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田中角栄ほど人によって評価の分かれる戦後首相はいないような気がするのですが、田中角栄の行ったことの中で、イマイチ納得できないのが
日中国交正常化というものです。
もちろんお隣の国同士仲良くできればそれが一番いいにきまっているのですが、その後の関係を見ても、歴史教科書の記述や靖国神社の参拝、果ては日本の首相を誰にするか・・・にまで口を出してくる有様。
日本を属国扱いです。そして日本もまるで朝貢をしているかのような
資金援助・・・日中国交正常化をしたメリットがまるでわからないのです。なぜ田中角栄は日中国交正常化をしたのでしょうか?
「正常化を成功させた政治家」という名誉のためだけの行動だったのでしょうか?
また、田中角栄が現代の政治や国民生活に与えた影響とはどんなものがあるのでしょうか?
田中角栄の地元である新潟ではいまだに田中角栄に手を合わせるご老人も多いと聞きます。物事には善もあり悪もある。
では彼の行った政治の善と悪とは何なのでしょうか・・・。

A 回答 (4件)

日中国交正常化は、あのタイミング(毛沢東の死去直前)は絶妙だったと思います。

今になってイザコザが生じていますが、私は「日中関係」という名の老大木に生えたコブみたいな存在だと思って楽観しています。無論他国の島を侵略したり国際法規を無視したりするのは良くない事ですが、それは是々非々として日本がきちっと教育するべきです。

さて、角栄さんはご存知の通り小学校卒(実際はその後夜間学校等へ通っています)ですが、机上の空論ではない実務の頭脳は抜群で、それは東大卒の官僚連中も舌を巻くほどでした。
日中国交正常化に踏み切った動機としては、彼自身の言葉として「中国は今はまだまだ貧しいが、いずれきっと発展する。そうなれば10億人を超えた大国だ。経済需要などは日本なんか比較にならない。国も会社と似ていて、創業者は自分の会社の事をよく把握している。せがれが跡を継ぐと、なかなかそうはいかない。
だから国を建てた創業者(毛沢東らのこと)が生きているうちに友好関係を築くことが後世への国交の連携に繋がるんだ。いずれきっと日本の国益になるよ」という意味の発言を聞いたことがあります。
また、これは推測ですが「小学校出の俺がここまでやったんだ。あとは東大出のエリート達が俺の蒔いた種を花咲かせ、実を結んでくれるだろう。彼らは国を代表する逸材揃いだ、俺よりもやってくれるよ」という思いもあったと思います。

当時の日本国内では中華民国(台湾)を支持する勢力が圧倒的で(石原慎太郎・ハマコーなんかもそうでした)、国交正常化交渉にあたった外務官僚も省内ですら隠密行動を余儀なくされていました。下手をすると角栄さんなり大平さんなり条約局長なり暗殺される可能性も高かったのです。近年北朝鮮利権を目論んで訪問した某氏とは違い、美味しい思いよりリスクの方が非常に高いミッションでした。この点を今になってあれこれ揶揄するのは結果論だと思います。
また迎える側の周恩来首相は、このような角栄さん一行の覚悟を察知しており、非常に敬意を払って遇していたようです。
と言うわけで日中国交締結当初は文字通り友好的なものであり、それが狂ってきたのは江沢民政権の頃からとなります。余談ですが江沢民は過去の主席に比べてカリスマが乏しく、何か「手柄」をつくるべく「敵」を外国へ求めた訳です。当時中国国内は経済も停滞し、天安門事件後という事もあって国民の不満が鬱積していました。彼はそのガス抜きとして「抗日」というフレーズを使い始めたのです。革命運動しかり文化大革命しかり、自分の頭で考えずにひたすら突っ走る国民性なので、今の政府は「抗日」の多用が間違いだったと薄々気づきながらも、国民のコントロールに苦労している所です。
胡錦濤は江沢民よりは賢そうなので、私は少しずつ方向転換していくのではないかと注視しています。
つまり今の日中関係をこじらせた根元は・・・
中国側:江沢民
日本側:角栄以降無作為だった外務官僚
と思っています。
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この回答へのお礼

とても詳しく回答していただき、ありがとうございました。
暗殺される可能性もあったなんて知りませんでした。
思い切ってここで聞いてみてよかったです。
名誉欲・・・というのはうがちすぎだったかもしれません。
(北朝鮮の時の印象が強すぎましたね・・・)

日中関係をこじらせせた根元に関しては私も角栄本人より
その後の官僚たち、というご意見に賛成です。
とても参考になりました!!

お礼日時:2008/02/25 17:07

1971年キッシンジャー国務長官が電撃訪中、翌1972年、ニクソン大統領が


毛沢東主席と会談するに至りました。日本はアジアの代表選手として
アジア外交をリードするべき立場だったのにアメリカに先を越されました。
あせった日本はその年のうちに日中国交正常化をなしました。
これは外交的な先陣争いと共に貿易市場でのアメリカとのイニシアチブ争いという
側面もあったと言われています。日本がアメリカに逆らってでもビルマへの
ODAによる援助を続けているのは、この時の苦い経験によるものと言われています。
田中角栄は日中国交正常化の「時に」首相だったと見るべきで、田中角栄の
英断によるものではなかったと思います。
田中角栄は経済の高度成長に行き詰まりが見えた時代に首相になり、
経済の持続的成長を維持するために今の公共事業ばら撒き、土建屋政治を
確立したというのが功績でしょう。それは善でもあり、悪でもあるでしょう。

この回答への補足

申し訳ありません。とても丁寧にお答えいただいたのにお礼を書くのを忘れてしまいました。失礼いたしました。
あらためて、回答どうもありがとうございました!!

補足日時:2008/02/25 14:10
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この回答へのお礼

ロッキード事件はアメリカの報復ではないか・・・という噂を聞いたことがあります。事の真偽は定かではないので間に受けるつもりも無いのですが、日中国交正常化の過程にアメリカも絡んでいたというのは
なるほど、その光景は楽に目に浮かびます。
公共事業ばら撒き、土建屋政治はなるほど、納得です。
善でもあり、悪でもありますがその後を引き継いだ政治家たちが
限度を知らずにやりまくっているために、悪の面の方が強調されて見えるのでしょうかね・・・。

お礼日時:2008/02/25 14:09

田中角栄は、良くも悪くも戦後日本の政治の象徴だと思います。


特徴としては、国民の望むものをキャッチして政策にする点。その政策がよいとか、政治家としてこうあるべきだという視点は弱いように思います。
対抗馬の福田父が台湾擁護派であり、(高等文官試験合格者としての勅任官出身者として、政治に対して、こうあるべきだという理念型の政治家ではありました、理念型という意味では岸信介とかに近いですね)当時の国民の意識が日中国交正常化でしたから、それを断固として行ったという事になります。
その後の関係に関しては、田中一個人の政策の結果と言うよりも、その後の政策担当者の、対応のまずさだと考えます。

歴史に IF は禁物ですが、別のシナリオとして
○ 文化大革命が文革派主導で継続される。
→ 対日米国交正常が、反文革派でもある周恩来の権力基盤を補強し、鄧小平の復活を準備したとも考えられます。
○ 中国は核兵器保有国
とすると、文革派の暴走で、台湾出兵や第二次朝鮮戦争、そして日本への(少なくとも、在日米軍基地への)核兵器投入もあり得たかもしれません。

ちなみに私は、新潟出身で、日中国交正常化の時は、中学生でしたが、それほど、角栄ファンが新潟県中にいるわけではございません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
日中国交正常化は当時の日本国民の願いだったのですか・・・。
なるほど、それは考えませんでした。
国民の望むものをキャッチする特徴がある政治家なら
そちらの方向に進むのは当然ですね。
とても参考になりました。

お礼日時:2008/02/24 15:03

1972年。


日中国交正常化の年、ぼくは小学4年生でした。

アポロ11号の月面着陸の3年後。
大阪万博の2年後。

そして1972年は、ミュンヘンオリンピックと、あさま山荘事件のあった年。
角栄著『日本列島改造論』が大ベストセラーとなり一世を風靡し、周恩来との共同声明で国交正常化が実現します。
当時の小学生にとっては、お土産のパンダとともに、しっかり記憶に刷り込まれています。

1)なぜ田中角栄は日中国交正常化をしたのでしょうか?
2)「正常化を成功させた政治家」という名誉のためだけの行動だったのでしょうか?
3)中角栄が現代の政治や国民生活に与えた影響とはどんなものがあるのでしょうか?
4)彼の行った政治の善と悪とは何なのでしょうか・・・。

…。
申し訳ございません。
限られた字数のため、ご質問に各々お答えすることが大変です。(汗)

個人的な感覚で総括しますと。
中央工学校土木科卒で豪腕を振るい、知恵、努力、処世術で魑魅魍魎が跋扈する百鬼夜行の世界で勝ち抜き、“今太閤”と呼ばれるまでに登り詰めた行動力は、今の政治家のスケールではありません。
“功と罪”については、研究家の間で多数、出版物が刊行されていますのでいろいろな視点の物を、御自身で読まれることをお奨めします。

田中派の子分、竹下の経世会の中核、七奉行は(羽田孜・橋本龍太郎・小渕恵三・小沢一郎・梶山静六・奥田敬和・渡辺恒三)で、このうち四人がすでに鬼籍に入ってるが、まだ現役の人はみんな民主党ですよね。
“功罪”を抜きに考えても、自民、民主に田中のDNAが受け継がれていることは間違いないと思います。

(参考書籍)
○小説吉田学校〈第3部〉角福火山  戸川猪佐武
○自民党戦国史 伊藤昌哉
○謀略―昭和闇の支配者〈6巻〉  大下英二
○異形の将軍―田中角栄の生涯  津本陽
○田中角栄研究―全記録  立花隆

       
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。一度にたくさん聞きすぎちゃいましたね・・・すみません。
参考書籍、探してぜひ読んでみたいと思います。

お礼日時:2008/02/24 15:00

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