あの世とこの世を繋ぐもの
類似の質問をこの歴史カテゴリーで致しました。有難う御座いました。(http://bigai.world.coocan.jp/wwwboard/save_mes04 …)
民俗学か哲学、宗教、或は神話かもしれないのですが、『あの世とこの世を繋ぐもの』としては海とか洞窟、坂、或は河・川なども話しに聞いたことがあります。
1. 上に上げたものの他に、こんなものもあるよ、とか。
2. そういうものには、こんなところがあるよ、とか、
ご存じでありましたらどうか、お教え、ご紹介くださいますよう何卒よろしくお願い申し上げます。
なお、上にあげたサイトでは、螺旋とか、子宮を上げておられましたが、ちょいとまだ何か不明でして。
回答(6件)
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No.6ベストアンサー20pt
>>1. 上に上げたものの他に、こんなものもあるよ、とか。
日本人のもつ自然宗教(自然発生的に生まれた宗教、民間信仰等)の中には、ムラの外をあの世と考える風習がありますよ。日常の空間であるムラの中をこの世、そして非日常の空間であるムラの外をあの世としていると考えられます。おいおい、その非日常の空間であり未知の世界であるムラの外が死者の赴く場所となり、その延長で山が近いものたちは霊山浄土(山の中にあの世がある)という考えや、海の近いものたちは海中浄土(海の中にあの世がある)という信仰をもつようになったと考えられます。
ムラの外をあの世とする考えは今でも残っている地方があるようです。私もどの地方かは確かめておりませんが、盆踊りにおいて先祖の霊たちとひと時を過ごした後に、村人はいっせいにムラの外に設けられたお墓の入り口にまで向かうそうです。そして、そこまで行くと、いっせいに後ろを振り返り村まで戻るそうです。そのときは誰も振り向いてはいけないという約束があるようです。これは、お盆という仏教行事の姿を借りていますが、日本古来の自然宗教ということができるでしょう。このように日本人にとってのあの世とこの世は結構近いところにあるようです。
そのあの世とこの世の境目に置かれていた塞の神(岐の神または辻の神とも呼ばれます。)という石の像が道祖神となり仏教伝来と共にお地蔵様になっていったと考えられています。
塞の神の役割は、あの世から来る災いをムラに入れることを防ぐ役割を果たしていました。ですから、日本の地方に行くとお墓はムラから少しはなれたところに置かれているのは、日本の民間信仰の中で死者はこの世にいてはいけないものであり、災いをもたらす種ということになります。そういったものの侵入を防ぐのが塞の神の大きな役割であったわけです。このような死者が災いを起こすという思想について民俗学者柳田國男氏は「仏教伝来で評価する点を上げるとしたら、死者を穢れた災いをもたらすものではないとしたことだ」という趣旨の発言をされていたはずですから、日本の自然宗教が共通して持っている思想であったと思われます。
つまり「あの世とこの世を繋ぐもの」としては、塞の神をあげさせていただきます。
>>2. そういうものには、こんなところがあるよ、とか、
ですから、家の近くのお地蔵さんや道祖神等々も基をただせば、塞の神としてまつられていたものかもしれませんよ。どこか遠くを調べるのではなく、近くにもそういった場所が点在していると思いますよ。
ちなみに、お地蔵さんは子供好きというのも塞の神の信仰の流れで、大陸の仏教経典には書かれていない日本独特の信仰のはずですよ。
ながなが、書き連ねましたが民族宗教学の立場からの一考察です。誤字脱字乱筆どうぞお許しください。文意を読み取っていただきたく思います。
合掌 南無阿弥陀佛
この回答へのお礼
有難う御座います。
おぅ南無 阿弥陀仏。
たいへん該博でしっかりしたご薀蓄を戴きました、締め切らないでよかった。
お地蔵様のこと、塞の神様について長くわからなかったことも理解の端緒を頂き有難う御座いました。
≪そして、そこまで行くと、いっせいに後ろを振り返り村まで戻るそうです。そのときは誰も振り向いてはいけないという約束があるようです。≫という件りは、いっせいにさっと村の方へ向きかえり、後ろを向かずに帰る≫といういみなのでしょうね。
有難う御座いました。全く誤字も脱字もありませんでした。
山岳もそうじゃないですかね。いわゆる「霊峰」なんてのが世界各地にありますよね。
ただ、霊峰はあの世とこの世を繋ぐというより、神と対話が出来る場所としての役割というのが正解かな?
この回答へのお礼
有難う御座います。
いたるところにあるものですね。
山岳信仰もありますしね。
樹木やその他依り代とかあるものですね。
有難う御座います
今昔物語という大部の説話集によると、昔の日本人にはあの世とこの世を繋ぐ窓口があったようです。それは夢です。亡き夫や妻や子供が夢に出て来て、今は極楽にいるから安心するようにと言うことを残された者が告げられ、涙を流して喜んでいた場面がいくつでも出てきます。
また、その物語によると今の人が「気絶した」と表現するところを「死んだ」と表現しています。ですから、死んで蘇って来た人は今よりずっと多かったのです。その物語りの中で、その死から蘇って来た人たちが自分の経験した死後の世界をいろいろ語っています。
私たちは何時とは無しに、昔の人たちが持っていたあの世とこの世を繋ぐ窓口をなくしてしまったようです。そう言えば、私も小さな子供の頃には腕を広げるだけで飛行機になって空を飛べたものでした。悲しいかな、理屈にこだわるようになってしまった今では、腕を広げても空を飛べなくなってしまいました。
この回答へのお礼
いや面白いお話を有難う御座います。
夢。夢や睡眠。これは窓口かもしれませんね。
それをどう否定できましょう。この人生、魚や虎のでなく、人間の服をきての人生。これも夢かも知れませんし。
夢を随意にみることができれば、本当にあの世にも、異なる世界にも行かれますね。
それをどうして不・非実在といえましょう。
実は私達の修行・精進している教えも随意に夢を見る行法(ぎょうぼう)があります。なかなか難しいのですが。することは簡単ですが難しい。簡単な仕方しかないものは難しいですよ。有難う御座いました。
>1
人間・・・恐山のイタコという女性は、あの世とこの世を繋ぐ「口寄せ」を職業とします。
http://www.minpaku.ac.jp/museum/event/movies9509 …
岩・・・・「磐座」は、あの世の(神)がこの世に顕在する場所かな。
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/a2yougo.html
この回答へのお礼
有難う御座いました
磐座もそうでしたか。神、鎮まりの座としか観念しておりませんでしたが。
一寸先も未知にして闇。でも私達は異界とは思っていません。
異界へ入ってしまう。いや実はこの今の存在が異界ではないと誰がいえましょう。
夢の中一筋の意識が、夢にいるんだとおもうものではありませんでしょう。
知らず知らず、或はよんどころなく異界や鯉や鮒、或は虎への異服や転生に入っていく契機や原因などについて、ご見解はないでしょうしょうか?どうかお教えをいただけますように。
有難う御座いました。
あの世とこの世というよりは、昔の人にとっては、山を一つ越えたら、そこは未知の異世界だったと思います。
>海とか洞窟、坂、或は河・川なども・・・
と、いうよりは、洞窟=トンネル、坂=峠、河・川=(#1さんのおっしゃってる)橋・・・。
こういった、未知の異世界と自分のいる世界をつなげている物が、「あの世とこの世を繋ぐもの」だったのではないかと思います。
この回答へのお礼
有難う御座いました
未知の異世界と自分のいる世界というもの。その通りでした。
貴重なご指摘です。
異世界。一寸先も未知といえば未知ですが、異世界ではない。
これを私の用語で異界と略させていただきまして、知らず知らず、或はよんどころなく異界や鯉や鮒、或は虎への異服や転生に入っていく契機や原因などについて、ご見解はないでしょうしょうか?
いや有難う御座いました。上の末尾のことについて何かお教えいただければ幸いです。
No.1ベストアンサー10pt
私が思うのは「はし」です。「は」+「し」です。2点を結ぶものという捉え方です。
「橋」「きざはし」「はしけ」「はしら」似た概念はいろいろありますが。
あちらとこちらを結ぶ象徴です。
この回答へのお礼
早速に有難う御座います。
そうですね、橋もありますね。
掲げたサイトの螺旋構造でなくても、結構あるものですね。
私はそれと間、狭間てきなものではないかとも存じます。
これらはみな繋ぐもの、媒介、境界の役をしてますよね。
それらのどれかが際立っているとか、薄くなっているとかありますが。
どうも有難う御座います。また何かありましたらお教え下さい。
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