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八紘一宇という言葉について、戦前の日本が侵略の正当化に使った、という説明がある一方で、人種差別撤廃やユダヤ人救出につながっていった主張だった、という肯定的・積極的評価もあります。語源や、われわれにとってどのような意味を持つのか勉強したいので詳しい方、よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

ユダヤ人を助けたのは杉原千畝が有名ですが、実は初めてユダヤ人を助けたのは樋口季一郎だったようです。


更に小林よしのり氏によると、今ではあまり評判の良くない東条英機や松岡洋右も八紘一宇に従って国の方針としてユダヤ人を助けたそうです。まぁ私が下手な説明をするより読んで判断してみたほうが良いでしょう。
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八紘一宇は、世界平和や正義と同じで、どのようにも考えられて利用できる言葉なので、当時の個人の考え方やとらえ方によると思います。




古い考えでは、天皇が世界支配するとも考えられますが、天皇の意思を伝えるという間接的な考えや、世界は一つという考えもあり、全部の日本人が他国を侵略して天皇による世界の支配とだけとは考えられず、国策の推進にも、人種差別の否定にも利用されて、白か黒かで判断はできないと思います。

ユダヤ人の保護については五相会議により決定されて、ドイツとの関係を考えれば否定もできた状況でした。
日独防共協定が締結されてからも、樋口季一郎はユダヤ人差別の否定をする活動をしてドイツから抗議がありましたが、東條英機は擁護して、東條英機は数千人のユダヤ人の保護を許可しました。

太平洋戦争中も、ユダヤ人の殺害と強制労働をドイツが希望しましたが、日本は拒否しています。

八紘一宇によるアジア解放も、ユダヤ人保護も、日本や戦争を推進するためにも、人種差別の否定にも利用されたと思います。
日中戦争でも、八紘一宇の考えにより侵略をしたというより、防衛という現実的な問題から戦争が開始されたため、アジア解放と同じく、戦争推進のために、あとから理由づけのために八紘一宇という言葉を当てはめて使用して聖戦とした面があります。

世界平和や正義と同じく広い考えを持つ言葉で利用しやすい言葉だと思います。
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語源:


日本書紀 巻第三
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然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎。
[然りして後に、六合(くにのうち)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いへ)にせむこと、亦可(よ)からずや。]
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さらにこれらの用語は中国の文献からの引用と考えられます。(「日本書紀(一)」岩波文庫、P239註一四、一五)

「掩八紘而為宇」が「八紘一為」あるいは「八紘一宇」という四文字熟語にされたものです。
もともと武力による国内統一を主題とした脈略ですが、世界的規模で解釈すれば世界の武力征服の思想に結びつきます。
幕末(1820年代)の佐藤信淵「宇内混同大論」には、すでに日本書紀をもとにした対外膨張思想がみられます。
「宇内混同秘策」 佐藤信淵 文政六年(1823年)著 大同館書店 鴇田恵吉校註 昭和一二年七月一日発行 
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P47:
皇大御國(すめらおほみくに)は、大地の最初に成れる國にして、世界萬國の根本なり。
故に能く其根本を経緯するときは、則全世界悉く[ことごとく]群縣と為すべく、萬國の君長皆臣僕と為すべし。
謹て神世の古典を稽(かんがふ)るに、「所知青海原潮之八百重也」とは、皇祖伊邪那岐(いざなぎ)ノ大神の速須佐之男(はやすさのを)ノ命に事依(ことよ)さし賜ふ所なり。
然れば則ち産霊の神教を明らかにして、以て世界萬國の蒼生(*1)を案ずるは、最初より皇國に主たる者の要務たることを知る。

(*1) 蒼生は、「あをひとくさ」と訓じ、人民のこと。

P55-56:
凡そ他邦を経略するの法は、弱くして取り易き処より始るを道とす。
今に當て世界萬國の中に於て、皇国よりして攻取り易き土地は、支那國の満州より取り易きはなし。
何となれば、満州の地、我日本の山陰及び北陸・奥羽・松前等の地と海水を隔て相対するもの凡八百余里、其勢ひ固より擾(みだ)れ易きことを知るべきなり。
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「宇内混同秘策」の解説で鴇田恵吉はこう述べています。
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信淵は..<一部略>..大和民族の民族性たる生々発展主義と、日本建國の理想たる八紘を掩[お]ふて一宇となすの精神に基き、これを五代に亘たつて陶煉せる家学によって組織化し、以て宇内混同の大論を草したのである。
前掲書 P28
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以上のように、「八紘一宇」は民族には直接関係ありませんが、近代日本では大概膨張、すなわち侵略と密接な関係がある言葉であることは否めません。
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この回答へのお礼

 丁寧な引用・解説、ほんとうに有難うございます。かゆいところに手が届くような解説でした。

 近現代史は、ほんとうに奥が深いのですね。

 勉強したい!という気持ちは強いのですが、毎日の仕事が忙しくて、なかなか勉強できません。それで、安直に新聞やTVの解説を鵜呑みにして、わかったような気になっていました。

 時間が無くて、勉強がなかなかできないのは仕方ないにしろ、自分の気に入ったマスコミの論調を鵜呑みにすればいいというような、簡単な問題ではないということを痛感しました。

お礼日時:2001/02/19 14:36

 東京書籍の日本史教科書と西尾幹二の国民の歴史を両方。

世界とサピオを両方。朝日ジャ-ナルと週刊ポストを両方。ロイタ-電ニュ-スとCNNを両方。宇野正美氏のユダヤ解説本。等々 あとさいとうたかお氏が書いてる大宰相という劇画は、とてもリアルに戦後政界史 が描かれてます。小林よしのり氏の台湾論や戦争論は、読むとそれなりに読者個人なりのメンタリティ-を刺激します。すべからく読んで鵜呑みにしないという事を前提にすると興味深いものばかりですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。右も左も満遍なく読んでみようと思います。自分と考えが違う論調だと、腹立って読まないことがありますが、それが一番損ですね。とても参考になりました。

お礼日時:2001/02/17 12:59

帝國が未だ米国と戦端を開いていない1935年以降、日本は、国策として明らかにユダヤ人の亡命をワ-ルドワイドに助けていました。

それは、三国同盟を盾にリッペントロップ外相から強いクレ-ムがついても近衛内閣の外交方針として存在したようです。もちろんそれは人道的見地のものではなく、緊張しつつある日米関係の外交カ-ドとして存在したようです。その時に八紘一宇というスロ-ガンの元に日猷協会なるものまで設立し、せっせと亡命をヘルプしたのです。有名な石原完而あたりは、満州国の一部を提供してのユダヤ国家を本気で起こそうと画策していたとされています。実際ヨ-ロッパからシベリア鉄道を乗り継ぎ浦塩・上海・大連あたりには、相当数の亡命ユダヤ人がいたと祖父からきいております。まあ、国益がらみのはかない期間ではあったけど、結構本気でやってたみたいですよ。このことがご質問の趣旨につながってると思います。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございました。冷静な歴史分析、お見事です。戦前の日本を糾弾するでもなく、偏愛するでもない、kichijiさんの物の見方、すごく参考になりました。物事はそうやって多面的に見たほうがいいんですね。何か読むべき参考文献(八紘一宇問題に限らず、歴史の見方についても。)があれば是非教えてください

お礼日時:2001/02/14 22:15

まず八紘一宇を知るには皇国史観を知らなければいけません。

これは、近代日本史学史上の一潮流で日本の歴史を国体の発展としてとらえる歴史観で、1930年半ばごろから確立されました。その内容は(1)日本は神国であり、皇祖天照大神の神勅を奉じ、三種の神器を受け継いできた万世一系の天皇が統治してきたとする、天皇の神性とその統治の正当性、永遠性の主張。(2)日本国民は臣民として、古来より忠孝の美徳をもって天皇に仕え、国運の発展に努めてきた、とする主張。(3)こうした国柄の精華は、日本だけにとどめておくのではなく、全世界にあまねく及ばされなければならない。というものです。(3)のことがいわゆる八紘一宇の主張です。この八紘一宇は太平洋戦争の東亜新秩序建設の精神的支柱なスローガンとなり、「国体の本義」や「臣民の道」を通して国民教化がおこなわれました。八紘一宇が直接的に人種差別撤廃やユダヤ人を助けたという事実はありません。当時、外交官であった杉原千畝は確かに日独同盟に反し、ナチスの迫害を受けたユダヤ人を多く助けましたが、彼の行為は八紘一宇とはまったく関係ない彼の勇気と良心からであると思われます。それから確かにヨーロッパの国々から東南アジアの国々を解放したのは事実でありますが、その後の日本の行動があまり良くありませんでした。それまでのヨーロッパ諸国の統治と同じようなことをしたのです。八紘一宇という主張は結局、戦争における国民の高揚の為だけに使われたというのが事実であるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。杉原さんの名前はよく出てきますね。TVで見たことがありますが、どういう人だったのでしょうか。研究本も出ているとのことで、是非読んでみたいです。

お礼日時:2001/02/14 22:09

 「戦中用語集」三國一郎著(岩波新書)に記述があります。

いい本です。原典は「日本書紀」(巻の三)でしょうか。六合を兼ねて以って都を開き、八紘を掩いて而して宇と為す」が出発点。田中智学という人の造語と出ています。これは三國氏が述べるとおり天下を我がものにしたいという意味でしかありません。当時は「五族共栄」とか「大東亜共栄圏」という言葉と合わせて、民族解放的なニュアンスを帯びましたけれども、世界を一つにして支配するというのが、この言葉の意味でしょう。
 ですから、言葉の意味としては、人種差別撤廃とかユダヤ解放とは無関係です。事実関係ですが、挑戦と台湾は異民族にかかわらず日本政府は最後まで解放・独立を訴えなかったし、訴える人を弾圧しました。植民地解放については、動き始めたのは敗色の濃くなった1943年の大東亜会議が事実的に最初です。
 1931年の満州事変から10年以上経って負けそうになって、米英からの壁を作るために反植民地主義を利用したと言うのが妥当です。だいたいマレーシアやシンガポールで華僑の虐殺をしてますから。八紘一宇でも五族共栄ではありません。そのときにインドネシアなどで、いちぶ反植民地運動があるていど成功を収めていますが、それは住民の反植民地運動があったからです。ないところで積極的に独立を進めたのではないことは、大東亜会議の開催までの事実関係と政府と軍の動向を調べるとわかるでしょう。
 杉原千畝については、個人の英断です。全体としてみれば、ユダヤ人の亡命と八紘一宇は無関係です。もし、八紘一宇が決定的に亡命に寄与していたなら、もっとたくさんのユダヤ人がいろいろなところから大っぴらに日本政府を通じて亡命していたでしょう。その結果、日独の関係は今日我々が知るよりも仲の悪いものになっていたでしょう。
 思想や言葉と歴史の関係をみるときには、評論や歴史書の歴史観ではなく、年表や資料といった史実を追いかけたほうが、最終的に納得できるものになりますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。日本書紀をひもといてみたいと思います。田中智学というのはどういう人なんでしょうか。調べてみたら仏教者、とありましたが。仏教者と八紘一宇って、どういう関係にあるんでしょう??またまた興味が湧いてきます。

お礼日時:2001/02/14 22:05

 では語源を。


 「八紘」は「すべての方向」「世界全体」を意味します。「一宇」は「一つの屋根」ということで、言い換えれば「一つの家」。で、「八紘一宇」は「世界全体を一つの家の下にまとめる」という意味内容を持ったスローガンになります。ここで「一つの家」は「天皇家」を指す、と言えばどういう趣旨かはお分かりになるでしょう。
 「ユダヤ人救出」というのは杉原千畝の話でしょうか? だったら、あまり「八紘一宇」とは関係ないように思います。「人種差別の撤廃」…たしかにそういう理念ではあったかもしれません。が、「現実」は…。どうか、そのあたりを学んでいかれますように。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。ユダヤ人救出には、杉原さんのほかに、もっと関わった人はいるのでしょうか。戦前のそういう美談をもっと知りたいです。

お礼日時:2001/02/14 22:01

第2次世界大戦前のアジア・アフリカは人種差別に根ざした植民地政策を推進してきた欧米先進諸国にやりたい放題やられていました。

(日本は名誉白人的立場にありました。)これを排除すべく大義名分として打ち出されたのが八紘一宇。つまり列強国をアジア・アフリカから追い出しを世界を天皇の下に統治しようというものであったそうです。本当に正義のためと信じて戦争に挑んでいた人も中にはいたのでしょうが、朝鮮を併呑したり満州国を建国したり、資源をもとめてアジアへ侵攻し、欧米がやってきた事をそのまま真似てしまった形となり、逆に世界を敵に回してしまいました。結果日本がどうなったかは、歴史が如実に物語っています。
もし本当に世界の解放者として、アジア・アフリカのために尽くしていたら、今ごろはアメリカのような立場になっていたかもしれませんね。

参考URL:http://www.jcp.or.jp/Day-akahat/9911/991111_faq. …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。歴史に「もし、ああしていたら・・・・」はあり得ないのでしょうが、いろいろと考えてしまいます。

お礼日時:2001/02/14 21:58

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