A 回答 (7件)
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No.7
- 回答日時:
そんな見方をしたら、「もし」の領域を逸脱してしまい、現在の地球・世界の存在を全否定することになり、収拾が付かなくなります。
人類の歴史は侵略・征服の歴史で、それを肯定・否定すること自体が既にナンセンスです。日本も、大東亜戦争に負けて心ならずもアメリカに「まつろは」ざるを得ませんでした。
No.6
- 回答日時:
>「まつろはぬ民」とは言いますが、そもそも何故アイヌは大和民族に「まつろふ」ものと決め付けられていたのですか?
植民地獲得競争が激しかった時代、「無主の地」という言葉がありました。どの国の領有にも属していない土地、国家政権が存在しない土地、非西洋的な土地ほどの意味で使われていました。非西洋的な土地はともかく、その土地に住む人間がいたとしても、国家機構を持たない領域を「無主の地」として植民地化したわけです。
また、中国の中華思想の一種として古くから「王化」という言葉もありました。天子の徳によって人々を従わせることです。実際は武力を用いて周辺の民族を従わせることも「王化」としたわけですし、中華こそ周りより優れており、その支配に属することが当然であるとの考えです。
「無主の地」や「王化」の考え方は、どの時代、どの国家にも存在しています。そして、領域を拡大するときの思想的な背景となっていきます。
ところで、網野善彦や司馬遼太郎は日本における「王化」とは、農耕民化させることをもって「王化」の実際としています。(今一歩考えを進めると、税を納める行為を持って、王化の実際と考えられます。これは朝貢をもって冊封体制の実態とすることと通じますが。)
さて、王化の結果、農耕社会が形成されると、土地の囲い込みが進み、更なる土地を求めて新たなる土地の囲い込みが開始されます。自立運動といっても良いような動きです。農民にもならず、農耕社会の道徳観(勤勉性・計画性・忍耐など)にも馴染めない人々が、無主の地である山野や、辺境の地に住み、山人・蝦夷・隼人・国栖などと呼ばれ、「まつろはぬ民」とされたわけです。
これらの「まつろはぬ民」も戦争その他の手段により王化され、農耕民化し、税を納めるようになると、「まつろふ」人々に変化するのです。
アイヌを古代社会の蝦夷や毛人を中心に考えるならば、最初は「まつろはぬ民」であり、淳足・磐舟柵の設置、阿倍比羅夫の派遣以来営々とした征夷行為によって「まつろふ」ものに変化していったと思います。
以上堅い話になってしまいましたが、参考まで。
No.5
- 回答日時:
> 初めから決め付けられていたのですか?
初めからなどではありません。
坂上田村麻呂がアテルイの率いた蝦夷連合との戦いに勝ったからです。
負けたからには、勝った側に従わなければ更なる殺戮がなされるだけですから、まつろうしかありません。つまり、まつろうべき立場になったのは田村麻呂以後ですね。
「元々住んでた土地に入り込んで来た」なんて理屈が外交の世界でそれなりに意味を持つようになったのは、日本が大東亜戦争を戦って白人による植民地支配体制を覆したとき以後です。
それ以前は、単なる口実以上の意味は、ありませんでした。
No.4
- 回答日時:
交わらない民とは、案外強力な軍事力を背景に服従しなかった。
(民族国家を形成していた)と言う意味らしいです。
大化の改新以降、征夷が行われたのですが、それ以前は属国関係であったようです。
卑弥呼の時代より
毛人が住み、邪馬台国の力の及ばない(服従しない)所とされています。
問題は朝鮮半島の任那日本府滅亡より数十年。
新羅との関係、百済王子が人質として来日する付近で起きています。
つまり、
大和朝廷は蝦夷と朝鮮半島が手を結ぶと両方から挟み撃ちになる可能性があり、容易に半島進出が出来なくなるのです。
まず、蝦夷と朝鮮との交易を遮断する必要があります。
その為に日本海側から攻略し半島の影響を奪い、太平洋側の蝦夷を孤立させたらしいです。
白村江の戦いで半島進出の野望は打ち砕かれ、国内平定に目標を絞ったと考えられます。
No.3
- 回答日時:
北海道のアイヌと本州の大和という図式ができるずっと前、1000ADより前から、アイヌのよう北方民族に分類される蝦夷が、青森とか秋田とか、そのあたりにたくさんいました。
日本が百済に援軍するために。白村江の戦いへと660年代に大量の船団を送りましたが、それ以前から蝦夷を撃つためにも、日本は船をつくる技術を生かして海路からも攻め入っていたようです。そして、なんと東北地方の蝦夷と大和の地域の境界には、万里の長城や、ベルリンの壁よろしく、境界壁みたいなものがあったそうです。それはいまでいう垣根程度のもので、壊そうと思えば壊せたようですが、あきらかに東北地方北部は、違う土地だとおもっていたようです。
しかし従わぬ民ということは、征伐対象になっていたという史実とともに、やはり従わせようとした大和側の目線があったと思います。
ちなみに、その後だいぶたってから、最初の渤海使が728年に日本にやってきます。本来、京を目指したはずでしたが、流され東北の蝦夷の地域に漂着しています。そしてなんと渤海使の半分くらいは、蝦夷に殺されてしまっています。残った使いは、4ヶ月近くかけて陸路を都にたどりつきます。蝦夷は、原住民的な性格があったのではないでしょうか。
蝦夷には、日本側に従順な族と、そうでない民族がいたようですが、その後混血も進み、一部は日本人に、その他はアイヌへと、なっていきました。
No.2
- 回答日時:
大和民族の主観だから。
としか言いようがない。
それは、どこでも似たようなロジックで、アメリカ合衆国では インディアンが まつろわぬ民ということになっておりました。
勝った民族が負けた民族を、勝った民族が作る歴史のなかで「まつろわぬ民」と定義すること事になっております。
No.1
- 回答日時:
>そもそも何故アイヌは大和民族に「まつろふ」ものと初めから決め付けられていたのですか?
なぜなら、先住民族のアイヌより朝鮮半島から渡来した大和民族のほうが圧倒的に文化や文明、軍事、その他もろもろ優位性を持っていると自身が思っていたからでしょう。
もとより当時文明は中国大陸から地続きの朝鮮半島へはすぐに伝わっても島国のこの地にはすぐに伝わることも無く、その文明(銅製の武器を含めて)を携えて半島から渡来した大和民族のほうが圧倒的に優位であったのは火を見るより明らかです。
自分達より先住の民族を卑下していたからこそでしょう。
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