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このカテゴリーでの質問が適切なのか、チョッと疑問を感じながらも、普段、親しんでいるこちらでの質問とさせて頂きます。

私の亡父の事なのですが、父は96歳で亡くなりました。若し今も存命なら105歳です。そして私は、父が46歳の時に生まれました。つまり現在59歳です!

さて、本論に入ります。
私が、物心付いたのは多分、終戦から6~7年経った頃だろうと思います。その中での父の記憶の一つに、2~3百冊の楽譜が有りました。その当時の我が家は、鳴る物と言えば木製のラジオが一台有るのみでした。
父は、帰宅後や休日には、スコアーを開いて楽しんでいました。暫らくすると、スコアを左手だけで持ち、右手はと言うと、ある特は指揮者の様に、又ある時はピアニストの様に、そして、又ある時はヴァイオリニストの様に、更にはチェリストの様に・・・と、音符に併せて空中を彷徨っているのです。そんな最中には、ハミングの様でもあり唸り声の様でもあり、静かだと思った時は、口ぱくオジサンになっていたり・・・。知らない人が見たら強制入院でもさせられそうな風景が良くありました。
そんな時期から十年位経っていたのではないかと思います。私は父に「楽譜のみで、耳では聞いていないのに、興が乗って手がダンスを始めるのは、頭の中で音楽が鳴っているの?」「ソロなら少しは理解出来るけどオーケストラの時は、頭の中で、どんな風に鳴っているの?アンサンブルとして聴こえるの?ハーモニーやユニゾンが聴こえるの?」と、質問した事があります。
悔しい事に私は、父の、その様なDNAは受け継げなかった様で、スコアーを見ても音楽は鳴りません。
以後、何度か似た質問をしたのですが、私が理解出来る返答は貰えず仕舞いになってしまいました。
よく、絶対音感&相対音感の事は、TVなどでも取り上げられます。そこでは、日常の生活音が、音階として聞こえる事での不便さ、煩わしさなどを理解する事は出来ました。勿論、音楽家としては、有った方が絶対有利な身体?能力だろうとは想像できます。
しかし、ここでお訊きしたいのは、紙面の記号が頭の中で演奏し始めるとはどの様な世界なのかと言う事です。
多くのプロの方は、珍しくも無い、当たり前の能力なのかも知れませんが、あてがわれた現実の音でしか、音楽を聴く事が出来ない私には、とても神秘な世界なのです。
宜しくお願い致します。

A 回答 (4件)

多分お父上は、もともと、楽譜を見ながら音楽を聴く習慣(趣味)があったのではないでしょうか?譜面を見ながら音楽を聴いていると、次には譜面を見れば、音楽が浮かびます。

多分一種の条件反射だと思います。
また、ソルフェージュと言って譜面を見ながらドレミで歌う訓練をした人や、合唱を永くやっている人は、初めて見る譜面でも歌えます。歌えると言うことは、頭のなかにその音程とかニュアンスが浮かぶということです。これも永年の訓練で身についた条件反射だと思いますが、譜面を見てイメージが浮かばなければ歌いようがありませんので、譜面を見て歌える人は、皆さん、お父上と同様の能力が身についているのだと思います。私も、譜面はだいたい読めますので、譜面を買いに行った店でBGMが鳴っていると混乱してイライラしてきます。大阪にササヤ書店という老舗の楽譜・楽書の専門店がありますが、その店は一切BGMは無し。お客さんは、やはり、譜面を見ながら、それこそお父上と同じように、身振り手振りしながら楽譜を選んでいます。楽譜を売る店でBGMを流しているというのはあり得ないことですが、結構そんな店も多いです。多分店員さんや経営者は、譜面を見て音が浮かぶということが信じられないのだと思います。同じ曲でも色々な編曲がありますので、我々にとっては、BGMを鳴らされると楽譜の選びようがありません。
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この回答へのお礼

お答え有難う御座います。ご推察の通りです。
質問では述べませんでしたが、父の場合は、九州の田舎育ちで、子供の頃(明治時代中後半)に西洋音楽をどこで聴いたのか疑問に思った事が有りました。
それは、祖父の所持する蓄音機で、数種類のオーケストラや室内楽のSPを聴いた事が出発点のようです。祖父は、邦楽や演説などを聴く為に使っていた蓄音機ですが、偶々、何方からか当該SPを頂いたとか・・・。ですが、西洋音楽に理解がある家庭ではなかったらしく、父が聴くと酷く叱られたとか・・・。音が漏れにくい蔵に持ち込み色々なもので覆って、隠れて聴いていたそうです。
高商(大学)では、グリー倶楽部に所属。邦楽も尺八をやっていたのは私の子供の頃の記憶に鮮明です(独特の解読不可能な蛇腹折の毛筆譜面も100冊程度は残っています)。
更には、宣戦布告前の召集にて、既に越南のハノイに行っており、後には敵国人になる英国人や仏国人とミニコンサートの様な事を楽しんでいた事や、何の楽器を奏したのは定かでは有りませんが、当時のベトナムのラジオの放送に出たと聞いております。

ですので、仰せの経験値から申せば、譜面から音楽が聴こえるのは当然の成り行きなのでしょう。

しかし、現在の環境と比較にならないほど、貧しい音楽環境の子供時代を経て、未だ日本では楽譜の出版が成されていなかった時代に、当時、九州まで届き辛かった僅かな輸入楽譜を、爪に火を灯す様にして購入していたとの事で、確かに形見の中に、英国や独国からの輸入であろう楽譜が、茶色く変色し角がボロボロになった姿で、今も残っています。
それだけに、この歳になり、我武者羅生活から少し時間が取れるようになって来た今、同じ楽しみが出来ない事の嫉妬と申しますか憧れと申しますか、息子の私としては手の届かない羨望の様なものを感じております。

>BGMを鳴らされると楽譜の選びようがありません。
なるほど、このお答えは、恥ずかしながら目から鱗でした。
感覚的な要素も同居する事から、未だ正確には理解出来ていないのかも知れませんが、この件は、私にとって深層感覚的理解の大きな一助です。
今からでは、もう間に合わないかも知れませんが、自分を使って人体実験してみたくなりました(笑)。
有難う御座いました。

お礼日時:2008/04/05 16:15

いやいや、偶然とは言え懐かしいお話です。

実は私は56歳ですが、74で他界した父親が、質問者さんのお父上とそっくりです。やはり音楽好きであった父は、戦前から洋楽・和楽に長けて、色々な楽器をこなし、篠笛や三味線では、家元さんのお唄の伴奏を努め、NHK等にもよく出ておりました。家にはやはり手廻しのネジ式蓄音機が2台あり、いろいろなジャンルのSPレコードがたくさんありました。戦後は、朝比奈隆が大フィルの前身になる、関西交響楽団を立ち上げたときにその楽団員となり、辻久子などとも共演しています。私は、そのDNAをもらったのか、まあまあ音楽にも興味があり、20歳で京都でのリサイタルをかわきりに、海外でも演奏会、またNHKにも出演しました。その後、当時楽譜のシェア実に98%を誇った全音楽譜出版社に入社し、耳コピーから編曲・編集その他、音楽にかかわる一切の経験・知識を身に付けました。現在もしきりに演奏活動や後進の指導などもやりますが、すべて父親のくれたDNAのお蔭といまだに感謝している次第です。存命であれば90半ばだと思います。世の中には似たような人がいるものだと、感慨深く、拝読させて頂きました。ありがとうございました。
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この回答へのお礼

お礼に対し、ご返事を頂けて嬉しく存じます。これも一種の出会いですね(笑)!
音楽を通しての社会的なつながりの濃さは、私ども、比較にならない程度の事しか出来ませんので、面映いです。
それにしても、ご尊父様と我が父。明治と大正の違いは有れど、本当にそっくりな音楽との付き合いですね。
それに比べ、私とは違い、大変多くの音楽的DNAを引き継がれており羨ましい限りです。先にも書きました様に、今になって少し音楽鑑賞に時間を割ける様になり、過去に出来なかった事への穴埋めをするが如き想いで、暇さえあれば浴びる様に聴いております。
受身でしか音楽に接する事が出来ない私には、TAC-TAB様の音楽とのつながりは目映く憧れる対象です。
とても比較できるレベルでは有りませんが、月に一度クラシックのレコードを聴く集いの末席を汚しております。参加人数はおおよそ20~30人程度と言うところです。
そんな中の幾人かは、年に1~2度、自分なりのテーマ性の下で選曲し、曲を掛ける合間のお喋りと、その日のテーマに沿った資料を作るなどして、パーソナリティーの真似事の様な事をして楽しんでいます。稚拙ですが、私も過去数回、担当した事があります。
集いの参加者には、様々な方がいらっしゃいます。関西フィルや芦屋フィルに関係のある方もいらっしゃいますし、神戸異人館での室内楽活動を何十年も支え続けておられる方。他にも其々の方が其々の歩幅でクラシックを愛している方々です。宗教音楽などでは、好きでただ詳しいだけでは、知りえない事を教えて頂ける方もおいでで、聴くしか能の無い私でも、とても面白い音楽の出会いと発見が出来ております。
文面では、関西圏にお住まいの様で、直にお話を伺えたなら、もっと世界が広がるのでしょうが・・・そう言えば、投稿頂いた文面で思い出しましたが、近くに有る「辻久子弦楽記念アンサンブルホール」!一般人が聴きに行けるリサイタルやコンサートをもっと頻繁にしてくれたらと、最近の状況を残念に思います。
この度は、色々な意味を込めて有難う御座いました。

お礼日時:2008/04/06 04:59

楽譜を追っかけながら音を聴く、というのを何度も繰り返せば、



1.楽譜を追っかけながら音を聴かないでも、音がイメージできる。
2.楽譜を見ずに音を聴いても、楽譜が思い描ける。

ということは起こります。
それは心理学的に言えば条件づけ(パブロフの犬のような)でなんとでもなりますから、つまりは反復経験さえあればなんとかなります。
楽譜がそんなに読めなくとも、図面として覚えてしまえば。
私も知っている曲なら多少は可能です。

でも、知らない曲の楽譜を見ても、鳴ってはくれませんし、初耳の曲を聴いても、楽譜がわかったりはしません。私は。
それはもっと能力のある人ということになると思います。

やっぱり経験がものを言うんじゃないでしょうか。
経験のある(敬虔なる)ものは神秘を見る、といったところでしょうかね。
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この回答へのお礼

お答え、有難う御座います。
nabayosh様を元め、皆さんのお答えの共通点から、プロセス&システムとしての原理的な事は理解できました。
ですから、条件1.や2.も、今は理解できます。
先のお二人へのお礼の中で、質問には書き切れていなかった事を書いております。それを基に考えれば、「心理学的に言えば条件づけ(パブロフの犬のような)」は、正に当てはまる音楽との付き合いであった事が判ります。

その通りなのでしょうが・・・
>でも、知らない曲の楽譜を見ても、鳴ってはくれませんし、初耳の曲を聴いても、楽譜がわかったりはしません。
ここが、知りたいのです。
ANo.2の回答者様へのお礼分に述べた環境に居りました父です。本人や知人から聞いた記憶では、コンサートも稀で、レコードも持っていなかった当時から、未だ耳にしていなかった管弦楽曲や室内楽の楽譜を見ては、手が彷徨ったり、ハミングしていたと・・・

確かに、かなりの趣味人であった事は人語に落ちませんが・・・
>もっと能力のある人ということになる・・・
それに該当するレベルの能力を有していたと言う事の理解が出来ずにおります(苦笑)!
私には、やっぱり神秘の世界かも知れませんね!

お礼日時:2008/04/05 16:51

例えば、お気に入りの映画のシナリオを読むと、その文字が頭の中で俳優の声に変換されませんか? それと同じようなものと思います(私自身も頭の中でオーケストレーションが出来るほど長けていないので)。


スコアを「読む」ことによって、それまでの経験上にある「実際の楽器の音」に変換。それを複数の楽器に対して行ってあげれば「オーケストラ」が鳴り響く。そういった感覚のものでしょう。
他にもある「地名」を見た瞬間に、そこを訪れたときの思い出がよみがえるということもあるかと思います。これも、似たような事例でしょう。ご尊父様は、記号を「音」に変換する能力に長けておられたということですよね。いつでもお気に入りの楽団の音を楽しめたという点でうらやましい限りです。
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この回答へのお礼

お答え頂き有難う御座います。
仰せの、シナリオを読むと俳優の声に変換される感じ!は、私なりには理解出来る気がします。その役ドコロや台詞によって、知っている俳優の中から誰かを当てはめ口調も想像して読む事で、書かれている世界にバーチャルに入り込んでいる自分を感じられる。そんな解釈ですが、如何でしょうか?
そして、地名の例えも、やはり経験(旅など)の多さや深さ(感受性)によって、リアルな景色や風土を想える。
確かに、何の経験も知識も持たずに、初めて見聞きする事を感じたり理解して利する事は、出来ませんね。そこには、其々の人の経験(人生)や努力(好きこそものの上手なれ・・)の効果が、ある時点から能力の差として表れてくるのでしょうね。
そこまでは、頭では理解出来るのですが・・・出来ない者が、出来る人との違いを間近で見て来た事と、この歳になって、漸くクラシックを確り鑑賞出来る時間が持てるようになって来て、今更ながら強く意識してしまいます。
有難う御座いました。

お礼日時:2008/04/05 15:46

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