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2008年4月18日名古屋高裁で自衛隊の空輸に関しては違憲判決がでて確定しましたが違憲状態はどう是正されるのでしょうか?政府はどう対応するのでしょうか?また一部政府の人はこんな判決気にしないというようなことをおっしゃられてますが判決確定後も是正しないでやっていけるものなんでしょうか?思想的なバイアス抜きでの回答お願いします。
法律を勉強しているのでこの判決に対してどう世の中が動くのかが知りたいのです。自分は9条に関して中立です。
よろしくお願いします。

A 回答 (33件中1~10件)

#32です。

訂正
×「王権親授説」→○「王権神授説」

そのほかの説に、「自然法説」「慣習説」「(ゲーム)ルール説」などもあります。
 英米法における『法の支配』、つまり判例(コモンロー)の蓄積に伴う「Rule of Law」をそのまま日本に導入することは不可能で、大陸法(法典形式)である法治主義が採用されていると考えられます。
ですから、日本で言う法の支配と英米法の『法の支配』は、異なるものとも考えられます。
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さて、ここまで説明すれば、もうお判りかと思いますが、「法の支配」は判例法という中での「法効果」ですので、「拘束『力』や『義務』といった条文根拠は無いと思われます。



その成立過程は、古くから、「王権親授説」「神意説」「社会契約説」「法の支配」「道徳説」などあり、近年では、「(権力者)命令説」が強く主張されています。
命令説は、法効果のうち特に強制力の裏づけのあるものに関して拘束力や義務となる条文根拠を与え、それを基に権限ある者が命令するというものです。
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#30における拘束は、裁判所法4条による拘束力ではなく、法の支配によると考えられます。

判決理由中とはいえ、「審査権に基づく解釈(判断)」を示しているわけですから、それ以後の判断にも影響を与えるものと考えられます。

そして、少なくとも訴訟の当事者には、最近の言葉で言えば「コンプライアンス:法令遵守」が求められるでしょう。
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判決理由中のレシオデシデンダイ部分に、既判力のような法的拘束力を認めることはできません。

判例法という法体系が日本にはありませんし、認めること自体に意味がありません。

なぜなら、その拘束力は個別に効果を発揮するものでありますので、一般に拘束力を与えないのは前述したとおりであり、個別効力説は多くの説の採るところであります。
これと同様に、判決主文において違法(違憲)を宣言した場合もそのような解釈となります。

それらとは異なり、これまで多くの裁判において、判決理由中に憲法解釈・判断を示しているのは、その後の下級審を拘束し、よって後訴を拘束することにあります。当事者を拘束するのではなく、裁判所を拘束し、統一的見解・解釈を示すことにより、『一般効力説と同様な効果を与えよう』としているのです。
また、最高裁判所が法律、命令、規則又は処分が憲法に適合しないとの裁判を開いたときには、最高裁判所規則14条により、裁判書の正本を内閣に送付しなければなりません。また、法律が憲法に適合しないと判断した場合は、正本を国会に送付しなければなりません。
最高裁判所の判断による統一見解を、三権が共有するためのもので、これにより正しい解釈判断がなされることになります。

最高裁判所裁判事務処理規則
http://www.courts.go.jp/kisokusyu/sonota_kisoku/ …

これと同様に、高裁判決の判決理由中の判断に既判力のような法的拘束力はありませんが、「高裁判断」として、その後の裁判に影響を与えるでしょう(もちろん最高裁にも影響を与える可能性はある)。

 政府がレシオデシデンダイについて言及しているのは、その拘束力という観点より、民事訴訟法312条上告理由への該当性だと思います。これにより、上告は却下されることになるでしょう(門前払い)。
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#28です。



主文に宣言しなかった判決は「違憲判決」では無かったのかとの批判については、最高裁判所がその憲法解釈・判断を判事することにより、「実質的(内示的)」に下級審を拘束し、よって後訴をも拘束すると考えられます。
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#27様、ありがとうございます。


確かに、そのように確立した説があり、うなずけます。

 民事訴訟法327条「特別上告」、330条「再抗告」、336条「特別抗告」などにおいて、最高裁判所を、憲法解釈や憲法違反について審査するように定めているのは、最高裁判所を、憲法に適合するかどうかを決定する最終裁判所と定めているからです(憲法81条)。
 このことからも、下級審における判決には「解釈の誤り」が起こりえると言え、違憲審査については、最高裁判所においてなされなければならないと私は考えます。

 これにより、「『違憲審査(憲法裁判)』については、必ず上訴され、最高裁判所で判決されなければならないと」の考えがあります。

つまり、下級審における判決は、請求権に基づく解釈・適用であり、最高裁判所大法廷合議制で行う判決とは趣旨が異なると思います。
この考え方には、主文に宣言しなかった判決は「違憲判決」では無かったのかとの批判もあります(参考#21判例)。
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ご質問者のhiroto69さんがほぼ納得されているようなので、これ以上の投稿は不要かな、と躊躇しつつ、参考までに、ということで1点記してみます。

なお、記すのは用語の定義ないしそれに近いものであり、深入りは避けました。


まず、「違憲判決」という用語は、憲法訴訟において、特定の法令が憲法違反であると判断した、裁判所の判決のことをいう、というのが一般的な定義かと思います。

そして、違憲判決を下せる根拠は、これも一般的には、憲法前文第1文、81条、98条とされています。このうち、81条の違憲審査権については下級審もこれを有する、と最高裁自身が認めているものと解されています(最大判昭和25年2月1日)。また、「判決」は上訴提起期間を経過する等の場合には確定し(民事訴訟法116条、行政事件訴訟法7条)、これにより下級審判決が裁判所の判決となります。さらに、「判決」には、主文だけでなく理由も含まれます(民事訴訟法253条1項3号参照)。加えて、裁判所法10条は、憲法論や裁判所の構成に関する書籍等を読む限りでは、一般的には、違憲判決を最高裁判所のみで下す趣旨の定めではないと解されているようです。

以上のとおり、「違憲判決」の一般的な定義、憲法81条の解釈、裁判所法10条の趣旨などを考え合わせると、下級審判決においても理由中の判断である「違憲判決」をすることができると考えるのが、一般的見解ではないかと思われます。

hiroto69さんのご質問の趣旨に鑑みれば、一般的見解に立脚したほうがその趣旨に沿うのではないかしら、と思った次第です。
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マスコミが世論形成のため「違憲判決」と誤った表現をしているのが原因だと思います。



「(高等裁判所で)違憲判断」か、「(判決理由中で)違憲と認定」とするべきで、用語的に『違憲判決』といえるのは、最高裁判所において「判決」された場合だと思います。
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No.6=No.10=No.12です。

四たび板汚し失礼します。

判決理由要旨は次のとおりです。
http://www.47news.jp/CN/200804/CN200804170100068 …

中身は【派遣の違憲性】【平和的生存権】【控訴人らの請求】に分かれています。このうち、主文に直結するのは最後の【控訴人らの請求】
です。請求の中身は3つあります。それぞれの結論と理由は次のとおりです。

(請求内容1)イラク派遣の違憲確認請求

(結論)請求自体が不適法

(理由)ある事実行為が抽象的に違法であることの確認を求めるもので、現在の権利や法律関係に関するといえないから。

(請求内容2)イラク派遣の差し止め請求

(結論)請求自体が不適法

(理由)
防衛大臣による行政権の行使の取り消し、変更、又はその発動を求める請求を含んでおり、このような行政権の行使に対し、私人が民事上の請求権を持っているとは考えることはできないから。

(請求内容3)損害賠償請求

(結論)認められない

(理由)本件派遣によって具体的権利としての平和的生存権が侵害されたとまでは認められず、損害賠償請求で認められる程度の被侵害利益がいまだ生じているとはいえないから。

これが結論なのです。原告の完敗ですよね。訴え自体が不適法だったわけです。

判決では、裁判所に対し違憲行為の差し止め請求や損害賠償請求ができる場合として、「憲法9条に違反する戦争の遂行や武力行使などで個人の生命、自由が侵害される場合」を挙げています。

つまり、今回の場合、簡単に言うと「憲法9条に違反」AND「個人の生命、自由の侵害」というAND条件なわけです。OR条件ではないので、どちらか一方でも満たしていなければ、訴えは不適法なわけです。

裁判所ではその両方を審理したわけですが、OR条件ですから、「個人の生命、自由の侵害」がないと分かった段階で憲法判断は不要だったわけです。原告が訴えることは不適法でも、裁判所が憲法判断することは適法(要は不適法の主語が違う)という方もいらっしゃいますが、頼まれもしないこと(不適法の訴え)に裁判所が積極的に判断すること自体が不要なことなのです。主文に関することならば構いませんが、合憲でも違憲でも、もう一つの条件である「個人の生命、自由の侵害」がないわけですから、結論は変わらないわけです。

さて、主文で勝っている側は上訴できません。当たり前です。理由がどうであれ、主文で勝っているわけですから。でもそれは、主文と理由がつながっているという前提でこういう訴訟制度になっているわけです。訴訟制度は、理由に主文に関係のないことを記述されることを予想していないのです。

司法とは、原告の訴えがあって初めて動く受動的な国家権力です。ですので、裁判官が自説を述べたくてもそんなチャンスはめったにありません。せっかくこんな機会に恵まれたので、日ごろ思っていることを述べてみよう、と思っただけだと思います。

この件に関して、いろんな法律論、法学論がありますが、それは法曹界が裁判所の判決を絶対視し、現状の「ねじれ」「蛇足」の存在を肯定しているから、様々な肯定的論説が出てくるわけです。そもそも不必要な審理や記述を認めてはいけないのです。

私は、今回の判決自体は「違憲判決」ではなく、被告の大切な上訴権を奪う「違憲な判決」だと思っています。被告が国だから判決そのものに批判的な声が聞こえないだけです。

どうもメディアなどに出てくる法律家や社説などの論調をみると、要するに派遣賛成派(主に与党支持)は蛇足否定、派遣反対派(主に野党支持)蛇足ではなく尊重すべき、という構図ですよね。まあ、当たり前と言えば当たり前で、不思議でもなんでもない話ですが(笑)。

かくいう私も、「どちらですか?」と聞かれれば、確かに派遣賛成で与党支持です。ただ、そういう自説に都合のよいことは認め、都合の悪いことは認めない、という話ではなく、立法や行政と比較して司法とは何かを考えたとき、その消極的・受動的性質から、蛇足は不要なのでは?その蛇足を他の案件に適用するのはいかがなものか?と日ごろから思っています。

ですので、No.12でも
>もしもの話、判決が「原告の請求は認める」「でもイラク派遣は完全に合憲で全く問題ない」という内容で、被告の国が上訴せず確定したら、どうでしょうか?
・と書いたわけです。これでもやはり私は「ダメだ」と思うでしょう。裁判員制度や法科大学院設置による法曹人口増加策など様々な司法改革がなされていますが、そもそも蛇足の慣行をやめないと、どんな改革をやったところで日本の司法はレベルが下がるのではないかと思っています。

ただ、だからといって今回の裁判長をどうするという制度もありませんし(本人は3月で退官したそうです。これもすごいですが 笑)、事実として憲法判断が含まれた判決が確定したわけですから、その是非を云々してもご質問に答えたことにはなりませんよね。

ともかく、ご質問の内容に即して回答すると、

>違憲状態はどう是正されるのでしょうか?
・政府は違憲だと思っていないので、何ら変化はないでしょう。

>政府はどう対応するのでしょうか?
・政府は完勝したわけです。損害賠償金を支払う必要もないし、派遣を差し止める必要もないわけです。とにかく請求自体が不適法だったわけですから。原告がいう「違憲」や「差し止め」の声は無視でしょう。

>また一部政府の人はこんな判決気にしないというようなことをおっしゃられてますが判決確定後も是正しないでやっていけるものなんでしょうか?
・「気にしない」でしょうね。ただ、2009年6月にイラク派遣の期限が切れますので、再延長するかどうかを議論する際、野党が今回の傍論を引用する可能性は大いにあります。
でも、三権分立を考えると、「判決で述べられていたから」見直すのは理由にならないと思います。内閣あるいは国会で今回の判決を「参考に」見直すのはアリでしょうね。結果は似ていますが、自律性の問題として、形式的には微妙に違いますよね。結構大事な部分だと思っています。
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レイシオデジデンタイとか傍論とかいう言葉が、独り歩きしてしまっています。



レイシオデジデンタイは、判例として、他の裁判所に対し先例拘束性を持つかについて意味のある概念ですが、当事者に対し拘束力を持つかについて意味がありません。

なぜ判例として先例拘束力を持つにはレイシオデジデンタイであることを要するのか、ということを忘れてしまうから、言葉が独り歩きしてしまうのです。

司法裁判所の判決は、当該事件を解決するために下されます。その中で法令解釈が行われ、時には行政行為や法令が違憲とされることがあるのです。

逆に言えば、判決理由も当該当事者・当該行為しか念頭に置かれません。したがって、判決理由が別の事件でも当然に妥当するとは限らないのです。そのため、判例として先例拘束性を持つ、言い換えれば別の当事者・行為に適用されるのは、レイシオデジデンタイという、判決理由の中でも特に核心的な部分に限られるのです。このレイシオデジデンタイには、合憲か違憲かの結論さえ含まれません。

つまり、判決理由の中でもレイシオデジデンタイに限定する必要があるのは、判例として他の事件に適用する場合なのです。当該当事者・当該行為については、当該判決の中で十分検討されているわけですから、このような限定をする必要がありません。

もっとも、朝日訴訟の最高裁判決のように、結論を導いた後、判決を導く前提以外のものとして書かれた部分は、さすがに判決理由といえども、当該当事者・当該行為についても拘束力がないものと考えられます。しかし名古屋高裁は合憲性の審理に法廷で長い時間を割きましたし、判決を下す前提として合憲か違憲かを判断しています。したがって当該当事者・当該行為に限っては、「違憲」であるという憲法上の拘束力が働くものと考えられます。さらに言えば、今回の名古屋高裁の判断は、当事者に証拠提出の機会を与えて、十分な証拠調べを直接した結果に基づくものですから、見方によっては、訴訟記録という書類を読んだだけの、最高裁の憲法判断よりも説得力があるとさえ言えます。
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