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野球のセ・リーグとパ・リーグってどのような基準でチームが振り分けられたのでしょうか?セントラルとパシフィックなので、海側・内陸の違いで分けたのかと思いきやそうでもないような感じですよね?野球に関する知識は乏しいので申し訳ないのですが、疑問に思ったのでご質問させていただきました。よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

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当時の実力者・読売の正力松太郎(今で言えばナベツネか?)が、毎日新聞に球団を持つように勧め、2リーグにしようという意図があったからです。


何故、毎日新聞かといえば、朝日新聞は当時から読売にとっては敵であり、プロ野球を推進する読売に対して朝日は今に至るまでの高校野球賛歌=野球とは教育である=プロは邪道として、敵対していたため、中立的立場の毎日に新しいリーダー、すなわち新リーグ(パリーグ)の盟主になってもらおうとしたためです。
広島、国鉄がセリーグに加入したのは、球団設立が遅くなり、新リーグ(パ)には加入の余地がなくなったため、セリーグに加入したという経緯があります。
正力松太郎という人は、読売・日テレのメディアを媒体にして、プロ野球(巨人)、プロレス(力道山~全日)、ボクシング(帝拳グループ)と戦後のプロスポーツを中心とした娯楽の普及という偉大な功績があります。
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「振り分け」ではなく、まさしく「分裂」が始まりでしょう。


(ある意味、バスケットボールの日本リーグとbjリーグの雰囲気にも似たものがあるかもしれない…)

もともとはエクスパンション=球団増加に伴って(当時1リーグの)連盟が紛糾し、
連盟解散にまで発展してしまいました。

そして、巨人や中日ら、当時でも老舗球団が中心となったセントラル・リーグと
毎日、近鉄など当時の新生球団が中心になった太平洋リーグ(のちのパシフィック・リーグ)が生まれたわけです。

もっとも、広島や国鉄など、新生球団でもセ・リーグに加盟したチームもあれば、
阪急や南海など老舗球団でもパ・リーグに加盟したチームもありました。
南海は別所引き抜き事件で巨人に対して強い反発を持っていまして、
「巨人のないクリーンなリーグを!」というスローガンも掲げていたようです。

そして阪神は、関西電鉄会社のよしみでパ・リーグに加盟する方向だったのですが、
「巨人戦」というドル箱の魅力に勝てず、セ・リーグになびいてしまい、
これに腹を立てた阪神の主力選手数人が、もともと誘われていた毎日に行ってしまった…
という有名なエピソードもあります。

分裂前後はそりゃもう引き抜き合戦、プロモーション合戦の泥仕合で、
2リーグ分裂初年度なんて、よくぞ日本シリーズを開催できたものだと思います。
(オールスターゲームは開催されず)
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