真言宗豊山派の線香3本の意味について
我が家は真言宗豊山派です。お線香をお供えするときは3本お供えします。
さて、この3本の意味についてなんですが、1本は弘法大師さまへ、1本は大日如来様へ、もう一本はご先祖様へ(わたしの家は分家なので父親になると思うんですが)という解釈でよろしいのでしょうか?
いかがでしょうか?よろしくお願いします。
追記
仏前で焼香する(ここでは「線香をあげる」)のは、
第一義に「香りの良い香を神仏に捧げて、敬意と崇拝の念を表す」。
さらに深くは「仏前で、香に象徴される正しい生き方をたゆまず続ける(精進)ことを表する」と同時に、「仏が焼香の姿を通して、たゆまず正しい生き方をするように説かれている」。
また焼香の香りをかぐことで、心を落ち着かせ正しい生き方とは何かを見つめ直す。
焼香の意義、また焼香に限らず仏前に灯明や花、水、飯などをお供えする意義は重層的に含まれているのです。
この回答へのお礼
色々とありがとうございます。
焼香は「たゆまざる修行の実践」、つまり精進を表すものです。
仏前への基本的なお供えとして灯・花・香があります。
闇を照らす灯明は「物事の正しい道理を見詰める力」の象徴であって、智慧を表します。
周囲を飾る花は「苦を除き、楽を与える行為」の象徴であって、慈悲を表します。
それをふまえると、香は智慧の火をともし、慈悲の香りが隔てなく四方へと行き渡る。そして燃え尽きた香は灰となって、次の香を焚く土台となる。まさに精進ですね。
実は、仏前に供え物をする際に、ついつい私たちが神仏に対して供え、拝んでいるとばかり考えがちですが、真言宗には「相互礼拝」という教えがあって、仏様も私たちの内に秘められている仏様の種(仏性)を拝んでいる。
つまり、供物を捧げるのは一方的に神仏にものをあげているのではなく、それと同時に供物を通じて仏様が、それぞれの供物に象徴される仏の教えを説かれている。つまり「無言の説法」をされているのです。
(実際に香の香りをかぐと心が落ち着き、集中力が増しますね。こういう部分でも焼香が「修行」を意味するのです)
ですから、三本の線香を供えるのは、大日如来や弘法大師、当家先祖の各々に供えるという気持ちももちろん大切ですが、それだけで終わらない。焼香そのもの自身が修行の象徴ですから、それを三本供える場合は、前述の身口意の三密の修行を、または仏法僧に帰依して日々正しく生きていくことを表しているのです。
もちろん、1本でも2本でも5本でも誤りではないのですが、真言宗の修行は三密の修行であるから、3本を薦めているのです。
なお、灯明・花・焼香以外の水と飯の意味は以下の通りです。
水…インドでは家に入る前に足を洗っていたところから、仏の足をすすぐ水であり、執着心を捨てて他者に施す意義として「布施」。
飯…身体を養い、体力を維持させるところから、瞑想修行の実践である「禅定」。
僧籍の者です。
真言宗では線香は3本お供えする作法を勧めています。
まず線香ですが、広く一般に使われていますがこれは中国で開発されたお香で、日本には江戸時代初期に広まったものです。それ以前のインド伝来の焼香は抹香。つまり粉末状や木片を削ったかたちのものです。
本来のインド伝来の作法に基づけば、線香の作法というのはないのは当然ですね。そこで、それまであった「三度香を薫ずる」という焼香の作法に準拠して、線香を3本供えるという方法を勧めているのです。
この場合の「三」はさまざまな意味が含まれます。特に真言宗では、密教修行である三密(さんみつ)を表すという説が広く用いられます。
三密とは身口意(しんくい)のことです(身語意ともいう)。
身密…肉体の修行(印を結ぶ)
口密…言葉の修行(真言を唱える)
意密…精神の修行(瞑想をする)
また前述の三宝を表すという説もあります。
仏…真理を悟ったもの
法…仏の解き明かす真理
僧…仏の教えを実践する集団・教団
過去、現在、未来の三世を表すとも、三尊の仏に供養する意義とも諸説あります。
いずれにしてもどれが正しく、どれが間違いというものではなく、「三」には無量の意義が含まれているということです。
なお、絶対三本でなければいけないというわけではありません。あくまでも三本を薦めているというものです。
この回答への補足
下の、お礼の補足です。
しかし、その様な捉え方をするものではないということなのかなぁと思ったりもするんですが・・・
この回答へのお礼
どうもしっくりいかないんです。
正直言って、わたしが伺いたいこととちょっと違うような気がしています。折角、回答を頂いたのに。
ん、どう言って良いのか自分自身でも分からなくなりました。
この3本の意味という質問に対しては的確なありがたい回答なんですが・・
例えば、手元にお墓にお供えするお菓子が3つあるとします。この場合1つはチョコレート、1つはクッキー、1つはせんべいというのが皆さんが下さった回答だとおもうんですが。
つまり、ここでいう仏・法・僧だとおもうんです。
そういうことではなく1つはAちゃんにあげるもの、1つはBちゃんにあげるもの、1つはCちゃんにあげるものというその部分を伺っているんですが。
わたしの言い方が間違っていました。すみません。
仏・法・僧についてのわたしの解釈は間違っているでしょうか?
すみませんが、よろしくお願いします。
本当にすみません。
「仏法僧」というのは、仏教では「三宝」と言われ、仏教上最も尊いものとされています。仏教徒は、これらの三宝に帰依し、導かれることで、悟りへの道を見出すこととなるわけです。
ここでの「仏」とは、もちろん開祖である「ブッダ」を指しますが、広義では、仏教の教えに従って悟りを開いた(成仏した)全ての仏様ということにもなるでしょう。
また、僧はすべての僧侶です。
個別の僧侶には、悟りや教義の理解の深さで差があり、実際にはすべての僧侶を尊敬できる場合ばかりではないかもしれません。しかし、数多くの僧侶が出家をし、仏法を極めようとすることで、仏教が維持され、また仏教徒は悟りを開くためのブッダの教えを聞くことができるので、僧侶の存在は尊いとされているわけです。
お父様やご先祖のご冥福をお祈りになる心は、非常に尊いものですから、それがご遺族の世俗的な好悪によって、曲げられるべきではありません。
もし故人の成仏をお祈りになるなら、無事に三宝の教えに導かれるように、これからも三本のお線香を立てて差し上げるのがいいでしょう。それが仏教的には、故人の方のためになるわけですから。
この回答へのお礼
ありがとうございます。
よく理解できました。
>お父様やご先祖のご冥福をお祈りになる心は、非常に尊いものですか>ら、それがご遺族の世俗的な好悪によって、曲げられるべきではあり>ません。
>もし故人の成仏をお祈りになるなら、無事に三宝の教えに導かれるよ>うに、これからも三本のお線香を立てて差し上げるのがいいでしょ>う。それが仏教的には、故人の方のためになるわけですから。
意味を理解せずお供えしてきたので理解しようと考えました。
仏法僧に感謝をしてお供えしていきます。
一般に、天台宗・真言宗の、密教系宗派では、お線香は三本です。
天台宗が弘法大師にお線香をお供えしたりはしませんから、これは「仏・法・僧」へのお供えということです。
仏教の教えを説かれた仏様と、その教えと、教えを伝えてくださった僧侶の、三者を尊んで、三本のお線香をお供えするわけです。
また、その三者にお供えしたお線香の煙をたどって、仏法僧のお導きをいただき、故人の方が無事に成仏できるようにという意味も込められているという人もいます。
この回答への補足
>>仏教の教えを説かれた仏様と、その教えと、教えを伝えてくださった僧侶
すみません、じゃ、この場合仏様とは誰をさしているんでしょうか?
この回答へのお礼
ありがとうございます。
密教という捉え方なんですね。
てっきり、真言宗豊山派という考えで捉えていました。
ご本尊である大日如来もこの場合全く線香に関わりはないんですね。
>>教えを伝えてくださった僧侶
とは、だれでしょうか?
それを伺ってしまうと心情的には複雑です。
その反面、やはりお墓にお参りをする重要性というものがひしひしと感じます。
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