ヤマト王権
ヤマト王権という時代はよく日本から外国へ行っていたんですか?
現代人の感覚で考えてはいけません。
弥生時代末期、大和政権が成立して古墳時代が始まる頃、日本中はうっそうとした森で覆われ、集落周辺・半湿地帯が水田として開発されている状態で、大規模な物資輸送の道はあまり発達していませんでした。
ということで、河川や内海・沿岸や島の多い海は大切な交通路・交易路・生活の場でした。
九州北部・壱岐・対馬と朝鮮半島南部の多島海は、海を基盤とする氏族が生活の場として活動していました。
彼らのうちで日本に基盤を構えた一派が海洋神、宗像三神を祭る一族であったと思われます。
つまり、朝鮮半島・日本にそれぞれ農業を経済基盤とする広域政権が成立することで、朝鮮半島と日本列島の間に国境が出来た結果、海洋民の生活の場が分断されたというわけです。
つまり、大和政権の初期において、朝鮮半島南部の海や北九州の海に生活基盤を置く漁労・海上交易一族が、大和政権に属するようになったというのが実態でしょう。
大和政権に属したからといって、交易をやめたのでは生活できませんから、その活動地域は古墳時代初めには、弥生時代とほとんど変わらないものだったと思います。
ヤマト王権時代と朝鮮半島の関係が書かれています。
http://www.araki-labo.jp/shiso14.htm
なぞの4世紀ご参照。
http://homepage2.nifty.com/mazzn/636642.htm#636
発生期の古墳のうえに、下の記載があります。
「と、海をこえて朝鮮半島を侵略し、十数年にわたって百済・新羅を占領し
た倭を、亡父の好太王が水軍を率いて撃退したことが記されています。」
聖徳太子の頃になると、渡来人の母を持つ歴史上の人物が多くでてきますが、それも、その前の時代から朝鮮半島や中国との行き来があったからのことだと思われます。
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