自然風景の鑑賞と芸術作品の鑑賞の違いについて
きれいな夕陽を見ていて、小澤征爾の言葉を思い出していました。
「感動は東洋や西洋、文化が違っても普遍的なものだ。それはちょうど夕陽のようなもので、ニューヨークのビル群に沈む夕陽と、日本の山里に沈む夕陽は、ずいぶん違う印象を与えるが、どちらも本質は夕陽のきれいさだ」というようなことを小澤は言ったそうです。
それで思ったのですが、夕陽は、だいたい「きれいな夕陽だなあ」という夕陽は、誰にとってもきれいだと思います。あまり受ける印象に差はないように思います。
ところが、音楽や美術の鑑賞では、人によって全然受ける印象が違うことが多いように思います。それは現代の無調整の音楽や、抽象画などの美術に多いと思いますが、ある人が「感動のうずに包まれた」という作品が、別の人には「気持ち悪い」とか「ただうるさいだけ」とか「不快なだけ」みたいな感想を持たせます。例をあげれば、ピカソの画とか、武満徹やペンデレツキの無調整の音楽とか。
なぜ、夕陽とか、自然の風景の鑑賞は、それほど人によって感想が違わないのに、芸術作品は、人によって感想が正反対に分かれるのでしょうか?
ちょっと分りにくい質問かもしれませんが、よろしくお願いします。
自然と人工物の違いがそうさせているのではないでしょうか。
自然の物は、ある意味「本能的に」良いと感じるものだと思います。共通し易い理由の1つは「生存本能」かもしれませんね。小川のせせらぎ、岩をうつ水の音…水の音にもいろいろありますが何となく安心するような音に聞こえませんか。自然のものは厳しい面もありますが、あらゆる生命を育み、抗い難い圧倒的な力をもって雄大に存在しています。人の意思の届かない、そんなところにも感動を共感するのかもしれません。
一方で音楽や美術作品など、人の手で作り出したものは作り手の思いや感性が出ています。自然のものとは違って、本能というよりは何というか個々の好みの問題で理性に近い(変な言い方ですね^^;)感性で意見が分かれるのだと思います。
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