを、米国は東サモアを、そして、イギリスはサモア諸島から退く代わりにトンガ諸島とソロモン諸島を分割統治することで折り合いがついた。」

「こうしてドイツはニウエ、トンガ、ソロモン諸島から撤退し、ドイツ人知事が西サモアを統治することになる。当然のことながら、これに反対する住民運動も活発化した。」

「さて、アガエセの演説をドイツ語に翻訳したというエーリッヒ・ショイルマン (Erich Scheurmann)は1878年にハンブルグで生まれ、画家、作家、童話作家、人形使い、教師と様々な面を持つ人物だった。19歳のときには全ドイツを放浪し、1903年からは、ボーデン湖畔で暮らしていた。このショイルマンが、サモアや南洋のドイツの植民地を訪れたのは、1914年のことだった。だが、1914年8月、第一次世界大戦が勃発すると、同月に早くもニュージーランド軍がイギリス軍、フランス軍、オーストラリア軍の援護を受けてドイツ領のサモアに侵攻。ドイツはサモアを失い、1919年からはニュージーランドの委任統治領となっている。」

「ショイルマンも第一次世界大戦が起きると抑留された。パパラギを書いたのは、まさにショイルマンである。つまり、自分の思想を売り込むために、ツィアビが語ったことにしたのである。しかも、ショイルマンの思想もオリジナルなものではない。パパラギの基調をなす思想は、同じくドイツ人であり、アフリカや南洋諸島を調査していたハンス・パッシェ(Hans Paasche)の「pacifistic Tolstojan」に基づいている。しかも、ショイルマン本人は、植民地主義を正当なものと考え、後には、ナチのための宣伝文さえ書くような人物だった。」


「ショイルマンは、1918年の戦争終結の直前にドイツに帰国し、1930年からはアルムスフィード(Armsfeld)で暮らし、1957年に79歳で死んだ。」

「南の理想郷は、まさに第一次大戦の厭戦気分にかられたショイルマンの空想のものだったといってよい。」

「ショイルマンが自ら吐露したように「パパラギ」は嘘つきなのである。西サモアが独立したのはその後の1962年で、東サモアは事実上、今も米国の統治下にある。パパラギの中に描かれた理想郷とはほど遠い。だが、スロー・ライフ・ブームに乗って、「へぇー、やっぱり伝統的な民族の文明批判力にはすごいものがあるよなー」とその嘘にだまされてしまっている日本の若者たちは、サモアの人々よりもさらに不幸としか言いようがない。」
http://pub.ne.jp/cubaorganic/?entry_id=293974より引用

「Actions speak louder than words.(人はことばより行ないで判断される)」
http://www.mock-examination.com/mosi_kotowaza.htmlより引用

この回答への補足

 そうですか。パパラギがそういう作り話だったとは知りませんでした。ていねいに貴重な資料をおしえてくださって ありがというございます。お礼申し上げます。

 いちおう 正確を期して 細かい点をも添えたいと思います。
・鬼頭秀一の著書について まだわかりませんが それを紹介するこの《嘘付きパパラギ》の文章にかんして 作り話であることを 決定的に論証しているとは言い切れないうらみがあります。
・つまり 本人であるアガエセから ショイルマンが聞いた話という要素は まったくないのかどうかです。それに基づいていると言われる《ハンス・パッシェ(Hans Paasche)の「pacifistic Tolstojan」》では どうなのかです。

・わたしが このパパラギをここで引用したのは 文明批判そのものの問題ではなく 全体として ひとつの・《絶対》なる概念の受容の仕方を示していると思われたからです。ましてや 《南の理想郷》うんぬんというのは まったく 別の問題です。
・《絶対》に相い対するとき そのようなたぐいの受け留め方もしくは受け容れ方を ニホン人も していて ちっともおかしくない。あるいは さらに別の対応もありうる。こう言いたいためでした。その点は まだ有効だと思います。 
 (いやいや ちゃんと別の対応をしているではないかというとき それに対しては いまの概念を あくまで概念としては受け取ったということまでは はっきりと触れて 明らかにしていることが 望まれます)。

・サモア人の話しではなく ひとりのドイツ人の受容の仕方であるのなら まったく話しがちがってくるのですが それでも われわれニホン人は われわれなりにその欧米の文明を受容してきているのですから けっして 問題のあり方が 消えてしまうとは考えられません。

・《「Actions speak louder than words.(人はことばより行ないで判断される)」》というとき 過去のおこないを 何の留保条件もつけずに そのまま持ち出すのは 考えものだと思います。つまり 極端にいえば あたかもニホン人は いまも 過去と同じだから かれらを拉致してきても 行ないで判断したのだという言い訳を聞かされるような感じが うっすら してきます。

・問題は 概念を受容することであって そのあと じつは必然的に伴なわれる《信仰》についても それは 有と無との選択があるのですから 何ら問題はないはづです。という質問趣旨なのですが。ですから わざわざパパラギを出してしまいましたが 大航海時代以降の西欧・米のおこないの歴史と 直接の関係はないとお伝えするべきでした。 

補足日時:2008/02/09 00:32
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 bragelone様


 ありがとう。よく斟酌み取ってくださいました。
 ご苦労をおかけしました。《それにしても 表現じたいと意味内容とのつながりが ぴんと来ていません。》だと存じます。ではどういう意味かなと考えても、結局こうしか理解できませんでした。
 私は禅の勉強、特に道元による曹洞宗が少し身近にあったりしたせいか少しは曹洞宗の本も読んだという限りでなのです。理解は無論、仏教修行のいう所謂る、見性というものは全くできてはおりません。だからとてもおこがましいし、はずかしいのですよ。
 だから臨済宗や禅のかたが、私達のこのやりとりをもし、目にされたら、誤解釈も甚だしいなどと思われているかもしれません。
 そんなことになったら、bragelone様、どうかお許し下さい。
 でも、私の解釈は、一応バガヴァッド・ギータ的ではそれほどの誤解釈にはなってはいないと存じます。
 暫くこうしておいて、ご注意などをいただけますように、恥をさらしております。
 どうかお教えの訪れますように共に祈りましょう。
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この回答へのお礼

 わが祈りに代えまして。
 また あらたな出会いを楽しみにしております。


 塔のうた(赤い赤い朝が・・・)

  水平線を染める
  赤い朝

  静やかに
  のぼるやしろは
  鮮やかな

  銀緑

  紫の塔をころがして


  《想うにあらず
  《想わざるにあらず


  青い空を映して
  波間の
  島と島とのあいだの

  磁場に
  動く

  島が動く
  一瞬を見ただろうか


  塔を漕ぐ
  やからの海に
  きょう
  赤い赤い朝がのぼる

お礼日時:2008/02/09 20:30

 bragelone様 私も貴兄様のご文章に、実は降参しているのです。

そして私も貴兄様に何とか伝わるように、最大限の説明をしてきておりまして。説明をすることも実は、ギヴ・アップかな、文章では。
 《《大燈国師》とは どういう人かから~~》
 Wikipediaにもありますし、むしろ、今はご関心がない状況なのだと存じます。対象として眼前おけば、何のこともない話なのではないかと存じます。
 この関連の話頭を私が出したのは、ここのご質問での、不可視とされている、絶対を目指す一つのジャンルでは、どう見ているかということからでした。
 
《・《議論を外す》が ~~~禅問答のほどの言葉も出さない》
 これは私達が他人と話をしていく折に、経験させらるいやなことを出しています。絶対やまともなことを話し合おうとすつと、日本人の中には、多く、馬鹿にしたように、或は、逃げるように、自分を斜めに構えて、まともな受け答えをはずす人が多くないですか?
 お前みたいな青臭い餓鬼は相手にできないよってね。
 そんな場面などを思い浮かべてのフレーズでしたが。だから偈の話とは、繋がりません。


《・《虚空に向かって 牙を咬む》 これは~~》
 私はそういう意味とりませんでした。国師独特の感覚、進境などの表現の仕方でしょうか。私には自分が虚空と、その先に自分をぶん投げている国師の凄まじさが浮かんできますが。虚空には相手などはまったくないでしょう。自分の物理的解釈を重ねても、この世界はしょうがない。

《・《私達の精進心とその直観的仏心を常に錆びないように》と~~~ そして《吹毛常磨》とが もし同じ意味でしたら これは――これについては 自信がありますが そして すでに申し述べましたが―― 自分でおこなう精進は 知れたものだと思っております。ですから ことさら 《磨く》こともしません。味方(と敢えて分けますが)を愛する以上に 敵を愛するとき(つまり その敵が 自分の力を十二分に発揮できるようにと その言い分をこちらが解釈するなど するとき) わたしたちには魂が さらになお 与えられるものと思っております。》
 のご解説は、ここの問題ではなさそうです。私達は自力であり、他力ですし、大乗であり、小乗であらざるをえない存在です。同じ事のコインの裏表と存じます。と教えられていますし、私自身まったく、その通りだと存じます。
 《そしていつも全てを、いと、元素根源意させていく気概》誤植⇒《そしていつも全てを、いと、元素根源にさせていく気概》が訂正です。
 禅の場合は知りませんが、私達では、《絶対》は覚知して向かうのではなく、最終究極の覚知(理論や五感でのではなく)のために向かうのだとされています。それはかの西洋人ダーウインとかの進化論の逆で、私達が出てきて、現に核、基盤となっている究極、唯一の実存在です。だから、そこに至らないものには、それを自己の本体だとアイデンティになりえません。ではどうするか。自己に創造者が自分を埋め込んだ、吹毛の剣、ブッディ、引かれいく本心を磨き、常に新たにして精進していく。それだけしかない。肩あって、それは肩あれば着るでしょう。口も喰らうでしょう。その肩と口が大事だということではないですか。
 (求めよ、さらば)とかのフレーズもありましょう。
 求める対象は今は見えない。でも求めよという声に素直になって、求めていく。これだけのことしかいっていないと存じますが。
 貴兄からみればなぁんだでしょうね。でもこれは凄まじくもそして、人間と創造者のすごい関係をいっております。
 
 なおかの西洋人の進化論の人間が発達してきた、という論は、宇宙の循環ののぼりという反面をいっているの過ぎず、更にどこへ発達していくのかが、わかっていない。そしてその一番下の、鉱物状態には、どうやって、究極者から下降してきたかの知見も説明もできていない。意識もできていない。進化論とはそんなもんですね。

 肩あって、・・。は講義の内容で、講義録からの抜粋です。
 ですからこの欄の上での説明としてのぶんしょうてはありません。
 あくまでも、明日食うことをなんでそんなに心配するのだ、という講義場面のことばです。でも国師は肩や口をそこまで含めて言われていると存じます。求める仕方、もとめることの大事さを、」その基本性を。

この回答への補足

 《議論を外す》――《1.打てば響く / 2.打っても響かず / 3.打った場所とは違うところで響く》の(3)でしたか。わかりました。

 自力・他力が 合わさっているとのご指摘は 了解しました。

 《牙を咬む》は やはり分からずです。《叡智をつねに磨き――機輪転処――虚空に向かって牙を咬む》????????・・・《常に新たにして精進していく》でいいのでしょうか。《求める対象は今は見えない。でも求めよという声に素直になって、求めていく》。
 ――たしかに《牙を咬む》という表現で そういう日常の基軸となるようなおこないを言っているとしたなら 《凄まじくもそして、人間と創造者のすごい関係をいっております》と肯んずることになりますが それにしても 表現じたいと意味内容とのつながりが ぴんと来ていません。・・・

 すでに十九世紀の終わり頃に 例の『宝島』の作者R.L.スティーヴンスンはサモアの人たちに次のようなことを語っていたと 中島敦が紹介しています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 酋長たちよ。・・・私の申し上げたいのは 外敵に対する勇敢な戦士としての諸君の時代は既に終わったといふことです。今や サモアを守る途はただ一つ。それは 道路を作り 果樹園を作り 植林し 其れらの売り捌きを自らの手で巧くやること。一口にいへば 自分の国土の富源を自分の手で開発することです。
 之をもし諸君が行なはないならば 皮膚の色の違った他の人間共がやって了ふでせう。
 ・・・即ち 此の島の酋長といふ酋長 島民といふ島民が残らず 道路の開拓に 農場の経営に 子弟の教育に 資源の開発に 全力を注いだら ――それも一(いち)ツシタラ(=スティーヴンスン自身のこと)への愛の為でなく 諸君の同胞 子弟 更に未だ生まれざる後代の為に さうした努力を傾けたら どんなに良からうと思ふのです。
 (中島敦:『光と風と夢』 1942)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 いまこの設問でわたしが問題にしていることは 《絶対》の概念の活用が すでに 西欧で起こり やってしまってもいるということです。進化論ではありませんが その概念の活用の仕方が まちがっていたとするなら たとえばわたしたちが そのことを指摘していけばよいということです。
 《絶対との凄まじい関係》の表現は 格闘技となると思います。広く大局的に表現する場合もあるでしょうが 細かく分析して明らかにする作業も これから大事になると確信しています。
 (信仰一般の理論を わたしは 試みています。そのような方向を思っています)。 

補足日時:2008/02/09 15:31
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 《議論を外す 斜めに構える。

》とこの引用の遺偈とは関連させては居ませんのでどうか別にお考え下さい。出している仕方も違うし、場所もことなるのですが。
 遺偈というのは、禅問答とはたいへん性格がことなるものと愚考しております。大燈国師の、肩あっての・・、はこの遺偈の理解にもたいへんやくだちますね。そして仏祖・・、は最後の虚空に向かって牙を咬むに続いていて、凄い迫力ですね。私達の精進心とその直観的仏心を常に錆びないように、そしていつも全てを、いと、元素根源意させていく気概。こういう迫力をうけとれる前半分と存じます。後半分はそれを根っこにしながらの、プラナヤマと、その先の普遍や根源存在へのさしむけでしょうね。
 《機輪転ずる処》とは ふつうに《われ行くところ》と取っては いけないのでしょうか。
 ☆そういう意味として通じればよろしいでしょう。ただ禅は知りませんが、さ迷い歩く有情存在としての私達の心や気持ちを支配することは、修行には欠かせませんね。そのための作業であり、一種のプラナヤマだと存じます、私は。仰せの事では禅には意味がないのではないでしょうか。

 《《心意気やよし》というとき ~~~》
 このフレーズはbragelone様のものでしょうか?大燈国師の遺偈のことについての仰せでしょうか?そうであるならば、大燈国師の遺偈は全ての点を充足させておられると存じます。
 ただ私は、こういう凄まじいご修行の道は選んではおりませんが。
 人それぞれのせいかくでしょうね。
 それでも、大燈国師は実際は多分、柔和なあたりの方ではないですか。そして私達の凡俗の道でも、決然とするところでそれを欠いたら全く何も意味がない、ということでもありますが。
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この回答へのお礼

 《大燈国師》とは どういう人かから学び始めなければならないようです。正直に申しまして ギヴアップです。

・《議論を外す》が 禅問答のほどの言葉も出さないということを意味するのでしたら 意思疎通が 困難にならないでしょうか。

・《虚空に向かって 牙を咬む》 これは 相手の牙ではないでしょうから 自分の牙を咬むのでしょうか。咬めません。牙を咬み合わせるのでしょうか。何らかの決心や自覚を表わしたものでしょうか。

・《私達の精進心とその直観的仏心を常に錆びないように》と そして《吹毛常磨》とが もし同じ意味でしたら これは――これについては 自信がありますが そして すでに申し述べましたが―― 自分でおこなう精進は 知れたものだと思っております。ですから ことさら 《磨く》こともしません。味方(と敢えて分けますが)を愛する以上に 敵を愛するとき(つまり その敵が 自分の力を十二分に発揮できるようにと その言い分をこちらが解釈するなど するとき) わたしたちには魂が さらになお 与えられるものと思っております。つまりそのとき 言うならば 《吹毛が つねに 磨かれた恰好になる》 こういう心づもりでいます。自力と他力でしょうが この違いは 面白いかも知れませんね。

・《そしていつも全てを、いと、元素根源意させていく気概》《元素根源意》《プラナヤマ》《後半分はそれ(前半分)を根っこにしながらの、プラナヤマと、その先の普遍や根源存在へのさしむけでしょうね》
 《普遍や根源存在へのさしむけ》――もし《絶対》のことでしたら その絶対への《さしむけ》とは いったい どんなことを言うのでしょうか。単純に心の開け(また伸び)として《信じる》では いけないのでしょうか。そのほかに 何があるのでしょうか。そうなると 皆目 見当がつきかねています。

 すべてをさらけ出して ギヴアップです。

お礼日時:2008/02/09 10:07

どうも、そろそろ私と質問者様の意見の交わる点とそうでない点が見えてきたのでは…と思いますので特に何もなければこれを最後とさせていただきます。



まず定義づけや想定・理解に対しての捉え方の相違は恐らく交わりません。
それと司馬遼太郎の《絶対》関連の言葉は私にとって、既に何者かによって完成された「偽りの理解」の一つでしかなく、それを前提に出された所で私が《絶対》の理解へ近づくことはありません、つまり質問者様が《絶対》や私の思想を理解することへも近づきませんので…勝手ながら回答は拒否させて頂きます。

そして今の私一人で思考し得る思想は一応出し尽くしたと思います。
私の思考の上で起きた思想から導き出される回答は、先に語った以下の五つです。
・《絶対》なる存在が存在しないから
・《絶対》でないが故に《絶対》を認知できないから
・「理解する」ことを本能的に恐れている故に《絶対》の理解を拒んでいるから
・《絶対》を理解しない(理解したという姿勢を見せない)ことが《絶対》の運命だから
・理解する必要がないから


>ANo.26 krya1998さん
私は私の思想を私の言葉で語りました。
恐らくkrya1998さんの読解に通じる部分もあればそうでない部分もあるでしょうし、多少なりとも意味が変わってくるでしょう。
krya1998さんの読解を殆ど理解出来なかった私から言えるのはこれだけです、それと返答に感謝致します。


最後に…誰かがこの疑問への己の回答を出す為の力となれることを祈ります。
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この回答へのお礼

 たぶん ふたたびみたび jd8hnshuahさんは このことについて 考えをめぐらすようになられるのではないかと思います。それは 前回の中で 希望を述べておられるかたちに わたしには 映りましたので そう感じられます。

 司馬遼太郎の作品は 虚構です。歴史小説と言っても 大うそです。ただ 表現を与え形をつくったことによって その作品を 誰もが 会話に出して 話し合うことができるようになったわけです。あたかも そのような虚構――仮りの想定――が いまの絶対という概念だと考えます。
 そうは言っても  ややこしいことに この概念は 想定を受け容れたときから すでに 生きた生活態度として ( a )神が存在するという信仰か ( b )存在するのは無神であるという信仰か どちらかを選ぶ恰好となるという変わった性質の問題です。

★ ・《絶対》なる存在が存在しないから
☆ つまり 無神論であると宣言されたと理解します。
 さらにその先の問題としては 有神論にしろ無神論にしろ あるいは有神論の中で その神をどんな名前で呼ぶにしろ すべては その差異は 互いに同等であり対等な良心の自由にもとづいているということです。言いかえると これらの差異を わたしたちは それこそ絶対的に 互いに認め合っていかなければいけないということだと思います。
 ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/09 01:19

 bragelone様


 最初に補足でのお教え有難う御座います。
 それにしても貴兄の文章は、親切な貴兄のお心とは別に、自分の中で、飲んでしまって、そのプロセスや対人的言語への翻訳を省略しているのではないでしょうか。とても私の思考では後に続いていくのができなくて困っているのです。
 多分そのことは私の文章を貴兄が読む場合も同じ事が生じているのではないかなと、少なからず悲しんでいます。体面の対話であれば、多分直ぐにも理解できるであろうに。
 それにしても先のものに比べれば、今回は何度か読めば少しは理解できないかと、努力しております。

 大燈国師(宗峰妙超大師)の遺偈の前半分(截断仏祖、吹毛常磨。)はもうお分かりのことと存じます。そして前半分(機輪転処、虚空咬牙。)は、「機輪転ずる処、虚空、牙を咬む。』)という読むのだと、このサイトで教わっています。でも全体についても、意味はお教えいただいておりません。
 それはこういうものは何でも教わるものではない、という自戒からもお聞きしておりません。
 ただ字についてお尋ねしました。以下の所にあります。どうかご参考にしてください。
http://kikitai.teacup.com/qa3736463.html
 拙い私の読解よりも、どうか、気持ちや、こころをぐいっと攫んで虚空に差し向け、牙を咬む、大燈国師(宗峰妙超大師)の心と意気を感じていただくことかも知れません。
 敢て、いわずもがなを語ります。

参考URL:http://kikitai.teacup.com/qa3736463.html
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この回答へのお礼

★ 議論を外す   斜めに構える。(ANo.22)
☆ 《構え》は 斜でも正面でも 自由だと思います。そして 《議論を外す》ほう これは 困ったことにならないですか。
 それは 虚空咬牙のように 禅問答のたぐいのことを指して おっしゃっているのでしょうか。
★ ・・・気持ちや、こころをぐいっと攫んで虚空に差し向け、牙を咬む・・・
☆ なお《牙を咬む》は分かりません。ひょっとして 唇を咬むのような単純なことなのでしょうか。それにしても 前半からのつながりが 取りにくく思います。
 《機輪転ずる処》とは ふつうに《われ行くところ》と取っては いけないのでしょうか。

 《心意気やよし》というとき じっさいには 誰が言ったかで その内容は ちがってくることがあります。功成り名を遂げた人が言うのと そうではなく ふつうの人が言うのとでは 受け取られ方がちがってくるように思います。そして そうだとしたら やはり この心意気そのものにまでも ことばで届くような表現が 大事ではないかと思います。その心意気の息吹きを消すことなく しかも 言葉で ある程度 分析しつつ明らかにするかたちの表現 これが叶えばよいと考えます。

★~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 自分の中で、飲んでしまって、そのプロセスや対人的言語への翻訳を省略しているのではないでしょうか。とても私の思考では後に続いていくのができなくて困っているのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ わざと 一文を長くして書くくせがあります。論理を追う過程を
大事にするためです。それを読み解くときの推論の過程 これを大事にするためです。――つまりは 生意気にも こちらから そのように大事にすることを 人に 要請するといったところがあります。
 これは 自分が書いた文章を読み返すときに さらに途中に説明文を入れて わかりよいようにしようと 努めてはいるのです。それが 効を奏さないようですね。
 どうか ここは何と言っているのかというように 率直に談判していただければ幸いに存じます。どこどこは意味が通じないのでないかと 訴えていただくと うれしいです。もちろん わたくしも 文章を 一つの中味づつ 分けて書くように努めたいと思います。 

お礼日時:2008/02/08 18:47

bragelone様


 貴方はとても律儀にお対応くださり、尊敬申しあげます
 ★ 截断仏祖、吹毛常磨。機輪転処、虚空咬牙。
 ☆については、知ったかぶりをしましたが、実は何の調査も、お講義も受けていなくて、失礼ながら全く貴兄と同じなので、貴兄のご解釈に付け加えるものがないのです。申し訳けありません。《吹毛剣》とは禅家の用語で、生得の叡智力のようですね。私の勉強している教えだと多分、buddhiとかかなと存じます。直観力でもあるし、まぁ精進の、いわゆる矢が飛んでいく、引かれる力みたいなものでしょうか?でも直ぐに日常のことで、いろんなものが付着したり、なまくらになったりしますしね。いつも気持ちを新鮮にしておくのって、とても偉い人だと存じます。どんな道にいくにしても。
 大学にも、日に新たなり、日日に新たなり、洵に日日に新たなり。
 世阿弥、初心不可忘 時々初心不可忘 老後の初心不可忘とありますが、多くの方同様に座右に銘しております。
 
 
 《水戸黄門に印籠》まったく話の次元を異とにして、講談や浪花節の話で、日本人って、こんなふうに、最後にものをいうものに安居しながら、常の生活を事もなくすごすようにしていて、その基盤がどうこうという検討はしないのではないかな。という感じなんですよ。それをいっているに過ぎませんです。 
★、「そもそも」や、「如何なる事にも、絶対とされるべきもの」、
☆ 《そもそも》と考えることはしないで済ましてきている、民族心性かなと、そんなことは《お呼びでない》として日常生活だけでいている文化性かなという意味でした。
 いろいろ買いかぶっていただき、とても嬉しいですが、恐縮します。
 言葉が不十分で申しわけありませんでした。有難う御座いました。

この回答への補足

★~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 《水戸黄門に印籠》まったく話の次元を異とにして、講談や浪花節の話で、日本人って、こんなふうに、最後にものをいうものに安居しながら、常の生活を事もなくすごすようにしていて、その基盤がどうこうという検討はしないのではないかな。という感じなんですよ。それをいっているに過ぎませんです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
☆ 網野善彦によると 中世日本人の《自由》は 《おほやけ(公)》の概念と相即的であったと言います。具体的には 西国では 天皇が《公家》として 東国では将軍が《公方》として それぞれ人が《自由》を考えるときの《普遍性》の問題としての《おほやけ》をになっていた。これが 一つの基軸概念となっていたというそうです。
 これは じっさい 基軸概念であるだけではなく 経験事態であったのだとさえ言います。
 おそらく 問題は 天皇にしろ将軍にしろ 普遍性を表わす公と言えば 絶対の代理ですが――いえ やはり 経験的な存在や事物は その代用物といったほうが正確かも知れませんが―― これを 人びとが どのように捉えていたかです。
 代用物と言い替えたことに示唆されるように 実際問題としては 部分的な普遍性であるとか 一時的な絶対者であるとか そういうものは まやかしです。このことを ばかではないニホン人が 知らないわけはないと思います。(ザヴィエルら宣教師に デウスとは何ぞやと質問攻めにした当時のニホン人の記録が 残っています)。
 一にかかって この問題です。そういう質問です。 
★ 最後にものをいうものに安居しながら、常の生活を事もなくすごすようにしていて・・・
☆ というような狭い世界観ではなかったと考えます。
★ その基盤がどうこうという検討はしないのではないかな。
☆ とは逆だと考えます。思想統制があれば だまっていますが 当時の大内家の山口では 庶民が デウスについて 根掘り葉掘り 訊ねたそうです。
 われらがスサノヲを 誇ってもいいのではないでしょうか。
 かれは 追放されたあと すでに イヅモの須賀の地に来て

   わがみこころ すがすがし。(古事記)

と宣言しています。この須賀の宮は 掛け値無しのわれらが社会です。飾り物無し 偽装も無し。その後 アマテラスの国からは 何度も 従属せよとの要求をつきつけてくるようになります。
 植林を怠らず 薬草などの医療に努めたりして 国づくりに励みました。中途半端な人生を送ったりしてはいません。その自由は いったい どこから来るのか それが知りたいというのが アマテラス側のやっかみです。それでも 非戦論をとったスサノヲの後裔のオホクニヌシは アマテラス帝国に くにゆづりをしました。人間以前の状態にある人間に対しては どうすることも出来ない。このように言って はじめて 対処しうるような存在です。
★ 初心不可忘。


★ いつも気持ちを新鮮にしておくのって、とても偉い人だと存じます。
☆ たぶん そういうことを考えていない人が 気持ちが新鮮なのではないですか。敵を愛せ。一瞬一瞬 われらはその魂を そこから なお与えられる。(P.ヴァレリ)。

補足日時:2008/02/07 19:21
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 ANo.24


 《理解したと言わない理由は「理解することによるそれへの思考の停止を恐れているから」です。理解できぬからこそ、それに思案し片時も思考を止めぬのです。嘘でも仮定でも「理解した」と思ってしまえば「思考すること」を望んでいる《私》のそれへの興味は色褪せ、つまらないものに成り下がります。そうなれば私はそれへの思考を停止させるでしょう。ですから《私》は何も理解していません。例え真に理解していようと、その理解は偽りの理解であると思い、真の理解に辿りつこうと足掻くことをやめはしません。》

 これは洵に示唆的なことばですね。私の読解でしかないのですが。
 創造に必然的に不可欠のシヴァ、崩壊において創造者が飲み込んでしまう中に、大覚の方は超然と自己の存在を、己自身でもある創造者の大洋の中で、大洋と波という自分の二元的に保持していられる。ANo.24さんを読みながら、連想しましたのこういう存在形式、永遠に虚空を飛行する飛矢の状況かなと、自分的理解でしかありませんが。
 ついでに、もう一つ自分的理解ですが。
 肩ありて着ずということなし。口ありて喰らわずということなし。kれが遺偈と誤解していましたが、大燈国師(宗峰妙超大師)の遺偈は
 截断仏祖、吹毛常磨。機輪転処、虚空咬牙。
 (仏祖を截断して、吹毛常に磨す。機輪転ずる処、虚空、牙を咬む。)というのだそです。
 自己流読解では、これなどにも通じるのかなとも存じました。

ANo.22補遺
 「日本人の場合、むかしから、存在の基盤として絶対を認め、且つ、その存在をどこの民族よりも依拠し肯定する、ということを根底にしながら、・・・」のところですが、
 例えば、水戸黄門の印籠とか、いけにえを要求する支配的力、怪物(ヤマタノオロチ)とかでも、忍従してきている伝説もありますね。

 情け深い朝廷のお話やら、義侠などに対しての心的態度等は、何があるべきだ、とか、それは正しいのか、などとは別に、そういう議論をしないで、その上にいてか、その中にいてか、兎も角も生活していこうというやり方しか生育してこなかったのかしら。
 こういうことを見る限りは、「そもそも」や、「如何なる事にも、絶対とされるべきもの」、というのはお呼びではなかったのかもしれませんね。生活のこと、女性性という中での意識しかなかったのかも知れませんね。
 なんでも湿潤の中に取り込み、醸成し、そして取り入れたものとは、ことなる何かを成長させてきている徒いう遣り方かしら。

ANo.22のスサノウのお話はとても一読三読などでも判りません。
でも大事な、凄いことであるというのはよくわかります。
 どうもありがとう御座います
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この回答へのお礼

 そうですね。今回は 解読がうまく行きませんでした。ということは 前回(No.22)も わたしが勘違いしていたのかも知れません。だから スサノヲの物語を――打たれたとおりに響かせたと思って――書いたようです。
 どうしましょう。よく汲み取ることが出来ないのかも分かりません。

 わかる〔と思った〕事柄でお返しさせていただきます。
★ 截断仏祖、吹毛常磨。機輪転処、虚空咬牙。
☆ 《これなどにも通じるのかな》とおっしゃっていますので 取り上げてもよいと思うのですが これについて 後半が分かりません。牙を咬むとは どういうことか / なぜ 虚空が 牙を咬むのか それは どういうことか 分かりません。
 前半で《截断仏祖》は たとえば《神は死んだ》というように なにごとも 観念的に・あるいは念観のうちに 抱いているものは すべて 棄て去るものです。そのことを言っていると取ります。ただ では なぜ《吹毛常磨》なのか。これは 截断に使った名剣を常に磨くということですよね。だとすれば なんのために そんなことをするのか これも 分かりません。

 このつてで 別の話しに繋ぐなら 《水戸黄門に印籠》があるなら なぜ いつも磨いていなければならないのか。気と知恵と心の豊かさをなのでしょうか。それなら 《仏祖を截断》したあとのこととして 特別にそういうことを言うのも なにか・どこか しっくり来ないものを感じます。わざわざ そのようにして 
★ 、「そもそも」や、「如何なる事にも、絶対とされるべきもの」、
☆ これらを 絶えず ゆめ油断することなく 準備しているのではないかと思われてきます。
 すなわち 一介の市民が 《そもそも》論を出せば 《お呼びでない》と見なされ 偉い人が 《侵すべからざる絶対のもの》を出せば とうぜんと言うように 《お呼びである》と迎えられる こういうふうに世の中は なっているのでしょうか。わかりません。

 全体にわたっては とても いまのわたしの能力では 太刀打ちが叶いません。部分的にでも ご投稿をいただいたその感謝の気持ちに代えて 率直な考えを述べさせていただきました。

 なおNo.24の引用文については その箇所で わたしもお応えしていますので そちらに代えさせていただきます。よろしくどうぞお願い致します。

お礼日時:2008/02/07 13:48

三度の返答に感謝を…しかし今回の回答はガタガタかも知れません。



仰るとおり私は想定・理解・信仰等を混ぜて考えています、その方が論の形に組み立て易いからです。…というかそれらを分ける意味って何でしょうか?ただややこしくしているだけのような気がします。
あと《絶対》の概念を《絶対者》として考えているつもりはないです。そうなってしまっている可能性はありますが。

何かを理解したとすれば、正解でなくともそれが私の答えとなるでしょう。まぁそもそも何事にも正解なぞ存在しないと思っていますがね。実は「誰かの答えと一致させた」というだけのことで。
私はそれを「偽りの理解」と称します。また「真の理解」とは「その何事か」と一致させることだと思います。
そして真に理解した時にこそ「理解した」と言うべきとも考えます。
「真の理解」が遠くとも全ての情報を活用した思考の末にはあるはずです。いえ、あることを望みます。

>ある意味では私は《絶対》の存在であり、また《絶対》を理解しているのかも知れませんね。
これは「運命」という定められた《絶対》の法則が存在するならば、その《絶対》の一部である…と言うことです。
本来私はこんなつまらない答えを出したくはないのですが、一応一つの仮説として表すべきと考えます。


最後に私の最も単純な思考から導き出した答えも書いておきます。

たった二文字の言葉に大層な注釈をつける意味も必要もない。
しかし多くの者が注釈をつける《絶対》ならば己の思考を乗せるに好都合。
それは一日二日で導き出せるようなものではないので、死ぬその時にでも己の答えを出せればよい。
それは誰に伝えるでもなく、何に残すでもない。ただ己の思考の終着点を知れただけでよい。

この回答への補足

 今回は むつかしいです。
 
★~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>ある意味では私は《絶対》の存在であり、また《絶対》を理解しているのかも知れませんね。
これは「運命」という定められた《絶対》の法則が存在するならば、その《絶対》の一部である…と言うことです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★ その《絶対》の一部である
☆ この《その》が 何を指すのか よく分からないのですが 《運命という絶対の法則》の一部として 《私は〈絶対〉の存在であり》うんぬんということなのでしょうか。議論を長引かせてしまうかも知れませんが。
 もしそうだとしますと 《運命》とは何ぞやという問いから あらためて 定義し直さなければならないかも知れません。

☆ もう一点は 何度も言うかも知れませんが 司馬遼太郎も《絶対》という《大うそ》と言っていたように 絶対は 想定であり仮想であり 虚構です。この虚構に対しては 一方で《真の理解》も 他方で《偽りの理解》も ないのでして 想定をすることによって 共通の言葉として 用い合っていこうと言っています。つまり この絶対なり神なり無神なりの言葉を使って 人間の真実をより深く探求していこうと言っているだけです。そう言っていいと思います。それとして 西洋の《荘厳》だと司馬は言っています。虚構であっても 真実に迫りうるようだという点では 賞讃しているのだと思います。

★~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最後に私の最も単純な思考から導き出した答えも書いておきます。

たった二文字の言葉に大層な注釈をつける意味も必要もない。
しかし多くの者が注釈をつける《絶対》ならば己の思考を乗せるに好都合。
それは一日二日で導き出せるようなものではないので、死ぬその時にでも己の答えを出せればよい。
それは誰に伝えるでもなく、何に残すでもない。ただ己の思考の終着点を知れただけでよい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ これは たぶん 希望ということだと わたしは理解しました。なにか形のあるものとしてではなく なにか分からないものとしてでも 希望があるというふうに受け取りました。
 さらに どうしても これだけは明らかにしておきたいといった事柄がありましたら この場へ 残しておかれるとよいと思います。論集のようなものとして。

補足日時:2008/02/06 23:56
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更なる返答に感謝致します。



最初に言っておきますが、私は大和魂やそれに類するくだらない物は持ち合わせておりません。
持ち合わせている物は「生きるという偶然」「思考する力」「思想を形にする言語・文字」「思考を止めんとする本能」のみです。

ですが、そうですね…質問者様の返答を読むと中々興味深い意見に到達しました。
まず私が《絶対》を思い描き、その言葉の定義を認めていると仮定します。
そしてそれがある意味で《絶対》を認知し理解していると考えるならば…
私は「《絶対》を理解しながら理解したという姿勢を見せない」という質問者様が求められている通りの状態にあると言えます。

その仮定を基にして頭の片隅に作った《私》が理解したと言わない理由は「理解することによるそれへの思考の停止を恐れているから」です。
理解できぬからこそ、それに思案し片時も思考を止めぬのです。嘘でも仮定でも「理解した」と思ってしまえば「思考すること」を望んでいる《私》のそれへの興味は色褪せ、つまらないものに成り下がります。
そうなれば私はそれへの思考を停止させるでしょう。ですから《私》は何も理解していません。例え真に理解していようと、その理解は偽りの理解であると思い、真の理解に辿りつこうと足掻くことをやめはしません。

よって私は「思考せよ」という《私》の本能に従い、《絶対》の概念を理解したという姿勢を見せません。
ある意味では私は《絶対》の存在であり、また《絶対》を理解しているのかも知れませんね。

これと先の回答二つを合わせた三つが「《絶対》の概念を理解したという姿勢を見せない」理由と思われます。
しかし、この答えが全ての人間に当てはまることはありません。
そうでないと、それこそ人類の《絶対》の法則になってしまいますから。

この回答への補足

 ご回答をありがとうございます。
 jd8hnshuahさん 今回も だいたいは分かるのですが どこか微妙に概念を どう言いますか 生きた概念として 抱いているという形を出そうとしておられるように感じました。
 まづその前に やまとだましいの件では失礼しました。臆測でしたので お詫び申し上げます。

 たとえば――細かいですが―― 《理解する》というとき 《絶対》の概念(つまりその想定ですね)を理解するという場合と そうではなく あたかも《絶対者》を 生きたかたちで わたしという人間が  《理解し認知する》という場合があるのではないでしょうか。jd8hnshuahさんは 後者を あつかっておられるように思うのですが どうでしょう。
 もっとも そうだとしますと それは 絶対を第一次に想定したあとの第二次の――あまり なじまないとおっしゃっていましたが――信仰の段階での話しになるかとも思います。
 いえ あるいは ひょっとすると――また 臆測ですが―― 一次と二次との二つの段階のそれぞれの部分をいっしょにして捉えておられるかも分かりません。

 《思考停止をおそれる / 片時も思考を止めぬ》という基軸は おそらく 一般に妥当なことだと思います。そのことと 絶対の概念の《理解》とが どのようにつながっているかが 焦点です。
 第一次では 想定するだけです。正しいとか 存在するとか ではなく その言葉の定義を与えて 互いに共通の意味をもったものとして用いようと言っているだけです。
 そのあと 第二次として 各自の主観のあり方において 存在するとか しないとか その名を何と呼ぶかとか さらにその性質・属性は何なにか などなどが 一人ひとりの良心および表現の自由のもとに 規定されてきます。ということは この第二次の段階でも じつは 表現を決めるのであって 理解した認知したうんぬんとは 微妙に異なっているとも見られます。
 もっと正確には 人は自分が納得したゆえに その存在するかどうかや 名称やを決めるのですから 理解・認知とは じゅうぶん つながっているとも言わなければなりません。それでは どうか。
 結論としまして このとき《理解し認知した》としても それは けっきょく 仮りの表現であり仮りの規定であるということです。そうでなければ 人間が 絶対者であることになります。つまり たとえ理解し認知したとしても そのあとの経験思考は けっきょく 決して 停止はしませんし しないばかりか さらにより妥当な表現を求めて 自分自身も 納得するように努めるのが ふつうではないでしょうか。
 このとき
★ 真の理解に辿りつこうと足掻くことをやめはしません。
☆ ということなのですが――たしかに そういうことなのですが―― 別の角度から見ると もともと《真の理解》は この絶対にかんしては 有り難いという大前提に立っていたのです。真の理解が得られるか分からないし それが 分かるか分からないかが 分からないという大前提であったわけです。
 つまり 絶対の概念を――第一次・第二次の両段階をつうじて―― 理解し認知したとしても それによって 思考が止まるということは ないと言っていいでしょう。というからくりだと思うのですが いかがですか。
 
 ただし 最後のほうで どえらいことを言っておられますね。
★ ある意味では私は《絶対》の存在であり、また《絶対》を理解しているのかも知れませんね。
☆ これは ちょっと にわかには コメントが出てきません。すでに飛躍してしまっておられるのかも知れませんし このとき 思惟の方向は そちらに向いたということなのかも知れません。ご本人にお伺いしたいところです。

補足日時:2008/02/06 21:23
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