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玉音放送を聴いた人の7割くらいが、雑音が多くて
うまく聞き取れなかったといいます。
どうしてでしょうか?
1.ラジオの受信感度が悪い。(当時のラジオの仕様)
2.録音盤にノイズがあった。
3.電波塔などが破壊され電波が微弱だった。

よろしくお願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

また失礼します。

m(__)m
この原因は一つじゃないでしょう。
で、私が上げた電力事情の理由を一応書いておきます。

まず、雑音の種類です。
私が母や祖父母から聞いた話でも「ガーガー」という雑音が酷かったという事ですし、当時を扱ったテレビドラマなどの場面でもやっぱり「ガーガー」というノイズになってます。
ラジオの主な部品といえば真空管とコイル、コンデンサー、トランス、抵抗、といった物ですが、これらが劣化した場合、増幅度が下がるので、感度が鈍くなったり音が小さくなる、ザーという連続音のホワイトノイズが大きくなる、電源周波数に由来するブーというハムノイズが大きくなる、という影響が普通で、「ガーガー」というノイズになる事はあまりないのです。
なので、この「ガー」の正体は今でもよく見られるクリッピングノイズではないかと考えました。
また、ザーというホワイトノイズはかなり大きくなっても言葉自体は結構聞き取れる物です。
しかしクリッピングノイズは、連続ではなく、ピーク電圧が高くなる子音部分で大量発生するので、このノイズが出ると子音が全部「ガー」になってしまって、何を言ってるのか全くわからないけど何かしゃべってる、という状態になります。

そして、キーボードやギターをマイクアンプに繋ぐと必ずこのクリッピングノイズが出ますが、これは入力電圧が大きすぎるからです。
ではラジオでこのノイズが出るとすると、電波が強すぎるという事はありえないので、同じ電波でも電源電圧が下がってしまうと、相対的に電気信号の振幅が大きく取れなくなるので、同じ現象が起こるわけです。

そして決定打は、当時、電力供給を増やした事、一度に沢山のラジオが鳴り出した事です。
同じ電線に大量の電流を流すと、電線の抵抗は同じですので、電線で起きる電圧降下が増えてしまい、コンセントの電圧が下がる、という現象が起きます。
この為に、現在の大電力送電では50万ボルトとかの超高圧送電にして、電流を減らしているのです。
当時、送電線を増やしたりする時間なんて無かったでしょうから、送電電流が一気に増えたら、貧弱な送電線ですから、相当の電圧降下があったと思われます。
また、ラジオがいっせいに鳴ったら、発電機が過負荷になって元の発電機の電圧まで下がった可能性があります。
現在でも地方に行くと90ボルト程度になる事はザラにありますので、こういう仮説も十分成り立つかな?と思った次第です。
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私は東京で玉音放送を聞きました。


かなり雑音があり、聞きにくいものでしたが、概要は判りました。
大本営発表などは、よく聞こえていましたから、聞きにくいのは受信機(ラヂオ)のせいではありません。   スーパーヘテロダインのラヂオは当時もありました。

録音盤の質が悪かったからです。
戦後玉音盤の放送があり聴きましたが、当時と同様雑音がかなりありました。    近年のものは雑音を極力除去して再生されており、それが放送されています。

終戦の方針が決定しても、勅命、軍令に叛いて戦争継続を図る軍の一派が策動しており、その妨害を防ぐため録音もあわてて、ひそかに行われ、技術的に不十分だったようです。
二度の録音で予備盤も用意しました。

地方の人が聞き取れなかったのは、先賢の答えにある、中継線の不備によるものでしょう。
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当事者である日本放送協会(NHK)編の『放送五十年史』によりますと「この放送には雑音が多く、内容が非常に聴き取りにくかったのは、中継線の減衰によるものであった。

また難解な詔書の字句のために、多くの人は容易に内容がつかめなかったが、和田放送員(アナウンサー)の経過説明や詔書の朗読によって、人々は事の真相を知った。」とあります。この「中継線」は有線ですが、戦時下の物資不足や技術者の不足、連日の空襲などによって十分な保守管理は行われていなかっただろうと推測されます。さらにこれまでの回答にありますように、当時の受信機の性能の低さや不安定な電力事情なども加わって、聴き取りにくかったのではないでしょうか。

なお戦時中は、放送の電波が敵の航空機の誘導に利用されないように、放送局の出力を落とし、(ただしこの玉音放送は特別ですので、昼間10キロワットの放送出力を60キロワットに増力しています)全国の放送局を単一の周波数にしたり、全国を数ブロックに分けて同じブロック内は同一周波数で放送したりしていました。この同一周波数しか出せない放送管制のため、中波の放送波による中継は混信のおそれがあり極めて困難でした。同じく日本放送協会編の『日本放送史』によれば、戦局が悪化し中継線が切断される事態に備えて、同一周波数の放送波による中継を実験したものの、実用化しないうちに終戦を迎えたとありました。
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早い話「良く分りません」


私も母から聞きました。
1.ではない。前後の放送はちゃんと聴けたし、その他の番組もちゃんと聞けた、音楽だって聴けた。
2.でもない。現在その時のレコードの再生を聞くことが出来る。(テープに起こした物)ちゃんと聞ける。
3.1.と同じ理由でこれでもない。母は神奈川で、この放送以外の放送はちゃんと聞いている。
とすると、やはり内容が難しすぎたのか、不運な事故か、のいずれかである。ことになります。
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1.ラジオの質が悪かった。


回路方式が「並4」がほとんど、「高1」はマシな方、「スーパーヘテロダイン方式」はまだまだだった。
また、真空管だったので経年劣化が早く、ラジオ内の真空管のどれかが一本劣化していると全体に影響するので、好調子のラジオは少なかった。
また、スピーカーもダイナミック方式ではなく、マグネティックだったので音質はよくなかった。

2.あったかも知れないが、ほとんど問題にならないと思う。クラシック音楽の録音ではなく、人の声なのでチャンと取れます。

3.強力ではなかったと思うが、アース(アンテナ)などをキチンとすればOKだった。

私の結論
(1)当時は各家庭にラジオがあったわけではない。ラジオがあっても真空管がダメで鳴らないという家庭もあった。そこで、チャンとしたラジオのある家へ皆が集まった。

(2)ラジオの質が悪く、同調させるのも困難でガーガーピーピーいう。大勢集まったので、大きい音を出さないと聞こえないが出にくい。外の雑音(セミの声、風による木の葉のざわめき、ニワトリ、犬の鳴き声)も気になる・・・昔は静かと思いがちだが結構やかましかった(自動車がないだけ)。

(3)天皇陛下の声に独特の抑揚があって、普通のしゃべり方ではない。だからわかりにくい。漢文読み下し調の文体で、教養のないものには理解できなかったが、聴き手がインテリでもわかりにくかった。
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技術的な問題とは別に終戦の詔勅は難しいです。


「朕深く帝国の現状と世界の情勢に鑑み非常の措置をもって事態を収拾せむと欲し茲に忠良なる汝臣民に告ぐ」なんて表現は理解しにくい。それにその話を今でもしてくれる年配の方は当時こどもだった。こどもには理解できなかったでしょう。
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まず、元々ラジオの受信感度(ラジオの性能)が悪かったというのがあります。



次に放送する電波の強さが弱かったというのがあります。

中継する放送局が専用の中継機を持たず、ラジオにマイクを接して中継をして、というのがあります

また、電気が安定しなかったので(電圧が上下する)それで受信できなかったというのがあります。

都会ほど鮮明に聞こえましたが、それ以外の場所では聞くのに苦労したそーです。
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中継方法の問題でしょう。


当時のラジオは「放送中継」という手法で中継されていました。すなわち、東京で放送したものを静岡で受信してそのまま放送(周波数は変える)、その静岡の放送を名古屋で受信して放送、それを大阪で受信して放送・・以下繰り返す・・というやり方でした。マイクロ回線での中継などまだなかったのです。(上記の中継地点は誤りがあるかも・・)
この方法を繰り返せばどこまでも中継できます。しかし中継の際に他の放送の混信や雑音が入ったままで再送信するので中継を繰り返すたびに音が悪くなります。雑音や混信も一緒に放送していたわけですから。
この手法での中継網は満州や台湾方面にも伸びていたようですが、末端では10回以上も中継を繰り返したためずい分ひどい音になったようで、何を言っているのか誰にもわからなかったという話も聞きました。
なお、当時は電力不足のため放送局の出力は下げられていましたが、この日は通常に戻されています。
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2ですが、最近当時を再現したドラマでは、たしか天皇が取り直しを依頼していますので、複数版があったと思います。



うちには昭和史のレコードで玉音放送が含まれているものがあります。
そこでも雑音のようなものは聞こえますが、レコードでは天皇の声はきこえました。たぶんテレビの番組で使われる音声のものと同じくらい雑音がありました(現在プレーヤーがないので、聞けませんが)。

民衆はラジオを通して聞いていたので、私も1が答えに近いではないか、と思います。
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結論から言うと1の可能性が高いと思われます。



 2については、よく知られているように玉音の録音については、日本放送協会のえりすぐりの技術員たちが作業に当たった上に、万全を期して2回の録音が行われ、状態のよい方が本番でかけられたということですから、録音盤事態にノイズが合ったわけではないと思います。

 また、3についてですが、玉音の放送については以下の措置が取られたことが記録されています。
・放送電力の増強(10ワット→60ワット)
・昼間送電停止地域への臨時送電
・真空管の不足による放送停止放送局の再開
・短波放送による外地への送信
 よって、電波塔が破壊され電波が微弱ということもないのではないかと思います。一般家庭に比べ、良質のラジオ受信機を持っていたと思われる軍関係の施設ではいずれも内容を正確に理解していましたし、当時河口湖に疎開していた梨本宮伊都子妃も、放送内容をかなり正確に日記に書きとめていることから、受信したラジオ機の性能・質に左右されることが大きかったのではないかと思います。
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