プロが教えるわが家の防犯対策術!

なぜ、人は「明日からやろう」と思うのでしょうか。
なぜ、人は面倒に思うのでしょうか。
なぜ、人は怠慢になるのでしょうか。

しつこい出だしになってしまいましたが、取り組むべき事をこなした方が最善であるのに、怠惰に思う事がよくありますが、その心理的メカニズムを知りたいのです。

表層意識と潜在意識を例に、表層意識は変わろうと思っても、潜在意識は変わりたくないと思っているから、という例示もありましたが、潜在意識は、このタスクをこなさないと将来的にまずい状態になるという危機感を感じないのでしょうか。
この例示以外にも、怠慢の心理的メカニズムはこうして起こるんだよ、という例がありましたら教えて下さい。
また、上記例では潜在意識が怠慢感情を発するという風に書きましたが、それでは潜在意識が怠慢ではなく能動や利発の感情を発しても良いのに、何故潜在意識が怠慢(あるいは変化を起こしたくない)という感情を発してしまうのか、更にその先の心理メカニズムはどうして発生するのか等、できれば人間の奥の方の心理、根本原理や人の心の最下層まで順を追って理解したい次第です。
勿論、全部回答を頂けるのであれば、全て説明して頂かなくとも、一部だけの回答でも歓迎です。

※哲学のカテゴリーで質問すればいいのでは、という意見もあると思いますが、あそこは哲学の為の哲学をやっているような感じなので、私が求める答えが返ってこないような気がしましたので、こちらに質問させて頂きました。

また、こちらは余談ですが、個人的にはそうした怠慢にどう対処すれば良いか、怠慢に思う気持ちが上がって来た時にタスクをこなさなければならない時、どうすれば良いかの対処法も調べています。教えてGoo! で検索すると結構引っかかるので、現在結果をまとめ中ですが・・・。

A 回答 (7件)

こんにちは。


心理学といいますのは原因と結果を分析する学問ですから、このような問題は従来の心理学では解決することはできないと思います。
例えば、「表層意識」や「潜在意識」といいますのは心理現象を分類するために作られた概念であり、脳の実際の生理学的構造と一致するものではありません。ですから、それは概念であり実体も構造もないのですから、このようなものを幾ら比較してみたところで何ひとつ解明することはできないわけです。
原因と結果の間には「構造」があります。従いまして、何故そのような結果が出るのかというならば、その構造が解明されなければなりません。そして、現時点でこれを扱っているのは心理学ではなく主に脳科学です。

まず、脳の基本的な構造からご説明致します。
我々の脳内には行動選択を司る中枢系が三系統に分かれています。

「本能行動:生命中枢の無条件反射:本能行動・無意識行動」
「情動行動:大脳辺縁系の情動反応:学習行動・無意識行動」
「理性行動:大脳皮質の認知・思考:学習行動・意識行動」

中枢系は感覚器官から入力される身体内外の環境の変化に対し「利益・不利益の価値判定」を行います。そしてこの判定に従い、全ての動物が以下の行動を選択します。
「報酬刺激入力:接近行動(利益)」
「嫌悪刺激入力:回避行動(不利益)」
では、この行動選択に関わる上記の三系統の特徴を整理します。

「本能行動:生命中枢(命の選択)」
判定規準は遺伝情報として先天的に定められている(本能行動)。
判定規準は種に共通で変更することができない。
運動系・自律系に不随意の出力を持っている(無意識行動)。
未来の結果を予測して判定を下すことはできない。
大脳皮質の認知結果を判定することができない。

「情動行動:大脳辺縁系(心の選択)」
判定規準は生後学習によって後天的に獲得される(学習行動)。
判定規準には個人差があり、学習によって更新される。
運動系・自律系に不随意の出力を持っている(無意識行動)。
未来の結果を予測して判定を下すことはできない。
大脳皮質の認知結果を判定することができる。

「理性行動:大脳皮質(知の選択)」
利益・不利益の判定を下すことができない。
学習記憶を基に論理的に矛盾のない結果を予測する(学習行動)。
運動系に随意出力を持っている(意識行動)。
自律系に出力を持っていない。

本能行動といいますのは「お腹が空いた」「Hがしたい」といった、「生命中枢(脳幹以下脊髄まで)」に遺伝情報として定められた反応規準に従うものであり、我々が動物として生きてゆくための「命の選択」であります。
これに対しまして、「大脳辺縁系」と「大脳皮質」といいますのは我々哺乳哺乳類が爬虫類から進化をする過程でこの生命中枢を土台に発達させた「新皮質」です。このため、我々の脳は独立した三層構造となっており、そしてこの新皮質の特徴とは、果たして「学習機能」を持つということです。
生命中枢と大脳辺縁系の判定規準といいますのは「遺伝情報」及び「学習結果」として獲得されるものであり、我々の脳内ではこれが「動機・欲求」といった行動選択の「内的動因」として働きます。ですから、入力に対する判定結果といいますのは予め決まっているわけですから、それを事前に変更するということはできません。そして、それぞれが運動系・自律系に不随意の出力を持っていますので、環境に何らかの「外的誘因」が発生するならば行動や反応はその場で選択されてしまいます。このため、ここでは未来の結果を予測することができず、それは全て「無意識行動」ということになります。

これに対しまして、「大脳皮質の理性行動」といいますのは「過去の体験」を基に「今現在の状況」を分析し、論理的に矛盾のない「未来の結果」を予測するという「計画行動」であります。そして、我々の脳内では、これが唯一、原因と結果を自覚した「意識行動」ということになります。
ところが、このように未来予測はできるのですが、大脳皮質には「利益・不利益の判定を下す機能」というものがありません。動物といいますのはこの判定が下されることによって行動の選択を行ないます。従いまして、我々の脳内では、この大脳皮質には行動選択の決定権というものは一切与えられていないということになります。
では、大脳辺縁系には未来を予測することはできませんが、大脳皮質の認知結果に対しては判定を下すことができます。ならば、大脳皮質は大脳辺縁系で下される「今現在の判定結果」よりも更に利益の高い「未来報酬」を予測すれば良いわけです。これが即ち大脳皮質の司る「理性行動」であり、我々はこれによって未来の利益を獲得します。
因みにこの理性行動とは必ずしも道徳行動ではなく、飽くまでそれは未来の結果を予測した「計画行動」のことを指します。では、「道徳行動」とは何かといいますならば、それはその社会の文化的価値観に従って選択されるものであり、ここには意識行動だけではなく、自分が生まれ育った社会環境から獲得された情動行動における「心の選択」もまた道徳観に含まれます。

>また、上記例では潜在意識が怠慢感情を発するという風に書きましたが、それでは潜在意識が怠慢ではなく能動や利発の感情を発しても良いのに、

「面倒臭い」というのは飽くまで状況に応じて下される判定です。ここでは別に怠慢感情を専門に発生させているわけではなく、生命中枢や大脳辺縁系といいますのは入力に対して「利益・不利益」の判定を下すのがその役割です。ですから、ここで「利益」という判定が下されるならば、これに対しては間違いなく「能動的・利発的な報酬行動」が選択されるようになっています。

>表層意識と潜在意識を例に、表層意識は変わろうと思っても、潜在意識は変わりたくないと思っているから、という例示もありましたが、潜在意識は、このタスクをこなさないと将来的にまずい状態になるという危機感を感じないのでしょうか。

本能行動と情動行動では未来の結果を予測して判定を下すということができません。では、今現在の入力に対して「不利益」と判定が下されるならばそれが「危機感」ということになります。ですが、その判定規準は脳内に獲得されているものでありますから予め結果は決まっていますし、結果が出力されればその場で行動は選択されてしまいます。そして、果たして情動行動の判定規準といいますのは結果が発生した後でなければどうやっても獲得することはできません。これが「無意識行動の性質」ですね。未来の結果を変更することができるのは理性行動だけです。

>なぜ、人は「明日からやろう」と思うのでしょうか。

大脳皮質には「明日」というものを予測することができるからです。

>なぜ、人は面倒に思うのでしょうか。

大脳辺縁系が与えられた状況に不利益と判定を下しているからです。

>なぜ、人は怠慢になるのでしょうか。

大脳皮質が「より楽な結果」を予測するからです。そしてこの結果、「楽ができた」という報酬が発生しますと大脳辺縁系はその判定結果を学習することになります。
この学習は生まれたときら積み重ねられてきたものでありますから、生後環境や体験によって必ずや「個人差・個性」というものが現れます。このため、世の中には勤勉な人と怠慢な人がいるわけですし、自分の好きなことには勤勉でも嫌いなことは怠慢になります。

>更にその先の心理メカニズムはどうして発生するのか等、

本能行動といいますのは無条件反射でありますから、これをそのまま心理とするわけにはゆきません。では、我々の意識の表層に現れるものは果たして脳の営みのほんの一部でしかありませんし、実際に行動を選択しているのは大脳皮質ではなく大脳辺縁系です。では、我々が心理と呼ぶものの正体とは、それは大脳辺縁系の情動反応を中核として生み出される「心の動き」であります。
大脳辺縁系には身体内外のありとあらゆる知覚情報が入力されており、過去の学習結果を基に利益・不利益の判定を下し、情動反応を発生させます。これが我々の「心の動き」であり、それは「入力(環境の変化)」に対して嘘偽り無く脈動するものです。
この情動反応の結果は脳内に神経伝達物質の分泌を促して中枢系の覚醒状態を亢進させると共に自律系・運動系を介して末梢に出力され、我々の身体に様々な「情動性身体反応」を発生させます。
このようにして身体に発生する「情動性身体反応の表出パターン」を喜怒哀楽などに分類したものが我々の「感情」です。大脳皮質はこれを「体性感覚」として知覚し、現在の状況を分析した上で自分にどのような感情が発生したのかを分類します。これを大脳皮質における「情動の原因帰結」というのですが、これにより、初めて脳内の「心の動き」は我々の意識の表層にその姿を現すことになります。

我々の心の動きといいますのはこのようにして意識に上るわけですが、反応といいますのは発生するまで知覚することはできません。では、大脳皮質が原因帰結を行なったということは、大脳辺縁系では既に情動反応は発生してしまっているということです。
大脳皮質には行動選択の決定権がありませんので、理性行動を実行に移そうとするならば大脳辺縁系の判定結果を変更する必要があります。このためには何らかの「代理報酬」を提案しなければならないのですが、大脳辺縁系が今現在にどのような判定を下しているのかは反応が発生した後でなければ知ることはできません。このため、大脳皮質が情動行動を抑制できるのは必ずやそれが発生した後ということになります。
これが、我々が自分の意志によって情動を操作することのできない理由です。そして、このようにして表層と深層の間に発生する対立を人類の苦悩、即ち「悩み」といいます。
以上が概ね、我々の脳内に発生する「心の動き」のあらましです。

>また、こちらは余談ですが、個人的にはそうした怠慢にどう対処すれば良いか、怠慢に思う気持ちが上がって来た時にタスクをこなさなければならない時、どうすれば良いかの対処法も調べています。

それではご参考に、ここで上記のような脳の構造を基に、
「タスク:部屋を掃除する!」
これを実行に移してみたいと思います。
「やらなければならない(理性行動)」
「でも、ちょっと疲れた(本能行動)」
「結局、ああ面倒臭い!(情動行動)」
このような意見の対立が発生するのは、我々の脳内では上記の三系統が並列回路として独立した機能を果たしているからです。
仕事を終えて帰って来てみますと自分の部屋が酷く汚れています。
「やらなければならない」
部屋を掃除するというのは理性行動ですが、このためには、その前にまず大脳辺縁系が汚い部屋に対して不利益という判定を下さなければなりません。この情動が知覚されないならばやる必要はないのですから、大脳皮質の未来選択に矛盾が発生してしまいます。
ですが、今日はもう仕事から帰って来たばかりです。このため、大脳辺縁系は汚いのは不利益だが「疲れるのはもっと嫌!」、部屋を掃除するという提案を中々受け入れません。ここで果たして「明日でもできる」、大脳皮質がこのような予測を行ないますと、それが満場一致で採択されてしまいます。

では、ここで部屋を掃除するという理性行動を実行に移すためには大脳辺縁系に「YES」と言わせるだけの代理報酬が必要です。
「部屋がきれいになる」
「今やっておけば後が楽だ」
そして、
「明日になればもっと面倒臭いぞ!」
未来報酬が通用しない場合は「未来の不利益」を予測して大脳辺縁系に脅しを掛けます。対立が発生した場合、我々はこのようにして理性行動を実現しています。

大脳皮質が大脳辺縁系を説得するためには、より価値の高い未来の結果をきちんと予測できなければなりません。そして、未知の結果とは過去の体験を基に予測されるものです。ならば、このためには未来を予測するための知識や経験をたくさん蓄えていた方が有利になります。
これと同時に、大脳皮質の提案を受け入れるためには大脳辺縁系にも判定規準の学習が必要です。
過去に報酬が発生して利益と判定された。
過去に不利益が発生して酷い目に合った。
このような体験が積み重ねられますと、理性行動と情動反応の対立はしだいに少なくなります。果たして、子供のうちはどうしても情動行動の比率が高くなりますが、やがて学習体験を積み重ねることによって皆それなりに「理性的な大人」として成長します。
「理性」とは「情動に左右されない選択」と定義されます。では、「面倒臭い」とは大脳辺縁系に既に発生している情動反応でありますから、理性行動といいますのは選択されなければこれを抑制することができません。そして、これを抑制するということは、それは即ち正しい未来を選択するということです。
従いましてこのような理由から、果たして我々にとって「意志が強い」とは、それは情動行動に対する「理性行動の比率が高い」と結論付けるしだいであります。

以上、脳の構造に基づく対処法をご紹介致しましたが、これをどのようにして実践するかといった問題でしたら心理学の方が従来から研究が進んでいると思います。
双方の利点を上手く使い分けで無理なくタスクをこなして下さい。

この回答への補足

御礼が遅くなり、大変申し訳ありません。

今迄私は結構な数の質問を、多岐に渡ってここのQAでしてきたのですが、
その中でもベストアンサーを差し上げても良いくらいのご回答でした。
私の知りたい事をほぼ全て知る事ができました。
本当にありがとうございます。

今やっとこさ読み終えた所ですが、まるで一冊の本、それも良書を読んでいるようで、
理解するのに図とか描いていました。
(それでもまだ理解できない部分は残っているのですけれど、大体は把握。)
このレベルの回答でいて一般人で参考意見とは・・・。

まだこの質問を見て下さっているのであれば、一つ補足要求をさせて頂きたく。
こうした事をもっと幅広く、あるいは深く知りたいのですが、何か参考になる書籍などあれば教えて頂けないでしょうか? 
紹介して頂ける本が多ければ多いほど有難いのですが、そういう訳にも行かないと思いますので、代表的な本と「このジャンルを読めば良い(例えば脳科学等)」というようなご意見があればご教示下さい。
あるいは大学の講義とかに出なければ、こうした話しは聞けませんか? 

補足日時:2008/03/08 02:43
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こんにちは。


#5です。回答をお読み頂きありがとうございます。

>こうした事をもっと幅広く、あるいは深く知りたいのですが、何か参考になる書籍などあれば教えて頂けないでしょうか?

このようなものは近年の「脳科学」の研究を頼りにすることになります。
前回答でご紹介しました「我々の脳には三系統の回路があります」というのは、これは「脳の三位一体説」といいまして、現在の脳科学では主流の考え方になっています。このようなポイントを押さえておきますと、一見は複雑な脳の働きも整理して考えることができます。
この研究の大元を辿りますと「ポール・D・マクリーン博士」ということになりますが、これをいきなり読む必要はないです。現在出版されている脳科学の解説書はほとんどがこの三位一体説を指示していますので、脳というのはそのような構造なのだということさえ頭に入れておいて頂ければそれで十分です。

さて、ご紹介すべき書籍なんですが、私は「感情とは何か」を知りたくてここ三年くらい前から色々な情報を集めています。
現在、脳科学に関係する書物は読み切れないほどたくさん発行されています。どれを読んでもとても面白いです。ですが、このようなものは専らその先生方の研究テーマに基づいて書かれるものであるため、中々脳科学全般の解説書というものは見当たりません。
回答を差し上げた質問者さんから何か書籍を紹介して欲しいというご要望は度々ありますが、良く考えたら私の手元にもこれといった纏まった資料がないんです。そこでたまたまなんですが、最近以下の二冊を手に入れました。

「心の神経生理学入門」ケヴィン・シルバー著(新曜社)
「脳と心のしくみ」ニュートン・ムック別冊編(ニュートン・プレス社)

偶然ではありますが、ざっと目を通しましたらこの二冊で脳科学の十分な入門書になることが判明しました。
神経生理学の方はほとんど教科書ですから読んで面白いというものではありません。ですが、それほどの分量はありませんので二晩ほどで簡単に読めてしまいますし、我々の予備知識としてはこれで十分です。
値段は千円しません。ざっと目を通しておけば神経系の基本的な構造というものが頭に入りますし、こんなに安い値段でこれだけ纏まった資料はちょっとないと思います。別な本を読むときの参考書になりますので、手元に置いておいて損はないです。
ニュートン別冊といいますのは「科学雑誌ニュートン(月刊)」で掲載された記事を編集した別冊シリーズですね。
本来ならば雑誌ではなくきちんとした書籍をご紹介すべきなんですが、
「現在の脳科学の成果全般を知りたい」
ということになりますと、良く考えたらこれしかないんです。
それほど深くは突っ込んでいませんが、ここに書かれている記事は全てが最新の情報に基づくものであることは間違いありません。何といいましても、私が三年掛かりで調べたことがほとんどここに載っています(これには参りましたね)。
こちらは2300円です。本来、新しい情報といいますのは新聞や雑誌から手に入れるものですよね。

あとは既刊の書籍の中からご自分で色々とお選び頂くわけですが、上記に二冊をざっと読んでおけばよほどの専門書でない限りと惑うことはないと思います。
ニュートン常連の脳科学者といいますと「伊藤正男博士」、このひとは小脳研究の第一人者でありまして、最近ではその研究によって小脳が運動だけではなく思考や情動といったものに深く関係していることが分かってきました。あとは、「川人光男」「佐倉統」「澤口俊之」博士といった若手の研究者が精力的に本を出していると思います。
佐倉統博士は以前「NHKサイエンス・アイ」の解説をやっていたハンサムな学者さんですよね。私は澤口俊之博士の「黄色いフォルックス・ワーゲン」という本を読んだ記憶があります。
こうゆう先生の本は新しい視点から書かれていますのでたいへん面白いです。ですが、この本もやはり視覚認知と脳の機能局在というテーマに限定されますので、どうしても脳全般というわけにゆきません。そして、このような先生方がみな「脳の三位一体説」を支持していることはほぼ間違いないです。

お勧めと言えるかどうか分かりませんが、私が最も強い影響を受けた本を一冊紹介させて下さい。

「脳と物理学」武田暁著(裳華房)

脳科学といいますのは本来こういうものなのですが、ここまでの力学的アプローチというのは元・物理学者ならではです。
このような研究は人工知能などを扱う「認知科学」では盛んに行なわれていますが、生身の脳をこれでそのまま解剖してしまったのは凄いの一言です。感動しました。
少々手応えがありますので、予備知識のウォーミング・アップはしておいた方が楽しめると思います。まだ絶版にはなっていませんし、図書館が置いているかも知れません。興味がおありでしたら是非一度手にしてみて下さい。

大学ではそうですね、やはり医学部系になると思います。
何れにしましても、これ一冊の虎の巻がなくてゴメンなさい。

この回答への補足

またしても遅くなってしまいましたが、丁寧な回答を頂き、ありがとうございました。

質問をそろそろ締め切りたいと思います。
皆様、ご回答頂きありがとうございました。

補足日時:2008/03/22 18:31
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この回答へのお礼

見てらっしゃるかどうか期待薄ですが、記載しておきます。

非常に遅くなってしまいましたが、脳科学の本をご紹介頂きありがとうございました。
昔のQAを見返していたら、丁寧な回答を頂いているのにそれに対する御礼が無い・・・。大変失礼な事だと思います。
御礼が遅くなってしまった事をお詫び申し上げます。

お礼日時:2009/06/13 01:13

>なぜ、人は「明日からやろう」と思うのでしょうか。


 なぜ、人は面倒に思うのでしょうか。
 なぜ、人は怠慢になるのでしょうか。

百獣の王ライオンでも普段は怠け者で、体を鍛えようとか栄養とか清潔とか叶わぬ恋に悩むことすらしてません。
人間も怠けることが快楽だと知っているものの、目標とかより良くとかもっと大きく賢くなりたいという願望を持ってしまうのです。

動物は自分を観察しませんから、悩めないのであって、人間は「~したい」より「~しなければ」で自己の到達を為そうともする。
挫折や苦悩が成長にも必要な要素で、意思で快楽以外をも予測するという面があるからですね。

人の知能の発達した理由も怠けられるようにであって、もっと時間の節約とか物流や交流の簡素化、合理化を進めたのに、ますます人にバカにされたり侮辱されたりすると怒るようになった。それを「文明人」と私(原始人?)は呼ぶ。

面倒心を起こさないようにするには、もっともっと体力気力、時間や物や空間の節約をして、一瞬で事足りるような超便利システムに暮らすこと。
体や頭を自在に操れないというのも拘束ですから、退屈過ぎる!という環境に不自由さを競わせるのです。

何か面倒なことがしたくもなる。体や頭を使うことって楽しいし、時間が経つのも忘れて、別のベクトルの不自由に甘んじようとなるかもしれません。
というのはどうかなと。

この回答への補足

怠惰と研鑽の葛藤で怠惰が勝ってしまうから、と解しました。
また、怠惰の反対方向の欲求エネルギーも自分に課した訓練などではなく、楽しい事もある、という事でしょうか(うまくまとまらずすみません)。

回答頂き、ありがとうございました。

補足日時:2008/03/08 02:47
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単純に考えれば今日までにやったことがないことは少なくとも自発的にやってみたいことではなかったということにつきるのではないでしょうか。

逆にがyj今までやっていたことは今でも自然とできおるし明日でもすると思います。原則として新しいことはどこかやりにくいというか始めにくいところがあるうと思います。普段から(頭の)柔軟体操のようなものを心がけておくことがよい方法なのではないかと思います。

この回答への補足

新しいものへのチャレンジ精神というものが、人間の心理の基本的な部分に備わっていない、という事でしょうか。

回答ありがとうございました。

補足日時:2008/02/21 00:20
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>あそこは哲学の為の哲学をやっているような感じなので



苦笑してしまいました。そう思われるのも無理ないかなと思います。そもそも何が哲学かということ自体、おぼつかないかも(笑)
さて
>怠慢の心理的メカニズム
ということですが、ごく日常的レベルでの「めんどくさ」という単純な怠け心なら誰しも覚えがあることでしょうし特に説明が必要とも思えません。でも、わざわざ御質問なさっているからには、もう少し深刻なレベルのことをお尋ねなのかなと思います。

>「明日からやろう」と思う
のは、「明日の自分」について、どこか楽観的であるからです。たかをくくっているということです。自分を信用していない、自分に厳しい人は、たかをくくりません。
そうですね…これは私が、ふだん実際にやりがちなことなんですが、たとえば意識が朦朧とするまで睡眠をとらずにいたとします、そこでなお何かやるべき事が控えていたとします、しかし、それが急を要する大事でなければ、ひとまずは睡眠をとり、思考力・体力を回復させてから取り組んだほうが、ずっと円滑に運ぶことができ、結果も良好であるはず、と思いませんか?
気乗りがしない今の自分のままで無理に取り掛かるよりも、気分も新たな「明日の自分」になってから取り掛かるほうが、きっと、ずっと、うまくいくだろう、と思っているのじゃないでしょうか。ところが実際は、ますます気分が重くなっているだけ、というのが現実の厳しさです(笑)
或いは、大好きな大切な人と大ゲンカして捨てゼリフ、「しまったな~」と思いつつ「まあ、いいか。明日あやまろう」と思っていたのに、何かの突発的な出来事で、もう二度と、その人と話すことができなくなってしまったら。「昨日のうちに、あやまっておけばよかった」って思いますよね。

>潜在意識は、このタスクをこなさないと将来的にまずい状態になるという危機感を感じないのでしょうか。

危機感を感じ過ぎていると、かえってマズいのかもしれません。
決して、おススメはしませんが、試しに、何か重要な事をトコトン1日延ばしにしてごらんなさい、日が過ぎるにしたがって、そのことが心にのしかかり、まさに恐怖としか言えないような心境に苛まれるようになります。ああ、こんなことならサッサと片づけておくほうが、なんぼか気楽だったものを…と悔やむ。ところがどっこい、ここまで来ると、何故だか本当に動けなくなるんです。そう、まさに「フリーズ」状態と言いますか。
何故「フリーズ」状態になってしまうか。
一つには、溜め込んだ分、一気呵成に片づけるのが大ごとになる、しかも一気呵成にやらないと間に合わない、という気の重さ。(年末の大掃除なんか典型的ですよね)それと、だらしのない自分に対する失望感や幻滅感、罪悪感。あと、自分にとって大事なことを自分のために果たしてやれなかったことへの怒りがあるのだと思います。つまり自分を守ってやれなかったということ。その怒りのために自分を罰しようとして、ますます「フリーズ」状態に陥らせ、焦燥感と罪悪感を、いやがうえにも募らせることによって、自分で自分を罰しようとするのです。
ですから、自分をキライにならないためにもサッサと行動を起こしたほうがよいということになります。いつも自分を気分良くいられるようにしてあげることです。

自分をキライだという感情が強い人ほど、自分にとって大事なことを後回しにしがちで、これは内向的で消極的な人に多いかもしれませんが、外向的で積極的な人であっても、自分のためにならないような事にセッセとマメに励んだあげく自分の首を絞めてしまう、という皮肉な行動に表れてしまうかもしれません。
私自身そうとう、みこしの重いところがありますので自戒を要するものですが、一般的には、外向的で自分自身についてクヨクヨネチネチ考え込まないタイプの人のほうが身軽にサッサと行動を起こしていき易い点で有利だと思います。但し、先に申し上げたように、身軽で積極的な行動派の人でも内心の奥深くで強い自己嫌悪の感情を圧し込めている場合には、わざわざ自分で自分の首を絞めてしまうような行動を、いっしょうけんめいやってしまうかもしれないということには要注意だと思います。まぁたいがい、こういう人の場合、単に思慮が足りないということも多いようですが。

>そうした怠慢にどう対処すれば良いか、怠慢に思う気持ちが上がって来た時にタスクをこなさなければならない時、どうすれば良いかの対処法

私も教えてほしい…(笑)
ただ、No.2のかたがアドバイスくださってる「やり始めることでやる気が起きる」これは確かだと思います。怠けるのも惰性・慣性なら動くのも惰性・慣性という面があるのでしょうか、やっぱり身軽に動き始めちゃうほうが勝ち、ってことでしょう。
それと、すでに申し上げたように、自分がキライという潜在的な感情に用心すること。
疲労しているときや、どーしても気分が乗らないとき、あまり無理して始めても、イライラして、やっぱりダメ、ってこともあります。でも、そんなレベルを通り越して病的なくらい先延ばしにしてしまうときには、もしかして自分で自分を苦しめようとしてやしないか?と問うことです。自分のことを嫌わないでいられるように自分をケアしてあげようと思うことです。それが自分にとって間違いなく必要なこと取り組むべき事であるならば。それ以外のことには大らかでいてもいいでしょう。強迫的になったら息苦しいですから。

アラブのほうでしたか「明日できることを、きょうするな」という、ことわざがあるそうですが、のんびりした気風なのか逆に気が短いからなのか…どっちかしら?慌ててやるとロクなことがない、という戒めかな?視点の違いのオモシロさですよね。

この回答への補足

回答ありがとうございました。
ガス抜きとしての効用があるとの事なのですね。

補足日時:2008/02/21 00:12
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この回答へのお礼

大分遅いのですが、追記させて下さい。

>そうした怠慢にどう対処すれば良いか、怠慢に思う気持ちが上がって来た時にタスクをこなさなければならない時、どうすれば良いかの対処法

やらざるを得ない状況に事前に自分で持っていく事だと結論しました。
ジョジョの奇妙な冒険というマンガの第一部でポコといういじめられっこの少年が、負け惜しみに「明日やってやらあ」と言っているのですが、その後の展開で「明日って今さ! 」と先送りしない態度を取りますね。こういった状況を作ればいいんじゃないかと思います。

お礼日時:2008/12/27 09:22

たしかどっかの脳学者が、


人間はやり始めることでやる気が起きる、と言ってたのを思い出しました。
つまりやる気だけでは何もしない動物なんでしょう…

この回答への補足

動機とは別に初動が必要との事なのですね。
回答ありがとうございます。

補足日時:2008/02/21 00:00
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専門家でもその道のことを学んだものではありませんが経験上の心理を書き出してみました。



特に期限の取り決めのないものならば

今やりたくないから
今からはじめたら大変だから
明日やっても今日やっても結果が同じなら、今やらなくてもいいじゃないか
やらなくてはいけない期限がないなら、明日やってもいいじゃないか
義務ではないなら、いつから始めても同じじゃないか

期限が決まっているものの場合は
今やりたくない、それを出来る気分ではないから(やりたくない理由はその時それぞれ)
やりたいけど、それより先にやらなくてはいけないことがあるから
やらなきゃいけないけど、始めてしまうとそれにかかりっきりになってしまうから
単に時間に追われるというしんどい目をしたくないから逃げている

・・・とまぁ、こんな感じです。
このようなものでは全然参考にならないとは思いますが・・・(苦笑)

この回答への補足

回答ありがとうございます! 

>単に時間に追われるというしんどい目をしたくないから逃げている
個人的にはココに共感しました。
ここのマイナス部分が目的達成後のプラス部分よりも大きく出てしまっているからですかね。

質問自体が硬すぎて、誰も回答してくれないのではとビクビクしてましたが、所感だけでも頂けて嬉しい限りです。

補足日時:2008/02/17 20:38
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